12.〇一一〇〇六作戦 瓦解
二二〇一年十月六日 一四三一 地上 第一歩兵大隊司令部 作戦室
大隊司令部は、十メートル四方の荒野迷彩の気密テントを幾つも連結させて地上に展開していた。一つ一つのテントには、大隊長室、作戦室、救護室、通信室などが分散して配置されていた。
その一つの作戦室で野戦服姿の東條寺少尉は、大隊の中でショートカットのクールビューティーで有名だった。司令部の男性や他の大隊からもその美貌と知的さで注目を集め、何人からか言い寄られていたが、全て断っていた。自分より格下の者と付き合うつもりなど無いからだ。優秀な自分に見合う男が現れるのをずっと待っていた。
女性士官や兵士からも人気が高い上官である鹿賀山ですら、東條寺にとっては凡人に過ぎなかった。それに鹿賀山に婚約者が居る事は、周知の事実だった。
常に落ち着き冷静な彼女は、誰にも媚びることも無く、孤高を貫いていた彼女が、あせり、平常心を失い、額から脂汗を流しながら、モニターに喰らいついていた。
東條寺に恥も外聞も関係ない。周りは見えていない。座る事を忘れ、マウスを握る右手に力が入りギシギシとプラスチックの軋む音が鳴り続ける。
両足は震えを起こし今にも腰が抜けそうになるが、気力だけで耐えていた。
東條寺は、軍大学を卒業し一年半の従軍経験を持つ。これほど、正気を失った態度を見た司令部要員は、今まで誰もいなかった。
―なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?―
東條寺が入隊以来、初めて立案した作戦が、目の前で瓦解していく。
予測値を大幅に超える月人の数。
月人の最大値すら予測できない現状。
徐々に増える死傷者の数。
一向に減らない戦闘予報の死傷確率。
調査時よりも深い階層を持つ洞窟。
突然起きた原因不明の事故。
小隊対応で可能なはずの作戦が、中隊対応を要求される事実。
その全てが東條寺の作戦を裏切っていく。
今、自分の足元で人が傷つき、死んでいく。
司令部のスピーカーに最前線の阿鼻叫喚や混乱の音声が流れ、その事実が東條寺の心を押し潰していく。
東條寺が立てた作戦は、自信満々で死傷者ゼロで終わるはずだった。
戦闘予報で死傷確率10%の表示は、通常より5%だけ高い誤差の範囲だと考えていた。
コンピュータの戦闘予報よりも、東條寺は自分の計算が正しいと信じて疑わなかった。
5%の損害など、たかがしれていると割り切っていた。
十人前後の怪我人が増えたところで軍の医療技術ですぐに治せると簡単に考えていた。
死者が出るなんて想定もしていなかった。
たった数人の死傷者が、ここまで作戦に影響を与えるなど東條寺の思考の範疇を超えていた。
士官学校で散々三割の損害は、全滅と同意義だと教わったことを舐めていた。現実に体験したことも無い教官が言うのでは説得力は皆無だ。机上の空論に過ぎないと思っていた。
十人中七人も無傷で全滅と言うのは、暴論だと考えていた。
現実には、怪我人を治療や介抱する者に人手を取られ、攻勢を維持するどころか防御することに手一杯だった。
味方を見捨てれば攻勢を維持できるが、訓練や戦闘に苦楽を共にしてきた戦友を見捨てる者はいない。見捨てる様な軍隊では士気が低くなり、前線での動きは悪くなる。戦友が何があっても助けてくれると信じられる為、死地に飛び込めた。
戦場で戦友を見捨てる者は、何故か、後日戦死する確率が高いことを最前線に出たことが無い東條寺は知らなかった。
だが、現実はどうだろうか。数人の死者と怪我人により、大隊が右往左往する事態になった。時折、最前線の兵士のカメラがリアルタイムでモニターに怪我人や死体を映し出す。
月人に腕をへし折られた者やヘルメットごと頭をかち割られ脳漿を飛び散らせ死んでいる者が東條寺の目に焼き付いた。
腹の奥底から酸いものがこみ上げ、思わずゴミ箱に昼食の全てを吐きだした。
普段の東條寺であれば、見慣れた光景であり、死体を見た程度で吐いたりはしなかったであろう。
しかし、今回は全て東條寺の作戦が元凶となっている。その事実が重く圧し掛かり、生まれて初めての屈辱であり、大きい挫折であり、大きなストレスとなっていた。
数十年、人類と月人との間で繰り返し行われてきた月人の侵攻拠点を潰すだけの簡単な仕事のはずだった。
鹿賀山大尉に任され、今までの作戦を下敷きに勉強をし、練りに練った完璧な作戦のはずだった。
しかし、鹿賀山の副官として、月人が装甲車への対抗手段を持った装甲車杭打ち事件を報告したのは自分自身だ。ならば、過去の実績が役に立たなくなっていると予測できたはずだった。
今回の作戦の落ち度は、全て東條寺の誤算、いや計算すらしていない思い込みだ。
当初は作戦起案者には、鹿賀山大尉の名前を借りるつもりだったが、作戦の難易度を低く見積もり、自身の昇進の為、自分の名前で司令部に提出してしまった。
上官である鹿賀山大尉に作戦案を確認してもらうべきだった。
鹿賀山に少し褒められ、一人前になったと勘違いをしていた。
作戦失敗の全責任が東條寺に降りかかるのは明白だ。
親指を強く噛みすぎ、皮膚を破り筋肉にまで歯が達し、血が腕を伝うが痛みすら気にならない。
如何に挽回すべきか。
如何に損害を減らすか。
如何に月人を殲滅すべきか。
そして、如何に責任を回避すべきか。
東條寺の頭の中は、全速で回転していたが、それは全て空回りだった。
今、地下で戦っている味方の事を忘れ、保身に走っていた。
「東條寺少尉。」
背後から聞き慣れた鹿賀山の声が耳を通り抜けていく。東條寺には返事をする余裕が無かった。
「東條寺少尉。」
右肩を引っ張られ、我に返った。目の前には野戦服に身を包んだ鹿賀山大尉が立っていた。
東條寺は目を合わすことを恐れ、すぐに俯いてしまった。顔を見たのは一瞬だった為、鹿賀山が怒っているのかどうかも判らなかった。その位、顔を合わせるのが恐ろしかった。
いや、屈辱にゆがんだ顔を見られるのが嫌だったのだ。
ただただ、無能と呼ばれる事だけは避けたかった。
この期に及んでも自己の保身しか考えられなかった。
鹿賀山が朝に見た東條寺と今見る東條寺では全くの別人だった。
ショートカットのサラサラの黒髪は、掻き毟った為か乱れ、清らかに輝いていた瞳は、真っ赤に血走っていた。
―美人が台無しだ。相当、自分を追い込んでいるな。役に立たぬか。―
「東條寺少尉。ここから先は俺が引き継ぐ。どうやら今までに無い事態だ。休みたまえ。」
「いえ、大尉。自分の失敗は、自分で挽回致します。」
「ふむ。そうか、そういう思考に陥ってしまったのか。言い方を間違えたな。では、大隊長よりの命令を通達する。東條寺少尉を作戦参謀より解任し、鹿賀山大尉は引き継ぎをせよ。以上だ。」
「待って、下さい。まだ、自分は、挽回、できます。やらせて、下さい。」
東條寺がか細い声で俯いたまま呟くが、強迫観念というか歪んだ責任感に押し潰され、現実が見えていない。
この様な現状把握ができない者に何ができるのだろうか。
「少尉、そういう状況はすでに終わっている。大隊長より命令が発せられた。これは絶対だ。これに逆らうのであれば、懲罰房に入ってもらうことになる。」
懲罰房の単語を聞いた瞬間に東條寺の身体から力が抜け、地面に崩れ落ちそうになる。受け身も何も考えない崩れ方で後頭部から落ちていくところを鹿賀山が東條寺の腕を掴み、引っ張り上げた。
東條寺は完全に気を失っていた。
どうやら、精神が衰弱した東條寺には懲罰房の言葉は、重すぎた様だ。いったい懲罰房にどんなイメージをもっているのだろうか。
日本軍における懲罰房は、数日の拘禁と食事制限、自殺防止の為の紐無し貫頭衣の着用、起床から就寝までの瞑想の強制だ。体罰を与える事など無い。
古参兵などは、懲罰房を罰則とも感じない輩もいる位だ。
「この程度の予測外の事でパニックになるとは、参謀失格だな。机上の作戦通りに物事が進む筈が無い。東條寺には作戦立案は早過ぎたか。となると、俺の監督責任が強く問われるが、仕方あるまい。自業自得だ。己に人を見る目が無いということだな。当直兵、東條寺少尉を救護室へ連れて行け。」
テント入口に控えていた兵士に声を掛ける。
「はい、大尉殿。」
警護の為に立っていた当直兵の内二名が東條寺を挟むようにしゃがみ込む。
気絶している東條寺を三角座りさせ、東條寺の腕を当直兵のそれぞれの頭の後ろに回す。
続いて、両膝の下で腕を組み合わせ、東條寺の背中でもう一方の腕を組み合わせる。
「膝下確認。背中確認。合図と共に立つ。起立、今。」
当直兵の二人は寸分の狂いもなく、東條寺をベンチに座らせたような格好で軽々と持ち上げる。
「姿勢問題無し。では大尉殿、少尉殿を救護室へ搬送致します。前進、今。」
当直兵二人は、軽やかに救護所を目指し作戦室を出て行った。
鹿賀山は、受話器を持ち上げる。
「こちら救護室。」
「鹿賀山大尉である。東條寺少尉を精神錯乱の為、そちらに搬送した。受け入れを頼む。手に負えない場合は、憲兵に任せても良い。適当にせよ。」
「了解。適当に致します。」
鹿賀山は、受話器を置くとため息をついた。
軍における適当とは、現状考えられる最善の行動を取る事をさす。お茶を濁したり、手を抜く事では無い。恐らく、気がついた東條寺は、ベッドに四肢を拘束されているだろう。
救護室の連中も忙しくなるはずだ。帰還してくる負傷者を受け入れなくてはならない。
―しまった。貴重なベッドを一台占有してしまったか。最初から懲罰房に送るべきだったか。―
鹿賀山は、自分自身も冷静ではない事を自覚した。冷静さを取り戻す為、大きく深呼吸を一つする。脳に新鮮な酸素が送り込まれ、気持ちに変化が訪れるのを感じた。
―東條寺少尉に良い経験を積ませるつもりが、悪い経験を積ませてしまった。
死傷者や前線に出ている者には悪いが、東條寺の様な挫折を経験したことが無い優秀な人間は、マイナススタートの方が良かったのだろう。―
鹿賀山は、作戦参謀らしく兵士を数で計算する冷徹さを取り戻しつつあった。
鹿賀山は椅子に座り戦区モニターを見つめ、状況をすぐに把握する。
―各個撃破されるな。小隊編成から中隊編成へ戦闘単位を変更。
地上警戒中の二個中隊も派遣だな。12・13中隊が適任か。
装備に音響センサーを追加。12・13中隊に持たせる。これで地下空洞探索や仮想予測地図の作製も可能となる。
地上警戒中の14中隊から11中隊への補給物資運搬の一個小隊と状況調査の一個小隊を出すか。補給物資に11中隊用の音響センサーを追加。
となると地上が二個小隊帰還するまで手薄になる。大隊司令部中隊も警戒任務につかせよう。だが、そうなると交代要員および備蓄物資が無いな。連隊司令部への救援要請も必要か。―
鹿賀山は慣れた手つきで、作戦要綱変更申請書を入力していく。
―ふむ、これで記入漏れは無いと思うが。あぁ、一つ追加だな。本日中の作戦完了は不可能。作戦完了に数日を要するものと認める。と、追加しておこう。―
一行追加した後、大隊長宛にデータを送信する。大隊長や大隊参謀が、検討やシミュレーションを行えば早くとも返信まで一時間以上はかかるだろう。
鹿賀山は、この間にコーヒーを入れにテントの片隅に行く。
落ち着ける内に休憩を取らなければ、これから忙しくなりいつ休めるかは分からない。
ここらで気分転換が必要だった。
当直兵に言えば、飲み物は入れてくれるのだが、何もしないのは落ち着かなかった。返信を待つ間、気を紛らわしたかったのだ。
熱い湯気が立ち上るインスタントコーヒーを片手に席に戻ると大隊長からの命令書を受信していた。カップをモニターの脇に置き、即座に命令書を開けると『承認』の文字が目に入った。一瞬、本当に大隊長や参謀長は検討したのだろうかと疑問をもったが、正式な命令書だった。
予想を超える余りにも早い返答だった。上層部も危機感を持っている証拠なのだろう。
命令書を開封した時点で大隊長に受領確認が自動送信されている。遅滞行動は許されない。
鹿賀山は、即座に戦術ネットワークに先程の作戦書をアップロードする。
「全員傾聴。」
作戦室に居た全員が起立し、鹿賀山に顔を向ける。
「たった今、作戦が変更された。情報はネットワークにアップにした。詳細を詰め、即時実行せよ。疑問点があれば、些細な事でも確認せよ。放置することは許さん。かかれ!」
停滞していた空気が一気に流れ始める。
一斉にキーボードを叩く音が鳴り、関係部署へ通信を行う部下の声が響き、作戦室が活況を帯びる。
先程までの東條寺が支配していた暗い雰囲気は、あっさりと霧散した。
普段の作戦室の雰囲気に戻った。部下達もあの暗い気配が支配する空気が嫌だったのだろう。鹿賀山の指示により、空気が生き返る。
鹿賀山のモニターには、幾つもの疑問点や確認を求めるメールが所狭しと埋めていく。
一つ一つのメールを吟味し丁寧に回答し、作戦遂行を潤滑にしていく。
ここで手を抜くと二次被害を出し、損害の拡大を招く可能性がある。慎重だが、素早く指示を出していく。
―無事でいろよ。小和泉。絶対に俺が助けてやる。-
口を一度もつけていないコーヒーから湯気は、すでに消え去っていた。




