第ニ話 神ひかりあれと A-2(4)
A-2(4)
放課後の校内は解放感に満ちていた。
すでに卒業式は終わり、三年生の姿は無い。
春休みまで二週間ともなれば、毎日が週末気分だ。
グラウンドから、金属バットの響きと野球部の声が聴こえてくる。
音楽棟からは吹奏楽部の『威風堂々』。
入学式の定番だが、ジャズ風にアレンジしている。
今年はこれでいくのだろう。わりと自由な校風である。
旧館からはエレキの音。たまにリズムが狂う。
音を外された時よりも、リズムの狂いの方が耳障りだが。
合間を縫って響くランニングの声。剣道部の竹刀の音。
雑多な音と声が混ざり合い、そのうちどうでもよくなってくる。
「コウ君。部活は何ですか?」
左肩で、アンリが口を開いた。
肩に坐らせ、落ちないように髪の毛の端を握らせている。
「ん。ああ。帰宅部だよ」
「そうなんですか。何かスポーツをしていると思っていました」
「いつ監視室から呼ばれるかわからねえからな。チームプレイは迷惑かけちまう」
「……ごめんなさい」
「あやまることじゃねえよ」
「ミツルギちゃんもですか?」
「あいつは料理部だ。スイーツ専門のな」
「趣味と実益って感じですね」
「食べるばかりで作らないけどな」
「え。でも。この前、ティラミスを作ってくれましたよ」
「プライベートではな。料理部も大会があるから、メンバーにならないようにしてるのさ」
「……」
「そんな貌すんな。学校に通えるだけ、おれ達は恵まれているよ」
窓の縁に手をかけて、グラウンドを見下ろした。
左手側で野球部が、右手側でサッカー部が練習している。
陸上部は見当たらない。競技場まで行っているのだろう。
視線が遠くなったのかもしれない。
「部活。やるなら何をしたかったですか」
アンリが言った。静かな声だった。
「野球かな。ショート。一番打者で」
「似合いそうですね」
「だろ」
「カミクラ君――」
名前を呼ばれた。
振り返ると、男子生徒が三人いた。ひとりはイグチだった。同じクラスだが、あまり話をしたことがない。他のふたりは学年は同じだが、貌しか知らない。
イグチは手ぶらだったが、ふたりはフィギュアの専門誌を手にしている。表紙の写真は少女をモデルにしたフィギュアばかり。軽く口許が引きつった。
そう言えば、『人形フェチ』と言ったのはイグチだったな――と思い出す。
「なんだよ」
「可愛いねえ。その子。ちょっと触らせてもらえるかな」
生身の少女に言ったら犯罪ものの台詞を口にする。
ジンでなくても、近づける気にはなれない。
「わりぃな。超高級品なんだ。壊れやすいんでね。遠慮してもらおうか」
「大丈夫。ぼく達はプロだよ」
「(なんのプロだよ)いや。だから――」
コツン、
(コツン?)
硬い音に、視線を落とした。
黒い鋼球が廊下に落ちていた。
「(げっ)これは――」
「コウ君のポケットから出てきましたよ」
(さっき近づいた時に入れやがったな)
ジンの鋼球だった。
独楽のように自転している。
直径10ミリほどの球体だが、鉄よりも重いだろうことは動きでわかる。
球体が回転を始めた。イグチ達の前で、滑るように円軌道を描く。
速度が上がった。
軌道圏内に侵入したものを攻撃するつもりだ。
(あの馬鹿。高校生を殺す気か)
「なんだ。これ。廊下が歪んでるのか」
イグチが腰を折り、手を伸ばした。
「待て。触るなっ」
イグチが貌を上げる。
怪訝そうな貌に、くそっ、と思う。
「アンリ――に触るな。こいつは、え~と。あれだ。『俺の嫁』だっ」
「おお~っ」
イグチの背後で、フィギュア専門誌を持ったふたりが声を上げた。
頼むから、眼を輝かせないで欲しい。
少しばかり驚いたようなイグチの貌に背を向ける。
そのまま逃げるようにダッシュした。
ひゅう、と風を切る音が聴こえた。
鋼球が追尾してくる。思った通りアンリから離れない。
廊下から宙に浮き上がっていた。
弧を描きながらポケットに戻ろうとするのを、右手で受け止めた。
手の中で、ぶぶ、と震動する。
押さえつけるように握り締めた。
(こんな機雷みたいな『ロゴス』を仕掛けやがって。なに考えてやがる)
いや。もしかしたら。
アンリのことしか考えていないのかもしれない。
アンリを護るためなら。
高校生を傷つけることもお構いなしというわけか。
(当然、おれの評判がどうなろうと知ったこっちゃねえってことだな)
『俺の嫁』発言が明日から学校中に広まるかと思うと、ぶん殴ってやろうか、と本気で考える。
「……く」
左肩で苦鳴が聴こえた。アンリの声だ。慌てて速度を緩める。
「わりぃ。苦しかったか」
「くふふ。『嫁』だって。あはは。苦しいですぅ」
「あのな。誰のせいだと。いや。ジンのせいだな」
「ごめん。ごめんなさい。く。ふ。くぷぷ――」
「たく。『人形』には見えねえなあ」
これでは生身の少女と変わりない。
「なあ。おまえって――」
「カミクラ――」
名前を呼ばれた。