40年後
鏡の中の私は、四十年前から一秒も進んでいない 。
魔女――まだその名も知らぬ彼女に呪いとも祝福ともつかぬ魔法をかけられてから、40年という長い時間が過ぎ去った 。
二十代そこそこの若々しい肉体は、もはや「少し外見が若い」という言い訳では通用しない域に達している 。
この十年で、私を取り巻く時間の風景は一変した。
「……悪いな、アルス。これ以上は、お前の背中を追いきれそうにない」
3年前くらいだったか…ゴウが、かつての自慢だった大斧を壁に掛け、寂しげに笑った日のことを思い出す。
五十代半ばとなった彼は、もはや重戦士としての俊敏さを失っていた。腰や膝を病み、戦場に立つことよりも、家の暖炉の前で息子をあやす時間の方が、今の彼には相応しくなっていた。
知略の魔術師カイルは、魔力の衰えに怯えながらも、冒険者を続けていたが、ついに体の限界が来た。
そのあとは家族に見守られて隠居生活に入った。リーザは母としての責務を全うし、かつての鋭い眼光は子供たちの成長を見守る優しい光へと変わっていた 。
彼らは人間としての正しい終わりに向かって歩みを進め、私だけが、出発点に取り残された。
かつての街の有名なAランクパーティー「不落の壁」はその役目を終えたのだ。
仲間たちが引退し、一人になった私は、ギルドから舞い込む高難度の依頼も、地位も名誉も、ほとんど受けなかった。
私が選んだのは、目的のない旅だった 。
かつて彼らと肩を並べ、泥をすすりながら歩いた街道。
死闘の末にようやく倒した魔物の棲家。
いつか行こうと酒の席で語り合った、海の向こうの景色。
それらを、一人で見て回るための旅だ 。
「……懐かしいな。ここは確か、ゴウが魔物の不意打ちを食らって、泣き言を言っていた場所かな」
崩れかけた石橋の上で、私は独り言をこぼした。
今の自分からしたら、これは一種の聖地巡礼のようなものかもしれない。だが、その「聖地」を共有した仲間は、もうここにはいない 。
私はただ、彼らとの思い出を風化させないために、止まった時間の中に生きる私という記録媒体に、今の風景を焼き付けていくだけだった。
年に一度、あるいは二度。私は旅を中断し、彼らの住む街へと戻る 。
それが、今の私にとって唯一の、そして最大の生きがいになっていた 。
「おう、アルスか! よく戻った。さあ、中へ入れ」
かつての親友、今は好々爺となったゴウの家を訪ねる。
私は暖炉の前で、自分が旅先で見てきた風景を、出会った人々を、食べた珍しい果実のことを、ゆっくりと語って聞かせる 。
「……へえ、あの森の奥には、まだそんな綺麗な滝があったのか。俺たちも、もう少し若けりゃ見に行けたんだがな」
ゴウはしわだらけの手で私の肩を叩く。その手の重みは、もはや戦士のそれではないが、私を親友として繋ぎ止めてくれる唯一の繋がりだった。
カイルの家へ行き、彼が書物の中だけで知っていた古代遺跡の実情を伝え、リーザには、彼女が憧れていた異国の花の香りを、保存魔法で包んで届ける。
私の話を聞いている間、彼らの瞳には、かつての冒険者の輝きが微かに宿る。
その瞬間、私は自分という「終わらない生」に、わずかな存在意義を見出すことができた。
私は、彼らの行けなかった場所へと続く足であり、彼らの見られなかった景色を映す鏡なのだ。
けれど、別れの間際はいつも、言葉にできない虚無感が私を支配する。
「……じゃあ、また行くよ。来年には、南の島の話を持ってこられるかな」
「ああ、気をつけてな。……お前は、本当に変わらないな。時々、お前だけがこの世界から浮いているように見えて、怖くなるぜ」
ゴウの何気ない一言が、鋭いナイフのように私の胸を抉った。彼には何も悪気はないことは伝わったから。
変わりゆく彼らと、変われない私。
彼らが家族と共に積み重ねる歴史の中に、私は入り込むことができない。私はただ、彼らの物語の余白に、年に一度だけ現れる、奇妙な亡霊のような存在でしかないのだ。
他には何も、楽しめるものがない。
美味しい食事も、美しい風景も、誰かに伝えるという目的を失えば、ただの無機質な記憶に成り下がる。
彼らとの会話だけが、私を「人間」という形に繋ぎ止めていた 。
ある夜、私は独り旅を続けながら、草原に寝転んで星空を見上げた。
「……あと、何回、彼らに会えるのかな」
不老不死の私にとって、十年、二十年という時間は瞬きのようなものだ。
だが、彼らにとっての十年は、命の残光を使い果たすには十分すぎるほどの重みがある。
いつか、私が話を持って帰るべき相手が、誰もいなくなる日が来る 。
その時、私は一体何を求めて歩けばいいのだろうか。
心臓の奥にある冷たい塊が、トクンと拍動した。
それは血ではなく、絶望を全身に送り出しているようだった。
「……魔女を探そうか」
ふと、そんな思いが口をついた。
以前は、いつまでも生きていられることを幸せだと思っていた。けれど今は違う。
この救済のない旅を終わらせる方法を、自分をこの檻に閉じ込めた彼女に聞かなければならない。
ゴウが白髪になり、歩くことすらままならなくなった時。私は相変わらず、この若々しく、呪わしい姿のまま、彼を見送ることになるのだろう 。
その未来を想像するだけで、再生し続ける私の心臓が、ひどく軋んだ。
「……まずは、明日の朝、西の渓谷へ行ってみようかな。あそこは確か、リーザが行きたいって言ってた場所だ」
私は無理やり思考を切り替え、自分を旅人という役割に押し込める。
暗闇の中、私の体からは、生きている者特有の微かな綻びさえ見当たらない。
ただ静かに、冷たく、永遠を刻み続けるだけの肉体。
夜が明ければ、また私は歩き出す。
誰かの思い出を背負い、誰のためでもない風景を、一人で記録し続けるために 。
これが私の、人生の楽しみ。
そして、この上なく残酷な、救いのない日課だった。
あとがき
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次回、第7話は「50年後」の物語を予定しています。また明日、お会いしましょう。
現在、本作は「カクヨム」でも連載を行っています。 あちらでは先行配信という形で、なろう版よりも先の物語を公開しており、より早く彼の旅の行く末を見守っていただける状態です。
物語がさらに深く動き出すエピソードを、一足先にカクヨム版で楽しんでいただければ幸いです。
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https://kakuyomu.jp/works/822139843559822534




