第一話 あかつきのひかりに A-3
A-3
漆黒の霧がアスファルトを呑み込み、呑み込んだ端から消していく。
霧に呑み込まれたビルも歩道橋も、がらがらと霧の中で崩れていく。
「どーゆーことだっ」
「『彼女』はもういないのに?」
ぱんっ、と音をたてて、ミツルギの鋼槍が弾けるように消えた。
さっきまでは迂回していた霧が、体積を増し、一気に呑み込んだのだ。
「くっ、う――」
ミツルギが心臓を押さえて、悲鳴を堪える。
『ロゴス』のダメージはそのまま本人に還る。
ぐらり、と倒れ込むミツルギに、黒い霧が迫る。
「ミツルギ ! 」
右腕を突き出して金狼を放つ。
ビーム砲のように霧を貫くが。
穿った痕は、即座に元に戻る。
それでも。
駆け寄るだけの時間は稼いだ。
「ミツルギ ! 」
「コ……ウ――」
瞬間的に心臓が止まったのか。薄く開いた唇にチアノーゼが出ている。
「動けるか。逃げるぞ」
背中に腕を回して、半身を抱き起こした。
「無理、足が……動かない」
「肩に乗れ」
左肩に担ぐと同時に、右腕で金狼を放った。
スクリューのように霧を巻き込みながら突き抜けていく。
ほんの数秒程度の時間稼ぎ。
こめかみから汗が落ちる。
立ち上がりざま、もう一発。
眼の奥が一瞬ブラックアウト。
歯を軋らせて踏みとどまる。
「コウ――」
ミツルギの声が背中で聴こえた。
「だめ……よ。それ以上は『虚無』に堕ちるわ」
「呑み込まれれば、どのみち同じだ」
肉体ごと消失する(死)か――
自我を消失する(精神死)か――
の違いでしかない。
「あたしを……」
「置いてけ――なんてぬかしやがったら、はっ倒すぞ」
「置いてったら許さないわよ」
「今一瞬だけそうしようと思ったよ」
強烈な向かい風に顎が上がる。
眼を細め、背後を振り返れば。
霧に向かって風が吹き込むのが見えた。
「まさか――」
空気を消したのか。
真空と化した空間に風が吸い込まれていく。
その風も。霧に触れて、消える。
漆黒の――
霧と言うよりもはや爆煙のようにあらゆるものを呑み込み膨れ上がっていく様に。
ごくり、と息を呑み。
右腕を伸ばした。
その腕に。
ミツルギの手が重なった。
「置いてったら許さない」
「――」
肩から降りて、背中に抱きつくようにして、白い手を伸ばしてくる。
「胸、あたってるんですけど」
「この状況でそれ言う? もっとマシな言葉聴きたいけど?」
「わりぃ。頭、働かねえ」
「まあいいわ。らしくて」
ふ、と口に含むような笑い声に、悲鳴のような風の音が重なる。
「限界ぎりぎりまで『ロゴス』を放出しろ。全部まとめてぶち当てる」
「りょーか――っ」
ミツルギの身体が、ずるり、とくずおれる。
「コ、ウ……?」
「わりぃ」
ミツルギの鳩尾に打ちこんだ左肘を引く。
限界ぎりぎり――?
そんなコントロール。
機械じゃあるまいし。
できるわけがない。
「おれのだけで充分だよなあ」
あの霧は。
死に際の女性が放った『ロゴス』だ。
その一瞬で『虚無』化するほどの。
全身全霊の『ロゴス』(叫び)だと言ってもいい。
ならば。
こちらも全身全霊をぶつけるまでのことだ。
手首のレザーバンドを口許に持っていく。
媒体を使わずの『ロゴス』の具現は歯止めが効かなくなるが。
あの霧と相殺させる。
口に咥えて、レザーバンドを引きちぎった。
視界が金色に染まる。
咆哮を放って『ロゴス』を具現化しようとし――
直前で抑えた。いや。抑えられたと言うべきか。
視野を掠めた飛翔体に意識を乱された。
黒い球体が、漆黒の霧に飛び込む。
ひとの拳ほどの大きさだったが。
霧の中で停止したそれは。
黒い稲妻を放ちながら。
瞬時に膨れ上がった。
霧を吸い込んで。
一瞬で凝縮し。
黒点と化し。
消失した。
『ロゴス』だということはわかったが。
「誰が出した?」
球体の飛来方向。背後のビルに眼を向ける。
屋上のフェンス越しに、人影が見えた。
距離がある。黒い影しか見えない。それなのに。
思いっきり見下ろされている気がした。
「誰だ――?」
「……」
何も言わず、人影が踵を返す。
「待て――」
がくん、と膝が折れた。全身を襲う虚脱感。
遠のく意識に手を伸ばしたが。
ふっつりと糸が切れた。