三
(力量を試してみようか)
ザンッ――!!
先程よりも一段速く日和の懐に入る。左足の踏み込みと同時に鳩尾へ向かって拳を突き出すが、日和は蒼装束の動きと同時にまた一歩後ろに退いていた。
また違和感がでる……しかし、蒼装束は構わず日和に近接した。空を切った左拳の引きの勢いと共に、回転させるように右足を踏み込み顔に向かって掌底を打ち込む。日和は眼前に迫る掌底を外へ逃げ、蒼装束の横へ、右腕を打ち込んだ構えの背へと足を滑らせた。背でも脇でも打ち込む隙はある。が、日和は打ち込まず左手を背に添えた。
(――――)
今までとは違う感覚に、思わず蒼装束は右足を起点に後ろへ左の回し蹴りを放っていた。顔に来る踵を、背に添えていた左腕で受け、日和はまた一歩、タンッと後ろへ退く。
僅かだが、身体の感覚におかしなものが混じっていた。しかし、蒼装束は回し蹴りを戻す形で右足を前に左足を後ろにし、もう一度踏み込む。まだ違和感は明らかにしていない。力量を試せてもいない。
鋭さを増させる。首を狙い放った拳は日和に捌かれるが、青装束はなお踏み込んだ。間合いを空けず、逃がさぬように日和の足へ自らの足を付ける。打ち合いを避けるなら足を付けられるのは嫌がるかと思ったのだが、日和は退かずに足を止めた。
顔、首、胸、鳩尾。腕や足を鈍らせる為に肩や膝も狙う。日和は受け、弾き、流し、捌いていくが、度々、後ろへと退いた。自分の間合いに誘う為の退きではなく、明らかに避けるための退きで。
それで、分かったこともある。間を外されていると思っていたのだが、日和は戦いを有利にする為に間を外していたわけではない。日和の戦いは純粋過ぎるほど真っ直ぐで、邪気がまったくなかった。駆け引きも狡猾さもまったくない。戦いに策を用いることなく、相手の全てを受ける戦いをしている。
そこまで感じ、面白い、と思う反面、
(危ないな)
とも蒼装束は思った。相手の全てを受けるのは余程の器がないとできぬことだが、例え全てが入る器でも器自体が壊される時もある――
動きを鈍らせるために足首を狙う。払うだけでなく、打撃を当て損なわせる左足の一撃を放ちつつ蹴り上げた右も意識した。案の定、足首を狙った左は日和が退くことですかされるが、蒼装束は足が地に着いた瞬間、左を軸に右の回し蹴りを放った。
速さと重さを更に加える。危ういと感じても惑うことはない。諭すわけでも、訓うるわけでもない……が、自身が壊される危機は感じさせる必要があると思っていた。甘いとは感じるが、そもそも「追い返す」と戦いの始めに考えた時点ですでに甘い。今更一つ増えてもそれほどの差はないだろう。
顔に迫る蹴りに、日和は身体を傾け足の勢いに合わせるように右手の甲を添えた。そのまま左足を後ろに滑らせることで身体全体を半回転させ蹴りを流し、動きを止めず続く蒼装束の左の上段蹴りに日和は流した右手をもう一度合わせた――と、同時、
ザッ――!
左足を蹴り上げ、僅かに軌道を逸らした上段蹴りの下を擦り抜けた。蹴りを放っている蒼装束の横へと踏み込み、空いている背へと日和はそっと手を添える。
違和感が増す。ゾクリとした感覚ではなく暖かいものに包まれ和まされるような――そんな感覚に、こちらの動きに対応した日和の受けに感心する間もなく、蒼装束は背に添えられた日和の掌を身体を回転させることで払った。正面へと向き合い、日和を掴み押さえ込もうと右手を伸ばす。が、それは後ろへ退くことで流された。
だが、蒼装束は空を切る右手を気にすることなくなおも踏み込み、日和に近接した。もう一段力を増す。日和の受けを壊すため――そして、違和感の正体を突き止めるため、速さと重さをもう一段加え、やや強引に踏み込んだ。
打ち込まれる蒼装束の掌底。重さが増す一撃に、日和は踏み込んでいる蒼装束の足に自らの足を合わせることで崩し、重心を逸らせ打ち込みの威力を衰えさせた。重心が揺るがされ鈍った打ち込みを右手で逸らし、添えた手首を返して腕を掴む。
自然、蒼装束の懐に入る形となった日和。瞬間、腕を掴んだまま蒼装束へと更に近づき、日和は胸へと左手を添えた――
(……成程)
間近に迫る幼き童女。その瞳と空気に触れ、蒼装束は内で頷いた。今更ながらに、童女の名を思い出す。
壊そうと力めば力むほど、この童女の空気に染められていく。そのことに気付き、蒼装束は日和の両手を払いトッと距離を置いた。同時、日和も後ろに退いている。どれだけ自分に利があろうとも日和は無理に攻めることはせず、必ず一旦は退いていた。
違和感が解かれ、蒼装束は自身の身体を意識した。戦いをしているというのに春眠を誘うような暖かく柔らかくなる心と身体、そのことに苦笑し日和へと視線を向ける。
「そうだな……簡単に名を答えたことで忘れていた。月隠といえば、妙な力があったな」
纏っている衣を僅かに靡かせ、蒼装束は襟を直した。一呼吸を置きたかった。和みそうになる心を正し、姿勢を整える。全てを始めに戻し、戦いの感覚を取り戻す為に。
「癒滅の力。他の家とは違った特殊な術。対した者が少ない為、我らも知っていたのは術の名だけだったが……なるほど、これは珍しい」
癒滅の力――力を与えることで癒し、力を抜くことで滅ぼす術。身をもって受けたその術の力を確認するように向けた蒼装束の言葉に、日和は微笑みで返事を返した。
「……まったく、やりにくいのう」
蒼装束の変化に気付いていたのか、癒滅の力と聞いて紅い装束の女も困り顔で頭をかいた。
「力だけではなく、戦う気まで抜かれているようだ」
それに関しては蒼装束の女も同意だった。こちらの力を抜き治めることが癒滅が術の戦い方なのだろうが、この童女の場合はそれ以上のものがある気がする。日和の纏う空気は他を和ませ、力を抜くだけではなく逆に小春の陽の暖かさと柔らかさを与えられ包まれている感じがした。
「…………」
蒼装束の女は一度だけ瞳を伏せ、内でふっと息をついた。どう考えても、このまま戦ったとて面白いことになりそうにない。いや、日和を「知る」面白さはあるが、倒すという戦いの面白さはすでに無く困惑だけが膨らんでいた。できうるなら、内の苦しい戦いなどあまりしたくはない。
(いや)
と、蒼装束の女は思い直し瞳を開いた。そもそも、なのだ。そもそも、こちらは戦いと臨んでいたが果たして相手はどうだったか。日和は戦いを臨んでいたのか。その心底は――
「童女。お前は何をしにここへ来た?」
蒼装束の問いに日和は笑みを消し……少しだけ、ほんの少しだけ間を空け、凛と答えた。
「戦いに」
「嘘だろう」
蒼装束は見逃すことなく即座に否定した。自ら触れ戦ったからこそ分かる。この童女は真っ直ぐすぎるほど純粋で偽りをできぬ人間だった。だからこそ確信を込めて続けた。
「視線に圧はなく、殺気すらない。戦う気配すらない」
向けられる鋭い視線に日和は困ったように視線を落とし、そして、
「そうですね」
静かに頷いた後、ニコリと微笑んだ。
「戦いには来たのですが、出来得るなら傷をつけるようなことはしたくないと思っていました」
「何故」
「傷をつけるのは好きではありません」
続けての問いに、日和は迷いなく答える。その瞳は本当に真っ直ぐで、心底から思っている言葉だった。