石の上の王様
わたしのパパは、よわっちい。
ママに怒られてばっかりだし、わたしのことを怒ったことなんて一度もないし、いつもヘラヘラ笑っているような表情をしているし、お隣さん家の犬にはいつも吠えられるし。
よわっちいし、全然かっこよくない。
だけど、石の上のお城に乗っているときだけ、パパは「王様」になる。
*
わたしの学校とパパの会社がお休みの日曜日は「お散歩の日」だ。
「健康のためにはウォーキングをすべし」がモットーのパパと、家の中で遊ぶより外へ行く方が好きなわたしの、ふたりで出かける。日焼けが嫌いなママはいつも家でお留守番。わたしとパパが帰ってくる時間に合わせて、お風呂を沸かしてくれている。
歩きやすいスニーカーを履いて、帽子をかぶって、パパはポケットに百二十円を入れて、わたしはポシェットに飴玉をふたつ持って、お散歩に出かける。
目的地は、近くの公園だ。長くて難しい名前の公園で、前にママから教えてもらったのに、すぐ忘れてしまった。わたしはその公園を「石の公園」と呼んでいる。本当の名前とは、たぶん全然違うと思うけれど。
公園近くの自動販売機でペットボトルのジュースを買うのが、お散歩の定番だった。今日はわたしのリクエストで、サイダーを選ぶ。ぴったり百二十円をチャリンチャリンと自動販売機の口の中に落としながら、「歯が溶けるよ」とパパは言った。
石の公園は、とても広い。たぶん、このあたりで一番。
テニスコートや芝生の綺麗な広場、シロツメクサの生えている小さな丘に、広々とした花壇。何故かすみっこに、お相撲をとる場所みたいなところまである。
だけど、わたしとパパのお目当ては、そういう目立つところじゃない。
公園に入ってすぐのところにある、大きくて岩のような石がオブジェみたいに、たくさん置いてある場所。「巨大石の広場」とわたしは呼んでいる。
そこにある石はまさしく巨大で、足をのばして寝転んだわたしが、すっぽりおさまってしまうほどの大きさのものばかりだ。それらは白かったり黒かったりマーブル模様だったり、つるつるしていたり、ざらざらしていたり、ごつごつしていたりする。
巨大石の集団は丸く円を描くように配置されていて、その真ん中には、ひときわ高さのある黒くてごつごつした石が、でーんと偉そうに鎮座している。
「美咲。どうしてこの黒い石が真ん中にあるのか知ってる?」
初めてパパとふたりでここへ来たとき、いたずらっこみたいな顔でパパはわたしにそう尋ねた。
「知らない。なんで?」
「これは、石の王様だからなんだ。一番大きくて立派だろう? 王様は一番偉いから、真ん中にいるんだよ。ほかの石は、全部家来なんだ」
そう言って、パパはひょいと『王様石』に登った。わたしも真似して登ろうとしたけれど、そのときはまだパパの腰くらいまでの背丈しかなかったから、うんと伸ばした手すら届かなかった。
パパは石の上で偉そうに腕を組みながら仁王立ちをして、わたしを見下ろした。
「どうだ、パパはすごいだろう」
「パパ、ずるい。わたしも登りたい」
「この王様石は、そう、玉座だ。だから王様以外は乗ってはいけない」
「ギョクザって?」
「そうだなあ。王様専用の椅子、という意味かな」
「じゃあ、パパは王様なの?」
「そう。実はパパは王様なんだ。だから偉いんだぞ。えっへん」
王様石に登れずむくれていたわたしは、それを聞いた途端に目を輝かせた。
そうか、パパは王様なんだ。
わたしはとても誇らしい気持ちになって、石の上でふんぞり返るパパ――もとい王様に向かって言った。
「じゃあ、わたし、メイドさんになる」
「えっ、メイド?」
「王様には、メイドさんがいなくちゃだめなんだよ、パパ。メイドさんは、王様のお世話をするの」
「そうか。ならば王様の肩を揉みたまえ、我がメイドよ」
パパはわざと低い声を出した。それが面白くて、わたしは声をたてて笑った。
石の公園にいるときは、パパが王様でわたしがメイドさん。そのとき始まった「王様ごっこ」は、パパとわたしだけの秘密の遊びだ。
いつもはよわっちいパパも、ここにいるときだけは王様で。
ここにいるときのパパは、だから、ちょっとだけ格好いい。
照れくさいから、そのことをパパには教えてあげないけれど。
この日も、わたしとパパは他の場所には目もくれず、まっすぐ巨大石の広場へ向かった。
季節はまだ春のはずなのに、今日は夏が始まったみたいに暑い。長袖の服を着てきてしまったわたしは、歩いている途中で腕まくりをした。
「パパ暑くないの?」
「こんなこともあろうかと、パパは半袖を着てきたんだ」
「ずるい」
「なんとでも言いたまえ」
公園に近づいてくると、だんだんパパの口調が王様っぽくなってくる。
巨大石の広場に着くと、パパは王様石に、わたしはその近くの白くてつるつるした石に座った。そこで、少しぬるくなってしまったサイダーを飲む。シュワシュワの炭酸は、それでも乾いた喉に心地よかった。ごくごくと、喉を鳴らして飲んだ。
「ねえ、王様。今日は何をしましょうか」
それからわたしはパパを見上げて、特別な声色を使って尋ねた。
パパもとい王様は、「そうだなあ」と厳粛な感じのする声を出す。ちょっと不自然で、わたしはパパがこの声で喋るたびに、笑い出しそうになってしまう。
でも、笑わない。笑っちゃだめ。だって王様ごっこはもう始まっているのだから。
王様ごっこは、今でも続いていた。
小学生にもなってパパとごっこ遊びなんて、確かに自分でも、ちょっと子どもっぽいような気はする。だからこのことは、ママにも、もちろん学校の友だちにも内緒にしていた。
知られたら、やっぱりちょっと恥ずかしい。
「パパ――じゃなかった。王様は、昼寝をしようと思う」
「またあ?」
パパは何かというと、お昼寝ばかりしたがる人だ。
仕事がお休みの日で家にいるときは、たいていリビングのソファか寝室のベッドで、ぐうぐう寝ている。ママはそれを見て「パパは寝てばかりいるんだから」と呆れたように笑っている。
「わかりました、王様。じゃあ、わたしは王様が寝ている間に、新しい冠をつくることにしますわ」
「そうか、そうか。それは楽しみだ」
「うん、楽しみにしてて。じゃなかった、楽しみにしていてくださいませ」
「それまで王様は、ここで神聖な眠りにつくことにしようじゃないか。では、おやすみ」
パパはごろんと寝転がった。ひょろりと背の高いパパの身体は、さすがの王様石でも、受け止めきることはできない。膝から下は石からはみ出して、ぶらぶらと宙に浮いている。
「行ってきます!」
わたしは石からぴょんと飛び降りて、かけだした。背後からパパの「いってらっしゃい」という、すでに寝ぼけた声がワンテンポ遅れて聞こえてきた。
巨大石の広場を出て、シーソーなどの遊具のある場所を抜けると、小高い丘がある。
丘といってもわたしが楽に登れてしまえる程度の大きさで、そこにはこの季節、シロツメクサがぎっしりと敷き詰められたように咲いていて、真っ白なお花畑になっている。わたしはなるべくお花を踏まないように気を付けながら登り、頂上のあたりに腰を落ち着けた。
白くてまるまるとしたお花を、茎の根本からプチンと摘み取って、茎同士をからませるようにして編む。まだママより上手には編めないけれど、それでもだいぶ上手く作れるようになったと自分では思う。
花冠作りには、ちょっと自信があった。
「美咲ちゃん、すごい。それどうやって作るの?」
花冠の編み方を知らない子は友だちの中にも結構いて、作ってみせてあげると、みんなそんなふうに感心してくれた。すごいね、上手だねって言ってくれる。
「これ? すっごく簡単だよ」
尊敬の目を向けられることが嬉しくて、なのにわたしはあえて「こんなのなんでもないよ」というように澄まして答える。そして先生にでもなったような気分で、作り方を教えてあげる。
そのときは、ちょっとだけ、誇らしい。
半分くらいまで花冠を編んだところで、そうだ、別のお花も入れてみよう、と思いたった。タンポポの黄色や、クローバーの緑、それにオオイヌノフグリの薄紫なんかが入ったら、きっと、もっと豪華で素敵な花冠になるだろう。そう、王様にふさわしいような。
わたしは編みかけの花冠を手に、わくわくした気持ちで丘をかけおりた。
そのへんに生えているお花を片手に持てるだけ摘んで、わたしは巨大石の広場に戻った。サイダーのペットボトルを置いたままにしておいた石の上に、摘んできたお花と作りかけの花冠を乗せる。
パパは王様石の上でお昼寝中だ。帽子を顔に乗せているから表情は見えないけれど、半分口を開けた間抜けな顔で眠っているにちがいない。だっていつも、そうだから。
わたしは石に腰かけ、お気に入りのアニメの主題歌を口ずさみながら、丁寧に花冠を編んでいく。
「すごーい!」
ふと、そんな声がした。
顔を上げると、公園の入り口の方から、こっちへパタパタと走ってくる女の子が見えた。麦わら帽子をかぶった、たぶん幼稚園くらいの子だ。
「すごい、きれい。かわいい」
わたしの目の前で立ち止まると、女の子は無遠慮にわたしの手元を覗き込んだ。完成間近の花冠にそそぐ視線は、まるで宝物を見つけたみたいにキラキラしていた。
――そうでしょう。綺麗でしょう。だってこれは、特別な冠なんだから。
わたしは心の中でそう思いながら、女の子に「ありがとう」と言った。
「ねえ、それ、冠でしょ? お姫様がかぶるやつ」
「冠だけど、お姫様のじゃないよ。これは王様の冠なの」
女の子は一瞬きょとんとした顔をして、それから「えー!」と非難するように叫んだ。
「そんなのへん。だって王様は男だもん。お花がついたのなんてかぶんないんだよ。おねえちゃん、知らないの?」
むっとした。王様は花冠をかぶらないなんて、どうしてそんなこと勝手に決めつけるの?
お花が女の子だけのものだなんて、誰が決めたの?
相手が年下の、小さな女の子だということはわかっている。だけどわたしは、どうしてだかとても嫌な気持ちになって、
「ねえ、それ、ナナにちょうだい。ね、いいでしょ? ねえ、ねえ」
「やだ。あげない」
花冠に伸ばされた小さな手を、思わず乱暴に振り払ってしまった。
「これは王様のための冠なんだから。だからあげない。絶対にあげない」
「なんで! いじわる!」
女の子は大声を上げると、その場で地団太を踏んだ。
泣くかなと思ったのに、泣かなかった。ただ顔を真っ赤にさせて、眉を吊り上げて、ほっぺをふくらませて、足をめちゃくちゃに動かしていた。
「ちょうだい! ナナ、それほしいの!」
「だから、だめだって言ってるでしょ!」
わたしもつい、声が大きくなる。
それで怯むかと思ったら、女の子は可愛い顔の割に気が強いらしく、今度は花冠を無理やり奪おうと両手を伸ばしてきた。
わたしは石の上に立って花冠を持った手を高く上げ、女の子の手が絶対に届かないように花冠を守ろうとする。
「どうしたの、美咲」
声にはっとして振り返ると、王様石の上で、パパが体を起こしていた。
「この子が、冠をとろうとするの」
わたしはパパに訴える。
パパは、花冠を持った手を高くあげているわたしと、わたしが立っている石によじ登ろうとしている女の子とを交互に見た。
それから、ひょい、と王様石から地面に降りて、わたしたちのそばまでやってきたパパは、女の子の目の前に屈みこんで、話しかけた。
「あの花冠がほしいの?」
「うん、ほしい。だってかわいいもん」
「そうだね。確かにかわいいもんなあ」
「ちょうだいってば、それ、ナナにちょうだい!」
今度は、パパはわたしを見た。
眉を下げて、困ったような笑顔を浮かべていた。
「パパから提案なんだけど、その冠この子にあげようよ。美咲は花冠作りの天才だから、すぐまた新しいのが作れるだろう?」
なんで?
わたしは、硬い石で頭をがつんと叩かれたような気持になった。
パパはわかってない。全然、わかってない。
どうしてそんなこと言うの。だってこの冠は、パパのために――王様のためにって、作ったんだよ、パパ。
わたしは、高く上げていた手をだらりと下げた。作りかけだった花冠がぽとりと手から滑り落ち、地面にぶつかってぱらぱらと崩れた。「あー!」と、女の子の残念そうな悲鳴があがる。
それからすぐ、女の子のお母さんらしい人が「ナナ、勝手にいなくなっちゃだめでしょう」とやってきた。ナナという名前らしいその女の子は、花冠のことなんて一瞬で忘れたみたいな顔で「ママ!」と叫び、自分のママの腰に抱きついた。
女の子のお母さんとパパは、何か話している。最後に女の子のお母さんがぺこりと会釈をして、自分の娘をまとわりつかせたまま巨大石の広場を出て行った。
わたしはその間、一言もしゃべらなかった。
空っぽになった手を、ぎゅっと握りしめる。悔しかった。
パパには「これは王様の冠だからだめだよ」って、あの子に言ってほしかった。あの子のお母さんと、あんなふうにぺこぺこ頭を下げあったりしないでほしかった。あの子と同じ目線に屈んで、頭をなでてあげたりなんてしないでほしかった。
だってそれじゃあ、いつもと同じだ。
よわっちくて、へなちょこで、優しい、いつものパパだ。
もっと偉そうにしてよ。もっと胸を張ってよ。もっと自信持ってよ。
だって、ここでは、パパ、王様なんでしょう?
せめて、ここでは王様でいてほしかった。かっこいいパパで、いてほしかった。
わたしは手を固く握りしめたままうつむいた。パパがこっちへ戻ってくるのが、足音でわかる。パパはわたしの正面に屈みこむと、わたしの顔を覗き込んだ。
きょとんとしたようなパパの顔を見たら、余計にむかむかした。握りしめる手に、さらにぎゅっと力を込める。
「パパは、王様なのに」
わたしは、呟くように言った。
「ここでは、王様なのに。なんでもっと、偉そうにしないの」
言い終えて、わたしは唇をぐっと噛みしめた。
パパはわたしの言葉を静かに聞いていた。それから、ゆっくりと落ち着いた口調でわたしに問いかける。
「美咲。王様ってどんな人かわかる?」
「そんなの、知ってるよ。国で一番偉い人でしょう」
「そう、王様は一番偉いんだ。一番偉い人は、一番優しくなくちゃいけない」
わたしは、きょとんとしてパパの顔を見た。
パパは笑っていた。見慣れた、優しいパパの顔がそこにはあった。
「だって、考えてごらん。ふんぞり返って命令するばっかりで、『ありがとう』も『ごめんなさい』も言わない王様なんて、好きになれないだろう?」
わたしは、想像してみた。王様石の上でごろごろしながら「肩を揉め」「冠を作れ」と命令ばかりして、「ありがとう」も「ごめんね」も言わない王様。笑わないで、怒ってばかりいる王様。パパのように、優しくない王様。
そんなの嫌だ、と思った。そんな王様だったら――そんなパパだったら、嫌だ。
わたしがこくりと頷くと、パパも頷いて、わたしの頭にぽんと手を乗せた。
それからもう片方の手で、わたしの口にポイと飴玉を放り込んだ。コロコロと甘い、いちご味。パパはいつの間に、わたしのポシェットから飴を取り出したのだろう。
「美咲も、一番優しくならなくちゃいけないよ。何せ、お姫様なんだからね」
「お姫様?」
「もちろん。王様の娘はお姫様、だろう?」
お姫さま。
わたしは心の中で繰り返した。お姫様。そっか、お姫様か。
「さあ、そろそろ帰りましょうか、お姫様」
パパは絵本の中の王子様がするような体勢で、片膝をついて手を差し出した。
そのポーズはどこかちょっと変で、全然王子様っぽくも王様っぽくもなくて、全然かっこよくなくて、わたしは可笑しくなって、すこし笑った。
笑いながら、パパと手をつないだ。つないだ手と手をぶらぶらと大きく揺らしながら、帰り道を歩きだす。大きなパパの手はぽかぽかしていて、小さなわたしの手は、もっとぽかぽか温かくなった。
背の高いパパを見上げると、夕日が髪の毛に反射して、頭に天使の輪ができていた。
それはまるで、冠のように見えた。
王様の冠だ、とわたしは思う。
だってパパは――よわっちくて、へなちょこで、とびきり優しいパパは――、
わたしの、王様なのだから。
《了》