第2話 クラブ「和美」
筑後地区最大の歓楽地帯・久留米文化街、ここは誠心会が一手に牛耳る。宵の口、近くの飲み屋で一杯引っ掛けてほろ酔い加減のサラリーマンが、ネクタイをだらしなく緩めて連れだって歩く。ぽん引きのオヤジが盛んに声を掛ける。
「そこの兄さん良い子いるよ」
「チョンでこれだけ」と右手を広げる。
「オヤジ、手じゃ分からんわ」と乗ってきた酔客に近寄って耳打ちする。
「5千円ポッキリ」
「オヤジ、嘘じゃねぇやろうな。ババアやったら承知せんぞ」
「飛びっ切りの若くてかわいい子やでぇ。兄さんわしを信用してよ。今まで感謝されたことはあっても恨まれたことは一度もないよ」
オヤジは客の死角でにやっと笑うと、いかがわしい一角へ連れ込む。
華美な和服やドレスに身を包んだホステスが飲み屋街のビルに吸い込まれて行く。クラクションを鳴らしながら、ネオン煌めく不夜城の混み合う通りを突っ切って、アメ車のムスタングがドンと横付けされた。名の通った高級クラブ「和美」の店先だ。
一目でヤクザと分かるその車に、触らぬ神に祟り無しが如く、行き交う歩行者は視界にムスタングが入らないように、視線を足許に落としてこそこそと大きく回り込む。さっと運転席を降りた子分が後部座席のドアを開け、パンチパーマにスモークサングラスのいかにも屈強な筋者が降り立った。誠心会若頭・権藤剛だ。
「オッスカシラお迎えは?」
「今日はもう戻らねぇ」
「山本がもう三時間以上カシラのお越しを微動だにせず待っております」
「和美」のマネージャー・西尾が権藤に告げる。
権藤は怪訝な顔で、「ほうかいな。ヤマにゃ、俺ぁ何時になるかわからんきに適当に楽しんどけち言うとったんやが」
「和美ママ呼びましょうか?」と気を利かす西尾に、「あいつも今や繁盛店を切り盛りする一端の経営者や。余計な気ぃ遣わせる必要ねぇわ」
「承知しました」
権藤は半年前、小飼いの元狂走連合総長・山本を誠心商事の社長に据えた。業務内容は闇金だ。今日は権藤の期待に応えるシノギを上納し続ける山本への景気づけのつもりだ。
誠心会に新しい息吹を吹き込む構成員を供給するのは狂走連合だ。実際、権藤も事故死した榎本清の跡目を継いで狂走連合2代目総長を張り、腕っ節と根性を鍛え上げた。構成員500人の族のトップの総長にまで上り詰めたとなれば、誠心会では引退と同時に極道界のエリートコースが約束される。若くして幹部への道が開かれる。
高級クラブだというのに、権藤を待つ山本は女を侍らさないどころかテーブルには水しか置かれてない。びしっと背筋を伸ばして座って微動だにしない。まるで置物のの如く、一般客の眼に留まり難い一番隅のボックス席に座っている。
権藤はサングラスを胸ポケットに差して、「ヤマ、待たせた?」
山本はその声でさっと立ち上がった。
「オスカシラ!」
高級ソファーに深々と腰を下ろした権藤が、「まぁ座れや」と、煙草を取り出して口に銜えた瞬間、山本はさっとジッポのライターを取り出し、カチャッと蓋を開けて火を点けた。
「ヤマ、俺の気持ちがよう分かっとるわ」と権藤が満足そうに笑う。山本が女も侍らさず、テーブルに水しか置いてなかった心意気に対しての言葉だ。
山本は頭を垂れて、「カシラ、ありがとうございます」
高級店だからヤクザお断りということはない筈だ。ただし、一般客に嫌な思いを抱かせない気遣いは必要だ。その存在だけで周りを威圧する風格とガタイ、一目で大物ヤクザと分かる。だからこそその振る舞いは慎重でなければならない。
ママの和美同席で飲んでいた不動産会社社長が権藤に気付く。社長は権藤に面識があった。勿論、和美が権藤と特別な関係にあるのも承知している。
「ママ、あれカシラやない?」
「あっ本当だ。剛ちゃんだ」
社長は恐れ入ったという表情で、「あの泣く子も黙る誠心会若頭ば剛ちゃんたぁさすがママや」
和美はブスっとして権藤のボックス席に近付く。二人の横には、胸の谷間が大きく開いたドレス姿のナンバー1とナンバー2のホステスが寄り添っていた。マネージャーの西尾が気を利かせて、常連客の相手をしていた二人を引き抜いてきた。そのホステス二人がえっという顔で、「ママ」と声を合わせる。
和美はさも当然という顔で権藤とナンバー1ホステスの間に割って入る。
「私という者が居るのにもう剛ちゃん冷たい。来たならちゃんと私を呼んでよね。それとも何、私以外の子がお目当て」と頬を膨らます。
権藤は苦笑いで、「な訳ねぇやないか。お前は店の顔や。俺よりお前目当てに高い金払って来てくれるお得意さん優先させぇや」
和美は口を尖らせながらも、「分かったよ剛ちゃん。じゃ水割り一杯だけ作らせて」
「和美、この二人も元の客んところに戻せや。俺んところは指名の入ってねぇヘルプの子を付けてくれりゃええ」
「和美、俺の払いでこの二人にドンペリ一本づつ付けとってくれや」
和美は経営者の顔に戻ると当て付けがましく、「権藤様いつもご贔屓ありがとうございま~す」
クスッと笑ったホステス二人も、「ありがとうございました」と頭を下げる。
「ちっ憎めないやっちゃ」と権藤が舌打ちする。
マネージャーの西尾が新人を二人連れて来た。
「カシラ、入ったばかりのヘルプの子ですが本当に宜しいんで?」
「ああ構わねぇ」
「背の高い方が美佐子で低い方が妙子です」
さすが高級クラブ、絶品の女しか採らない。採用する和美の眼は確かなようだ。街を歩けば男が振り返る良い女。アップの髪に小顔、細い身体にそそり立つDカップバスト、ボディコンのチャイナドレスに現れる括れは一級の女の証だ。
「こちらは誠心会若頭・権藤さんや。そしてこっちが誠心商事社長の山本や」
「いいか、カシラはこのクラブのオーナーや。くれぐれも粗相・失礼のないようにな」
二人ともまだ二十歳そこそこだ。分かったかどうか、生返事で、「は〜い」
「ではカシラ、今後とも二人をお引き立ての程を」
「おう分かった」
「お邪魔します」と天真爛漫の二人は其々、権藤と山本の隣に座る。
「お前ら好きなもんどんどん頼めや」と権藤。
二人は無邪気にはしゃいで、「じゃぁ私は豪華フルーツ盛り合わせ」と権藤の隣に座った美佐子。
「お前ぇは?」
「じゃぁ私はお寿司の盛り合わせ」
山本が音頭を取ってドンペリで、「乾杯」
美佐子が少なくなった権藤のグラスに高級ブランデー・ナポレオンを注ぐ。
美女に囲まれて上機嫌の山本がグラスを煽りながら、「で、二人はどこから来よん?」
妙子が、「私は八女で美佐子は鳥巣市だよ」
「鳥巣市…」と権藤が呟いてマルボロを銜えると、美佐子がすかさずポーチから化粧ライターを取り出して火を点ける。
「俺が仕切っとったときは静かな良い街やったがのぉ」
美佐子がきょとんとした顔で、「族のことぉ?」
山本が、「第二土曜日の夜は外出禁止令が出とるっちゅう話やないか」
「うわぁ恐ろしい街やねぇ」と妙子。
権藤が、「どうや街中の様子は?」と美佐子に問い掛ける。
「う~ん、変わった暴走族やと思うよ。暴れるんは第二土曜の夜だけだし、その日に限って夜歩きしなかったら全然大丈夫だよ。それ以外は徒党は組まないし、ボクちゃん達はかわいいバイク乗りやから」
権藤が、「ボクちゃん?かわいい?」と訝る。
美佐子は口を尖らせて、「だってみんな市内の高校生と働く少年たちだもん」
「実を言うとね、私の弟もTBRの構成員なん」
「何!」と権藤と山本が食い付く。
「私の家は母子家庭なん。弟、中学生のときは手の付けられない不良だったん。体格も良くて番張ってたみたい。中学卒業しても高校にも行かずにぶらぶらして、揺すり集り何でもござれの荒んだ生活してたんやけど、初めて喧嘩に負けたんかなぁ、ぼこぼこにされて…でもどうしたことかそれからガソリンスタンドで真面目に働くようになったん。どうもそのときTBRに入ったみたい」
山本がまさかという顔で、「族に入って真面目に働きだしたぁ…嘘やろ?」
「弟、月に一回の集会が生き甲斐みたいで、壁に掛けたTBRの特攻服見詰めてニヤついてんのよ。上手く言えんけど、まるで新興宗教にでも入信したような感じぃ…」
「新興宗教かぁ。上手い例えやなぁ」と権藤が感心する。
妙子が、「へぇ美佐ちゃんの弟暴走族なん」
「ヤマ、うちの支部どんくらい潰された?」と権藤。
「半分は潰されました。奴ら限度っちゅうもんを知りません。特に特攻隊長と親衛隊長、あいつらは正に狂犬っす。あの二人に率いられた精鋭がうちの奴らを狩り捲ってます。あの総長の刈谷が分殺ですけ。みんなビビり捲って抜けたがっとるっちゅう話です」
権藤が、「何!あの豪傑刈谷が潰されたんか」
「カシラ、ご存じじゃなかったんで」
「ここんところ忙しゅうて組事務所留守にしとったが…初耳やが」
「刈谷殺ったんはどっちや?」
「確か、特攻隊長の方やったち思います」
「実はそのやられ方なんすが…」と山本は言い淀む。
「何じゃ山本、言えや」
「狂走連合はうちの貴重な組員の供給源で、カシラも肩入れされてますんであんまりお耳に入れたくないんすが…」と言葉を切る。
「構わねぇ教えれや」
「そいつは俺ら本職でも躊躇うことをさも平然と刈谷にやってのけました。まさに残忍の一言っす。奴は刈谷の両目を潰して抵抗力を奪っちまったんです」
山本の意に反して権藤は全く驚く気配がない。眉一つ動かさない。淡々と、「ほう刈谷の目潰したんか。上手いやり方やな。盲じゃもう報復できねぇな。廃人になるしかねぇわ」
権藤はさも痛快そうだ。その喧嘩強さを認め、将来の組の幹部として嘱望した刈谷だったが、数々の修羅場を潜ってきた権藤だ、負けた奴には毛ほどの興味もない。
山本はきょとんとして、「カシラ、かわいがってきた刈谷にこんな残忍なことされて腹を立てられないんで?」
権藤は誠心会ナンバー2としての貫禄を全身に漂わせて、「勘違いすなや山本。俺らの商売はタマの奪り合いじゃ。喧嘩に負けたら殺されて当然のところば目だけで済んだんじゃ。刈谷は命があるだけ儲けもんじゃ」
山本は権藤の肝っ玉に恐れを抱く。
「そげな化け者ば従えとるTBRの総長ちゃいったいどげな奴か。刈谷ば廃人にした奴もそうやが、族ば引退したら是非うちに欲しい人材やのぅ」
山本はただ、「はぁ」と頷くしかない。
「何でも表に出らん影の総長っちゅう話です」
権藤は物欲しそうに美佐子を見て、「弟は何か言よらんやったか?」
ちょっと考える仕草をした美佐子だったが、「そう言えば、今度の土曜日総長が来るとか言ってたなぁ」
二人の目が輝く。
「あの狂犬どもば束ねる総長か。ぜひ拝んでみてぇぜ」と権藤。
山本も、「兄貴、俺も狂走連合元総長として無茶見てみてぇっす」