第ニ話 神ひかりあれと B-2(2)
B-2(2)
「――で。なんでミツルギまで来てんだ」
「置いていこうとしてもそうはいかないわ」
「置いて――って。おまえな」
「ジンさんと何をしてるの?」
貌を寄せて、ミツルギが囁く。青い眼が真っ直ぐに見つめてくる。
子供のようにそらそうとしない。
この眼の時はごまかすことはできない。
「後で話す」
同じように囁いた。ミツルギの口が何か言いたげに震えた。
「約束する」
ふ、とミツルギが息を吐いた。
「……いいわ」
「僕としてはどうしてカミクラがついてくるの――だけどね」
鍵を開けながらカンシタが笑う。
「あ。え~と。あれだ。もう一度おまえの写真を見たかったからだよ」
「へえ」
「コウって嘘が下手よね」
「おまえな」
ミツルギは拗ねた子供のように横を向いている。
人差し指で額を掻いてから、カンシタに眼を向けた。
「わりぃな。カンシタ。いずれ説明するから」
「僕はいいけど」
くすり、とカンシタが笑う。
「なんかカミクラって保護者みたいなとこあるよね。ミツルギさんもだから甘えるのかな」
「は? 甘える? ミツルギが?」
「カンシタ君。何を言ってるのかな」
ひんやりとした声。
「あ。いえ。すみません」
カンシタが逃げるように部室のドアを開けた。
昨日と同じ、時の止まった空間が眼の前に広がる。
「すご……」
ミツルギが視線を巡らす。
カンシタがPCの横にカメラのキャリーバックを置いた。
パネルを持って、窓に近づく。窓は無い。板が打ちつけられている。
「昔の写真部の名残りだよ。光を遮断して、フィルムを現像したんだ」
「フィルム?」
「光に反応する感光材が塗られている。光が強ければより強く、弱ければ反応も弱い。光の有と無の間には無限の段階が存在し、フィルムの感光材はその無限を捕える。画素数に換算すると2000万画素を超えると言われている」
「へ、へえ?」
「感光核というものがあってね」
「核?」
「感光材に光が当たると、感光核が電子を捕えるんだ。帯電してイオンと結合し、原子を生成する。この原子の集合体が画像になるわけだけど、それを眼で見ることはできない」
「……」
「だから。現像液に浸して、像を眼に見えるようにする。像が現れてくるから、『現像』って言うんだ。なんか『ロゴス』を連想するよね」
「おまえ――」
「なんて貌してるの。僕、変なこと言ったかな」
いつもの貌でカンシタが笑う。
ミツルギの手が背中に触れた。
「おまえ。『ロゴス』について何を知っている」
「普通に。言われていることしか知らないかな」
パネルの梱包を解きながら、カンシタが言う。
「イメージを具現化する。あるいは、意思や言葉を具象化する。それは神の力なり。おお。神よ。我ら神の子らは『ロゴス』を眼にしているのだ。――だったかな? 神学者でもあった科学者の言葉が世界に広まり、具現化する力そのものと、具現化された現象の両者が『ロゴス』と呼ばれるようになった。その程度だよ」
「その話には続きがあってな」
「続き?」
「コウ」
「神ならば無から有を創る。だが人が神の力を真似ても、所詮はまがいものに過ぎない。すでに存在する物質を核にしなければ、『ロゴス』を創れない。『ロゴス』の具現者が『ロゴス』を創れば創るほど、現実世界は侵食される」
「ふうん」
「あまり驚かないんだな。特A級の機密情報だぜ」
「写真撮影は化学反応だからね。無から現れるものじゃない。『ロゴス』もそうだ――と聞けば、ああ、やっぱり、って思うだけだよ」
「具現者だから驚かないのかと思ったぜ」
「僕は違うよ」
「僕は?」
「尋問みたいだね」
くすり、とカンシタが笑う。
「僕の父さんがそうだったらしいよ。小さい頃に離婚してるから記憶は無いけどね」
始業のチャイムが響いた。
旧館には普通教室は存在しない。化学室があるが、1時間目から使われることはない。
人の気配は感じられなかった。静かな校舎にチャイムの音だけが響き渡る。
「さすがに戻らないとだね」
「そうだな」
カンシタの視線が、思い出したようにパネルに落ちた。
紐は解かれていたが、パネルはまだ包装紙に包まれたままだった。
細い指が紙と紙の間に入り、ぺり、とセロテープを剥がした。
「さっきのフィルムの話だけど――」
静かな声。視線を落としたまま言う。
「現像されたフィルムはネガと言ってね。被写体と明暗が逆転している」
「逆転?」
「光は黒く。闇は白く」
「……」
ぺり、と別のセロテープを剥がす。
「だから今度は印画紙を感光させる。ネガに光を通して、印画紙に当てる。光は、黒い部分は通らず、白い部分で通る。通ってくる光の量が多ければ多いほど、印画紙は感光して黒くなる。ここで明暗は反転し、現実の被写体と同じ画像が浮かび上がる。――いや。同じ、じゃないな」
口調が変わった。
「この時、色も明るさも変えられる。引き伸ばすこともできる。写真家が作家になれる瞬間だよ。写真家の意思が、画像を創る」
さながら――と続ける。
「神ひかりあれと――の瞬間だ」
包装紙がパネルから離れた。
闇の底に沈み、輪郭さえはっきりしないビル街。
その上空に浮かび上がる逆さまになった山々が。
神々しいまでの光に包まれている。
青白い雪肌に光の粒子が踊り。
砂金が触れ合うような音をたてた。
音をたてる?
写真が――?
無数の時の止まった空間で。
どくん、と空気が震動した。