第ニ話 神ひかりあれと A-2(3)
A-2(3)
「ジン。てめえ。よくもやってくれたな」
研究室のドアを開けると、ジンが椅子を回転させた。
革張りのアームチェアだった。長い足を組んでいる。
「何を?」
薄い笑みを浮かべ、黒縁の眼鏡を光らせる。
「アンリをおれのバックに入れただろ。遅刻を見逃したのも、だからだな」
職員室に行かれたくはなかったわけだ。
眼の届かない場所でバックを開けられるという事態を避けたかったに違いない。
「おかげでなあ。おれはロリコンだの、オタクだの、人形フェチだのと変態扱いだ。どうしてくれる。責任とれ。この野郎」
「なるほど」
「なにが、なるほど、だよ」
「おまえが意外と女子の人気者だということがわかった」
「は? どこからそうなる。てか、意外ってなんだよ」
「男子の多くは、アンリを自律型オートフィギュアだと思った」
「聞けよ」
「工学技術の粋を集めたものだと思ったみたいだな。素直に感嘆していた」
「無視かよ」
「ロリコンやオタク呼ばわりは、機械工学に関心が薄い者の反応だ。どちらかと言えば、女子に多い」
「偏見じゃねえのか。それ。まあ。確かに言ってたのは女子が多かったけどよ。それのどこが人気者なんだよ」
「女子は興味の無い男が変態だろうと何だろうと気にも留めない。罵ってくれるということは、少なからず想われているということだ。よかったな。コウ」
「よくねえよ。変態のレッテルを貼られたことには変わりねえじゃねえか」
「ごめんね。コウ君」
アンリが口を開いた。
木製のエグゼクティブデスクの上で恐縮そうな貌をしている。
「アンリのせいじゃねえよ。――にしても、調度品がすげえな」
机も椅子も、新任教師に与えるそれではない。
「希望したのは『個室』だけだったがな」
研究室には他に誰もいない。
本来なら四、五人で使う研究室を、ジンのために空けたようである。
「アメリカから来たお偉い先生のために用意してくれたってわけか」
「まさか信じるとは思わなかった」
「おまえな」
経歴詐称かよ――と内心で突っ込む。
「だいたい何だって学校に来てんだ。監視室の指示か」
「監視室はおれに命令できない。理由は無い。来てみたかっただけだ」
「ほんとかよ。そんな人間じみた感情があるとは思わなかったぜ」
「……」
「いや。わりぃ。言い過ぎた。ひとつ、訊いていいか」
ジンが眼だけを向けてくる。
「なんだよ。その眼鏡。似合わねえぞ」
ジンの口許に苦笑が浮いた。
「教育者に見えるかと思ってな。伊達だよ」
「殺戮者に見えるわ。まあ。授業はわかりやすかったけどよ」
「そりゃどうも」
「ジン君」
アンリがジンを呼んだ。
「ああ。――コウ。頼みがある」
「頼み?」
「アンリが校内を見たがっている。案内してやってくれ」
掌にアンリを載せて、ジンが立ちあがった。
差し出されたアンリを両手で受け取った。
「あ~。つまりおれに。『人形』を抱いて校内を歩き回れ――と?」
「そうなるな」
「ばっ――」
か野郎、と叫ぼうとして、手の中のアンリと眼が合った。
胡桃のような眼が、申し訳なさそうに揺れている。
学校に来たがったのはアンリなのかもしれない。
小さな貌に、期待と。諦めに似た表情を浮かべている。
断られても仕方ないと思っているのかもしれない。
「わあった。案内してやるよ。一時間ほどでいいな」
「ありがとう。コウ君」
アンリが嬉しそうに笑う。
「じゃあ。連れてくぜ」
ジンから離れ、ドアに向かった。
「――コウ」
ドアの前で足を止めた。眼を向けると、ジンが近づいてくる。
ジンが近くに立った。研究室のドアを代わりに開けながら、耳元で囁く。
「人形フェチは女子の発想じゃない」
「は?」
「そういうことを考える男をアンリに近づけるなよ」
黒塗りの眼を呑み込んで、ドアが閉じた。