第2話
ルネット帝国の帝都を出発して五日、やっとアールランドの街が見えてきた。
アールランドはジェネレート王国と隣接した領地を持っていたことで、戦争では真っ先に占領されていた街だった。
森を挟んでいて直接隣接しているわけではないが、商業ギルドの交易のために道を設けられ、関所によって国境が区切られている。しかも森の中にはダンジョンもあるとのこと。
住民は三〇〇〇人程の中規模の街であり、交易とダンジョンと農業の恵みが主になっている。
まぁ、この知識も全てアリスから教えられたことだけど……。
コクヨウに跨っていた生活に終わりを告げることにそっと息を吐く。整備された街道から外れた道を駆けてきたから余計に安心感がある。
「やっと着いたな……。これで少しの間ゆっくりできるぞ」
街道から少し離れた人目のない場所でコクヨウから下りて、次元収納に戻ってもらう。流石に黒曜馬に乗った冒険者は限られており、すぐに俺がこの街にきたことが広まってしまう。
一度はジェネレート王国に帝都を占領されたが、俺とギルドマスターの策略が上手くはまり、ジェネレート王国の王子を捕らえたことで、ルネット帝国の帝都や各街が返還されることになった。その情報は各街に知れ渡っているし、俺が冒険者でありながらいきなり侯爵に叙爵された英雄として、吟遊詩人にも歌われている、らしい……。屋敷に勤めている従者から聞いた時は顔から火が出るほど恥ずかしいと感じた。
〝黒曜馬に乗った救国の英雄、キサラギ侯爵〟
この名前がルネット帝国中に一気に広まった。帝国中が歓喜に沸き、あちこちで俺のことが噂されることになった。
俺がコクヨウに乗っていれば間違いなく露呈されるだろう。
いつかは帝都に戻らないといけないとわかっているが、少しだけでも休養させてほしい。
冒険者の格好で一人、街へと入場するために街道を歩き、門へと向かう。
入場する際にはギルドカードを見せるだけでそのまますぐに入ることができた。
門にいた兵士に冒険者ギルドの場所とお勧めの宿を聞き、街を歩く。街の建物は所々に戦争の傷跡はあったが、すでに復興作業も行われており、瓦礫などが残っていることはなかった。
「この先だよな……。あれか」
街の広場付近に冒険者ギルドの看板が掲げられていて、帝都に比べると小さいが、俺がこの世界で最初に訪れて冒険者登録もしたサランディール王国のフェンディーの街にあった建物と同規模だった。
扉を開けて中へ入ると、中は賑やか……いや、――喧騒に溢れていた。
「どなたか回復魔法を使える方はいませんかっ⁉」
受付をしているギルド嬢が大きな声を上げてホールにいる冒険者に呼びかけていた。
中には回復術師らしい人もいるが、全員がぐったりとしてテーブルに伏せていた。
「何があったんだ……?」
この状況がわからない俺は受付へ向かい、声をかける。
「今、この街に来たんだが、何があったんだ……? 回復術師を募集しているみたいだし」
ギルドカードをカウンターに置くと、受付嬢はカードを確認し、目を大きく見開いた。
「回復術師! すぐに奥の訓練場に同行してくださいっ!」
受付嬢の声を聞いた他の受付嬢がカウンターから飛び出してきて俺の両腕を掴んできた。
その目は血走っており、振り払おうとしたが力強く、女性ではありえない力だった。
「い、一体何っ⁉ まったく理解できないんだけどっ⁉」
「いいからこちらへっ! 急いでるんですっ!」
鬼気迫る勢いの受付嬢に両腕を引っ張られるまま、奥に連れこまれた。
廊下を進み、扉を開けた場所は訓練場であったが、そこに広がっているのはいくつかシーツが敷かれ、そこに横たわる怪我をしている冒険者たち。三〇人くらいが横たわっていた。
回復術師だと思われるローブを着た冒険者も、魔力切れからか壁に寄りかかり座って俯いていた。
「……何だこれ……」
「そんなこと言ってないで、早く回復をお願いしますっ! 報酬はギルドから払われますからっ」
「わかった。範囲魔法を使う。重傷者を先に集めてくれっ!」
俺の言葉に、重症だと思われる冒険者を優先的に回復させるために、看病している冒険者たちが移動させていく。
『範囲上級回復魔法』
ひとり一人に魔法をかけていたらキリがない。自分で移動しながら次々と回復魔法をかけていく。
五回の範囲回復魔法で全員に行き届いたみたいだった。
「ふぅ、これでいいか……」
俺はシーンとしている冒険者やギルド職員が唖然としているのに気づいた。
「……どうした……?」
周りを見渡すと全員の視線が俺に集まっていた。しかも驚いた顔や、羨望に満ちた顔など。思わず帝都のギルドで大怪我を負っていた冒険者たちを回復させたときと同じような感覚を思い出し、顔をひきつらせる。
「……あれだけの上級回復魔法を使用して何も問題がないのですか……?」
受付嬢の一人が心配そうに声をかけてきた。
魔力はまだ十分に残っているし、これくらいなら特に気にする程でもない。
「これくらいなら問題ない。それよりもう終わりでいいか? ギルドの場所を確認しに来ただけだし、これから宿屋に――」
「ちょっと待ってください。報酬も出ますからっ!」
怪我をしていた冒険者たちに口々に礼を言われながら、訓練場を後にした。
ホールに戻ってから「絶対に帰らないでくださいよ」と念押しされたので、空いていた椅子に座って周りの状況を伺う。
あの多くの怪我人が出た理由もわかっていない。普通ならありえない状況だし、情報収集のために近くにいる冒険者たちの会話に集中することにした。
「……それにしても、いよいよあのダンジョンも本格的に氾濫を起こす可能性が出てきたな。今回はあれだけですんだけど……」
「たしかにそうだな。この街にいたら、本格的な氾濫が起きたら強制的に俺たちは招集になるだろ。他の街に少しの間、逃げておくか……」
「それも手だな。隣の街でも情報は入ってくるだろうし」
冒険者二人の会話を聞いていると、森にあるダンジョンが氾濫を起こしたみたいだ。氾濫はゲーム時代にもイベントとしてあった。
ダンジョンから次々と魔物が溢れ出しマップを侵食していく。街にも現れて魔物を放置するとNPCが死亡し、店が閉鎖してしまうというイベントであった。
オンラインしているメンバーがチームを組んで、魔物を倒していき魔物が溢れ出したダンジョンを攻略することで、イベントが終了する。
まさにイベントと同じことのようだ。
休養するためにこの街に来たはずなのに……なんでこんなタイミングよく……。
思わず頭を抱えたくなる。しかし帝都に戻ったら戻ったでお見合いの話が……。
そんなことを考えていると、肩をトントンと叩かれた。
振り返るとそこには最初に声をかけた受付嬢がおり、笑顔で立っていた。
「トウヤ様ですね、先程はありがとうございました。それで……報酬なのですが、個室でお渡ししたいのでこちらへ」
普段なら冒険者の報酬など相当な金額でない限りは、カウンターで受け渡しが行われる。
しかし個室へ案内されるということは……。やはり魔力量の事を聞かれるのかもしれない。
ここで話す訳にもいかないので、素直に頷いて立ち上がり、受付嬢の後を追った。
そのまま階段を上り一番奥の部屋の前で受付嬢は扉をノックした。
「メイアです。トウヤ様をお連れしました」
中から許可する声がすると、受付嬢が扉を開けてその横に立つ。
「トウヤ様、こちらにお入りください」
中へと入ると、奥にある机で作業する人族の男性が一人。未だに書類の山に目を通していた。
歳は三〇代後半だろうか、服の上からでも筋肉が隆起しているのがわかるほど立派な体格をしている。
「すまん。キリのいいところまで仕事をさせてくれ。そこに座ってていいから。メイア、茶を頼む」
「わかりました、ギルドマスター」
――ギルドマスターだと……。
ギルドマスターにいい思い出はない。いや、サブギルドマスターを含めてだ。たしかに良くしてもらったこともある。しかしフェンディ―の街にいた時は、ギルドマスターのエブランドに銅貨一枚の資料室の使用料のために護衛任務を請け負わされた。街から脱出するときには色々と手を打ってもらったが、エブランドの手紙によって、余計な仕事が増えたのもある。
帝都奪還の時はギルドマスター代理と芝居を打ってあの王子を捕らえたが、一癖も二癖もあった。どうしても警戒してしまう。
警戒しながらも勧められたソファーに座り、メイアから出された紅茶を一口飲む。
帝都では味わったことのない味だった。
「待たせてすまんな……この街のギルドマスターのブライトルだ。メイアから訓練場の件を聞いた。この街のギルドを代表して礼を言わせてもらう」
「いえ、たまたま顔を出したらちょうど良かったみたいで……。助けられて良かったです」
頭を下げるギルドマスターに遠慮しながらも答える。
「メイア、少し下がっていてくれ。二人だけで話がしたい」
頷いたメイアはそのまま部屋を退出していく。
メイアを見送ったブライトルの視線がこちらに移った。
「改めて感謝する。トウヤ殿。いや――――キサラギ侯爵閣下と言ったほうが正解かな?」
――やはり知っていたか……。
帝都奪還の際に叙爵された時に、貴族として正式に苗字を名乗ることを許された。
――トウヤ・フォン・キサラギ侯爵。正直、貴族の証であるフォンなどいらないが、これは仕方ないことだった。
「俺のこと知ってるんですか……?」
「それはもちろん。〝救国の英雄〟と言われているキサラギ卿を知らないなど、ギルドマスターは務まらないでしょう」
クックックと笑いながらブライトルは紅茶を飲む。
正直、貴族と扱われるためにこの街に来たのではない。簡単な依頼をこなし、ゆっくりとするためにきたのだ。
「この街で俺のことを知っている人は他にいるんですか? 場合によってはこの街を出るかもしれません」
「それは大丈夫だ。俺が知っているのは帝都のギルドマスターから手紙を受け取っていたからな。ほら、知っているだろう。あいつだ」
「それなら、俺の立場は冒険者として扱ってもらっていいですかね? あくまで休養としてこの街にきたので」
俺の言葉に少しだけ悩んだブライトルは笑みを浮かべて頷いた。
「わかった。キサラギ――、いやトウヤ殿と呼ばせてもらおう。それでいいか?」
「あぁ、それで構わない。不敬罪など使うつもりもないですしね」
「それなら助かる。どうも貴族相手にするのは苦手でな。代替わりした新しい領主も……」
ブライトルが苦笑しながら言葉を止めた。
もしかしたらまた面倒な領主なのかもしれない。そういえばアリスが若い領主に代わったと言っていたな。
冒険者として過ごすつもりだから特に挨拶するつもりもないし、気にする必要もないだろう。
「あぁ、そういえば報酬だな。ほれ、これだ」
机に一度戻ったブライトルは小袋を持ってきてテーブルに置いた。中を確認すると、銀貨が二〇枚入っていた。
一〇分にも満たない回復魔法としては破格だが、ありがたくいただくことにする。
「メイアからも聞いたが、相当腕の良い回復術師なんだな。しかも上級魔法を何度唱えても魔力切れも起こさないとか」
「一応、それなりのレベルはありますからね」
ギルドカードに明記されているレベルは47。しかし、この数字は上級職のレベルになる。魔法職とはいえ上級職のステータスは一次職と比べても大幅に高い。
「それならばありがたい。正直、今の状況は下のホールにいたらわかってくれると思う。近くのダンジョンが小規模だが氾濫が起きた。今回は皆のおかげでなんとか食い止めたが、あの状態だ……。いつ本格的な氾濫が起きてもおかしくない。できれば助力してもらえると助かる」
確かに小規模の氾濫であの野戦病院の様な状態だったら先が思いやられる。休養のためにきたからといって見捨てる訳にもいかない。
仕方ないな、とため息をついた。
「わかりました。出来るだけ協力はします」
「話はそれだけだ。宿の方は手配しておこう。ホールで待っていてくれれば誰かに案内させる」
ブライトルと握手を交わし、部屋を出た。




