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気がつけば視線が「彼女」を追いかけていることを自覚する。
未練がましい、という言葉が浮いてしまうほど、自分と国沢綾乃には確かな関係性など何もなかったというのに。
「ちょっと、心配ですよねぇ」
「ええ。まあ、思春期のそれならいいんですけどねぇ」
国沢の担任と副担任がそろって彼女のことを話題にする。
成績的に上位にはくるが、目立つことがない彼女のことが上がることはめずらしい。
俯いて、ノートをチェックするふりをしながら聞き耳をたてる。
「ダイエットじゃないですか?あの頃って強迫観念みたいに痩せなきゃって思うし」
新人に近い女性教師が会話へ加わる。
夏休み明けは、生徒に色々な変化が起こりやすい。
それがよいものならば問題にはならないが、長く開放的な夏休み、ということからそういった方面はあまり見受けられない。
国沢に関しては、どちらでもなくただ身体的な症状をとらえ問題視しているようだ。
小野木の家へ来ていた頃に比べると、彼女の体重はおそらく減少しているだろう。遠くから見ているだけの彼にでも、わかるほどに。
彼らの綾乃に関する会話はそれで終了し、他へと移っていく。担任にとってみても、とりたてて問題行動を起こしていない彼女については、微かにひっかかる、といった程度のことでしかない。
第三者から零れ落ちたその名に、嫌なほど脈打つ心臓を落ち着かせる。
自分は、彼女のことを何も吹っ切れてはいない。
きちんと、自覚してしまった。
学内に残っている学生を追い出す作業を押し付けられ、渋々引き受ける。
部活動が盛んではないこの学校でも、それなりに人はたむろしている。
ただおもしろくて時間がたつのを忘れた生徒から、なんとなくその場にとどまっていたものも含めて追い立てていく。校風通り、彼ら彼女たちはにこやかに笑いながら大人しく帰っていく。
「……国沢」
見覚えのある背中に、思わず声をかける。
職員室へ引き返す傍ら、下駄箱付近へと目を向けた。
そこには、ほっそりとはしたものの、何も変わらないように見える国沢綾乃が帰り支度をしていた。
上履きから靴へと履き替え、左手には鞄を提げている。
「あれ?先生、僕は?」
視線が釘付けになりそうな瞬間、聞きなれない声がかかる。
「川崎?」
昨年クラス委員をしていたはずの男子生徒の名をかろうじて思い出す。数学は教えていたものの、あまりなじみのある生徒ではなかった。
その男子が、国沢の隣に立っている。
さも、それが当たり前かのように。
「おまえらも、帰れよ。下校時刻は過ぎてるぞ」
わざと、素っ気無く言い放つ。
自分の中の何かがあふれ出してしまわないように。
「りょうかーい」
綾乃ではない声が返事を返す。
彼女はどこか浮かない表情をして、男子生徒と距離をとろうとしている。
ただの願望かもしれないそれに、気持ちが浮つく。
綾乃は、こちらを一瞥し、くるりと反対方向へと向き、それを男子生徒が追いかけていく。
どこか和むような風景なはずなのに、胸の奥がずきりと痛む。
もう、覚悟するほかはない。
国沢綾乃を、どう捕らえているかということを。
小野木彰人は一人っ子だ、ということになっている。
出来のよい妹がいたはずだが、彼女の存在はいつのまにか消えていた。
それが歪みとなって今の彼を形成している。
どこかで、妹を探して。
妹のような彼女が生を享受していることが気に障った。
その彼女が、小野木にとって今のような存在になったのはいつからなのか。
はっきりと自覚したのち、小野木は不審にならない程度に綾乃の姿を追いかけている。
担当ではない生徒を見かけることは多くはない。まして、優等生である彼女が職員室へとやってくることもない。
渡り廊下から、授業中の教室から。
まるでストーカーだと、自嘲しながら彼女の姿だけを追い求めていく。
そして、彼女のとなりには、あの男子学生がつきまとっていることに気がついてしまった。
どこまでも迷惑そうな顔しかしていない綾乃に、ほっとはするものの、やはりおもしろくはない。
ときたま友人たちが間に割って入るのを喜んでしまうほど、綾乃の後ろに少年がいた。
おそらく、そういうことなのだろう。
同じ生徒同士ならば、ほほえましいものだ。
おまけに、相手も綾乃同然の優等生なのだから、お似合いだと誉めそやす大人もいるだろう。
それにどうこう言える立場ではないことも認識している。
だけど。
思考がループにはまる。
自分は、彼女をどうしたいのか。
今の少年は、おそらく綾乃には受け入れられない。
喜ばしいことだ。
だが、これからもそうであるとは限らない。そして、決して自分がその立場に立てることはないのだと。
今までさんざん自らがそう扱ってきたように、彼女も小野木のことなど忘れ、大人になっていくだろう。
高校時代の思いなど、一過性の熱にしかすぎない。
そう吐き捨てた自分の言葉が突き刺さる。
一番近くに立っていたはずなのに、自らそれを手放したのは自分だ。
立場を捨て、彼女の手を再び取る勇気もないくせに。




