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* 4-(2) *


 目の前に、白い天井が見えた。三室、

(ここは……? )

半身起き上がってから、辺りを見回す。医療室だった。三室は医療室のベッドに寝ていたのだ。隣のベッドには杉森が寝ている。

(どうして……? )

今ひとつ状況が掴めない。廊下側の自動ドアがウィンと音をたてて開き、負傷した杉森を頼んだ、先程の医療室の男性が入ってきた。

 男性は、起き上がっている三室を一瞥すると、徐にドアの横の壁に掛けられた電話の受話器を取り、内線ボタンと数字の1のボタンを押し、

「モモさんが気づかれました」

(…ああ……)

男性の行動をぼんやりと眺めながら、三室は思い出す。

(そうか、あたし、「カ」に血を吸われて……)

 そこへ、再び、ドアがウィンと開き、色の抜けた黒デニムの細身のパンツに、体にピタッとフィットした黒のランニングシャツ、上に茶色の半袖パーカーを羽織った、私服姿の赤木が入ってきた。

 見慣れない私服姿に、三室はドキッ。

(カッコイイ……)

 赤木は医療室の男性に、

「ありがとうございます」

と、若干疲れたような声を掛けてから三室に歩み寄り、少し腰を屈め、両の手の親指をパンツのベルト通しに引っ掛けた格好で、

「気分は、どう? 」

心配げに三室の顔を覗きこむ。

 体温を感じられるほどの距離の近さに、チラリと覗く、胸板の厚さを感じさせる腋と腋毛に、三室はドキドキッ。

「モモちゃん? 」

 三室、名を呼ばれてハッとし、恥ずかしくなりながら、

「あ、はい、大丈夫です」

 赤木は、良かった、と、ホッとしたように笑み、

「目を覚ましたら帰っていいってことだったから、送ってくよ」

「え、そんな、悪いですよー」

三室は遠慮しようとしたが、赤木は首を横に振り、

「限界近くまで吸血されてたらしいよ。治療は終わったけど、まだ、自転車なんて漕がないほうがいい」

いつもの優しい口調だが、

「それに、実はもう、モモちゃんの自転車、オレの車に積んであるんだ」

 三室は、ちょっと驚く。

(強引なところもあるんだ……)

しかし、それは自然で爽やかで、嫌な強引さではなかった。

「帰ろうか」

言って、赤木は上に向けた手のひらを三室に差し出す。

 三室は、その手を、内心とても照れながら、表面上は平静を装って借り、ベッドから下りて、杉森のベッドの向こうでファイルに視線を落としている医療室の男性に礼を言ってから、赤木の半歩後ろをついて医療室を出た。


 廊下を歩き、従業員用駐輪場へ続くドアを通り、細い階段を上って出た外は、空が白み始めていた。

(……? )

三室はブレスを見る。時刻は4時半。時計部分に一緒についているカレンダーの日付も、1つ進んでいる。

(こんな時間っ? )

自分も杉森も眠っていたのだから、ミーティングなど、まだやっていないはずで、それなのに、

(どうしてレンさん、こんな時間まで基地に……? )

戦闘が、ものすごく長引いたのだろうか? しかし、何となくで分からないが、青島や黄瀬川が赤木と一緒にいたような感じがしない。三室が目覚めたと連絡を受けて医療室に入ってきた時の赤木の雰囲気には、長い時間を静かな場所で1人きりで過ごしていた人の気だるさがあったように思う。

 もしかして……と、三室、少し先を歩く赤木の背中に向かい、

「レンさん、あたしが起きるのを待っててくれたんですか……? 」

 赤木は足を止め、振り返って、真っ直ぐに三室を見つめ、頷いた。

「モモちゃんが吸血されたのは、オレを助けたせいだから……。医療室の人は大丈夫だって言ってくれたけど、帰っても、気になって眠れないよ」

 気になって眠れない、気になって眠れない、気になって眠れない……。赤木の言葉が頭の中で木霊し、三室の胸がキュウッとなった。

「ごめんなさい。心配かけて……」

 赤木は優しい笑顔を浮かべ、

「行こう。早く帰って、学校に行く前に、もう少し休んだほうがいいよ」

 

 三室が赤木と共に従業員用駐輪場を抜け、建物の横を通り過ぎて、お客様用駐車場へ出ようというところまで来ると、すぐそこに赤木の車が停めてあるのが見えた。

 赤木が突然、

「あっ」

と小さく声を上げ、建物の横に引っ込みざま、三室の手首を掴んで引っ張り、三室も建物の横に引っ込めた。

 三室は軽く驚き、

「どうしたんですか? 」

 赤木は、シッと唇の前に人指し指を立て、小声で、

「うちのチーフが出勤してきた」

 三室がそっと顔を建物の横から出して見てみると、40代の小柄な精肉部チーフが、赤木の車を見て首を傾げつつ、従業員用の入口のドアを開けたところだった。三室、

「ずいぶん早いですね」

「あの人は、いつも、これくらいの時間には来てるよ」

(へえ……)

精肉部チーフの早起きに素直に感心しながら、三室は、赤木の真面目な性格を考え、たった今の言葉の中の微妙に皮肉げな響きが腑に落ちず、

「でも、レンさんなら、チーフに合わせて、自分も早く出勤しそうですけど? 」

 返して赤木、

「早すぎだよ。もちろん、オレも初めの頃は付き合ってたけどね」

(やっぱり! )

 付き合わなくなった理由は、精肉チーフの早朝出勤が単なる趣味で、赤木から見て、その必要性が全く感じられず、また、早起き続きで辛くなってきた赤木が試しに付き合わないでみたところ、チーフが何も言わなかったから、ということらしい。 

 だが、それでも7時前には出勤していると聞き、

「それって、充分早くないですかっ? 」

三室は驚いたが、

「そうかな? 」

赤木は困ったように、ちょっと笑って、

「もう慣れちゃったから分かんないけど、この店もそうだし、他の支店も、生鮮部門の社員は、ほとんどの人がそんなもんだよ」

(そっか……。大変なんだ、生鮮の社員さんって……)

三室は、赤木が自分を待っていてくれたことを申し訳なく思った。今日も、その時間に出勤するのだろうから。

 精肉チーフが建物内に入ってドアが閉まるのまでを見届け、確認したように頷いてから建物の横から出て自分の車へと歩く赤木。その少し後ろを、三室は歩く。車のところまで行くと、前方に向かって二つ折りの形で倒された後部座席に、三室の自転車が横にして積まれているのが窓から見えた。

 赤木が助手席のドアを開け、三室に乗るよう勧める。

 三室が、

「お邪魔します」

と言って乗り込むと、赤木は優しく笑み、

「どうぞ」

 三室が助手席にキチンと座るのを待って、赤木は助手席のドアを閉め、運転席に乗り込む。

 好きな人の助手席は、何だか特別な感じだ。区切られた空間の中で、空気を共有できる。運転席の横顔を、ギアチェンジする大きな左手を、独り占めしてる気分になる。……赤木が自分の目の覚めるのを待ってくれていたことへの申し訳なさとも入り混じり、三室は胸がいっぱいになって、赤木の、

「モモちゃんは 光ヶ丘だったよね? 」

との問いに、はい、と答えたきり無言になってしまいそうになり、これはいけないと、すっかり働きの悪くなっている頭を一生懸命回転させ、話題を探した。 

 数秒かかって三室が何とか見つけた話題は、

「そういえば、あの後、どうなったんですか? 」

「あの後? 」

「あたしが気絶した後の、戦闘の展開は……? 」

「……ああ」

赤木の説明によると、吸血され気を失った三室を基地に運んだ後、戦闘中の青島が偶然、三室がラケットを使用して倒した「カ」につまづき、「カ」の体重が体の大きさに対して異常に軽いことに気づいた。そのことから、「カ」は強い風の中では自由に飛べないと仮定し、作戦を立てた。まず、黄瀬川が防ガスマスクを着用して「カ」を煙で燻し、神社上空に舞い上がらせる。ゼロワン(杉森不在のため赤木が運転)は金属性の細い脚を伸ばして上空で待機。舞い上がってきた「カ」を強風を起こして吹き飛ばし、同じく上空で待機のゼロツーの荷台で受け止めて捕獲、という作戦。作戦は、見事、成功を収めた。そして、基地へ戻り、三室と杉森が眠っているためミーティングは後日ということで、解散したとのことだった。

 説明させておきながら、三室は、話す赤木の横顔を見つめることに一生懸命。

(このまま、ずっとレンさんと、こうしていられたらいいのに……)

 

 光ヶ丘の町内に入ってからは、三室は自宅への道筋のナビを勤めた。…やはり、ひたすら赤木の横顔を見つめながら……。

「もうすぐ左手にバス停が見えるので、そこを通り過ぎて最初の信号の無い交差点を左に曲がってください」

言ってから、三室は切なくなって、うっかり出そうになった溜息を焦って飲み込んだ。 

(…ああ、もう着いちゃう……)

 左折後の直線の上り坂を300メートルほど行けば、もう、自宅だ。

「あ、そこの団地がそうです」

(……着いちゃった)

 三室のナビに従い、赤木は県H棟脇の道路の左端に車を停め、降りた。

 三室も赤木を追うように少し急ぎ気味に降り、後部座席の三室の自転車を下ろすべく荷台のドアを開けた赤木を、斜め後ろから見つめる。

 前傾の無理な姿勢で、ヨッと声を漏らして自転車を持ち上げる赤木の腕の筋肉の線が、普段より、くっきり浮き出た。 

(レンさんて、彼女いるのかな……)

もうすぐそこまで迫っている別れの時を前に、三室は、赤木の動作の一つ一つを目に焼き付けるように、愛しく見つめる。

(この腕で守ってもらえる女のコは、いいな……)

 降ろした自転車を三室に渡し、赤木、

「今日1日は、あんまり無理しないほうがいいよ」

言って、三室の、

「本当に、ありがとうございました」

に、優しい笑顔で頷いてから、車に乗り込んだ。

 三室は片手で自転車を支え、息苦しいほどキュウキュウなっている胸を、もう片方の手で押さえながら、見えなくなるまで赤木を見送った。



                  *



 自転車を物置に仕舞ってから、三室は県H棟の右端の階段を、4階まで、出来るだけ足音をさせないよう静かに上る。そして、これまた音をたてないよう静かに、自宅玄関のドアを開けた。直後、

(っ! )

三室は固まった。目の前に母が立っていたのだ。不気味なほど静かに、三室を見据える。

 三室から見て右手側、母が立っているすぐ横の、受験生である重松が勉強部屋に使っている3畳間の襖が、ススス……と音も無く開いた。そこから、母に気づかれないよう、そっと重松が顔を覗かせ、母の肩越しに、三室に向けて、ごめん、という形に口を動かし、両の手を合わせる。

 母は大きな溜息を1つ。何か言おうとしたのか口を開きかけた。 

 その時、異臭。三室は片手で鼻と口を覆う。同時、襟首が生温かい風を感じた。振り返ると、そこには、赤い顔をした父がニコニコ笑って立っていた。異臭は酒の臭いだった。

 父、

「ただい…むぅぷっ……! 」

ただいまを最後まで言いきれず、両手で口を押さえる。

(っ? )

これから何が起ころうとしてるのか、状況はすぐに掴めたが、突然過ぎて動けない三室。

 母が叫ぶ。

「桃佳! 洗面器っ! 」

「は、はいぃっ! 」

反射的に返事をし、三室は、靴を脱ぐのもそこそこに、左手側奥にある風呂場へと洗面器を取りに走った。


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