七
「優美なる姿とは聞くところでしたが、この子のお母様もお綺麗な方なのでしょうね」
「美しい方だった。そして、強い方だった。縁があったのは幸せなことだった」
「……そうですか」
蒼装束は『だった』と話した。その言葉で、幼子の母は過去のことだということを察し、日和は寂しそうに呟き眠る幼子へと瞳を向けた。
こんなに愛らしい子を残して逝ってしまうのはどんなに辛かったろう……まだ産まれてはいないが、子を宿す母としてその現実を重く深く受け止める。無念や、心を痛めるといった言葉では表せないほどの想いがあったことは間違いなかった。そして、願ったであろう、我が子の幸せを。苦しみも悲しみもあるだろうが、それを乗り越える本当の幸せを。真っ直ぐ生き抜いて欲しいと。
その想いを、願いを、蒼紅の二人に託した。
「いつ目が覚めるのですか?」
「一月か二月か、または半年か一年か。十年もかかることはなかろうが、果たして」
「…………」
蒼装束の言葉に、日和は愁いを湛えて黙った。二人が護ると話したこと、そして、今まで戦ってきた現実が胸を過ぎる。
「残念だが、動かせぬ」
日和の想いを感じ取り――知らずこの少女の考えを感じとれるようになっている現実に内で苦笑しながらも蒼装束は先を続けた。
「お互いに退ければと思ったのだろう。しかし、この赤子は動かせぬ。名はないが、ここは数ある中でも清浄な霊峰。切り崩され、少なくなっている霊山の中でも貴重な場」
木々の息吹、山の香り、満たされる自然の気を感じつつ、蒼装束は神木へと手を触れた。
「知っての通り、妖と万象とは密接な関係にある。いや、一体といってもいい。故に、力ある者は必ず霊山と共に在る」
「わかっています。しかし……」
「わかっている」
同じ「わかっている」と返し、蒼装束は日和の続く言葉を止める。
日和が話そうとした「互いに退く」ということの意を蒼装束はわかっていた。動かせるのなら、とっくに動かしている。そのほうがいいこともわかっている。
「十一家の者に我らの存在は知られている。それは、お前が来る前からわかっていたこと。そして、勘違いをしている馬鹿も――妖も少なからずでてきている。格の高い妖を喰らえば、自らの存在も高まる。そんなことを信じている馬鹿がな」
「知ったことではない。我らは戦うのみ」
「ああ」
紅装束の言葉に蒼装束は短く応えた。覚悟はとうに決めている。
しかし――
「しかし、それではお二人は……」
蒼装束の内と同じ言葉を口にし、日和は代弁するように話を続けた。
「十一家、いえ、『十家』からは刺客を送られ、妖からも狙われ、それでお二人はどうなります」
「負けはせぬ。戦い続け、我らは必ず生きねばならぬ。この子のために」
凛と刃が鳴るように自らに誓うその姿に、
「わたしと――」
日和は自然と口を開いていた。
「わたしと同じですね」
戦わなくて良かったと心から思う。蒼紅の二人と自分は同じだった。想いの深さも、誓いの強さも。そうであるからこそ、日和は意を決していた。迷いを無くし、内に誓う。
「一つ考えがあります」
「なんだ?」
「癒滅ヶ術。それならば、あるいはどうにかできませんか」
「……力を治め力を与える術、か」
日和の話に蒼装束は頷き、腕を組んで瞳を閉じた。木々を揺らし、葉が風に囁く声だけが響く中、日和は黙って蒼装束を見つめた。
そして、考えること一時――風が頬を撫で、宝石の如く煌めく長い黒髪を僅かに揺らして蒼装束の女は静かに瞳を開く。
「ありのままでいえば」
そう前置きして、蒼装束は話を始めた。静かにゆっくりと、言葉だけでなく真を伝えるように。
「ありのままでいえば、目覚めさせることはできる。動かすこともな。だが」
「だが?」
「目覚めた後にどうなるかは我らにも分からん。長く代を重ねてきたとはいえ、この赤子は天逆毎姫の血の濃い者。只の天狗でも、只の妖でもない。女の神に近い者だ。その力の強大さゆえに、長い眠りにもつく。それを無理に起こして、果たしてどうなるか。何も起こらねばいいが、悪ければ……」
「悪ければ、何が起こりますか?」
「暴れるようなことがあれば、我らにも手に負えん。周りに被害がでるに留まらず、加えて人死にもでよう。妖にも死ぬ者がでよう。天逆毎は天狗の祖とも言われるが、天邪鬼の祖でもある。それに手を出そうというのだ。害されて、その気分が治まるまでどれほどかかるか――この赤子の母御は、そんな性格ではなかったが、子のことになればそれも分からぬ。一時の害では済まず、大きな災害に見舞われることになるやもしれぬ」
そこまで一気に話し蒼装束は一拍の間を空けた。そして、瞳を変え、言葉に力を込めて再び口を開き事実を日和へと伝えた。
「それを回避したいというならば、起こさずにおくか――寝かせたまま殺すしかなくなる」
「…………」
「だから、我らは起こさずに護ることにした。お前は……起こして、その後、この赤子を治めることができるのか」
黙って視線を受ける日和に、蒼装束は覚悟を問うた。力を確認した。
やる、という言葉は意味がない。必ず成すという現実を示して貰わねば意味がない。その覚悟を問う。
蒼装束の言葉を、刃のような鋭い視線の意を日和は十二分に分かっていた。だからこそ視線を逸らさず全てを受け取り、ただ袖の拳だけをゆっくりと握る。
「――必ず」
静かに口を開く。迷いや覚悟などと、そんなことは心の内に些かも浮かばなかった。
「必ずやってみせます。この子と、そして、お二人を護るために」
ただ一つの意志だけがある。日和はそれだけを伝えた。
「わたし自身と、わたしの子のために」
――凛と鳴る言霊。それは木々に流れ山を包み、蒼紅の二人にも確かに伝わった。
言葉は、いや、言葉を発する人の内にある意志は、万象にも伝わりその意に応えるという。日和には陰りも偽りも惑いもない。その純粋なる意志に触れ、蒼装束もまた日和の意に自然と応えていた。
「ならば、よかろう」
蒼装束は一歩踏み出した。紅装束も同じ気持ちなのだろう。同じく日和の傍へと寄る。
「やってみるがいい。我らもお前に従おう」
「ありがとうございます」
「なに、どちらにせよ危ない賭けだったのだ。ならば、信じられるお前を選ぶ」
礼を言い頭を下げる日和に蒼装束は微笑んだ。不思議な出会いではあったが、得がたき縁を結ばれたことを今は素直に嬉しく思った。そして、同時にこうも思う。これが宿縁であるならば、定められたことであるならば、全てが上手くいくだろうと。日和の意志に触れたお陰か、自然とそう思うことができた。
「さあ、参ろう」
「はい」
幼き天狗の子へと視線を向ける。柔らかく健やかに眠る愛らしい幼子を起こすことに心が痛むが、「ごめんね」と胸で謝しながら日和はソッとその頬へと触れた。
そして――
――――――――――
我が身一つ
我が身一つで済むならば
微笑み願う 皆の幸せ