第62話 嘆きの魔法使いとすんごい抱擁
私が最初に向かったのは、西の塔だった。
そこからは、城内にいる全ての者の心を折るかのような、濃密な哀しみの波動が、絶えず放たれていた。
塔に近づくにつれて、その異常さは肌で感じられた。
廊下には、屈強なはずの近衛騎士たちが膝から崩れ落ち、ただただ、涙を流している。
「うっ……ううっ……もう、だめだ……」
「私の人生は何だったのだ……」
彼らは傷一つ負っていない。しかし、その心は完全に絶望に支配されていた。
これが、シルヴィアさんを乗っ取った、《嘆きの神の枷》の力。
塔の階段を一段、また一段と上るたびに、その哀しみの波動は私の心にも、容赦なく流れ込んでくる。
(私のスキルなんて、ただの破廉恥な呪いだ)
(お父様は私のことなど、もう……)
(私は、みんなの、お荷物なんだ)
忘れていたはずの過去の絶望が、次々と心の扉を叩く。
足が鉛のように重くなる。涙で視界が滲む。
もう、一歩も前に進めない。
私は、その場に、へたり込みそうになった。
しかし、その時だった。
ようやくたどり着いた、塔の最上階。そのバルコニーに立つ、一人の銀髪の少女の姿が目に映った。
シルヴィアさんだった。
彼女は、ただ、静かに、そこに立っていた。
その美しい横顔を、感情のない涙が絶えず伝っていく。
その姿は邪悪な魔女などではない。
ただ、永遠の孤独と哀しみの中に閉じ込められてしまった、一人の迷子の女の子にしか見えなかった。
(違う……)
私の心に、一つの、確かな想いが灯る。
(シルヴィアさんは独りじゃない……!)
私は彼女との、短い旅の記憶を思い出していた。
書斎で私のスキルのために、寝る間も惜しんで文献を調べてくれた、その横顔。
「不愉快です」と言いながらも、誰よりも、私のことを理解しようとしてくれた、その優しさ。
彼女は私の初めての友達だった。
「シルヴィアさんは独りじゃない!」
私は心の奥から湧き上がる、温かい何かを叫びに変えた。
私を縛り付けていた哀しみの枷が、砕け散る。
私は涙を振り払い、ただ、一心に、彼女の元へと走った。
「 来ましたか、異物よ!」
私の存在に気づいたシルヴィアさんが、ゆっくりと、こちらを振り返る。
その青い瞳は哀しみに濡れながらも、感情というものが、一切ない。
「この世界は嘆きに満ちている。希望など、まやかし。あなたも、ここで、真実の絶望に沈みなさい……」
彼女から放たれる、絶望の波動が、私に叩きつけられる。
しかし、もう、私の足は止まらなかった。
「シルヴィアさん!」
私は彼女の細い体を後ろから、力いっぱい抱きしめた。
何の作戦も、計算もない。
ただ、友達に、独りじゃないと伝えたかった。
ぽすん。
私の胸が、彼女の背中に、温かく、そして、確かに、触れた。
――奇跡は温かい光となって溢れ出した。
私の胸から放たれた、黄金の光が、シルヴィアさんの体を優しく、優しく包み込んでいく。
それは、彼女を苛んでいた、冷たい哀しみの波動を、春の陽光が冬の氷を溶かすように消し去っていく、慈愛の光。
シルヴィアさんの胸元に、《嘆きの神の枷》の力を象徴するかのように浮かび上がっていた青い紋様に、ピシッ、と、亀裂が走る。
そして、それは、光の粒子となって霧散していった。
「……哀しみの呪いを……温もりで、上書きした……」
私はユウキ様がこの場にいたら、きっとそう言って、新しいスキル名を付けてくれただろうな、と、ふと思った。
(スキル名、『聖なる抱擁』……ですね)
腕の中で、シルヴィアさんが、ゆっくりと顔を上げた。
「……ルルナ……? 私……何を……?」
彼女の瞳には、いつもの理知的な光が戻っていた。
その時だった。
ズゥゥン! という、城が揺れるほどの凄まじい衝撃音が、中庭の方角から響いてきた。
「……ダイン、ですね」
シルヴィアさんが、まだ少し弱々しい声で、しかし、的確に状況を分析する。
「彼の『憤怒』は、私の『嘆き』よりも、遥かに厄介ですよ」
彼女は、もう、いつもの私たちの、頼れる司令塔に戻っていた。
仲間を、一人、取り戻した。
私たちは互いの体を支え合いながら、次なる戦場――ダインさんが暴れる中庭を見据えた。




