六
「月隠といえば、十一家末席だったな。八十年ほど前か、新しく席に列なった際、妖の中には大きな妖討伐への準備ではないかと話が上ったのだが、すぐに治まったことを覚えている。月隠を知る者の話では、脅威どころか戦いにも向いていないという。それを聞いて、話はなくなった」
情は移さぬ――そう決めていても、真っ直ぐ向けられる日和の視線に蒼装束の内は僅かに揺らいだ。話せば話すほど深みにはまってしまっている。そうだと知っていても、余計な事だと自覚していても、蒼装束はつい言葉を挟んでしまった。
「末席ならば、立場も苦しかろう。望まぬ戦いでも、せねばならぬ」
蒼装束の言葉に、日和はニコリと微かに微笑んだ。その微笑みは何を表しているのか、どういう意味なのか――ただ一つ分かることは、日和は、子を宿した小さき少女は強いということだった。どんな状況でも微笑むことができる凛々しさを持っていた。
「元々、妖退治が十一家の使命……その本来の役目に戻ったという事か」
蒼装束はつと日和から視線を外し、ふっと内で息をついた。やはり聞かねば良かったと後悔する。日和の瞳、その強さと悲しみの一端を触れ、心が揺らいでいる。
「しかし、これで我らの世界が騒がしいのも合点がいった。動くかもしれんな、大きく世が」
蒼装束の代わりというわけではないが、紅装束が面白くもなさそうに呟いた。元来、騒ぎも戦いも嫌いではないが、祭りであれ合戦であれ騒ぎの質によって楽しみはなくなる。面白い相手でなければ苦痛しか生まれない。
そんな面白くない人間を相手してきた境遇を思い出し、紅装束は益々陰鬱に溜息をついた。そんな仲間の顔を視線の隅にいれ、蒼装束は再び日和へと目を向けた。二人して不景気な顔をしていてもしょうがない。今は目の前の大事をなんとかしなければならなかった。
「お前が戦う理由も退けぬ訳も分かった。だが、だとしても、話は変わらぬ。これからどうするのだ?」
蒼装束は内に力を込め、鋭く問いただした。長く話してしまったが、結局は、なのだ。結局、互いの境遇を知ったとして立場は変わらない。話はいたずらに戦いを苦しくしかしない。
「我らとて、大人しく退治されるわけにもいかぬ。さりとて、お前も退くわけにもいかないのだろう……話は詰まった」
「……そうですね」
蒼装束の想いが伝わり、日和も内に迫る苦しく重い気持ちと共に小さく呟いた。
上首の性格は知っている。もし、ここで自分が退き、退治したと偽って報告したとしても証を見せよといってくるだろう。ここに検分をしにくるかもしれない。だからといって、戦うことは――日和にはできなくなっていた。何より、退くというのが一番だと思い始めている。
けれど、
(それでは、我が家は、皆は……)
我が身一つだけで済むのであれば、何の問題もなかった。すぐに退くことができた。しかし、それで済むことはない。
(そう――それで済むことはない)
日和は二度繰り返した。今までの上首の仕打ちを思い出す。我が身一つとはいうが、自分に何かあれば、それはそのまま家の衰退につながる。それを自分が起こすわけにはいかなかった。皆の無事……当主として皆の安心をも守らねばならない。
代替わりしたばかり。それに加え、我が家の立ち位置はますます危うくなっていた。にも関わらず、当家から離れず従ってくれている者たちがいる。いけないことだと分かっていながら、離れてくれれば――と思ってしまうことがあった。すでに離れた者に対して、恨みに思ったことはない。逆に感謝をしていた、幸せになってほしいとも。
離れたほうがいい、そのほうが幸せなのだ。そのほうが安心できる……自分も含めて。
我が身一つで、我が身一つで済めばと何度も思った。だけれど、そんな自分を慕ってくれる者たちがいる。そして、そうである限り自分は、
(負けるわけにはいかない。戦い続けなければいけない)
そして、
(迷ってはいけない)
それが、当主としての責任だった。
「腹が決まったか?」
日和の瞳、空気の変わりように、蒼装束は静かに問いかけた。
互いに退けぬ理由がある。であれば、最後は戦うしかなかった。話で解決するような問題ではないのだ。日和は我らと話がしたいと望み、こちらも受けたが結局は意味がなかった。
戦う気はない。が、仕方がないのだろう。気持ちは悪いが、おそらく日和のような人間は動けぬくらいにしなければ退かない。
「美味い茶だった。久々に楽しい時を過ごせた」
と、傍にあった湯飲みを手に取り、茶会は終わりと遠ざけた。重い湯飲み。この湯飲みを返せば楽しい時は終わる。その内の重みを小さな湯飲みに重ねながら、遠くへ置いた。
「なにか礼ができればいいが、残念ながらできそうにもないな」
蒼装束は立ち上がり――
「続きだ、日和」
「わたしは、戦いたくはありません」
静かに向けた蒼装束の視線を真っ直ぐ受け、日和は迷いなく即座に答えた。
「何をいっている。互いに退けぬことはお前もわかっておろう」
厳しい眼差しと口調で問い詰める。どうにもならない状況で、これ以上の話など無用のことだ。そして、それは日和も分かっているはずだった。だからこそ、厳しく言い放った。甘さを出せば、戦いはできなくなる。
しかし、
「わたしは――できうるならば、お二人が許してくださるのならば、友人になりたいと思っています」
「…………」
日和の言葉に、蒼装束も紅装束も茶会に誘われた時と同様に再び目を丸くしてしまった。開いた口が塞がらないことなどないと思っていたが、その初めてを経験したような心地がする。
日和は真剣に二人を見つめ続けた。その瞳には戦いの惑いも恐れもない。ただ純粋に望み、願っている瞳。
「ふ――はははははっ!」
紅装束は笑った。声は出していないが、蒼装束も口元を押さえている。
「成程、そうか。お前はそういう人間なのだな」
パンパンと膝を叩き、紅装束は笑い続けた。愉快な人間だと思っていたが、これほどとは思わなかった。相当な馬鹿か、相当な器かとは最初に会った時から感じていたことだが、そのどちらも当たっていたようだ。
笑い続ける紅装束にきょとんとする日和。そんな光景にまたおかしさが込み上げてくるが、さりとてこのままでもいけないと思い蒼装束は先程とは違う柔らかい口調を日和に向けた。
「どうして、友人になりたいなどと思った?」
「幼子のお話を聞かなければ、あるいは、そんなことを思わなかったかもしれません。お二人は幼子を守りたいと仰いました。それは、人でも妖でも同じこと。わたしも同じ気持ちです」
蒼装束の問いに、日和は真っ直ぐな視線のまま答えた。どこまでも純粋に穢れなく真っ白に、真から願い望んで言葉を伝えた。
「わたしはお二人を尊敬し、好きになってしまいました。戦うことなどできません」
そのありのままの真っ直ぐさに、
「そうか」
蒼装束は微笑んで頷くしかできなかった。笑いは治まり、代わりに豊かで清々しい気持ちに包まれる。この少女は、本当にこういった空気を持っている。接しただけで全てを和ませてしまうような――そう、名の通り、日を当て和ませるように。
何かが満たされ、内に淀んでいた想いが全て消える。そして、
「こちらへ来い。我が子を見せよう」
そういって蒼装束は日和を誘った。
「ああ――」
その愛らしい姿に、思わず日和は声を洩らした。
樹齢何百年になろうかという大木――いや、おそらくは山の中心となる神木に違いない。その神木の根にある特別に設えた自然の寝床で、幼子は丸まって静かな吐息を立てていた。
歳でいえば、三歳くらいだろうか――もちろん、妖の場合見た目そのままの歳ではないだろうが。柔らかそうなふわりとした長い髪に白い肌。ふっくらした頬に、同じようにふっくらしたお腹を微かに動かして吐息を出している。小さな小さな幼い女の子。
それだけ見れば普通の人間の子と同じだが、ただ一つだけ違うものがある。背にある真白い翼。それだけは人と違う。しかし、妖というよりは、日和には諸天が遣わした童女のように見えた。
「なんて可愛らしい女の子……まるで天女の子のよう」
「あながち、間違っておらぬかもしれんな」
紅装束は笑い、天女と例えられた幼子へと目を細め言葉を続けた。
「この娘は、天逆毎姫の筋の者となる。天逆毎姫は知っているか?」
「天逆毎姫……スサノオの息から産まれたといわれる女ノ神。天狗や天邪鬼の祖先と聞いています」
「その通り。この娘は天狗の子だ」
紅装束の言葉に頷き、日和は再び幼子に視線を向けた。実をいえば天狗を見たのは初めてだったのだが、成程、確かにと思う。女天狗は翼がなければ普通の人間の女性と見紛うほどだという。そして、その姿は美しく優雅だと聞いていた。目の前の幼子はまさにその通りだった。