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 思いのほか無抵抗だった綾乃を車に乗せる。

黙ったままの彼女に、小野木も黙ったままハンドルを握る。


「あ、先生そこで」


以前教えてもらったコンビニエンスストアを指差す。

相変わらず彼女は自宅を彼に教える気はないようだ。


「いいから、場所を教えろ」

「……」


押し黙った彼女に、小野木は路肩に車を止め、ナビに住所を設定する。

見間違えるはずもない自宅の住所を正確力する小野木に、綾乃が絶句する。


「職員なめんな」


職権乱用にも程があるが、悪びれない小野木はどこか勝ち誇ったような顔をする。

示されたままに車を走らせ、少々入り組んではいるが、綾乃が言うほど複雑ではない路地を進む。

観念したのかおとなしく座っている綾乃は、俯いたままだ。


「ここ?」


一軒家を指し小野木が質問をする。

俯いた顔を上げ、綾乃が小さく頷く。

いつからか随分と放置された駐車スペースに車を入れ、シートベルトをはずす。


「ついたぞ」

「ありがとう、ございます」


消え入るような声で礼を言いながら綾乃もシートベルトをはずす。


「ちょっと、いいか?」


首をかしげ、綾乃が小野木を見上げる。

衝動的に何かをしそうになる自分を押さえつける。

彼女は生徒で、自分は先生だと心の中で繰り返しながら。


「親御さんは?」

「……いません」


今、いないのか、いつもいないのか、どちらともとれるニュアンスで綾乃が返答する。

彼女の親が問題だという噂は耳にしたことがない。

もともと綾乃自体が手のかからない方の優等生だ。

多くの生徒が在籍する中、その親までも全て把握しているわけではない。口の端に登るのは、よほど本人自身が目立つか、問題のあるタイプの親たちだけである。


「お茶、ぐらい出せますけど?」


親のいない家に上がりこむことをためらった小野木に、綾乃は咄嗟に彼の服を掴んで引き止める。

理性ではこのまま帰ってもらったほうがいい、と思ったにも関わらず。


「ああ、じゃあ、ちょっと」


そのまま踵を返したら後悔しそうだった小野木は、反射的に彼女の提案にのる。

もっとも、自分のアパートに生徒である綾乃を幾日も泊めていた、という倫理観の薄れた己の行動は棚上げしたままなのだが。


ひんやりとした、使った形跡があまりないキッチンへと通される。

ここの主をなくしてからは、もっぱらここはお湯を沸かすかせいぜいうどんをゆでる程度だ。

後者も今では電子レンジで片付いてしまう。

ペットボトルのお茶が注がれ、小野木の前に置かれる。

急に喉が渇いていたことを思い出し、勢いよく口をつける。

一気に飲み終わったグラスに、くすりと笑いながら綾乃が新しい茶を注ぐ。


「ありがとう」


綾乃も口をつけ、静かにグラスをテーブルの上に置く。

テーブルを挟んで向かい合った二人は、微妙に視線をそらしながら座っている。

小野木はまじまじと綾乃を観察して、気がついていた変化を事実として受け止める。


「やせたな」

「そう、かな?」


とぼけたふりをして、綾乃が首をかしげる。

細かった腕はさらに細くなり、浮いた鎖骨が痛々しい。

元から華奢ではあるが、さらに彼女から生命力まで削り取ってしまったかのようだ。


「……、もう、こないのか?」


単刀直入に綾乃に告げる。

彼女がこなくなって二ヶ月しかたっていない。

だが、これ以上長くて空しい時間を過ごしたことはない。

いつのまにか入り込んだ彼女の存在は、彼にとってなくてはならないものとなっていた。


たとえ最初は、誰かの面影を追っていたのだとしても。


「迷惑でしょ?」

「迷惑じゃない」

「でも……」


ひっかかるのは、小野木の曖昧な態度だ。

先生でも、友人でも、恋人でもないその振る舞いは、綾乃を戸惑わせる。


握り締めていた手をゆっくりとひらき、息を吐き出す。

覚悟を決めたように口を開く。


「妹、がいたんだ」


その言葉に綾乃ははじかれたように視線を上げる。


「いた、って」

「ああ、死んだ」

「……うん」


綾乃の姉は死んだ。

そして彼女は姉の代わりとなった。


「いなかった、ことになってるんだ」


ようやく、綾乃は小野木と視線を合わせてくれた。

彼女の目の色が好きだ、と関係ないことが思い浮かぶ。

小野木のたったそれだけの告白で、彼女は言いたいことを理解してくれた気がした。

国沢家は梨乃の死をなかったことにして、綾乃は梨乃になった。

小野木家は妹の死をなかったことにして、家族全員で口をつぐんだ。

ゆがみを抱えたまま、それでもなかったことにして小野木の家は存続している。

小野木も、それをあえて暴こうとはしない。

自分だけが妹を忘れないでいればいい、と、強がりながら。


「お墓、参りは?」


唐突に綾乃が口にする。

いくら心情的になかったことにしたとしても、対外的には全てのことは処理してある。

当然小野木の妹も、代々の墓に安置されている。

思い出すのが嫌で、両親は墓参りになどいったことはないのだが。


「一緒に、行きましょう、いつか」


途切れ途切れの提案に、小野木はうなずいた。

かすかに笑った綾乃を、小野木はきれいだ、と思った。








 ワンピースをきた綾乃をつれ、小野木は墓地を歩く。

結局最後の最後でかろうじて振り絞った理性から、小野木は綾乃を部屋へと招くことはしなかった。

生徒と教師。

そんなあたりまえの関係を思い出し、なんとか己を律したのだ。

代わりにあまり使われることがなかった綾乃の携帯が活用されることになった。

文字で、時折は声で交わされるコミュニケーションは、冷静に判断する余裕を二人にあたえた。

綾乃にとっての小野木とは。

小野木にとっての綾乃とは。

卒業すれば自分のことなど忘れてしまうだろう、と嘯く小野木は、それを是とはしなかった。

忘れられたくはない。

そう自覚した瞬間、小野木にとっての彼女の存在はぼんやりしたものからはっきりしたものへと変化した。

そして、今がある。

ちらりと、隣をうかがい、確かに存在する彼女を実感する。

卒業したとたん堂々と小野木の部屋へと入り浸っている綾乃は、家の問題が片付いたわけではない。

それでも小野木のところにいる彼女はくつろいだ様子で、それを受け入れた小野木も後悔はしていない。

綾乃にとって、小野木がどういう存在かはまだわからないけれど、小野木にとってはいつのまにかなくてはならない存在となっていた。

たとえそれが依存だ、といわれようとも、今のところ手放す気はない。

お彼岸のせいか、あちこちに同じ目的の人たちがおり、彼らが悪目立ちすることはない。


「ん?」


記憶にある墓の前にたどり着き、小野木が小さく声をあげる。


「花……」


きれいに活けられた仏花を見て、綾乃は顔をほころばせる。


「忘れられて、なかったんじゃないのかな?やっぱり」


誰が供えてくれたのかはわからない。

友人なのかもしれないし、親戚なのかもしれない。

そして、両親なのかもしれない。

だが、誰かが彼女のことを覚えていてくれている。

その事実だけで小野木は長年ふさぎ込んでいた気持ちが少しだけ軽くなった気がした。

持参した花をさらに押し込み、やけに華やかになった墓の前で二人して手を合わせる。

長く、そうしていた気がした。

気がついたら綾乃は空を見上げ、ようやく立ち上がった自分に気がついて振り返った。


「何食べてく?」


綾乃の手を掴み、右手を握り締める。


「そばは?」

「あ、それいい」


二人は手をつないで歩きだした。

これから、二人の関係がどうなるのかは曖昧なまま。

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