* 4-(1) *
夜10時、県営団地H棟の4階の一室。居間のテレビから、提供の製薬会社の調子の良いテーマソングが流れたのを聞きつけ、自分が夕食で使った食器を流しに置きに台所へ行っていた三室は、急いで居間へ。
三室の好きなバラエティ番組が始まる。出演者の1人を、何となく赤木に似ていると感じてから、毎週、欠かさず見ていた。
テレビの真ん前、畳の上にペタンと座って陣取った三室に、部屋の隅で三室の制服のシャツにアイロンをかけていた母、
「桃佳、あんた、宿題とか無いの? 」
三室、面倒臭い話になる気配を察知し、意識的にテレビのほうを向いたまま、
「無いよ」
短く返す。
「宿題が無くても、予習とか復習とかは? 」
「いいよ。テスト前じゃないし」
母の言葉に、やはり意識的に無感情を装って答える三室。
母は、その反応の薄さ加減にイラついてか、
「まったく。そんな、どうでもいいようなテレビを見るほど暇なら、自分の服のアイロンくらい自分でかけたらいいのに。ゴハンの食器だって、流しに置くだけで洗いもしないし……」
ブツクサと、当初の内容とはズレた大きな独り言。
三室は、うるさいなあ、と思いながらも、何か反論しても余計にうるさくなるだけなので、聞こえないフリ。
母は、ブツクサ言い続ける。
風呂に入っていた中学3年生の弟・重松が、風呂から出て来、
「姉ちゃん、風呂」
声をかけた。
それにも、
「んー……。後で入る」
三室は意識的生返事。
ものすごく大きな溜息を吐いてから、母、
「じゃあ、お母さん、先に入るよ」
三室、
「どうぞ」
これまでとは一転、ハッキリとした、しかも母のほうをしっかりと向いての返事。
母は、もう1つ大きな溜息を吐き、居間を出て行く。
湯上りの熱気を僅かに放つ頭にタオルを被った重松が、三室の左隣にドッカと腰を下ろし、プシュッとコーラの缶を開けた。
「あ、コーラ。いいな」
ちょうだい、と、左手を出す三室。
重松は軽く息を吐き、
「ひと口だけだよ」
「うん」
三室はコーラを受け取り、口をつけようとした。その時、
「あ、蚊……」
コーラを持った左手の甲に蚊がとまったため、反射的に、空いている右手で叩いた。当然、開けたばかりで中身がたくさん入っているコーラは、畳にこぼれる。
「あーあ。何やってんの? 馬っ鹿じゃねーのっ? 」
重松はテレビの横のティッシュの箱を手元に引き寄せ、ババッと手早く5・6枚引き抜くと、こぼれたコーラを拭きつつ、
「大体さ、姉ちゃん。蚊が血を吸ってる最中は、叩き潰すんじゃなくて、指で弾き飛ばしたほうがいいんだよ。皮膚に付いた蚊の死骸の破片から、伝染病に感染する可能性があるんだって」
(へえ、そうなのっ? )
三室が重松の豆知識に感心したのと同時、ブレスが震動。三室は、咄嗟に右手で押さえ、コーラを安全に、ちゃぶ台の上に置いて立ち上がり、隣の6畳間へ。
「姉ちゃん? 」
背中で重松の声を聞きながら、襖を閉め、明かりのついていない真っ暗な6畳間の中、
「通話」
ブレスの向こうからは、横山の声。
「壱町田の『ヤワタ神社』に超地球生物が出現しました」
壱町田、ということは、ヤオシゲから、そう遠くはない場所のはずだが、はて、どこだろう? 三室は首を傾げ、
「どこですか? それ」
「基地の斜向かいに、小さな山のような緑地があるでしょう? そこです」
(ああ! )
と三室は思い出し、
「はい、分かりました」
そこならば、小学生の頃に友達と、探検、などと言って行ったことがある。そう、木が生い茂った、昼間でも薄暗い、横山の言うとおり小さな山のような場所で、細い階段を上った先の平らな開けた場所に、古くて小さい祠があった。
三室の返事を受け、横山は続ける。
「声明文は、『子孫を残したいと願うのは、生物としての本能である。現地球人類への影響は、稀に起こる一部の例外を除き、ごく僅かにもかかわらず、生物として現地球人類とも共通のはずの願いに、協力を得られぬどころか妨害されるのは疑問である』。
スーパーマシンは、今回、移動手段としては出動させませんので、直接、向かって下さい」
「了解しました」
三室は通信を切り、6畳間内の襖、玄関とつながっているほうを開け、自転車の鍵を手に、靴を履く。
と、背後から、
「どっか行くの? 」
三室はギクッとして振り返る。重松だった。三室は慌てて重松の口に飛びつき、シーッと、自分の唇の前で人指し指を立てる。
「お母さんには内緒にして! 」
「……いいけど? 」
首を傾げる重松に見送られ、三室は玄関を出た。
*
三室は、玄関を出てすぐの階段を、4階から1階まで、いっきに駆け下り、自転車でヤワタ神社を目指す。
「沢地大橋」に差し掛かった辺りで、ブーン、と低い音が聞こえた。初めは耳鳴りかと思ったが、音は続き、しかも、神社に近づくにつれ大きくなっていく。
神社のある小さな山の前に到着した三室は、自転車を道路の隅に停め、周囲に人目が無いことを確認してから、戦闘装備。直後、神社をねぐらにしていたのだろうか、山の中から道路へと、70歳くらいのホームレスの男性が転がるように出て来、三室に縋りついて、小さな山を指差しながら しきりに何かを訴えた。しかし、動転しきっている様子で、何を言っているのか全く分からない。
三室は、宥めるように男性の肩をそっと撫で、ここは危険だから、と、移動するよう勧めた。
男性は、チラチラと頻繁に三室を振り返りながら、沢地大橋方向へ去って行く。
男性のその様子に、三室は、戦闘装備するところを見られたかも、と気にしつつ、相変わらず止まないブーンという音が、頭上から聞こえてきているような気がし、空を仰いだ。
(うわっ……! 気持ち悪っ! )
音は、やはり上空からだった。その正体は、虫の形の超地球生物の羽音。小さな山の上空に、十数匹が舞っている。上空にいるにもかかわらず、姿がハッキリ分かるほどの大きさだ。
「あれは、蚊ね」
三室の斜め後方から、独り言のように、黄瀬川の声。
既に戦闘装備を済ませた黄瀬川は、隅に寄せて停めたシルバーのスポーツカーの横で、上空の、蚊と思われる超地球生物を見上げていた。
暫くの間、黄瀬川は、観察するように蚊を見つめてから、ブレスに向かい、
「通信、司令室」
横山に状況を説明。その後、初めて三室の存在に気づいたように、
「モモ、早いじゃない。珍しく」
声をかけた。
駅方向から左ハンドルの赤い小さめの車と白い軽自動車、沢地大橋方向から深緑色のワゴンタイプの車がやって来、次々と、小さな山の前の道路の隅に停まる。
赤い車からは青島が、白い軽からは狭いドアの枠を軋ませながら窮屈そうに杉森が、深緑色の車からは赤木が、それぞれ戦闘装備した姿で降りて来、羽音に気づいたらしく空を仰いだ。
黄瀬川が、三室・赤木・青島・杉森を見回し、
「皆、揃ったわね。階段があるようだから、とりあえず上って、出来るだけ近づきましょう。後のことは、それから考えればいいわ」
三室以外の4人はブレスに向かい、
「点灯」
三室も倣って、
「点灯」
すると、ブレスの文字盤の部分に懐中電灯ほどの明るさの明かりがともった。
その明かりで暗い足下を照らし、一同は、両脇に木が密集して生えている、幅や段の高さの不規則な苔むした階段を上っていく。
やがて一同が辿り着いた階段の終点、祠のある平らな開けた場所は、階段の途中地点に比べ、木と木の間隔が広く、多少は明るかった。
(……っ? )
急に羽音が近く迫って来たように感じ、三室は頭上を振り仰ぐ。
(! ! ! )
その感じは錯覚ではなかった。一同が上ってきたことと関係があるかどうかは分からないが、上空にいた超地球「カ」、十数匹全てが、一同のほうへと舞い降りて来ていた。大きい。一同の目の前に後足だけで人間のように背筋を伸ばして降り立った「カ」の上背は、三室と同じくらいある。きちんと数えてみれば、その数、13匹。三室たちスーパーファイブを取り囲む。
三室たち5人は 背中合わせで立ち、互いの背中を守った。
13匹のうち1匹の「カ」が、1回、右の後足で地面をトンッ、と踏み鳴らした。それが合図だったか、「カ」は一斉に5人に襲い掛かる。
背中合わせの陣形は、あっという間に崩れ、5人は散り散りに。
三室は、自分に向かってきた2匹の「カ」の前足・中足から繰り出される突きと後足による蹴りを、ひたすらかわし続ける。初めての、まともに体を ぶつけ合うような戦闘に、どう動いてよいか分からず、途惑っていた。だが、かわし続ける限界は、すぐに やってきた。「カ」の攻撃が三室の体を掠めはじめたのだ。三室の腋の下を嫌な汗が濡らす。そして、ついに、
(……! 避けきれないっ! )
2匹の「カ」から、三室の顔面目掛けて正面から突き出された前足は、あと5センチで届く。三室は半分ヤケクソで、両腕を肘を軸に外側に向かって弧を描くように動かし、「カ」の拳を払った。その自分の姿がキチンと形になっているように感じ、三室は、思いきって、自分から攻撃を仕掛ける。先ず、向かって右側の「カ」の腹部末端を突き上げる形で右足を蹴り上げた。クリーンヒット。右側の「カ」の動きが一瞬止まる。蹴り上げた足は元の位置に戻さず、前に向かって踏み込みざま、今度は右拳を向かって左側の「カ」の胸部を狙って突き出した。残念ながら、これは、胸部の前で交差させた両前足によって受け止められてしまったが、今の攻撃も、ついさっきの防御と同様、かなりサマになっているように思える。ピンクに任命された時の横山の説明、戦闘の際の基本的な動作等はスーパースーツが教えてくれる、とは、こういうことだったのか、と納得した。
そこへ、
「モモッ! 」
黄瀬川の鋭い呼び声。
三室は目の前の敵に注意を払いつつ、周囲に視線を走らせて、黄瀬川を捜す。黄瀬川の姿は、三室が戦っている最中の2匹の「カ」の体と体の隙間、5メートルほど先に見えた。その姿は、三室と戦っている2匹の「カ」の向こうを右へ左へ行き来する数匹の「カ」によって、隠されては現れ、また隠され。立ち位置を全く変えず、1人で、あまりにも動くため正確には数えられないが少なくても5匹の「カ」を相手にしている。場所を全く移動しない理由は、
「モモ! スギさんを基地に運んで! 」
黄瀬川の言葉で初めて気づいた。黄瀬川の後ろ、地面の上に、戦闘装備が解除された杉森が、うつ伏せで倒れている。
「吸血されたの! 早くっ! 」
「は、はいっ! 」
噛みつくような黄瀬川の台詞に反射的に返してから、三室は、ちょっと考えた。今、自分と杉森の間には、自分が戦っている2匹と黄瀬川が相手をしている少なくても5匹、最低計7匹の「カ」がいる。この状況で、より安全に、より早く、杉森の所まで行くには……。
(これ、かな……? )
他に思いつかない。三室は腹を据え、一度、大きく息を吸ってから、姿勢を低く、
「ウアアアアアアアアーッ! 」
大声を発しながら、少なくて見積もっても7匹の「カ」の中に、真っ直ぐ突っ込んで行った。
三室の判断は正しかった。三室と戦っていた2匹の「カ」は、三室の勢いに圧されたのか、ササッと道を空け、黄瀬川ばかりに気を取られていると思われる約5匹などは、三室が、その5匹の間を走り抜け、黄瀬川の脇に到達した時点で初めて、三室に注意を向けたようだった。
黄瀬川、
「お願い」
自分の脇を通り過ぎる三室に短く言う。
三室は、了解です、と返してから、杉森の脇に片膝をつく。
(……っ! )
暗くて遠目からは全く分からなかったが、見れば、杉森の首筋の、吸血された時のものと思われる傷口から、トクットクッと脈のリズムで血が溢れ続けていた。グッタリと動かない杉森の体の下には、血溜まりができている これまで生きてきた中で一度も見たことの無いような惨状に、呆然となりかけてしまい、
「モモ! 早くっ! 」
三室と戦っていた2匹も加わって計約7匹になった「カ」を相手にしながらの黄瀬川の叫び声に、ハッと我に返る。
(そうだ、急がなきゃ! )
三室は杉森の左腕を持ち上げ、自分の肩に担いで立ち上がり、階段のほうへ。スーパースーツの機能により腕力が何倍にも強くなっているため、重さは大して感じないが、体の大きな杉森は、やはり運びにくい。
おぼつかない足取りで階段を下りていく三室。ふと気配を感じ、振り返ると、
(! ! ! )
三室を一番倒し易い相手と判断したのか、その場にいる、おそらく全ての「カ」が、三室と杉森の後を追ってきていた。三室は固まる。
(どうしよう! 今、攻撃されても……! )
赤木・青島・黄瀬川が、三室を追ってきていた「カ」の群れを掻き分け、三室・杉森と蚊の間に割り込んで来、三室と杉森を背に庇うように立った。
黄瀬川が肩越しに三室を振り返り、
「行きなさいっ! 」
三室は、黄瀬川に分かりやすいようにと大きく頷いて見せてから、前を向いて、ヨロケながらも出来るだけ急ぎ足で階段を下りた。
階段を下りきってから、三室、
「通信、司令室」
横山に、負傷した杉森を運び込む旨を伝えた。
横山から、現在、店舗のほうの入口は従業員用出入口も含め、全て鍵がかかっているため、外から直接基地内へつながる入口を教えるから、そちらから入るように、との指示を受け、言われた通りに進む三室。
まず、お客様用駐車場への坂道を下り、お客様用駐車場を抜け、建物の裏の従業員用駐輪場へ。駐輪場の奥には、駐輪場を使用している三室も今まで気づかなかった、小さな物置小屋があった。物置小屋の正面の引き戸の右脇には、司令室のドアなどの右脇についているものと同じ、黒い長方形のガラス。ブレスの文字盤を向けると、引き戸がピッと鳴った。小屋の引き戸は自動で開かないので自分で開けるようにとの指示に従い、自分で開けると、その奥には店長室の中のドアの奥にあるような、下へと続く薄暗く細い階段。階段を下りていくと、その終点にドアと、また長方形の黒ガラス。ブレスを向けると、今度は自動で開いた。
パッと射し込んだ明るい光に、三室は目を細める。基地の廊下に出たのだ。位置的には、店長室の階段からの出入口の真正面。白衣を着た、医療室の20代の男性が、ストレッチャーを用意して待機していた。
三室は杉森をストレッチャーに乗せ、医療室の男性に杉森を頼んでから、来たところを戻ろうとする。と、そこへ、
「モモさーんっ! 」
大きな声で三室を呼び、廊下を、スーパーマシンの駐車場側から、テニスのラケットを4本抱えた機械関連室開発班の20代女性が走ってきた。
開発班の女性は、三室の前まで来て止まり、2回、深呼吸を繰り返して息を整えてから、
「今回は蚊の超地球生物だと聞いて、即席で対応の武器を作ってみたんですけど」
4本のうち3本を三室に手渡し、残り1本を自分の手にとって説明を始める。そのラケットは、仮称「超地球『カ』対応超高圧電流ラケット」。市販の蚊退治用のラケットと使用方法も基本的なつくりも同じだが、金網部分には市販の物とは比べ物にならない超高圧の電流が流れるため、使用中は絶対に触らないようにとのこと。
説明を終えて、女性は、説明に使っていたラケットも三室に差し出した。
三室は受け取り、礼を言って、ヤワタ神社への道を大急ぎで戻る。
三室は、神社へ続く小さな山の階段を駆け上った。先程、赤木・青島・黄瀬川と別れた辺りには誰の姿も無く、階段のもっと上のほうが騒がしい。
三室は3人を捜しつつ階段を駆け上り、結局、上りきると、最初に戦闘をしていた祠のある開けた場所で、赤木と黄瀬川がそれぞれ4匹の「カ」を担当、青島が5匹を担当して、戦闘の真っ最中だった。3人とも、防戦一方の苦戦を強いられている。
(……どうしたら、いい? )
自分が何の考えも無しに、ただ飛び込んでいっても、それほど状況が変わるとは思えない。どうしたら流れを変えられるだろう……、と、三室が考えを巡らせかけた、その時、視界の隅で、赤木が1匹の「カ」に羽交い絞めにされ、残る3匹のうち2匹にそれぞれ片方ずつ、両足をガッチリ押さえつけられた。ゆっくり赤木の正面に回って来た最後の1匹の細長い口が、やはりゆっくりと、赤木の首筋に近づく。
(吸血されるっ! )
三室は赤木のほうへ、夢中で突進した。考えている暇などない。走りながら、抱えていたラケットのうち3本を投げ捨て、1本を右手に持ち替えてグリップ横の電源を入れる。ラケットから、キイーンと高い微かな音が発せられた。
「カ」の口が、今まさに赤木の首筋に突き刺さろうというところで、ラケットの金網部分が「カ」の背中に届くくらいまで間合いを詰めた三室は、一度 ラケットを高く振り上げて 勢いをつけ、「カ」の背に叩きつける。瞬間、バチバチバチッと火花が散り、ラケットを背に受けた「カ」は、その場にくずおれた。だが同時、
(! ! ! )
ラケットを「カ」の背に叩きつけたときに発生した力により、三室は後方に弾かれて、背中から地面に落ちる。
「モモちゃんっ! 」
赤木の叫び声。
大したダメージは無く、すぐに起き上がろうとした三室だったが、赤木のところにいた「カ」のうち、ラケットを受けた「カ」以外の3匹が、即座に標的を三室に変更し、寄ってきて、地面に押さえつけられてしまった。身動きが取れない。3匹のうち1匹の顔が、目の前に迫る。
(……! )
恐怖を感じたのは、ほんの一瞬。首筋に、
(っ! )
鋭い痛み。直後に視界がぼやけ、痛みもなくなる。戦闘装備が解除されたのが分かった。瞼が重い。視界が次第に細くなっていく。




