第28話 始動
「ねぇ康ちゃんどうするぅ?」
「父ちゃん、昼前に帰って来たごたるけん今日はずっと居るって思うでぇ。気付かれずに家抜け出すちゃ至難の技や」
「そうだよね」
夏休み前、いつものように鳥巣高校から仲好く帰って来て、四畳半の部屋で密談する康太と美代子。二人とも達己の勤務状況は把握していない。達己は大雑把だ。なったようにしかならないという考えの持ち主だから、明日は仕事とか休みとか一々伝えない。必要だったら炊事も洗濯も何でもかんでも自分でやってしまう。
仕事から帰って、腹が減ったときは適当にあるものを食べる。飲みごととか集まり以外に外食は全くしない。何もおかずが無いとき、庭に自生しているミョウガに味噌を付けて食っていた。戦前生まれの水飲み百姓の貧乏性が身体に染み付いているから食えるものなら何でも食う。
美代子には達己と居ることでの負担はほとんど掛からない。掛かるのは康太のことだけだ。康太としても、真知子が居たときのように痒いところに手が届くようにはいかないことは分かっている。達己が美代子に指図することなど全くない。着るものも真知子が居なくなったのをこれ幸いに国鉄の作業着でほとんど済ませてしまう。
食事の用意もそのとき達己が居れば3人分作る。朝も一緒だ。美代子が来る前に家を出るときは晩飯の残り物を自分で適当に弁当に詰める。何も無かったら自分で作ってしまう。誠に手が掛からないオヤジだ。
達己の寝室は真知子が居たときと同じく8畳の居間だ。
台所からはトントンと美代子が爼の上の食材を包丁で刻む音。ブーンと匂ってくる味噌汁の薫り。縁側から西日が差し込んでくる夕暮れ時、布団をガバッと跳ね上げて起き上がった達己は、「拙ぃ寝過ごした」と急いで作業着に着替えて布団を押し入れにしまう。この時代、洗面所なんて洒落たものは鉄道宿舎には無い。いつもは台所で歯を磨く湯村家だが食事の準備をしている傍で磨く訳にはいかない。
歯を磨くために風呂場に急ぐ達己は台所に降りる。
「おじさん起きたの?食事もうすぐだよっ」と達己を振り返った美代子に、「美代ちゃんご免、せっかく飯の用意してくれよんに、約束があるん忘れとったわ」
「どこか行くのぉ?」
「あぁお佐和と待ち合わせやった」
達己としては別に隠すことでもないからありふれた日常のカミングアウトだ。
「えっおじさん佐和姉と…」
後を喋る間も無く、「ごめん美代ちゃん…」と勝手口を抜けて風呂場に入る。
近所に響き渡る爆音。
惰眠を貪っていた康太が四畳半から、何や?と出て来る。
「三浦、ランサーが出て行ったごたるばってん」
美代子はウフフと微笑んで、「おじさん、佐和姉に会いに行ったんだよ」
「佐和姉に!」と康太が頓狂な声をあげる。
「ばってよ、東京に行く姉ちゃん見送ったんが3月やけん、父ちゃん、4カ月も佐和姉放っとったん」
「そうみたい」と美代子。
「おじさん、全く隠さないから」
「でも康ちゃん、これで誰に憚ること無く家出れるよ」
「こいこそ、案ずるより生むが易し・果報は寝て待てやな」と蘊蓄をひけらかす康太に美代子が、「もう康ちゃん難しい言葉使わないで」とプイッと口を尖らせる。
「何や三浦、こげな表現、日常会話で普通に使おうもん」
「私は使わないも~んだ」
「けっ」
康太と美代子は厳かな儀式でも執り行うが如く、四畳半の康太のベット下から衣類用の箱を二つ取り出した。
「康ちゃん、いよいよだね」
「あぁ」
六畳の間に二人。真知子の残していった亡くなった美千子の鏡台の前に立って、「ヨッシャ―」と気合いを入れる康太。美代子も鏡に写る自分の姿に惚れ惚れと見入って、「やっと念願叶ったぁ」
「行くぞ三浦」
「うん」




