第一話 エピローグ
第一話 エピローグ
穏やかな光の中にクラシックのジャズカバーが流れている。
テーブルに並べられたアンティークな食器。黒一色の細い線で描かれた植物と鳥の絵。
その質素な描線が、彩りも鮮やかなスイーツを引き立てている。
「美味しいですぅ」
人形の声が響く。
「桃のティラミス。初めて食べました。ぷるぷるのゼリーとチーズのハーモニーが口の中でとろけるようです」
「でしょう。こっちはどう?」
「これはっ。生クリームとヨーグルトのコクのある甘みの中に爽やかな香りが。これは何ですか」
「ピスタチオよ」
「ほお~」
窓際の席。二人掛けのテーブルにミツルギと人形がいる。人形はテーブルの上だ。
サンテラスのように突き出したスペースは、店内の他の席からは死角になっていた。
そうでなければ、ケーキを食べて喋る人形がいる――と騒ぎになっているところだ。
「あんたは注文しないのか」
ジンの前には、ミネラルウォーターが注がれているだけだった。
「甘いものは好きじゃない」
足を組み、視線は窓際の席に向けている。
サンテラスには三つのテーブルが置かれていた。いずれも二人掛けである。
窓際にひとつ。入口側にふたつ。
今のところ、ひとつは空席だ。一度男女のペアが入って来たが、ジンを見て出て行った。ジンは見向きもしなかったが、長身の黒スーツ(シャツまで黒い)は他者を威圧すると知るべきだ。
「好きでもないのに付き合ってんのは、あれか? アンリのためか」
「――」
ジンが眼だけを向けてくる。人形と呼ばなかったからだろう。
「ああ。ミツルギが名前で呼ぶから、ついな」
「そうだな」
それが、アンリのためか――の問いに対する答えだと知る。
「あれだな。あんた。彼女ができたら言いなりになるタイプかもしれねえな」
ジンが無言で肩をすくめる。
何とでも言え――と言いたげである。
黒塗りの眼は変わらなかったが、最初の時よりも拒絶感が薄い気がした。
「あの子供だけどな――」
口を開くと、ジンの眼が動いた。
「母親が死ぬところは見てなかったらしいぜ。REMUが監視カメラの画像を解析した。襲われた時には一緒にいたが、うまいこと逃げたらしくてな。子供が隠れた路地裏からだと、現場は死角になっていたそうだ。母親が喰われたところも、おれが母親の身体を吹き飛ばしたところも、あんたの『ロゴス』も見ていない。――気づいてたって貌だな」
「おれの『ロゴス』に反応しなかったからな」
「それでか。天を撃て――と言われた時は、正直、何を考えてるんだと思ったが。せっかく治まりかけてんのに、おれとミツルギの『ロゴス』を見せたら、元の木阿弥じゃねえかってな。あんたには、わかってたってわけだ。なんだってあんなことをさせた」
「光を見せてやりたかった」
ジンが言う。
闇のような眼が窓の方に向く。
「光を?」
「母親の死を見ていなくても。あの子供はあの黒い霧を見たのだろう。いくら親子とはいえ、見てはいないものをあそこまで再現することはできない」
「見たとしたなら、爆煙のように膨れ上がった時だな。ビルよりも高くなっていた。あれならどこの路地からでも見えたはずだ」
「いずれにせよ、何もかも呑み込み、消し去ろうとする『力』の具現化をあの子供は知ってしまった」
「――」
「男達に襲われた恐怖。母親とはぐれた不安。喪失感。夜の闇。その状況で目撃した黒い霧。この先、フラッシュバックがあるかもしれん。その時、一瞬でもいい、光を思い出せば、二度と黒い霧を生み出さずに済むかもしれない」
「それは。そうであって欲しいな」
真摯に願う。
ジンはもう何も言わなかった。
黒塗りの眼が映すのは、外の光ではないだろう。
この男が見る光は――
「アンリちゃん?」
ミツルギの声。
立ち上がって、窓際の席に向かった。ティーカップの近くでアンリが横になっていた。
猫のように背中を丸め、両腕、両足を投げ出している。
眼を閉じていた。
小さな口に生クリームがついている。
「寝ちゃったのか。――おい。ジン」
振り返ると、ジンもまた眼を閉じていた。
腕を組み、俯いている。
「ジンが寝たからか。やっぱ『ロゴス』だな」
「そうかな」
そっと両手に抱き上げて、ミツルギが言った。
「初めて会った時、この子は動いていた。ジンさんは寝てたのに」
「……」
――何者なんだ。あんたは。あんた達は。
クラシックジャスが静かに流れている。
スイングする4ビートのリズムが、規則的なリズムを刻む心電図を連想させた。
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海の底のようなブルーライトの室内。
透明なアクリルポッドの中に、その少女は眠っていた。
羊水のように満たされた液体の中で、赤みがかった髪の毛が揺れている。
口と鼻を覆う人工呼吸器。
幾つものセンサーコードに繋がれた身体。
心臓のモニターに映る翠色の輝線が、静かな波形を描いている。
4ビートのリズムだった。