110.〇三〇一一五作戦 命令違反
二二〇三年二月一日 一二三九 SW20基地 南西二キロ地点
作戦開始、一分前となった。車内は静まり、機械のかすかな作動音と空調の音が聞こえる程だった。先程までの気楽な雰囲気を窺わせる様な残滓は、一切無かった。
この切り換えの早さが、古参兵の強みだった。常に緊張し続ける事は人間にはできない。そして、緊張は疲労へと変わっていく。戦場での疲労は、死神に等しい恐ろしいものだ。
ゆえに古参になる程、疲労と死を避ける為、気を抜く時はしっかり抜き、戦闘時には一切の妥協をしない。その切り換えが上手い者だけが古参兵になっていく。
「831小隊、突入用意。五、四、三、二、一、今。」
鹿賀山による小隊無線の合図で、三台の装甲車は一斉に飛び出した。一気に速度を上げ、設計最高速度の時速八十キロにまで加速する。
荒野に至る所にある段差や割れ目にタイヤを取られるが、巧みなハンドル捌きにより真っ直ぐに突き進む。だが、乗り心地は最悪だ。装甲車のサスペンションとタイヤは、懸命に仕事をしているが、刻々と変わる状況に追いついていなかった。身体は、上下、左右、前後に強く振られ、視界が安定しない。
だが、野戦ではいつものことだ。この程度の事に耐えられない兵士は居ない。散々訓練で体験している事だ。
装甲車の車載カメラと各種センサーは、フル稼働で情報を記録し続けていた。乗員は、気になる物があれば、そこへアサルトライフルを向け、ガンカメラにて映像を記録する。振動でぶれた画像でも、コンピュータ補正にかければ、ある程度使える画像になるはずだった。とりあえず、どの様な形であれ、少しでも多くの情報を記録することが任務だった。
つまり、今回の任務はSW20基地跡の強行偵察だった。基地の駐留部隊や月人の動向など記録できるものは全て記録し、持ち帰る。
その情報がKYTへ帰還する為の手土産であり、口実だった。
二二〇三年二月一日 一二二三 SW20基地 南西五キロ地点
第八大隊の中から831小隊が選ばれたのは、菱村による独断と偏見だった。
「偵察に装甲車三台が必要ならば、狂犬のところが丁度三台だっただろ。奴等なら、予測外の事態に陥っても何とかしやがる。任せてしまえ。面倒事は、鹿賀山に押し付けてしまえ。」
反対意見は、全く出なかった。危険地帯に行きたくないのは、皆同じだった。ここで反対意見を述べれば、自分の隊が、偵察に行かされる事は明白だった。
『ならば、お前が行ってこい。』
菱村の言いそうなセリフが、皆の脳裏に浮かぶ。ここは沈黙が正しいのだろう。
831小隊には、素行不良の隊員が所属しているが、一流の古参部隊であることは間違いない。そして、優秀な指揮官も所属しており、狂犬の手綱を上手く捌いている。
威力偵察を行うには、必要十分な能力を持っている。臨機応変さも持ち合わせている。問題の無い、いや、この部隊しかないと言わしめる選択でもあった。
「では、貧乏くじ。失礼、この任務は831小隊に担当してもらう。何か、異論はあるか。」
副長が参謀連へ確認をした。異論が無い事は、顔色から分かった。だが、小声で話し合うばかりで返事が返って来なかった。見落としが無いか検討している様だった。
あらゆる状況や事態を想定するのが参謀の仕事ではあったが、今回は参謀連の返事が無い事に、珍しく菱村はしびれを切らせた。
「決まりだ。終わらせて、とっとと、都市へ帰るぞ。」
「了解です。作戦参謀、手配しろ。」
「了解。831へ命令致します。」
―さて、狂犬の奴は何か拾ってくるだろうか。―
菱村は、頬の傷をなぞりながら戦術モニターを見つめていた。
二二〇三年二月一日 一二四一 SW20基地跡
831小隊は、全力疾走で基地に向かっていた。装甲車の砂塵が高く舞い上がり、敵に接近が気付かれている筈だが、敵の陰一つ見なかった。そして、反撃も無かった。不気味な程、基地跡は静まり返っている。
装甲車は基地跡の手前で急減速し、瓦礫に乗り上げた。比較的走りやすい場所を選ぶ為、蛇行を繰り返す。その為、装甲車の速度はかなり落ちたが、搭乗者への負担は変わらなかった。
四方八方に体が振られ、ゆっくりと外部を観察する余裕は無い。とりあえず、気にかかる場所にガンカメラを合わせるのが精一杯だった。
制圧射撃の威力は圧倒的だった。一時間前、この場所に立派な基地があったとは想像できなかった。あらゆる建造物は粉砕され、細かな瓦礫と化していた。唯一、形を残している物は装甲車だった。だが、その装甲車も装甲は吹き飛ばされ、黒く焼け焦げ、骨格を残すのみだった。
友軍や月人の死体の一つもあるかと小和泉は、視界が振り回される中、平然とガンカメラで周囲を観察するが見当たらなかった。
高エネルギー弾により燃え尽きてしまったのかもしれなかった。
小さい基地の縦断に時間はかからない予定だった。
途中で止まることは、死の可能性を高める。立ち往生は絶対に出来ない。立ち往生すれば、月人に囲まれ、地下洞窟へ装甲車ごと引きずり込まれる可能性があった。
そうなれば、菱村は救援を出すことなく、KYTへ撤退することは明白だった。
生きて帰るには、装甲車の走行ルートの選択は重要であり、まさしく生死の分岐点でもあった。
装甲車三台は並走し、一気に基地をスキャンしていく。
鶴翼や斜行陣の突入も考えられたが、タイヤが巻き上げる砂塵による視界不良を考慮し、並走することがもっとも良いと判断された。
831小隊は、基地跡へ突入し、走り抜け続けた。
瓦礫の山に跳ね飛ばされる車体。
鈴蘭が細やかなアクセルワークとハンドリングを発揮させ、車体を安定させ、横転を回避する。
三台併走している中、一台だけ真っ直ぐに走っているかの様に見えた。
まだ、鈴蘭には余裕があり、車速を上げることは可能であった。しかし、突出すると他の二台に砂塵を被せることになり、あえて速度を落とし合わせていた。
鈴蘭は、網膜モニターに左右と後方の車載カメラの映像を表示させるが、前後左右に振られ、まともに視認できなかった。逆に視界の邪魔になった。
特に車両後方は砂塵が巻き上がり、状況を確認する術は無かった。
後方は、荷室に陣取る二人の注意力に頼ることにし、前方をフロントガラスの様に表示しているディスプレーに専念することにし、他の表示は消した。
二二〇三年二月一日 一二四二 SW20基地跡
基地に突入後、すぐに戦術モニターに変化が現れた。
横並びに走っていた装甲車の内、右端の一台が前触れも無く急停止した。
井守准尉の8313分隊が立ち往生したのだ。
「こちら8313スタック。脱出不能。見捨てて下さい。」
小隊無線で井守准尉が叫ぶ。その声は、引きつり、金切り声だった。
声色から分かる。死にたくない。助けて欲しい。それが井守の真の思いだろう。
それらをこらえ、必死に絞り出した声が今の無線だった。
「鹿賀山だ。まずは状況を報告せよ。」
「瓦礫に乗り上げました。前後共に動きません。」
「空気圧や車高調は調節したか。」
「効果有りません。六輪、すべて空転します。」
8313分隊の装甲車は、瓦礫に乗り上げ六輪全てが地面に接地しない状況へと陥ってしまったのだった。
沈黙が無線を支配する。誰も話さない。かすかな雑音だけが鳴り響いていた。
「井守准尉。情報送信で固定。装甲車を放棄。徒歩にて離脱せよ。基地外で拾ってやる。」
鹿賀山は小隊長として被害を最小限に抑える為、8313分隊を見捨てることに等しい命令を出した。
「了解。データ送信固定したまま、装甲車より離脱します。」
井守は、意外にもしっかりとした口調で無線を返してきた。もっと絶望や恐怖に縛られた声で泣き喚くものだと小和泉は思っていた。井守の成長ぶりに少し見直した。
小和泉は、戦場では実力よりも運の無い者から死ぬだけと割り切っている。その順番が小和泉では無く、今回は井守であっただけだ。
小和泉が同じ状況に陥っても、鹿賀山は同じ命令を下したに違いない。最適解だと判断していた。ゆえに口出しは一切しなかった。だが、もう一人の分隊長は違った。
「納得できません。救援に参ります。井守准尉、装甲車を横付けします。乗り移りなさい。」
蛇喰少尉の声が、小隊無線を走った。その声には自己陶酔が滲みだしていた。
戦術モニターを見ると中央を走っていた8314分隊の装甲車が正規のルートを外れ、右翼の8313分隊の装甲車へ向かう進路に変えていた。
「蛇喰少尉。貴様、死にたいのか。許可しない。ルートに戻れ。」
鹿賀山が止めるが、装甲車の進路は変わらなかった。
「日本軍は戦友を見捨てません。それは絶対のルールのはずではありませんか。」
蛇喰は、兵学校で習ったことを持ち出す。それは机上論であり、実戦では冷徹な引き算が優先される。つまり、戦友を見捨てれば、被害が少なく済むのであれば、その方法を選ぶ。
それが戦争の引き算だ。鹿賀山は、その基本に従ったに過ぎない。
「蛇喰少尉、夢を見過ぎだ。士官ならば正しい状況を把握せよ。即、正規ルートに戻れ。」
鹿賀山の声は、普段聞かない程、冷めたく、遠くまで徹る低い声で言った。
―おや、珍しく怒っているね。鹿賀山が腹を立てるなんて珍しいなぁ。―
小和泉だけが、その微妙な感情な変化を感じとっていた。
「まもなく8313に接触。交信終了。」
蛇喰は、一方的に無線を切った。
小和泉は、背後の鹿賀山を見つめた。
―さてと、これで命令を聞かない不良士官が二人になったけど、どうするのかな。―
鹿賀山は、こちらに背を向けている為、表情を窺い知ることはできなかった。




