第ニ話 神ひかりあれと B-3(2)
B-3(2)
「すげえ。何だ。あれ――」
「蜃気楼か」
「山なんてどこにも無いのに?」
「なあ。あれ。近づいてきてないか」
きぃん、と耳鳴りのような音が響いた。
《すっとぼけた貌で見てんじゃないわ》
凛、とした女の声がスピーカから響き渡った。
《非常事態よ。全員、第一体育館に避難しなさい。生徒も教師も職員も。校内にいる全員が対象よ。逃げ遅れたら護ってあげないんだから。今すぐ動きなさい。――あたしが誰かですって?》
ざわめく空気を感じたのか。女の声に、ふっ、と鼻で笑うような響きが混じった。
《ミツルギ・ミハエラ・スヴェトラーナ。この学園の――女王よ》
「ジン君」
「ああ」
ジンの胸ポケットからアンリが貌を覗かせている。
胡桃のような眼が、ジンの貌を見上げている。
ジンの左手に漆黒の銃が現れた。
発射された漆黒の銃弾が、空に浮かぶ逆さまの山を前に膨れ上がった。
ぐにゃり、と山が歪み、漆黒の球体に吸い込まれていく。
ふ、と漆黒の球体が消えた。
そこには。
青白い雪肌の。
山の姿が変わらずに浮かんでいた。
「なるほど」
「ジンさん――っ」
屋上から降りてくるジンに、ミツルギが駆け寄った。
シルバーフォックス色のセーラー服。リボンは臙脂色。画一的なデザインだが、ミツルギのスタイルをスポイルするものではない。すらりと長い手足。
「派手な啖呵だったな。女王さま」
「学校を護ってくれってコウが言うから」
ミツルギの息は乱れていた。ここまで走ってきたのだろう。
「ジンさん。みんなをお願いしていい? コウがジンさんにお願いしろって。自分のことはいいからって――」
「コウらしいな」
黒塗りの眼が体育館に動いた。
開いたままの入口から、不安よりも好奇心に満ちた幾つもの貌が覗いている。
「コウに伝えろ。上空の『ロゴス』は虚像だと」
「虚像?」
「実体は別に存在する」
「別? あ。あの写真」
「写真?」
「パネルの梱包が解かれた瞬間に『ロゴス』が出現したの。あれが実体なんだわ」
ミツルギが決めつける。
ジンは眼を細めたが、
「実体を破壊しろ。できなければ――」
「できなければ?」
「具現者を殺すことになる」
「そんな……」
「実体が消えない限り、虚像は消えない。――見ろ。虚像でも侵食力は半端ないぞ」
青白い雪山が、空を覆わんばかりに広がっている。
周囲の雲塊が、渦を巻きながら、雪山に引き寄せられていくのが見える。
ミツルギの眼が、事態の深刻さに限界まで見開いた。
「行け。時間は稼ぐが、どこまで保つかは保証しない」
弾かれたようにミツルギが身を翻した。
「サ、サカシマ先生――」
恐る恐るという声に、ジンが振り返った。
コウとミツルギの担任にして学年主任のツチヤが立っていた。
「何が起きているのですか。非常事態というのはどういうことですか。あれは一体――」
怪訝げな貌を上空に向ける。
「蜃気楼ですよ」
平然とジンが嘯く。
「何を言っているんですか。蜃気楼というのは――」
「ええ。これは異常現象です。上空を飛んでいる物体が見えますか?」
「物体? ああ。鳥ですかね? 幾つも見えますが――」
がしゃん、とツチヤの背後に何かが落下した。
昆虫の蜂に似た偵察型ドローンだった。落下の衝撃で頭部が粉砕している。
奇妙なのは、背部と四枚の翅がどこにも存在しないことだ。
がしゃん、
がしゃん、
次々と落下してくる。四散するパーツは、その一部、あるいはその半分以上が存在しなかった。どこかに飛び散ったというより、最初から無かったかのように、どこにも見当たらない。
「消えたのですよ。あれに触れて」
平然と、変わらぬ口調でジンが言う。
あまりの変わりなさに、ツチヤが呆然とする。
だが、すぐに状況を理解したのか、その貌が恐怖で歪んだ。
空に広がる蜃気楼。最初に見た時より大きくなっているのは、近づいているからだ。
体育館の入口から貌を出していた生徒達がざわついた。
「おい。聴いたか」
「消える? って言うか。つまり。消されるってことだろ?」
「あれが落ちてきたら」
「きてるじゃん」
「き……」
「騒ぐな。どのみち逃げる時間は無い」
ジンの声が無情に響いた。
全員が、しん、と言葉を失くす。
「入って扉を閉めろ。――ツチヤ先生」
「は、はい」
「誰も外に出さないように。出れば、命の保証はしない」
黒塗りの眼をまともに見たからか。ツチヤが声も無く頷く。
あるいは。
漆黒の新任教師の動じなさに、この男に任せれば、と思ったのか。
ツチヤが体育館に入り、内側から扉を閉めた。
ジンの両手から、黒い鋼球が垂直に飛翔した。
数十の鋼球を黒塗りの眼で見上げながら、ジンの口許に薄い笑みが浮く。
「避難場所にドーム型を選ぶとはさすがだな」
第一体育館に集めたミツルギの功績を讃える。
円型の体育館を中心に、黒い球体が高速で公転軌道を描き始めた。




