五
――日和の言葉に初めは目を丸くした蒼紅の二人だったが、今のこの状態と、その雰囲気に流され茶の誘いを受けた。というより、受けるより仕様がない形となった。
(とはいえ、妙なことになったものだ)
コト――と腰をかけている岩の台の上に湯飲みを置き、茶の用意をする日和を見ながら、蒼い装束の女は内で苦笑した。
苦笑せざるを得ない。こんな場で、人間の童女と茶をするとは思ってもいなかった。
(と、童女では失礼か)
子が腹にいるのだ。見た目は幼くとも、十分な女であり、そして、母だった。童女と呼んでは失礼だろう。
「――それで」
と口を開いたのは紅い装束の女だった。木陰に三人で座ってからしばらく経った頃である。
「これから、どうする?」
「どうする、とは?」
「今のまま茶をすすっているわけにもいくまい」
紅い装束の女が少しいらだったように続けるが、蒼い装束の女もまったくの同意見だった。今更戦う気などないが、さりとてこのまま別れるというわけにもいかない。こちらはいいが、日和は用があってここに来ている。何もせずに帰るわけにもいかないだろう。
だが、
「そうでしょうか。わたしには、こうしてお二方とお茶を飲むのは楽しいことなのですが」
当の本人である日和は、のんびりとした言葉で柔らかく微笑んだ。
「まったく、本当に何をしに来たのだか……」
紅装束の女は息をつき、茶を手に取った。
近くに置いてあった日和の荷には武器すらなかった。あったのは水の入った竹筒と小さな湯飲みと小さな急須、茶の葉。水出しの茶のため多少の時間が必要だったが、手馴れたように日和は準備を整えた。
「ふむ、美味い」
蒼装束は茶を一口飲み、頬を緩めた。完全に信を置いたわけではないが、日和の魅力に急速に惹かれつつあるのも否めない。
面白い奴、と思っている。どれだけの器か。
紅装束も湯飲みに再び口をつけ、日和も手に取る。湯飲みは三つ。まさかと思う。初めから茶を飲むことを考えて湯飲みを三つ用意していたのか。もし、そうであるならば、
(我らは、まんまとこやつの術中にはまっているということだな)
笑みがこぼれる。そのことが面白くてしょうがない。
久しい愉悦に気持ちのいい風を感じながら茶を楽しむ。これだけ穏やかな気持ちになるのも久しぶりのこと。そして、そうさせているのは間違いなく目の前の少女の持つ空気のせいだった。
妙な女だ――と再び思う。
十一家を名乗れば戦いを避けられぬと分かっていながら自ら名を名乗り、戦いに来たといいながら戦う気配がない。しかも、子を孕んでおきながら、無謀な戦いを挑んだ。体術は確かなようだが、我ら二人を相手にして無傷でいられることはなかっただろう。つまりは、
(戦いたくなくとも、戦わなくてはならぬ理由がある。退けぬ理由がある)
ということになる。だが、
(そんな事情があるにも関わらず、この女は――)
柔らかい空気を、優しい微笑を成している。時折、悲しい顔を覗かせるが、悲壮感というほどのものはない。
そして、そうでなければ、我らの分の湯のみまで用意などできないであろう。そうだからこそ、こうして自然と茶を飲めている。
――トッ
湯飲みを置き、蒼装束の女は落ち着いた声音で口を開いた。
「それで、童女――いや、日和と呼んだほうがいいか」
「はい」
「こやつの言うとおり、このままというのも退屈だろう。少し話をしようか、我らの、妖の話を」
蒼装束は軽く袖を揺らし、手を太股へと添えた。話す前に姿勢を正したというほどでもないが、多少の心は整える。あまり、この少女に情を移さないように自らを戒めて。
「先程、人を殺すことで徳が積まれると思っている馬鹿もいる、とはいったが、妖であれば、つまり、妖同士であればまた少し違ってきてな。格の高い妖の血肉を喰らえば力が上がるということはある――といわれている」
「それは?」
今までの口調とは変わり、断言しなかった物言いを不思議に思って問いかけると、蒼装束の女は苦笑して答えた。
「自ら経験したことはないからな。更にいえば、噂を聞いただけで実際に見たことはない」
「更に付け加えるなら」
よほど落ち着いて和んでいるのか親しい友に世間話をするように日和へと視線を向け、蒼装束の話の終わりに湯飲みを手で弄びながら紅装束が続けた。
「同族殺しの上、それを喰ったとなれば、そいつは追われる立場となる。いや、狩られる立場か。妖の世界にも決まりがあるからな。とはいえ、全てに害をなす化物も稀に出てくるようだが、幸いにも我らはまだ見たことはない」
「幸いにもまだ、な。何を血迷ったか、馬鹿なら近頃増えてきているようだが」
「どういうことですか?」
「その通りの意味だよ。格の高い妖を付け狙う動きが近頃目立っていてな。まったく馬鹿が増えると過ごし難くなって困る。そうは思わないか、日和。妖の世界でも――人の世界でも」
蒼装束の言葉と視線に、
「…………」
日和は湯飲みを置き、少しだけ目を伏せた。
「茶を貰えるか」
「はい」
顔を上げ微笑み、蒼装束から渡された湯飲みに注ぐ。
「悪いな」
茶を受け取り、蒼装束は一口付けた。
間を空けたかった。時はあるのだ、話を急ぐ必要はない。できうるなら、日和とはゆっくりと話をしたかった。性格的にも、日和は急ぐということは苦手のように見える。
紅装束の女も口を挟まなかった。挟むべきではないと心得ている。そして、日和も話すことはなかった。蒼装束の言葉が分かっているからこそ、日和も容易に口を開くことはなかった。話しには流れと順がある。相手の意を汲むのも、話の礼であり作法であり一つの興だった。何より、日和には一言では言い表せぬ内があった。それを想い、含み、自らの内にしっかり落ち着かせるには多少の時が必要であった。
――そうして、しばらくのこと。
「十一家に何があった?」
茶を飲み終わった後、その残り香を十分に楽しんでから蒼装束の女は静かに口を開く。
「ここ百年ほどは互いにいがみ合うこともなかった。行き過ぎたうつけを罰することはあっても、無用な戦いをすることはなかったはずだ。それが、今になってだ。今になって、十一家に不穏な影ありという。その影響でか、噂を信じ力を欲する妖が多くなった」
蒼装束は湯飲みを再び脇に置き一時の間を空けた。そして、ゆっくりと、鋭く日和へと視線を向ける。
「一体、何があった」
静かな口調に刃を忍ばせ日和へと問うた。本来ならば十一家と妖は敵同士。軽々しく内情を明かすわけにはいかないだろう。だが、そうだと分かった上で蒼装束は言葉の刃を向けた。逸らすことも誤魔化すことも許さぬように。
日和は僅かな悲しみを湛え、瞳を伏せた。今までの事――といっても、それほどの昔ではない。たった一年ほど。その一年の事柄を思い出し、一言では表せない乱れる感情を静かに胸に反芻する。内に秘め、沈ませ、自らで清める。
その一連の流れ――常に行っている心の整理に一時。そして、日和は蒼装束へと視線を向け呟いた。
「十一家の上首たる先々代第一家当主が亡くなりました。一年ほど前のことです」
「成程」
それだけで全てを理解する。先々代の当主、蒼装束も会ったことはないのだが、日和があえてその名をだしたことで、その当主たる人間がどれだけ力をもっていた人物だったか分かる。おそらくは、現当主よりも権力、影響力があったのだろう。隠居してなお権限がある事例など腐るほどあった。
そんな力ある人物が亡くなった。長が変われば、その家の性質も変わる。それは国でも同じこと。長い歴史の中で幾たびも繰り返してきたことだ。そして、それは妖の世界でも変わりはない。だから、だろうか。
だからこそ、蒼装束は日和の苦悩が分かった。