28話 幻の××
「あのぅ」
起床から少し経った頃。
領民にとっては待ちに待った、村の東側に移動した農場と養鶏場の世話をしていた時の事だ。
ギィと扉が開く音がして、遠慮がちな声にその中にいた全員の視線が向いた。
「……んぁ? 誰だおめえ」
「わ、私はスラウと申します」
「おっちゃん誰ー? この村の人間じゃないよね」
そこにいる大半は子供だったので、好奇心旺盛な者から先に手に持っていたものを投げ出してワッとその人物を取り囲んだ。
「ねーねーねー! おっちゃん誰ぇ?」
「この村に何しにきたのー?」
「楽しいもの持ってる?」
「……ゔ、あ、私はその」
十数人以上の子供に一斉に質問攻めに合う男。
しばらく身を清めていないのか清潔とはいい難い出で立ちであったが、子供に狼狽える姿からは敵意は感じられなかった。
「あ〜っ、とりあえずオメェら散れっ! 仕事しなきゃ玉子も牛乳も貰えねえぞ」
「それはだめーっ」
それを不憫に感じた大人が子供達をしっしと追い払えば、きゃー、っと散っていく。
子供達が仕事に戻ったのを目で確認してから改めてその男に視線を戻すと、男は挙動不審に目を泳がせていた。
「スラウと言ったか」
「あ、はい」
「この村に何の用だ?」
子供から解放された事で、ホッと息をつくスラウを村の男が睨みつけた。
睨みつけられたスラウは狼狽え、慌てて自分の用件を伝える。
「ちが、違いますっ! 私はただこの村の責任者の居場所を尋ねたかっただけで」
「責任者だとぉ?」
「……え、ええ」
スラウは正当性を訴えたかったのかもしれないが、村の男からすると怪しい事この上ない。
そこに居た五、六名の男達は先程の子供達に倣うように、スラウをザッと取り囲んで行く。
怪しいこの男を領主一家に会わせるわけにはいかない。
なんだったらこの男は、先に兵士に伝えて引き渡した方がいいのかもしれない。いや、それなら長男様に気づかれる可能性がある、今すぐこの村から追い出した方がーー。
自分の目の前で行われている物騒な会話に、スラウは顔を蒼ざめさせた。
「ちょっ、待って下さい! 私はーー」
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「料理長に会いに来たのですか?」
「……はい」
「ミルク、この方は知り合いですか?」
「いいえ? そもそも私は孤児院出身ですし、知り合いは数えるほどしかおりません」
「んん〜?」
ミルクが言っている事が本当なら、スラウは知り合いではないミルクに会いに来た事になってしまう。
どういう事かと頭を捻っていると、父がスラウと名乗った男の目を覗き込んだ。
「おい、あんた俺とどこかで会った事がないか?」
「ッ、いいいいえ!? そんなことは」
「おや、父上もでしたか。 私もどこかで見た事がある気がしていたんですよ」
「……あぅ、あの、その」
「「…………」」
アウトだこれ。
大袈裟なほど頭を振りたくって、目が泳ぎまくるスラウの下手な嘘に、半目になった家族みんなの心がひとつになった瞬間だった。
そして母は誰よりも早くにっこりと笑い、
「とりあえずお話を伺いましょうか?」
と、とどめを刺したのである。
「まず、“スラウ” さんは本名でいいんですか?」
「…………はひ」
「うちのミルクに何の用が?」
「ミルク殿が、そのぅ、幻のパンの生みの親だと聞きまして」
「「幻のパン??」」
スラウは一体何の事をいっているのか。
この村でパンといえば天然酵母のパンくらいしか思いつかないが、その事なのか?
よく分からなくて両親を見つめると、二人は俺同様にきょとんとしていた。
ならば兄二人はどうかと反対側に視線を変えると、サフライは同様にきょとんとし、ガハンスの顔はポーカーフェイスを保ちつつも少し強張っているのがわかった。
「えーっと、スラウさん。 幻のパンとはなんでしょう?」
「……幻のパンをご存知ないのですか?」
だから知らんから聞いとるんだ。
何故かスラウまできょとんとしてしまい、どうしたものかと思っていると当人のミルクがぽつりと喋り出した。
「そういえば以前カミル殿から……」
「えっ、あるの?」
「いえ! 私はてっきり、冗談かと思って」
額からダラダラ汗を流すミルクは何かの言い訳のように慌て出した。
天然酵母の製造からふわふわパンの完成まで管理をしているミルクは、以前、伯父から天然酵母パンの商品名について相談を受けたそうだ。
天然酵母なんて言っても誰もわからない。むしろ消費者に怪しまれ、売れ行きが悪くなりそうな “天然酵母パン” のネーミングは止めて、他に良い商品名はないのかと。
ふわふわパンは分かりやすいが、インパクトに欠ける。インパクト重視なら、“幻のパン”はどうでしょう?どうせ大量生産は難しいのだから、それを逆手にとって希少価値を高めてしまいましょう。それはいい、そうしよう。と、そんな風に二人で盛り上がり、決定したようだ。
「……言われてみれば、確かに私も兄に同じ相談を受けた事があるな」
「私も覚えているわ。確か貴方はその時、製造者であるミルクに相談をしろと投げていたものね」
「…………」
案に面倒だったからミルクに投げたのだろうと母に暴露され、頭が痛そうに顔をしかめた父。
この際、ご大層なパンのネーミングセンスについてはどうでもいいが、そんなことでスラウは遠路遥々この村までやって来たのか?
「えぇっと。 父様とガハンス兄様は、スラウとどこであったか思い出しましたか?」
「うーむ」
「どこだったかな」
ウンウン唸って思い出そうとする二人。
対してスラウは、一貫の終わりだと顔を蒼ざめさせ、しばらくすると諦めたように呟いた。
「…………蛇達の飯屋」
「「それだっ!」」
「その名前もどうなんだ?」
蛇の集合体だなんて客の足が遠のきそうだ、といちゃもんをつけるサフライをスルーして、記憶が繋がったらしい二人はパッと顔を上げた。
「王都の下町で一番の料理人が、なんでこんなとこにいるんだ!?」
「懐かしいですね! 騎士団の訓練帰りによく食べに行ったものです。ところでお店はどうしたんですか?」
「確か妻子がいたよな。 店は任せて来たのか?」
「ゔぁ、あの、そのぅ……」
怒涛の質問責めに合い、気が弱いのかオドオドし始めるスラウ。 二人に言わせればそれも昔からの事のようで、 妻子はどうした、おいおいまさか黙って置いてきたのではなかろうな、と父がスラウをからからと揶揄った。
「それで、ミルクに用だったか」
「あぅ、はい」
「残念だがあのパンは商人と専属契約しているから、売る事も作り方を教える事も出来ないぞ」
「そんなっ!? こ、困りますっ」
スラウはバンッとリビングのテーブルを叩いて立ち上がり、先程までの弱気な態度が嘘のように強気な口調に切り替わった。
「そ、そのパンがなければ、私の妻と子供は……っ!お願いいたします! お金は何年掛かっても、どんな事をしても返します! だから、だからどうか私に慈悲を下さいっ」
「「…………」」
フローリングに跪き、地面に頭がつく寸前まで下げてパンを売ってくれと乞うスラウ。
俺たちと言えば呆気に取られて、目を剥くしかなかった。
「何か、厄介な事に巻き込まれているようだな」
「私には、もう後が、無いのです……っ」
途端に両目からボロボロと涙を流し、父に縋り付くスラウ。
彼の追い詰められた姿は、初見の俺にも胸が痛く感じた。




