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43話 旅の終わり

 まだ陽も高い時間だというのに、自分はぼろ雑巾のように路肩に打ち捨てられ、もうヒューヒューと頼りない息しか出せそうにない。

 孤児院を追い出される際、院長の命によりそれまで同僚であった者たちから暴行を受けたため服もその中身もこれ以上ないくらいみすぼらしい見た目だ。


 こんな事になるのであれば、あの時アイツと一緒に死にたかった。

 いや、むしろ私が死ぬべきだったのだ。

 自分のような犯罪者と変わりない人間が生き永らえるのではなく、他人に慕われる真っ当な生き方が出来るあの男こそがここにいるべきで、私はここにいてはいけない人間だった。


 どんなに嘆いても過去は戻らない。

 そんな当たり前のことは生まれた時から知っていたのに、あの男が死んでからこの数年間はどうすれば時を戻せるのかそんなことばかり考えていたような気がする。


「大丈夫か?」


「!」


 このままここで、あの男が死んだこの場所で。

 同じ場所にはいけそうにもないがせめてこれだけは許して欲しいと目を閉じかけていた時、頭上から声が降ってきた。


「……か、はッ」


「無理するな。声も出すのも辛そうだ」


 ――なぜ。何故この男がここにいる?


 あの男の親友であった男。犯罪に手を染めようとしていた私に関わっても碌なことがないと、アイツを止めようとしていた男だ。

 その結果、それは正しくて、アイツは死んで私が生きている。

 すべてはこの男の言う通りだったのだ。


「――――」


「ん?」


 だから喋るなよ、と男は呆れた声を出した。

 伝えたい言葉があるのに、私が発することが出来たのは掠れた吐息でしかなく、それを仕方なくしゃがんで聞き取ろうとしてくれる男に感謝した。


「は?」


 最期の望みを懇願した私に男は困惑していた。

 やはりアイツの親友だっただけあって、この男も相当なお人よしなのかもしれない。

 男から親友を永久に奪い去った私が憎いだろうに、殺したいだろうに、まだ躊躇できるのだ。


『殺してくれ』


 でもどうせ死ぬのなら、アイツを、ヤンシーに一番近かったこの男の手で裁かれたかった。


「馬鹿言ってんじゃねえっ」


 だが、男は了承しなかった。

 ものすごい剣幕で顔を真っ赤にして怒鳴りはじめたのだ。


「あいつはなっ、ヤンシーはあんたのことが好きだって言ってたんだ! それが友情だったのか愛情だったのか、今となっちゃもうそれを知る術はねえ。あの時は俺もあんたを誤解してたし、色々と行き違いがあったのは謝る。けどな、そうじゃねえだろ!? あんたが娼婦の女どもに給料ほとんど注ぎ込んでんのも知ってる。あれは、あんたの仲間達だったんだよな?」


「……ッ」


 私が通い詰めていた娼館は、私の仲間がいた。

 生まれは皆バラバラだったけど、同じ孤児院で何とか生き延びてきた紛れもない私の姉妹達だ。


「そんな、男みたいな恰好(ナリ)までしてよ……」


 驚いて見上げた先には、先程とは打って変わって私を憐れむ表情をした男がいた。

 この男はどこまで知っているのか。

 身なりはぼろぼろで、ここに来るまですれ違った誰もが目を逸らすほど傷を負った私よりも痛そうに顔をしかめている。


 同情されるのは好きじゃない。そんなもの何の役にも立たないから。

 だけどこの男の表情は優しかったヤンシーの顔を思い出させ、表現できない何かで胸が熱くなってヤンシーが死んで以来空っぽだった私の心にゆっくりと温かなものが降り積もるのが分かった。


「お前、行くところないんだろう」


「……」


「ま、それよりも先に手当てが必要か」


 それから私は男の背中におぶさり、家に連れて行かれた。

 男の家には男の妻が出迎えて、ぼろぼろな私を見るなり慌てて中へと招かれる。

 そこまでしてもらう義理はないと抵抗したが、何故か叱られてしまい、おとなしくベッドで寝ていろと寝かしつけられてしまった。

 再び目が覚めた時にはもう夕方に差し掛かる頃で、熟睡して寝ることができたお陰で体力少し戻っているのが分かった。


「あっ、お姉ちゃん起きた? ママがご飯出来たって!」


 私の腰ほどしかない小さな女の子が、少し開いた部屋の扉からこちらを覗いている。

 好奇心が抑えられないといった顔で、戸惑っているうちに早く早くと腕を引かれ振りほどくことも出来ず、食卓へ連れられ席につかされてしまう。

 助けを求めて夫婦を見るが、ふたりは微笑むだけで何も言わず、私の目の前には食事が用意されていた。


「お姉ちゃん、これママの得意料理だよ! おいしいでしょ?」


「……うん」


 温かくて美味しい。

 生まれて初めて食べた家庭料理だった。


「でしょ!? あとね、最近すっごくおいしい屋台が出来たんだけど、用事が終わったらすぐ帰っちゃうんだって。それでね、ハンナが残念だなーって言ったら、ハンナと同い年の男の子が明日とくべつにレシピを1つだけ教えてくれる事になったの! みんなには内緒だよって!」


「……ハンナ、それは内緒だったんじゃないのか? いいのか他の人に教えて」


「あっ!?」


 このハンナという少女は“とくべつ”という言葉がよほど嬉しかったようだ。

 内緒だと自分で言っていたのにもう私に喋ってしまっていると両親に指摘され、慌てて口を抑えたがもう既に聞いてしまった。

 ハンナは心配そうにこちらを見上げ、困った犬のような顔が可愛らしくて噴き出してしまいそうになったが、頭に手を置いて安心させてやることにした。


「心配しなくても、私は誰にも言わない。というか、言う相手もいないんだ」


 何かあれば逐一報告していた孤児院長とはもう会うこともないだろう。

 娼婦になった姉や妹達は基本的に出歩く自由は許されていないし、大金を積んで身請けされたとしても良くて妾扱い。どちらにしろ籠の鳥同然で、孤児院を出てすぐ食うに困った姉や妹達は娼館に入ったので驚くほど世俗に関しては無知なのだ。

 自分を捨てた両親につけられた傷が原因で私は娼婦になることはなかったが、仕事があるだけ、食えるだけいいだろうと思ったこともある。

 安定した収入が入る様になると面倒毎が嫌で男に成りすまして姉や妹達に一時の安寧を与えられればとかわるがわる話し相手になっていた。

 自己満足ではあったが、どこかで彼女たちを憐れむ気持ちがなかったかと言われれば強く否定出来ない。


「じゃあ、お姉ちゃんはハンナのお友達になればいいよ!」


「え?」


「ね、決まり!」


 ハンナの斜め上の発言に、私たちは固まってしまった。

 彼女の両親すらなんと言ってフォローすればいいのか戸惑っている。

 結局その晩はハンナが一緒に寝ると言って聞かなくて、子供用の小さなベッドでハンナを抱きしめるように小さくなってシーツに潜り込んだ。

 ……ああ、こうして他人の体温を感じて眠るのはいつぶりだろう。既に寝息を立てているハンナの体温がやけに愛おしく感じる。

 まだ孤児院にいた頃、姉や妹達とよくこうして眠っていたのだと思い出しながら眠りについた。


「おはよう! 今日は屋台へいこう!」


 朝早くから元気なハンナに引っ張られて、屋台や出店がある小規模な市場へと向かう。

 自分で言うのもなんだが、いくら仕事があるからといってもほぼ初対面の私にハンナを任せきりするなど親として警戒心が薄すぎるのではないだろうか。


「あ、ワカくんだ!」


 考え事をしているうちに屋台へと到着したようだ。

 繋いでいた手を離して走り出してしまったハンナを追いかける。

 その先で、つい数日前まで必死に探していた相手を見つけて息を飲んだ。


「わー、今日もおいしそー」


「いらっしゃいハンナちゃん。今日はどれにする?」


「んーとね……、あっ、これ! 食べたことないやつ!」


 ハンナと仲良さげに喋っている少年の背後に、あの二人がいた。

 ヴィラは他にいた男達の背中に隠されあまり見えなくて、カンラも忙しいのか動き回っており2人ともこちらに気が付く様子がない。

 ハンナと少年が話込んでいる傍らで呆然とその様子を見つめていると、二人は立ち上がってどこかに移動し始めた。

 ふいと釣られるように二人を視線で追う。自然と足もそちらに向かおうとしたところで服の裾を控えめに引かれ、ぼんやりとしていた意識が覚醒した。


「お姉ちゃん? どうしたの」


「っあ、ああ。好きなものは買えたのか?」


 なぜか不安そうな顔をしているハンナの頭をなでてやれば、うん! とぱっと華が咲いたように笑った。

 ……うん。もういいんだ。お互いの為にも、もう関わらないのが一番良い。

 あれほど孤児院に留まることを固執していた私が自らそのチャンスを逃すなど自分でも不思議な気分だったが、ハンナの笑顔を見た瞬間に凝り固まった気持ちは溶けてなくなっていた。


 悪い夢から覚めたような爽快さだけが頭に残り、ハンナが購入した商品と、譲ってもらったレシピを握り締めて来た道を戻る。

 帰り道、温かいうちにとおまけしてもらった《焼きりんご》なるものを2人で分け合い、それは甘酸っぱくてとても美味しかった。美味しかったはずのになぜか私は泣いてしまい、ハンナに心配をかけてしまった。


「あ、そういえばお姉ちゃんの名前聞いてなかった」


 落ちついたハンナがそんな事を聞いてくる。

 私を捨てた両親からもらった名はとうに捨てた。

 ヤンシーの名前はヤンシーのものだから、名乗るのはもう止める。

 これから何という名にしようかと目線を上げると、ある看板が目に入った。


「……ピムズ・レモネード」


「え?」


「いや。私の名は、レモネだよ」


「そうなんだ!」


 じゃあこれからレモって呼ぶね。早く帰っておやつ食べよう! と、先程食べたばかりだというのに、買ったおやつが楽しみで仕方がないと走り出したハンナの後を追った。



 ****



「追って来なかったんすねえ」


「……」


 スラウの家族を奪取したのは一昨日のこと。

 すぐにでもこの街を脱出したかったが、孤児院の手先が門兵に紛れ込んでいるとヴィラからの報告があった。

 そんな中自らのこのこ出て行って捕まりに行くわけにもいかず、あちらが諦める兆候を見せるまで待機しようという事になった。

 幸い宿の場所も割れていないし、顔を知られているのはあの赤髪の男だけ。あの男は目元を隠していたし、顔を知られたくないのだと思う。

 昨日は顔が知られていない兵士数人で買い出しに行かせて、誰一人欠ける事なく無事生還出来たことを祝い、ささやかな打ち上げで皆を労った。


「2人はどうしている?」


「あ〜。ヴィラはまだ少し怯えてるみたいで、先輩達が宿に連れて行ったっす。んで、カンラは……」


「……ああ、そういうことか」


 ちら、と2人が俺の頭上に視線を向けて溜息をついた。

 俺が屋台で顔馴染みになった客の相手をしている時、後方にいたヴィラがカタカタと震え出したのだという。

 顔馴染みの客は俺と同世代の女の子だったが、その背後に中性的な顔をした女性がいて、先にその事に気づいたヴィラが「やだ、やだ……」と涙目になっていたと言っていた。

 相手に見つかる前に隠れたかったがショックでなかなか動けないヴィラ。周囲にいた兵士は何があったのかわかるわけもなく、5歳のカンラでは年上のヴィラを連れ出すことも不可能だった。


「どうします? まだ見張っておくっすか」


 2人の様子で何かを勘づいた兄は客である女の子と中年女性を尾行し、ヴィラとカンラを宿に戻すように兵士達に言付けた。

 後でそれを知らされた俺も屋台が終わり次第、ランパード達と共に兄の元へ駆けつけたが、特に目立った行動はなかったらしい。


「なぁカンラ」


「にゃあ!」


「……いや、悪い。その姿では話せないのを忘れていた」


 兄は俺の頭の上に乗った小さな白猫、つまりカンラに話しかけようとして、元気な猫語が返って来た。

 シリアスモードに入っていた兄は顔を赤らめて少し恥ずかしそうにしていたが、俺達は何も見なかった事にしておく。だからカンラ、お前も空気を読んで兄様の頬っぺたを肉球でぷにぷにするのはやめたげてえええ! 「にゃ、にゃっ?」……あーもう、あざとかわいいな!


「まあその、なんだ。父上とも後で話し合うが、予定を変更して、明日にでもこの街を出る事になると思うから荷造りはしておくように」


「え? 門兵に紛れこんでいる人達は大丈夫なんですか?」


「ああ、言ってはなんだがこの街の警備はザルだ。賄賂でこの街を突破出来た事を思えば、帰りも同様になるだろう。門兵にいる者達も少し観察していたが、上に言われて嫌々やっているのが丸わかりだったよ」


 警戒するまでもなかったと兄は苦笑していた。

 なら、特に父の反対がなければ明日はこの街を出て皆で村に帰る事になるだろう。


「わかりました。じゃあ僕はお店が閉まる前に村の皆にお土産を買って来ます!」


「は?」


「ランパード、荷物持ちよろしく! お駄賃は買い食い5件までで!」


「えっ? いいんすか!?」


【無限鞄】は人前では使えないので、燃費は悪いけど兵士一力持ちなランパードに荷物持ちを頼む。常にお腹を空かせているランパードは買い食いが出来る事に大喜びだ。

 お小遣いは、屋台でかなり稼げたから村の運営費に充てて欲しいと父に任せたのだが、これくらいは自分の為に持っておけと貰ったものがある。

 家族やじーちゃん、師匠にもお土産を買いたいし、ミルクにも新しい調味料や食材があれば買って帰りたい。あまりない機会なので凄くたのしみである。

 カンラは見つかったら不味いから兄と一緒に宿に戻っていて貰うつもりだったが、胸元のポケットにするりと入ってきたのでそのままにしておいた。


「じゃあ街の案内を頼むね。ヴィラも元気がないみたいだし、カンラはヴィラが喜びそうなものを選んでくれる?」


「んにゃっ!」


 街の店の閉店まであと少し。

 残り時間でどれだけのものを安く、大量に購入出来るかの勝負だ。

 夕暮れ時には大量の戦利品を持ち帰り、ほとんど金を使い果たした事に呆れられたが俺に後悔はなかった。


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