第13話 鳥巣駅
佐賀県運転免許試験場は佐賀市の郊外、川久保にある。鳥巣市からここに至るルートは南ルートなら国道34号線、北ルートなら県道31号線の通称・川久保線と二つある。移動手段を持たない高校生が行くとしたら、通常、国鉄の長崎本線を使って伊賀屋駅で降り、バスで北進して試験場に至る。
朝8時半には受付を済まさねばならない。朝が早いから、昨夜美代子は家に帰らずそのまま泊まって六畳の間に寝た。美代子は学校以外の時間のほとんどを康太の家で過ごす。夕食を食べて入浴して康太と一緒に勉強する。土井町の湯村家と鎗田町の三浦家は歩いて10分の距離だ。康太の日課は鎗田公園でのヌンチャクの鍛練、これをしっかり見届け、ヌンチャクを自分の手提げに収めてからやっと美代子は家に帰る。
「康ちゃんいぃい?」とスヌーピー柄のパジャマ姿の美代子が康太の四畳半の部屋に入って来て、「康ちゃんの家に初めて泊まるってなるとやっぱりちょっとどきどきすんね」
康太はまだ義足を美代子の目に曝したことはない。杞憂だろうが、好きな子を幻滅させるのを恐れる。上京前の真知子が、「美代ちゃんは康ちゃんの大好きな女の子やから私と日常過ごすように義足外したままっていうんは辛いかもしんないけど、美代ちゃん言うとったよ、康ちゃんは康ちゃんやからそんなことで自分の気持ちは微塵も揺らがんってね」
ベッドに横たわって下半身に布団をかけた康太が右手を肘枕に、「こんだけ一緒に居るんに今さら緊張も糞もねぇやん」
家から持ってきたイチゴ柄のクッション枕を胸に抱いて、康太の正面の畳にぺたん座りの美代子は、「だって年頃の女の子やもん」と口を突き出す。
真知子のパジャマ姿は見慣れた康太だが、彼女となるとさすがに胸の高まりを抑えることができない。抱き締めたい衝動を振り払うように、「三浦もう寝ようぜ。明日早いけんな」と背を向ける。
「もう康ちゃんの意地悪。女の子の気持ちちっとも分かってないんやから。大好きな康ちゃんが隣の部屋に寝とるって思うと変に意識して胸が苦しくなんの」
シカトする康太に悪戯心を抱いた美代子はニッと笑って、「もういっそのこと康ちゃんの横に寝ちゃおっと」
美代子がベッドに潜り込もうとする。康太は慌てて上半身を起こす。
「三浦姉ちゃんにバレたら出入り禁止になんぞ」
「どして?真知姉さん東京だよ」と美代子が訝る。
「どうしても」と康太。
「姉ちゃんのことやから夏休みに帰ってきたら三浦と何か無かったか絶対俺にカマかけるに決まっとるちゃ」
「康ちゃんは真知姉さんに嘘つけんのぉ?」
美代子は康太の表情をお茶目に覗き込む。
「ダメや。姉ちゃんには俺程度全部見透かされる。姉ちゃんに掛かったら俺はお釈迦様の手の上の悟空やで」
美代子はつまんないという顔で、「じゃぁ康ちゃん目ぇ瞑ってぇ」と言われて、初な康太は素直に従う。
ちゅっと康太の唇に軽くキス。
「三浦ぁ貴様ぁ!」とタコのように赤くなった康太に、「康ちゃんバカ正直。でもそこが大好き!明日は一発合格だよ。お休み」
試験場へ向かう時間が鳥巣市から佐賀市の鍋島学園・龍川、二日市の第二高校、福岡市の西福岡高校の通学時間と重なる。電車通学者は高校受験で鳥巣高校・鳥巣商業・鳥巣工業に落ちた生徒だ。やけくそ的な感情からグレた者も多い。
この時間帯、鳥巣駅は不良の巣窟と化す。額から庇のように長く伸ばしたリーゼントに側頭部を五厘刈りにした鶏冠ヘヤー。板のような鞄を手に胸を開けた短ランにダブダブのマンボズボン。奴らはバリバリのヤンキーファッションで辺りに毒を撒き散らす。真面目な生徒は彼らと目が合わないように細心の注意を払う。さもないとカツアゲの標的にされてしまうこと必定だ。
細く白い生足に茶髪のミディアムボブヘヤー、美代子の稀有なミニスカ制服は否応なしに鳥巣駅利用者の目を惹くとともに、優等生的鳥巣高生に執拗に怨みを抱く奴らには康太は絶好のカモだ。ウンコ座りから周囲にガンを垂れ捲っていた一番ヤバそうなヤンキーが徐に立ち上がった。面白い見世物が始まるぞとばかりに仲間と思しき二人も立ち上がる。制服は鍋島学園だ。
「お前今俺にガン垂れたよな。ち~と面貸せや」
美代子にも、「お前こいつの女か。ついでにお前も来いや」
美代子はわざとらしく口を尖らせて、「どうして知らん人について行かんといけんの。私と康ちゃん試験場にいかんといけんけんそんな暇ないの」と、つんと塩対応。
「ごちゃごちゃ煩せぇんじゃ。鳥巣高の奴らは癇に障るんじゃ」と美代子の手を引っ張ろうとする。
美代子はさっと手を背中に回して、「触らんで!このゴキブリ」
金髪鶏冠頭の額にぴんと青筋が浮く。
「この女、かわいい顔して言うことがえげつねぇぜ。ええ根性しとるわ。俺に面と向かってゴキブリだとよ。まさに怖いもの知らずや」
鶏冠頭はけらけら笑いながら仲間に呆れ顔を向ける。
美代子はふんと、「何度でも言うよ。康ちゃんにしか触らせんの。私の身体に汚いゴキブリ菌つけんで」
「何やとこら~!」
「ちょっとかわいいからっち俺が大人しゅう出とったら付け上がりやがってよぉ。お前共々この色男もぼこぼこにしたるわ」
周囲の鳥巣駅利用者は、あのかわいい女子高生どうなるんだとばかりに固唾を飲んで見守る。康太は終始にやにやと意味もなく笑っている。康太も高校生になってやっと身長が180に届いた。元来湯村家は高身長の家系だ。達己は180を軽く超えている。亡くなった康太の伯父・正之も180超だった。だから、鶏冠頭はこのチビが!と康太に見下ろされている気分になる。それがまた癪に障る。
「何がおかしいんじゃこら~!」と鶏冠頭が康太の襟首を掴んで凄む。
「この野郎妙ににやにやしやがってなんかムカつくのう」
大型バイクのけたたましい排気音、二台はスロットルを二回煽って止まった。鳥巣駅の出入り口に目を遣った浩紀が、「ありゃ、康太に絡んどる命知らずのバカが居るわ」と呆れ顔。
「せっかく康太に俺らのバイク披露しに来たんに邪魔やのう。浩どげんするや?」と坪口。
「とにかく早いとこ片付けようや。康太に切れられたら血生臭ぇ警察沙汰になっちまってせからしいわ」
二人はすたすたと寄って行って、先ず浩紀がもんずと鶏冠頭の鶏冠を掴んで正対させると、有無も言わさず鳩尾に強烈な左の膝蹴りをお見舞いした。鶏冠頭がゲボっと跪くように倒れたかと思ったら、腹を押さえて駅構内をのたうち回って吐瀉物を撒き散らす。
「きったねぇやっちゃのう」と今度は坪口がサッカーボールよろしく思いっ切り鶏冠頭の腹を蹴り上げる。
「この似非ヤンキーが!せっかく康太に会いに来たっちゅうんに水差しやがって」
鶏冠頭はうっと唸ると、ピクリとも動かなくなってその辺に転がった。
浩紀は澄まして窓口に行くと、「おいさん救急車呼んでや」
「おい大丈夫か?」と、若い駅員が抱き起した鶏冠頭の肩口を揺する。腹を押さえてやっと起き上がった鶏冠頭に肩を貸してやって駅員室に運び入れる。
鶏冠頭が駅員室に消えたのを見て坪口が大音声で叫ぶ。
「似非ヤンキーどもはよう聞けや。俺らは工業の坪口と商業の大塚や!」
途端、「極悪コンビや。目ぇ合わせるな。殺されるぞ」とみんな一斉に下を向く。
坪口と大塚が一年で工業と商業を締めてしまったことは勿論こいつら市外高校組の耳にも届いているし、特に坪口が、鳥巣市の総番的存在として恐怖の的だった兄貴を半殺しにして廃人手前まで追い込んだことはこいつらを震え上がらせていた。
「お前らは鳥巣の高校落ちたためによぉ、わざわざ市外の私立高校まで電車で行かなならんかわいそうな奴らや思うて大目に見てやっとったけどよぉ、この鳥巣で舐めた真似すんならお前らみんな狩り捲ったるぞ」
坪口の凄みはさすがに堂に入っている。一癖も二癖もありそうなヤンキーどもがビビり上がる。坪口は特に鍋島学園の数人を睨め付けた。
「学校着いたらお前らの番によう言うとけや。望むなら今日にでも兵隊連れて学園潰しに行ったるとな」
下り電車到着のベルが鳴った。鍋島学園・龍川のヤンキーどもはこれ幸いとばかりに逃げるようにホームに散って行く。
美代子が何事もなかったかのように、「康ちゃん下り列車だよ。乗らんのぉ?」
二人が、「せっかく会いに来たんに電車に乗るんか」と情けない顔。特に浩紀は物欲しそうに康太の視線に縋り付く。
「なんで今日のこと分かったん?」と康太。
「淳子がそげん康太に会いたかったら鳥巣駅に行ってみればいいやんち教えてくれたんや」と浩紀。
「康太、俺のCB見てくれよ」と駅の外に誘う。
「まぁいっか。土井町ではまずいけどせっかく浩君と坪口が朝早く駅まで来てくれたんやから」と美代子。
「康ちゃん一本遅らせても大丈夫ぅ?」
「あぁええよ」
康太は元来時間に忠実で用心深い。受付を8時終了と見立てて家を出てきた。
GT750とCB750、バイク王国日本が世界に誇る二台の大型バイクの並ぶ様は壮観だ。まだ族仕様に改造されてないから、駅利用者が、ほう!と気軽に感嘆の声を上げる。
浩紀は得意気に、「エンジン掛けてもいいぞ康太」
単車の扱い方はDTで慣れてはいるつもりだった。しかしデカい。跨がるとなると一応スタンドは外さねばとは思ったが、まずい。思い返したら、重量のあるロードバイクはみな跨がってから左足で蹴ってスタンドを外している。康太の義足の左足では外すのも立てるのも無理だ。
浩紀の期待感いっぱいの目に気圧されて、スタンドは立てたままで一応は跨がった。セル一発、4スト直列4気筒SOHCエンジンが始動する。スロットルを煽ってみる。ブオン、単気筒2ストのDTとは明らかに異質の滑らかで迫力ある排気音。
「どや?気持ちええ吹き上がりと音やろ」と得意顔の浩紀。
「速かろうな?」と言う康太の問いに、「カタログ上は200キロ超えるぜ」
「出してみたん?」
「いやまだや」とバツが悪そうに頭を掻く。
坪口が笑いながら、「浩はまだこいつのパワーにビビっとるけんな」
坪口の横槍にムキになった浩紀が、「なら坪は出せたんか?」
坪口はさも平然と、「180までは出したばってそい以上は出らん」
「くそっ!俺も直ぐに最高速くらい出したるわ」




