無用之用
「谷山ちゃん、今晩は新入社員との懇親会だな。
美味い酒が飲める店を頼むよ」
「仕事はともかく、そちらには抜かりありません。
吟醸酒のいいのが置いてあるところです。
新人達も社長と話ができることを楽しみにしています」
「そうか、それは楽しみだ…」
尾浦社長は言葉を途中で止め、そのまま椅子から倒れ落ちた。
「社長、尾浦社長、どうされましたか!
いかん、意識がない。脳溢血かもしれん。
すぐに救急車を呼べ!」
それから1ヶ月後の役員会で、入院中の尾浦正敏社長が辞職し、その子息の涼真が新社長となることが決められた。
「では、新社長から一言お願いします」
谷山総務部長が呼びかけると、尾浦涼真は大会議室の演台に立ち、専務や部長を筆頭にそこに並ぶ社員の顔を見渡した。
「今日から僕が社長だ。
これまでアメリカの大学でMBAを取り、コンサル会社に務めて、顧客の会社の業績を上げてきた。
僕の目から見て、この会社はぬるま湯の中にいてまだまだ伸び代がたくさんある。いや、ありすぎる。
僕は全員野球という考え方は取らない。
苛酷な競争で選抜し、精鋭チームを作る。
選ばれたメンバーには人の羨むような待遇を与えよう」
そう話した涼真の前には、専務や部長達の幹部が無表情に沈黙していた。
それから涼真は、まず社内の各部から行われた新社長への事業説明に当たって担当者を徹底的に質問攻めにし、社員を疲労困憊にさせた。
ようやくそれが終わると、次に部長や課長に対して効率を上げるための宿題を出し、そのレポートを求めるとともに、社長室に決裁に来る社員を捕まえて、長時間質問して納得するまで社長の了解を出さなかった。
辟易した社員は社長室に入るのを避けるが、重要案件の最終決裁に社長の了解は不可欠。
社内は混乱する。
「谷山総務部長、新社長をなんとかしてくれ。
社長が納得しなくては案件は進められないという理屈はわかるが、これでは仕事が回らん。
そもそも我が社は総勢200人の中小企業。コンサルで相手にしていた大企業とは違うんだ。
前社長が息子には後は継がせないと言っていたのはこういうことだったのか」
常務が困り顔で頼み込む。
「しかし立派な経歴もあり、前社長が意思表示できない中、前社長の代わりの奥様が是非息子を社長にと求められましたからね。
なまじ最近我が社の技術が認められて業績が急上昇したのが裏目に出ましたか。
それまではそんな中小のボロ会社なんて関係ないと言われてましたから」
「それも長年前社長と我々がコツコツと努力してきた成果だ。
我が子のように大事に育ててきたこの尾浦機械を、いくらオヤジさんの息子とは言え、机上の理論のおもちゃにされてはたまらん」
前社長の片腕としてやってきた専務や各部長が愚痴をこぼす。
「わかりました。
しかしああいう方は正面から言っても理屈で跳ね返されるだけです。
搦手から工夫してみましょう」
谷山部長は社長室に入り、涼真に言う。
「社長が就任されて、どんな方か社員が知りたがっています。
社員との交流の為に懇親会を企画いたしたいと思いますので、ご出席をお願いします」
谷山は重役からの意見を正面から言えば新社長は反発すると考えて、飲み会の席で社員から直接改善を求めるように言えば、少しは考えてくれるのではないかと考えた。
谷山の話を聞いた涼真は不機嫌に返事した。
「不要だ。
社員は仕事をするためにここに来ている。
仕事以外の付き合いなどお互いに金と時間の無駄だ。
きちんと僕の指示に従ってくれることだけを望む」
「しかし、前社長は社員との飲み会を好まれ、コミュニケーションを深め、社員の本音を知ることは社長の大事な仕事だと言われていましたが…」
「はっ!
昭和の化石の発想だな。
とにかく僕はそんなことは一切やらない」
「では、会社の歓迎会や忘年会、またプロジェクト後の打ち上げなどは…」
「やりたい者同士で私的にやればいい。
会社としての企画は以後廃止する。
話はそれだけだ」
なおも言いたそうにする谷山を部屋から追い出した涼真は、女性秘書に営業課長を呼ぶように言う。
いつも素直に従う彼女だったが、珍しく控えめに話しかけてきた。
「すいませんが、お話が聞こえてきました。
僭越ですが、前社長から頼まれて、時々私達秘書が若手社員を集めて社長を囲むランチ会や社員の結婚祝いの会なども行っていましたが、これらも取りやめでしょうか?」
「ああ勿論だ。
秘書にはそんな雑用ではなく、僕の企画の調査などを行ってもらう。
そんな無駄なことをする暇はない」
「はぁ」
秘書は納得し難そうな顔で引き下がった。
(全くここの社員はなってない。意識が30年以上遅れている。
せっかく業績は好調だというのに、そこに安住して更に伸びようという意欲に欠けている。
これは徹底的な意識改革を行わなければならないな)
それから涼真はコンサル時代の仲間を会社に入れて、コスト削減や効率を上げるためのプランを練り、その実行を各部長達に迫った。
「おい涼真、いや、社長か。
各部の改革が進んでいるが、要の総務部は全然できていないぞ。
見ているとあの谷山という部長は席で仕事に励まずに社内をウロウロしてお喋りし、夜は飲み会ばかりやっている。
前社長の友達だったようだが、あの無能はクビにしたほうがいい」
コンサル仲間の進言に涼真は苦い顔で頷く。
「それは僕も考えていた。
総務部には人事評価と給与体系を抜本的に見直せと命じている。
今の年功序列の給与に少し業績評価を加味したボーナスでは全然ダメだ。
年功など関係なく、業績に応じて給与を決める。
そのためには人事評価も全面的に見直さなければならない。
それをあの谷山という男、そんなことは我が社の社風に合いませんなどと抜かしやがって、全然実行しない」
「社長の人事権でクビにするか飛ばしてしまえよ」
「それがあの男、幹部にも一般職員にも人望が厚く、おまけに労働組合からも受けが良い。
何かしら落ち度を見つけなければならない」
そんな話をしているところに、谷山がやってきた。
「社長、今度、商工倶楽部が開かれます。
地域の有力な会社の社長さんたちが集まられますので色々と勉強になると思います。
前社長は幹事をされていたので、是非ご出席ください」
そんなものは時間の無駄と言いかけたが、父が幹事をやっていたということは一度は顔を出さねばなるまい。
涼真は無愛想にわかったと答えた。
当日、夕方にホテルの宴会場で開かれた倶楽部で、涼真は谷山に連れられてあちこちで挨拶をしていた。
「親父さんの具合はどうだい?
彼とは本当に親しくしてもらっていてね。お見舞いにも行きたいので都合を教えてくれないか」
地元の優良企業の社長や地域銀行の頭取がにこやかに話しかけるが、ぶっきらぼうに最低限の返事しかしない涼真に辟易して途中から顔見知りの谷山と話す。
「彼もせっかく社業が順調な中で心残りだろうが、谷山君がいれば安心だろう。
彼にはこの倶楽部の事務もやってもらっていて、倶楽部の盛会は彼のおかげだよ。
谷山ちゃん、ここの料理もうまいが、この後は少しワインでも飲みに行きたいな」
「いえいえ、私など大したことはできていません。社長様達の人徳で和気あいあいとやっているのです。
ところで、そう言われると思って二次会は軽いスペイン料理の店を予約してあります。
ワインも良いものが揃っています」
「流石だね。
尾浦くんのところでなければ、引き抜いているところだよ」
自分よりも谷山が主客のように扱われていることに屈辱を感じた涼真は、このくそオヤジども、お前達と過ごす時間がもったいない、二度とここに来るものかと考えていた。
それから涼真は、谷山を追い払えるような材量を集め始めた。
手下となった社員に彼の行動を調べさせる。
「ふーん、毎日のように部課長の間をあちこち出入りして、何やら話している。
その合間に社員が入れ替わり総務部長室に出入りしていて、夜は社内を巡回したり、社員や社外の人達と飲みに行っている。
月に2回は社員食堂で昼飯を振る舞ったり、夜に懇親会やお祝いの会をして、専務以下の幹部も出席しているのか。
おまけに社員食堂での食事会や懇親会は無料で、外での飲み会も多くは奢り。
怪しいな、この金はどこから出ている?」
涼真が経理を洗っていくと、交際費として谷山にかなりの額が支払われていた。
交際費は総務部長が責任者であり、これはお手盛りの着服だろうと涼真はニヤリとした。
定例の役員会で事前に定められた議題が終わったところで、涼真は手を上げた。
「少し話したいことがある。
総務部長のことだが、これを見てくれ」
出した資料は谷山に支払われた交際費の金額。
「年間に数十万円が支払われている。
これは着服ではないのか。
しかし、長年父に仕えてきたことに免じて警察には言わずに自主退職としてもらおうと思う」
しばらく誰も話さずに沈黙が室内を支配した。
谷山部長は何も言わずに目を閉じていた。
(証拠を突きつけられて、この男も観念したか!)
涼真はそう思った。
そこに専務の低い声が響く。
「これはなんの冗談ですかな。
谷山部長が前社長の指示で、社員のコミュニケーションを活発にさせ、社の潤滑油となる為に社内食堂でのイベントの企画や悩みのある社員の相談に乗っていることはご存知ですか。
それに表ではできない社外との様々な付き合いも彼にお願いしている。
その為の経費を交際費として支出していることは、役員は全員承知しているし、彼はその領収書をすべて提出して経理課のチェックも受けています。
社長は無駄と言われるかもしれませんが、我が社がうまく回っているのは彼の働きに依るところが大きいと私は思っています」
思わぬ言葉に涼真は愕然とする。
「そうです。
各部で拗れた案件の調整なども彼に汗をかいて貰っています。
こんな中小企業でも、いや小さいからこそ中で一致団結することが大切です。
彼はその為に不可欠な人材です」
いつもはこういう場では黙っている常務が堪りかねたように発言した。
「専務に常務、ありがとうございます。
でももういいです。
無能かもしれませんが長年目をかけてくれた前社長や仲間のみんなの為に誠心誠意頑張ってきたつもりです。
まさか着服を疑われるとは私の行いが悪かったのでしょう。
いや、私みたいな人間は時代遅れになったのでしょう。
長い間お世話になりました。
社長の言われるように辞職させていただきます」
そう言って谷山は一礼すると退出した。
幹部達は冷たい目で涼真を見ると、彼を追って部屋を出た。
一人取り残された涼真は、気まずさを感じながらも結果オーライだと呟いた。
翌月の谷山の退職の日は会社を挙げての送別会となった。
涼真を一人残して玄関に社員が集まって見送りをする。
社長秘書も出ようとしたので、涼真は
「待て、どこに行く。
職場を離れるなと社員に言ってこい」
と怒鳴りつけた。
「では、休暇を取らせていただきます。
社長はご存じないでしょうが、私は新人の頃セクハラにあって辞めようかと悩んでいたとき、谷山部長が悩みを聞いてくれてその上司を叱りつけて異動させてくれました。谷山さんは恩人です。
他にも仕事の悩みや家族の問題を聞いてもらったり、美味しいお酒の飲み方を教えてもらったり、結婚相手を紹介してもらった人もいます。
みんな、谷山さんにお世話になり、彼がいるこの会社に尽くそうと思っていました。
そんな人に冤罪をかけて無理やり辞めさすなんて!
私は秘書のポストから変えてもらうように頼んでます。
ダメなら会社を辞めるつもりです」
そう言うと秘書は走って行ってしまった。
この秘書は有能で涼真の難題にしっかり答えてくれていたので給与も上げて厚遇していたつもりだ。
「変な奴も少しはいるさ」
涼真はそううそぶき、総務部長の後任にコンサル仲間をつけると大胆な人事評価と給与の改革を打ち出した。
部や課、更に個人ごとに業績に応じて評価し、給与を決める方式は、当初追い風に乗っていた会社の業績を更に上げる効果があった。
古手の幹部を辞めさせ、外から採用したり抜擢した部長や課長は目の色を変えて業績を追求した。
社員も業績が良ければ給与を倍増させ、悪ければ半減させるというシステムを理解すると馬車馬のように働く。
「見ろ、この成果を!
鞭を当てればまだまだ伸びるんだ!
何が仲良くやろう、全員団結してだ。
経済は競争だ!」
四半期の絶好調の業績と、『聖域なき改革を行う若き社長』という経済誌の記事で涼真は有頂天になっていた。
「この調子で、若手ナンバーワンの実業家に成り上がってやる」
しかし、1年も経った頃、尾浦機械の社内は荒れ果てていた。
一番最初に荒廃したのは総務部であった。
総務や経理という部署は業績システムの割りを食い、給与は削減され、優秀な人間は希望せず、やる気のない人間の溜り場となって、ミスが頻発した。
更に部長や課長、社員の間の争いが激化する。
誰もが自分の業績しか考えず、人の手柄を奪うなど日常茶飯事である。
自分の部署の予算を多めに確保し、難しい課題は人に押し付け、わかりやすい目標数値を達成する。
外部とのトラブルは我関さずで、放置しておく。
これまで丁寧な営業と繊細なものづくりで築いてきた評判はみるみる落ちる。
そして地域の会社との付き合いをやめた涼真を庇ってくれる有力者は誰もいない。
むしろ小生意気な小僧にお灸をすえてやると悪評ばかりが流れる。
止めは品質検査の手抜きがバレたことであった。
こんな金にならずにコストがかかることは最小限にしろという涼真の指示に、現場は真っ当な検査を止めろということかと解釈して、検査を偽装して出荷。
それが監督官庁へのタレコミによって暴露され、尾浦機械は工場閉鎖に追い込まれた。
「どうしてこんなことに…」
社長室で呻く涼真の耳に部屋のドアが開く音が聞こえる。
「誰も入ってくるなと言っただろう!」
怒鳴る涼真の目に杖を使いながら歩いてくる父が見えた。
「リハビリが進んでなんとか遠出できるようになった。
まさかこんな会社の姿を見るなら、あの時死んていれば良かったか。
お前にいくら会社の様子を教えろと言っても言わなかったが、こんなことをしているとは。
今の会社を回ってきたが、荒みきっていたな。
わしの頃にはピカピカだったトイレが汚れきっていた。
どんな状況か一番よくわかる」
父は疲れ切ったように言う。
「父さん、僕は経営学の教科書のセオリーどうりに最大に経済効果が働くようにしたのに何が悪かったのだろう」
さすがの自信家の涼真もこの結果に、父に合わす顔も無かった。
しゅんとした声で独り言のように言う。
「会社経営は持久戦だ。
ギリギリと機械の遊びをなくして精度を上げればよく動くようになるが、壊れるのも早い。
おまけにお前は潤滑油までなくしてしまった。
あの谷山は貴重な潤滑油だった。
彼がいれば多少の無理でも会社は動いたのに、それをなくして機械を締め付けて全力で動かせば無理が生じてこうなるさ」
「あの男、仕事をさせたら満足なレポート一つ書けなかったですよ」
「お前、中国の古典にある無用之用ということを知っているか?
旅人が若木を見つけて、この木は焚き木にも家具にも使えない役に立たない木だと嘲ったのが、後々にやってくると大木となって人々に休養の場として愛されていたというものだ。
目先でない有用さということが分からねば会社の経営などできない」
そこで言葉を切ると、息子の肩に手をやって語りかける。
「これを糧にして、コンサル会社に戻りなさい。
また会社経営がやりたければ自分で起業すればいい。
この会社はまだ技術力を買って救済してくれるというところがある。
これも谷山君が仲介してくれたのだがな」
「彼は辞めてからどうしているのです?」
「倶楽部で彼のことを買っていた社長にヘッドハンティングされて、そこの重役として活躍しているよ。
私のところによく見舞いに来てくれてな。
今度の騒動で会社を心配して他の会社に救済を頼んでくれた。
ああ、そろそろ時間だ。
今日は谷山君と飯を食う約束だ。
お前にも腹を割って話せる友ができればいいな」
そう言って去っていく父を見ながら、涼真は引っ張ってきたコンサル仲間が沈む船から逃げるネズミのように一斉に辞めていったことを思い出す。
せめて谷山に心から詫びよう、それがなければ再出発もできない。
涼真は慌てて父の後を追いかけて行った。