ACT.010 姉を持つ者同士の心
空には三日月よりももっと細いリングのような月が浮いている。
星のきらめきは地球よりも美しく、それでいて強い光を与えてくれるようだった。
「こ、こっちみないでください……」
「……すいません……」
光一とファーナはほとんど背を向け合うようにしてお風呂に使っていた。あがろうとした光一をファーナが呼び止めたからである。
その結果今みたいな状況に陥っているわけだが……光一は理性が悲鳴を上げるのを感じていた。
ちらりと横目で後ろを見ると欲情的な右肩がみえる。彼女の少女ではなく、女性っぽい感じであった。
シエナと違い、ファーナは髪が長いために髪を後ろの方に纏めているようだ。赤い髪が光一の首の後ろに何度か触れる。
あまり近づく必要も無いのだが、何故か二人はそれぞれの背中がくっついてしまいそうな距離にいた。
話に困った光一は先ほどからずっと星を見ている。
ファーナはそんな光一を先ほどの光一と同じように横目で見ていた。
「そんなに空が気になりますか?」
「えっ? うん。俺の住んでいた世界じゃあこんなに綺麗に星は輝いてなかったんだ」
「そっか」
それっきりまた二人の間には沈黙が過ぎる。
お湯から上がる湯気が二人を包み込んだ。
「………………」
「………………」
沈黙。光一はこの沈黙を打ち破るための会話の種を探していると、不意に後ろから声をかけられた。
「コウイチさん……」
「……何だい?」
「私って嫌な人間だと思いません?」
「へっ?」
ファーナのその質問の意味がわからず、素っ頓狂な声を上げる光一。
光一が後ろを振り向くとファーナも光一と同じように空を見上げていた。同じ星を見て、同じ星を感じているのだろうか。
「私は実はコウイチさんのことを嫌っているわけじゃないんです。コウイチさんは私が貴方の事を嫌ってると思っていたでしょう?」
「え……?」
光一的にはもしかして程度にしか考えていないことだったが、結構重大なことのようだ。
少し沈黙してから「そう思ったこともあった」とそう小さく答えた。ファーナは特に気を悪くした様子も見せない。
「コウイチさんは気がついていないでしょうけど、コウイチさんと一緒にいる時の姉さんの表情はいつもと何かが違うんです」
「シエナさんの表情が?」
「はい。だからでしょうね……私は姉さんを変えられる貴方をうらやましく思い、姉さんと一緒にいる貴方を妬んだ」
「…………」
「この年になっても姉さんに近づく相手に対して嫉妬するなんて……駄目な人……って思いますよね……」
「…………そんなことないさ」
光一はまた空を見上げて星を見る。その星のどこかにもしかしたら地球があるかもしれない。
この世界ではまだ宇宙に進出したこと無いのだから、地球が絶対に無いなんていえるはずが無い。もしもあるなら……。
光一の脳裏に思い浮かぶのはただ一人の女性の顔。
何年も前から一緒に暮らしてきた一人の女性の顔が光一の中で浮かんではゆっくりと消えてゆく。
「俺にも一人だけお姉ちゃんがいたんだ」
「え? コウイチさんにもお姉さんがいたんですか……?」
「あぁ。いっつも元気な人で俺がいじめられてると必ず助けに来てくれて、俺にとってはとても大切なお姉ちゃんでした。でも、俺は向こうの世界ではなく、こちらの世界へと来てしまった……。お姉ちゃんをひとり残して……」
「一人……ご両親はどうしたんですか?」
「今から8年程前に死んじゃったよ。それから俺は祖父に山本一本流っていう剣術を習いながら学校へ行き、お金を少しずつ稼いでいくっていう生活が続いていたんだ。確かにつらい日々だったけど、お姉ちゃんと二人でだったらがんばれた。それは向こうも一緒なんだと思う。
支えてくれる人、そんな人がいれば人は強くなれるんだと俺は思った。だけど、あちらの世界にはもう俺はいない。お姉ちゃんは独りぼっちになってしまったんだ……」
「…………」
「そんな俺だからこそわかるよ。姉に依存しすぎるのはダメだけど、それぞれが支えあっていけるならそれで良いんじゃないのかな?」
「コウイチさん……」
その光一の言葉はファーナの中で大きく響いて今後絶対に忘れることは無いであろうセリフとなった。
姉を持つ者同士の心は似ているようで少し違う。それぞれが感じていることは少しだけではあったが、違ったのだ。
でも根本は一緒。二人は同じようにとても優しくて、とても姉に愛されている二人だった。
だからこそ初対面であったにもかかわらずシエナは光一を助けたのかもしれない。だからこそシエナは光一を死なせたくなかったのかもしれない。
その時になってようやくファーナは姉の取った行動の意味がわかった気がした。
(どんなに危険な人物かは判らなくても、私と同じように姉を支えて、逆に支えられる人物だってわかったからこそ……姉さんはコウイチさんを助けたのかもしれない。そう……コウイチさんが何処となく私に似ていたから……)
危険な人物だからあまり近づくのはよくないと思った自分よりも姉のほうが相手の事を判っていた。
改めて姉のすごさを感じるファーナ。
「じゃあ俺はもう上がるよ。ファーナさんはもうちょっと入ってる?」
「あ……コウイチさん」
「何?」
ファーナのほうを振り向いた光一に対してファーナも光一の方を向く。
二人は裸の状態で向き合う形となった。光一もファーナも初々しいぐらいに顔が真っ赤である。
「私のことはファーナと呼び捨てにしてください」
「え? でも君は……」
「いいんです」
(だって私にも姉さんの言った言葉の意味がようやくわかりましたから)
赤い顔をしながらファーナは光一にそういう。
同じように赤い顔をした光一はファーナの言ったことに何を感じたのかはわからない。だが、一つ頷いて「判った」と小さくつぶやいた。
「じゃあ、これからよろしくね。ファーナ」
「はい」
光一はそのとき、初めてファーナの笑顔を見たような気がした。
(私にも分かりました。姉さんの行ったとおり、彼はとても良い人で、とても……そう、この国の王になるに足る人物でした)
お風呂から上がり、この世界の服であろう男性物の服を着て、着替え場を出る光一。
大きさは気持ち悪いぐらいにピッタリで、特に苦しいということも無かった。
自らの部屋へ戻る途中で外を見る。
外は相変わらず真っ暗で、それでいて星の輝きが全てを照らしていた。そこが彼の今いる世界なのだ。
地球ではない、フィレディルカという世界。
光一は自ら住んでいた地球の事を思い出しながら部屋へと戻る。
思い出したのは友達か、何らかのイベントか、日々の事か、それとも姉か。光一にすらわからないほどにグチャグチャな記憶の流れに光一は戸惑う。
「俺は向こうの世界に帰れるのだろうか」
できる事ならば地球に帰りたいという気持ちは光一にはあった。
だが、同時に光一は「もう地球には帰れないだろうな」という逆の気持ちすらわいていた。
人間は悩み、迷い、成長していく生き物だと誰かが言っていた気がする。彼は今悩んで、迷って、そして成長してゆくのだろう。それが彼の物語であり、この世界での彼の役割なのだから。
「ふぅー」
自らの部屋に戻るとやはり何も無い部屋にただ布団がポツンとおいてあるだけだった。
何か暇つぶしのものでも今度借りてこよう。そう考えながらも布団に入る。
一日の疲れがドッとあふれてきたかのように体を重くさせ、意識はどんどんと薄れてゆく。
「目が覚めたら地球……だったらどんなに良いことか……」
そんなことは絶対に無いとわかっている。だってここは現実だからだ。
逆にもしも次目が覚めたときに地球にいたりすればそれこそが夢という存在になってしまう。
「おやすみなさい」
誰にとも無く光一はつぶやいて目を閉じた。
その閉じられた目からは何故か涙が数滴溢れ落ちた……。
次はちょっと本編ではなく、地球のお話へと移ります。
とはいっても一話だけですけどね。複線などが目白押しだったり……意外と必見?