第11話 半同棲
美代子は康太の家に入り浸りだ。というより上京した真知子に代わって湯村家を取り仕切る。
真知子は、「後のことは私に任せて真知姉さんは大船に乗ったつもりで天下の東大生になってね」という美代子の強い後押しで後顧の憂いを断った。美代子は真知子に弟子入りして数ヶ月、家事・家計の遣り繰り、家計簿の付け方を修行した。
学校が終わって康太と一緒に鳥巣ストアかAコープで買い物、晩御飯の用意、時折康太に勉強を教えて貰って帰宅、翌日早朝やって来ての朝食の支度、康太と一緒に登校する。達己は破天荒な性格にしては小まめだ。非番のときの掃除洗濯は苦にならない。
真知子は美代子に達己の給与振り込み先、佐賀銀行のキャッシュカードを渡した。
「じゃぁあとのことは美代ちゃんに任せたよ。甘えん坊の康ちゃんを宜しくね」
となると、康太の小遣いは美代子の胸先三寸、あまり美代子の機嫌を損ねると小遣いなしもないとは言えない。美代子の金銭感覚は真知子の指導の下、研ぎ澄まされたことだけは確かだ。
昼休み、11ホームルーム、教室の後方、ベランダ側で駄弁る斎藤・松隈グループに大野たち、基山グループが康太が教室に居ないのを確かめて入ってきた。
「お前らの言うた通りや。俺ら今から湯村に関するこたぁ口噤むわ」と大野は若干顔が青ざめている。
「頼むけ俺が湯村に反感持っとったことバラさんでくれよな」
大野たちはきょろきょろと辺りに目を配る。
松隈が、「どうかしたんか?」
「関谷さんが湯村を呼び出してからずっと学校休んどるんや」
「転んだ拍子にコンクリートで擦って鼻が削げたっちゅう噂なんやけどおかしいやろ」
「一年の間じゃ湯村にやられたっていう噂なんやけど、関谷グループ内じゃ箝口令が敷かれとるごとあって下手に三年に聞こえた日にゃ袋叩きや。一年が何人かやられとうぜ」
「湯村君がどうしたって?」と秋山優子と天本涼子が話に加わって来る。
斎藤が大野たちを顎で差して、「こいつらが関谷先輩の怪我の真相が知りたいってよ」
優子が鬱陶しそうに、「美代子に直接聞けばいいじゃん」
「三浦にゃ下手に訊けんぜ。湯村に知れたら何されるか分からんやねぇか」
「私思うんだけどあんたたち湯村君を怖がり過ぎだよ。実際美代子も私たちとおんなじ立場やったんやから。ただ美代子が湯村君を好きになってそれが両思いだったっていうだけじゃん」
斎藤が、「秋山は湯村と喋ったことあるん?」
「中学のときは違うクラスやったし、女子で美代子以外で湯村君と話したことあるんは中学のとき五組だった商業の淳子と家政科の武田と二組の立石だけやと思う。わ、私は勇気ない」とトーンダウンする。
「でも誰でも知ってることやけど湯村君って鳥巣高の伝説のマドンナって崇められてる真知子先輩の弟なんやろ。それに女子に絶大な人気だったっていう鳥巣の伝説の番長、井本先輩の弟のような存在やったって部活の先輩たちが話しとった。やから今まで先輩たちが湯村君に一目置いてたんやろ。私湯村君結構好みだよ。イケメンだし身長高いし。できたら湯村君と普通に話してみたいな」と微笑む天本涼子。
グループの一人が、「ほいでも三浦ちょっと調子に乗り過ぎやねぇか。湯村と同棲しとるっちいうし高校生が羽目外し過ぎやで」と吐き捨てる。
「今言ったこと美代子の前で言ってみて。湯村君に即行で殺されるよ」と秋山優子は真顔だ。
そいつはビビり上がって、「すまん。つい…」
斎藤が、「お前田代中やったよな。そりゃモテん奴の僻みや」と切り捨てる。
康太と美代子は屋上で昼食を摂っていた。勿論、美代子の手作り弁当だ。美代子が寝過ごして朝来れなかったときはパンだが。康太は孤独を好む。美代子も分かっているから時折別行動をとる。四六時中一緒にいたら息も詰まると言うもの。でも美代子は康太との絆には絶対の自信を持っていた。
鳥巣高の教室配置は第二グランドから見て、西側階段と東側階段の間に、左から1組から5組、家政科と並ふ。西側階段の左には一階に校長室・職員室・事務室、二階に図書館、三階だけ生徒の教室で11ホームルームだ。
天真爛漫、スキップ気味に後方の扉から教室に戻ってきた美代子秋山優子が手を振って呼んだ。
「美代子ぉ」
近寄ってきた美代子に男子は緊張気味だ。康太の噂の影響で、美代子とまともに口を聞いた男子はまだクラスに居なかった。女子では秋山優子とは結構喋っていたが。康太はクールだ。美代子が男子と喋っているのを目撃したとしても心は乱さないだろうし意にも介さないだろう。康太は美代子を信じているし彼女もそうだ。今のニ人の間に嫉妬という感情は存在しない。会話がなくても成り立つ長年連れ添った夫婦のようだ。
美代子はその視界に康太しか捉えてない。完全にニ人の世界だ。クラスメートと話せなくても疎外感は受けない。教室では、授業で指されたとき以外全く喋らない康太の方を黙って向いているだけで幸せだった。別に康太がクラスメートとのコミュニケーションを制限している訳でもないし、美代子の自由意志だ。だが、取り巻く男子たちは違う。下手に美代子にちょっかい出して康太の感情を害するのを恐れる。
「美代子、湯村君は一緒じゃないん?」
美代子は笑いながら、「康ちゃんときどき一人で黄昏たくなるん」
その場にいるクラスメートにはラッキーだ。鬼の居ぬ間に聞きたいこと聞いてしまえ。
優子は男子を藪睨みで、「美代子ぉ、ここにいる男子どもが美代子に色々聞きたいことがあるんやって」
美代子は口を突き出して、「いいよ」
まず大野が恐る恐る口火を切る。
「あのぅ三浦さん」
「大野君なぁに?」と美代子が大野を直視する。ちゃんと自分の名前を覚えてくれていたのはちょっと感激だ。
男子が初めて間近に見る美代子、かわいい小顔のリンスで脱色した茶髪はミディアムボブヘヤー、ミニスカートから覗く白い大腿は驚くほど細い。つい目がいって赤面してしまう。
「実は俺、この前二人が三年に連れて行かれんの見たんや。そいでそのリーダーの関谷さんがずっと学校休んどるけん何があったんかみんな気になって…」
「ふ〜ん、あの人関谷って言うんや」
美代子はあっけらかんと、「康ちゃんが生意気やから焼き入れるって格技室の裏に連れて行かれたん。康ちゃんは一人なのに三年の人たち十数人で取り囲んだんだよ。康ちゃんは中学の頃からああいうのが一番嫌いなん。関わりたくないみたい。やからもういじめっ子が出来ないようにあの人のお鼻削いであげたぁ」
美代子が初めて輪の中に入っているのを物珍しがって、ほとんどのクラスメートが集まってきていたが、みんなぞっと背筋を凍らせる。
――ヤンキー上級生十数人に囲まれたぁ!湯村ぁビビるってこと知らんのかぁ!この二人相当喧嘩慣れしとぉ!平然と鼻削いでやったぁ!三浦、こんなかわいい普通の女子なんに高校生の感覚超越しとぉぜ。
大野が続けて、「三年の間には真相の箝口令が敷かれとんようなんやけど湯村君が口止めしたん?」
美代子は口を尖らせて、「康ちゃんは何も言ってないよ。ていうか康ちゃんは気を許した人としか喋らんけん。私と康ちゃん以心伝心やからいつも私が康ちゃんの言いたいこと代弁するん。で、先輩たちには言ってあげたん。私たちに関わらないなら今まで通りの高校生活送っていいよって」
言って美代子はにこっと微笑む。
一同へっという顔で固まる。
――役者が違う。
松隈が訊きづらそうに、「み、三浦さん、湯村君は関谷さんをどんな風に…」
美代子は平然と、「ヌンチャクさんだよ」
鳥巣中学出身の者は一年前の修学旅行での大塚への凶行が脳裏に浮かぶ。
追い討ちをかけるように、「康ちゃんのヌンチャクは神業だよ。この前康ちゃんの部屋に一緒にいたらハエが煩く飛び回りだしたん。そしたら康ちゃんヌンチャクさんの一振りで叩き落としたんだよ。私もまさかここまでとは思ってなかったからびっくりしたよぉ。康ちゃんには殺虫剤は要らないんだからぁ」と何でもない事のように笑う。
みんな唖然として声を失う。
――青島で湯村が振り回すヌンチャクはデタラメやったぞ。腕隠しとったんか。本当に恐ろしい奴や。やっぱり関わらんほうがいいわ。
斎藤が、「湯村君学校にヌンチャク持って来よんの?」
「康ちゃんはヌンチャクさんを動かしてやるだけだよ。いつも管理してるのは私だよ。見せてあげよっか?」
えっとみんなが声を上げる。
「康ちゃんには内緒だよ」と自分の机から女子の嗜みの手提げを持って来る。
はい、と姿を表したヌンチャクにみんな目が点になる。
大野が、「ちょっと持ってもいい?」
ズシリと重い。良く見ると巻き寿司の具のように鉄らしき物が埋め込まれている。
「刃物やったら誰でも凶器にできるけどヌンチャクさんを凶器にできるんは康ちゃんだけ」
美代子はみんなを見回して釘を刺す。
「だから隠しても盗んでも無駄だよ」
大野は眼前で慌てて手を振って、「そげなことできるもんはこのクラスには居らんって」
「やろ。だと思ってみんなに披露したんだよ」
美代子は、「じゃぁヌンチャクさんは元の場所に戻ろうね」と手提げに戻す。
秋山優子がぼそっと、「今の美代子本当に幸せそう」
美代子は満面の笑顔で、「うん、幸せだよ。だって康ちゃんと一緒に鳥巣高に行くんが私の夢やったんやもん。私進路指導で鳥巣高は絶対無理、百パーセント無理ってミス原に太鼓判押されたんやから」
秋山優子が、「美代子、何もそこまで強調せんでも」とおかしそうに笑う。集まったクラスメートも釣られてくすくす笑う。
「だって本当なんやもん」と口を突き出す美代子がどうしようもなくかわいい。男子は一瞬きゅんとなる。
「一緒に通えるなら家政科でもいいって思ってたんが何と何と普通科に受かった上に同じ教室に居るんだよ。信じられる?私は今仙人様に感謝してんだ」
康太と同じ空気を吸える喜びを嬉しそうに話す美代子に接して、クラスメートが持っていた微妙な反感が好意に変わっていく。二人の関係は特別なんだ。顰蹙を買う行動も二人にとっては普通なんだと。
「三浦さん、私天本涼子、基山中出身です。仲良くしてね」と握手を求める。これを契機にほとんどの女子が美代子に握手を求める。




