3:望まぬ再会
「ランデ!よかった、生きてる!」
「それよりお前、どうしてこんなところに……」
彼女はクレア・ヴェール。ランデとは幼い頃からの知り合いである。
身長はまるで初等学校の子供のように小さく、癖の掛かった栗色のセミロングヘアーが特徴的だ。顔立ちも幼く、あどけなさを残しており非常に愛らしい。ランデの知る限りでは一、二を争う美少女だ。
無表情であることが多く、感情の薄い彼女だが、余程心配だったのかポロポロと涙をこぼしながらランデにしがみついている。
「ごめんな、心配かけた」
「だから復讐なんてやめてって言ったのに。ランデが死んじゃったら私、ひとりぼっちなんだよ?」
「……すまない」
ランデは軋む身体を無理やり立ち上がらせ、クレアの頭を撫でた。
「避難場所まで連れていく」
「ランデはどうするの?」
「……まだ、キース達だって戦ってる」
今から合流すれば、肉の盾くらいにはなるだろう。空を見上げる。人口太陽はその動きを止め、星明かりだけが道標となる。その中に、太い緋色の光線を見た。あれは機械獣の光だ。これまでの傾向からして、あれはララ辺りだろうと予想できる。
「待って」
「ダメだ。僕は、戦わなきゃ……」
「もう止めない。でも、ランデには行かなきゃいけないところがあるでしょ?」
気づけばクレアは涙を拭い、いつもの無表情に戻っていた。
「ついてきて。シエルのところに案内してあげる」
「え……?」
そうして、クレアはランデに背を向け、走り出した。彼女は意味のない嘘を吐くような者ではない。だが、ベスマン中佐の嫌疑はまだ軍関係者しか知らないことのはず。
「くそ……」
悩んでいる時間などない。ランデはそばに落ちていたライフルを手に取り、クレアの後を追った。
街の様子は閑散としている。それは、避難誘導がうまくいっているということを意味していた。建物などの被害はまだ目に見えるほどのものはなく、上空には機械獣もいる。ひとまずここは安心だと言っていいだろう。
「ここ」
「……ここって、いつもの教会じゃないか」
クレアが足を止めた場所は、彼女がいつもいる教会だった。
ネフティには、唯一にして絶対の宗教がある。『日輪教』と呼ばれる太陽信仰だ。
恒星を持たない朝のなき星であるハゼル。そこで暮らすネフティが、空に祈りを捧げ続けることで、いつかハゼルにも恒星が生まれると信じ始めたことで生まれた宗教である。
その教主集団にしてネフティの指導者たる存在のことを、『至天民』と呼ぶ。だが、上位存在であり神、つまり太陽からの使いである彼らは居住層に降りることはなく、セイレーン最上部にいるいう噂がある程度しか情報はない。その姿を見たものはおらず、どんな存在なのか、数は何人なのか、何もかも明らかになっていないのだ。しかし、その神秘性が却って戦争による不安を抱えた民衆からの信仰を強くした。
それでも、祈りには偶像が必要だ。その結果、今ランデの目の前にあるような石造りの立派な建造物、『教会』が居住層にいくつか作られたのだ。
「って、クレア?」
いつの間にか姿を消したクレア。ランデは仕方なく教会の重い扉を開けた。
聖堂内は長椅子が並べられており、壁に散りばめられたステンドグラスが美しく、非常に神秘的な雰囲気を醸し出していた。
だが、この空間で何よりも目を引くものはと問われれば、誰しもが最奥の台座に佇む、六枚羽の女神像と答えるだろう。白い大理石で彫られた像は、布を被せただけとも言えるシンプルな装いにも関わらず気品に満ち溢れ、その瞳は教会全体を慈愛に満ちた眼差しで見つめているように見えた。
その傍らに寄り添うように、クレアは佇む。ランデがここに来ると、彼女はいつもそこにいた。
「血痕!?」
ランデは入り口から続くカーペットに赤いシミを見つけた。そして、その血痕は女神像の台座まで続き、そこで途絶えていた。
(ベスマン中佐、なのか……?)
緊張を押し殺しながら足を進め、そっと台座を拳で軽く叩いた。コンコン、という軽い音が聞こえる。
「隠し扉……こんなのがあったのか?」
「うん。ずっとあった。私はここに人を入れないように言われてきたの」
クレアは微笑み、ランデの胸に手を当てる。
「シエルはね、悪い人じゃないと思うの。だから、できれば話を聞いてあげて」
「まさか、お前がここに入れたのか?」
「正確には違うけど、似たようなものね。でも、時間がない。行くなら早く行って」
「っ……わかった」
クレアとベスマン中佐の関係や、クレア自身の隠していること。聞きたいことは山ほどあったが、外では今も仲間が戦っている。悠長にしていられる時間はない。台座を横に引くと、地下へ続く階段が見つかった。
「クレア、君は!」
「私は一人で逃げる。避難所にいるから、あとで迎えにきて」
淡白にそう告げると、クレアは教会を出た。一人では危ないからここで待っていろ、と言う余裕さえもなかった。
「行かなきゃ」
ランデはライフルを強く握りしめ、備えの懐中電灯を手に階段を下った。
足音が反響する。居住区で地下を作ることは禁じられている。さらに先ほど、クレアはここを守っていると言っていた。とすれば、何か秘密がこの下に眠っていることは間違いないだろう。
何段下ったか数えることを諦めた頃、わずかながら先に光を感じた。心音が跳ね上がった。慎重に、慎重に進み、ついに階段は終わりを迎えた。
「っ!」
が、その瞬間再びランデは跳びのき、階段に戻される。彼のいた場所が鈍い音を立てる。銃弾が通ったのだ。
「誰!?」
そうじゃなければいいのにと、どれだけ願ったか。しかし、そのよく通る、高貴ささえ覚える声を、ランデが聞き違えるはずがなかった。
「…………僕ですよ」
ライフルを構え、階段をゆっくりと降りた。血が滲むほど強くライフルを握りしめるのは、恩師を殺す覚悟を決めるためだ。
「ベルーゼ、訓練兵か」
二年前、第二次ハゼル戦役、最後の戦い。
ハゼルの衛星、『プリマ』を巡って争われた最大規模の戦い、『プリマ決戦』で、ネフティは敗れた。いや、撤退を強いられたのだ。その原因たる『使徒』の発生に、当時ネフティは震え上がった。
使徒とは、ネフティのお伽話に出て来る怪物を指す。森を焼き、大地を喰らい、穢れを振りまく災厄の存在。
だがその形状、性質などについて記された書物は一つもなく、また目撃したという前例もない。故に、お伽話。しかし、プリマ決戦ではそれが現れたのだ。
使徒は、前触れもなく決戦の場に現れた。敵も味方もなく殺戮を開始し、戦場は大パニックとなる。あまりにも強力な使徒の前にネフティ軍は壊滅に追い込まれ、撤退を強いられる。従軍していたカラム曰く、
『巨大な肉食獣に近い。六枚の翼を持ち、足は四本。全身を紅蓮の脈動する体毛に覆われ、その爪は紙のように戦闘機を引き裂き、その牙は飴のように星を砕く。神話に相違ない、まさに怪物であった』
とのことだ。
その後使徒がどうなったのか知る者はいない。だが、プリマに残された人類は、どうにか使徒を撃滅したのだろう。撤退したネフティ軍を、艦隊三隻が追撃してきたのだ。
しかし、既に使徒によって壊滅に追い込まれていたネフティ軍に彼らを迎撃する術はなかった。そこで、ある一人の奏士大尉が一機で足止めを提案。セイレーンが遠く逃げ切るまで時間を稼ぐ、と進言したのだ。
無謀と思われた作戦であったが、カラムは彼女を信じ、残った兵を率いて撤退した。必死にセイレーンを目指し、ついに逃げ果せたのだ。誰しもが勇敢な大尉の死を讃え、黙祷を捧げた。
けれど、そんな兵士達の予想を裏切り、二日後、なんと大尉を乗せた機械獣は帰還した。圧倒的無勢の中、殿を勤め、生還したのだ。
そして彼女はこう呼ばれるようになった。撤退戦の英雄――――。
「――――シエル・ベスマン中佐」
彼女は白銀の機械獣の傍に立つ。青みがかった黒髪を後ろで束ね、刺すような薄く青い瞳は、見るものを凍らせる。ただの町娘であれば蝶よ花よと愛でられたであろうその美貌は無残にも、血と土で汚れていた。
「"元中佐"でしょう?ランデ・ベスマン候補生……いや、もう准尉か?」
だが、この緊迫した状況でランデに見せた笑顔は、戦場に咲くネモフィラを思わせるほどに、優しかった。