第10話 ヤマハDT400
この当時、鳥巣高校生の間ではオンロードバイクとともにオフロードバイクも結構人気があった。ホンダならオンロードで、CB750F・CB400F・CB125T、オフロードならSL350・TL125、ヤマハならオンロードでRDシリーズとオフロードならDT400とDT250。スズキだったらオンロードでGT750・GT380、オフロードでハスラーTS400とTS250。カワサキならオンロードで750RS、通称Z2と650W1、オフロードでKT250と125。
「格好良い!」
康太は井本が姉の真知子を初めて迎えに来たときの、その赤いタンクのDT400に完全に魅せられてしまった。左足でリターン方式のギヤチェンジが上手くできるかの不安はあったものの、
――自動二輪の免許取って絶対DT400に乗るんじゃ。
美代子は井本が真知子に渡したという赤いフルフェイスのヘルメットの話に康太とのロマンを掻き立てられていた。
「康ちゃん、バイクの免許取ったら美代子に絶対赤いヘルメット渡してよ。康ちゃんのリヤシートは美代子専用なんやから」
康太の歳の免許取得には時間の制約があった。各地に暴走族が次々と生まれ、騒音・事故・犯罪が社会問題化していたから、バイクメーカー四社は750以上の大型バイクを国内で販売しないよう自主規制していたが、ついに国も重い腰を上げた。その規制の第一段が大型バイクの免許取得制限だった。
今は125CCまでの小型免許と125CC以上の大型免許の2段階の区分だが、来年から125CCから400CCまでの中型免許が新設され、最初から大型免許に挑戦できなくなる。本当に狭き門になってしまう。今なら、原チャリでちょっと練習して5回も試験場に通えば大型が取れる。康太は16歳の誕生日が待ち遠しくて堪らなかった。
免許を取ったら即行でDT400を手に入れなくてはならない。中古で買うにしても10万は必要だ。足の悪い康太ではあるが、何とか割りの良いバイトを見つけなくては。姉の真知子に強請っても首を縦に振ってくれる訳がない。真知子は東京に行く。その生活費は達己の国鉄の安月給を圧迫する筈だ。給付型奨学金の他に、家庭教師を掛け持ちして学費・生活費を稼ぐつもりだった。今まで母親代わりで姉には散々苦労を掛けてきた。遊びで負担を掛けたくない。
「三浦、DT400買うにゃぁバイトして稼がなならん」
「康ちゃん私もバイト探す」
「早く手に入れて康ちゃんと二人で走りたいよぉ」
上京を目前に控えた春休み、井本が家にやって来た。学業成績は佐賀県一、鳥巣高のマドンナと言われて全校生徒が憧れた真知子、かたや鳥巣一の喧嘩狂として市内の不良に恐れられた井本、まさかその真知子を自分のような者が彼女にできるとは。井本にとって真知子は何にも代えがたい宝物のような存在だった。
井本が男同士の話があると康太に告げる。怪しいなぁと真知子と美代子に訝られながら、井本と康太は鉄道宿舎の一角にある公園のベンチに並んで座った。眼前では新幹線宿舎の若奥様が幼児と戯れている。
井本がにやにやしながらハイライトを康太の前に差し出す。
「康太やりよんやろ?」
康太はバツが悪そうに、「日出兄にはバレてたん?」
「ああ、そいで二人になったんよ。湯村に見つかったらタダじゃ済まんやろうしな。そいに初めて会った頃に比べたら顔付きが精悍になっとるし自信に溢れとう」
井本と康太は旨そうに煙を吐き出す。
「俺、日出兄のごと格好良う煙草喫ってみたかったん」
「そうか」と優しく微笑む井本。
「康太、姉ちゃん暫く俺が独占させて貰うぞ」
「なん日出兄今さら…」
「姉ちゃんは日出兄の彼女やん。俺は口を挟む権利ないよ」
「いや、俺の気が済まんでな。湯村と康太の絆の強さ知っとるし改めて断っておきたかったんじゃ」
康太は右手を振って、「俺こそ日出兄に姉ちゃん宜しくお願いしますって頼みたかったんやから」
「康太、単車の免許取るんやろ?」
「うん、俺日出兄のごつ格好良くDT400転がしてみたいん」
「なら、康太から湯村奪う代わりに康太に俺のDTやるよ」
えっ!と康太は絶句して二の句が継げない。夢想だにしない井本の最高のプレゼントに康太は舞い上がる。
「ほんとに、ほんとにくれるん?」
「男に二言はねぇよ。康太早く免許取れよ」
「おっとうっかりしとった。湯村に言うて美代ちゃんにもメット譲らせんとな」
「ねぇ真知姉さん、東京に言ったら郷ひろみに会えるかな」
「そうねぇ…TV局張ってたら可能性あるかもしれないけど街中では難しいだろうな」
「そっかぁ…」
美代子が呟く。
真知子は微笑んで、「でもね、修学旅行のときバスで都内を走っとったら田中邦衛を見たんだよ」
「どんな感じだった真知姉さん?」
「うん、ちょうど店から出て来たところやったけど、遠目から見た雰囲気はちょっと口を尖らせ気味のテレビの感じそのままやったよ」
「へぇ、普段の芸能人ってテレビそのままなんやね」
「走るバスの中から人を見分けるって結構難しいやろ。田中邦衛って特徴あるから里絵子が最初に気付いてあっ田中邦衛!田中邦衛!ってはしゃいじゃって、みんな美代ちゃんと同じように東京に行けば芸能人を見れるって飢えてたもんやからどこどこって大騒ぎ」
真知子がおかしそうに笑う。
「いいなぁ。私も東京でいろんな芸能人見てみたいなぁ」
「美代ちゃんも春から念願の鳥巣高生なんやから修学旅行で康ちゃんと一緒に東京行けるよ」
美代子の顔にぱっと花が咲く。胸で手を組んで、「そうなんだぁ真知姉さん。大好きな康ちゃんと修学旅行行けるんだぁ。夢みたい」
「東京では自由行動がある筈だから私と井本君で東京案内したげるよ」
「うわぁ益々楽しみ。早く二年生になりたいぃ」
立て付けの悪い玄関の戸ががらがらと開いて井本と康太が戻って来た。満足顔の井本に対して、今真知子の前ではしゃぐのはまずいと思ったのか、康太はわざとらしく頬を膨らませて嬉しさを噛み殺す。
訝る美代子が、「康ちゃんどしたん?顔が変だよ」
康太は無言で美代子の肩をぽんぽん叩いて玄関を指す。
真知子も、「変な康ちゃん」
康太に付いて美代子も外に出る。玄関前にはサイドミラーに井本の黒いヘルメットが刺さった赤いタンクのDT400。
康太は、「ぷは~苦しかった」
DT400を差して、「このバイク誰んの?」と、にやつき捲る。
美代子は口を突き出して、「おかしな康ちゃん。日出兄のバイクに決まってんじゃん」
「ぶ~残念。今日から俺のバイクになりました〜」
「えっ!えっ!」
「康ちゃんどういうことなん?」と美代子は狐につままれたような顔になる。
康太はえへんと胸を張って、「東京に行くけん日出兄このDT400俺にくれるっちよ」
「ほんと!ほんとにほんと!」
「ああ」
「やったぁ!」
美代子は康太の手を取って小躍りしたかと思ったら、突然ぱっと手を離して玄関に跳び込む。
「日出兄ありがとう」と美代子が井本に抱き付く。
面食らう井本が、「こりゃぁ康太以上に美代ちゃんに喜ばれたなぁ」
「日出兄、私康ちゃんとバイク乗るん夢やったのぉ」
六畳間に入った真知子が居間に戻って来て、「はい美代ちゃん」と真っ赤なフルフェイスのヘルメットを手渡す。
「私が東京に行ってる間、康ちゃんを宜しくね」
ちょっと涙目の美代子が、「ありがとう真知姉さん」
バイトで稼いでやっと手に入れる苦労も知らずに400CCのバイクとか贅沢過ぎる。収入のない高校生にとっては本当に高価な玩具だが、達己の感覚は世間一般の親とは違う。大型バイクの危険性とか全く意に介さない。一歩間違えば死に直結するような危険な運転ばかりして今でも生きている自分が手本とばかりに井本の好意を素直に受け取って、自分のA73ランサーの車庫の屋根を康太と美代子にも手伝わせて伸ばし、DT400の車庫にしてやった。単車で事故って死のうが大怪我しようが本人の腕次第、そうなりたくなければ上手くなるしかないとその背が息子に物語る。それは言われなくても康太は重々承知していること。
去年の夏、DT400、TS400に乗せてやると約束してくれた井本と成沢に筑後川の河川敷で手解きして貰い、メキメキ腕を上げた。達己の血を引いて元々運動神経は良い康太のこと、義足でのギヤチェンジも苦にならなくなった。
ただしその授業料として受けたエンジンキックスタートのケッチンの洗礼は痛かった。太腿に食らったDTの一撃は強烈だった。一瞬骨が折れたかもと思えるほどだ。要するにキックしてからの素早い足の引きが重要だ。義足の左足に重心を掛けねばならない康太は引きがルーズになり易い。
自分が五体満足だったら素晴らしい青春を謳歌できただろうにとつい考えることもあったが、事単車に関して思うには、義足が避けられない運命なら、左足で良かったと神に感謝する康太だった。もしこれが右足だったらDTをキックできない。誕生日さえくればもういつでも受かる自信が出来ていた。
鳥巣高に入学してからの康太の日課は愛しのDT400を1時間ほどじっと眺めること。新幹線宿舎の子供が物珍し気に寄ってくる。
「康太兄ちゃん何してんの?」と山本さん家の小学校一年生の女の子。
「早く堂々とこのバイクで道路ぶっ飛ばしてみてぇなっち夢見よんよ」
「康太兄ちゃんよく飽きないね」
「男はね、好きなもんと一緒やったら何時間でもこうして居れるんや」
「ふ~ん、じゃぁ美代ちゃんとも?」と真顔で問い掛けてくる。
「かおりちゃん、物と人は違うの。あんまり一緒に居り過ぎたら飽きるけこうやってバイク眺めよんよ」
「ほんと~?じゃぁ康太兄ちゃんと居て飽きないのか美代ちゃんにも聞いてみよっと」と、家に入って行こうとするかおりちゃんを康太が慌てて制止する。
「ちょっと待ってかおりちゃん」
さももっとらしく眼前で指を振ると、「それを聞いたら駄目なんや」と康太。
「どうしてぇ?」と小首を傾げるかおりちゃんに、「どうしてもなんや。家に帰ってママに聞いてみてん。ちゃんと教えてくれるけん」
かおりちゃんは、「うん」と踵を返すと新幹線宿舎に駆けて行く。
――うへっ危なかったぜ。あいつ怒らせたら俺が家事やらないかん羽目になっちまうぜ。




