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2.死なずの呪い

「――紫苑様、これは一体どういうことでありましょう」


 どんな不気味な場所でさえ朝は平等に巡ってくる。

 死葬宮ひいては紫苑に仕える唯一の侍女、(マオ)は眼前の状況に眉を顰めた。


「死妃は王の寵愛も、夜伽も、権力もご興味なかったのではありませんか?」


 その視線の先には寝台に横たわる魁閻と傍に付き添う紫苑の姿。

 おまけに魁閻は上半身になにも纏っていない。この後宮内で自由に動き回れる男は限られているし、曲がりなりにも妃と朝を迎えたのであればそういう結論に至るほかないだろう。


「いや、信じてくれるとは思わないが誤解なんだ」


 身を起こした魁閻が慌てて取り繕うが、マオはまるで俗物でも見るように目を細める。


「――できた!」


 そこでようやくこの宮の主人が動いた。

 むくりと顔を上げ、頬に墨をつけながら嬉々として半紙を掲げた。


「おお、来たかマオ! 丁度良かった。見てくれ、この蛇に(イチイ)の模様……死を拒絶する呪いの刺青だ! こんなものはじめて見たぞ!」

「ああ、そういうことでしたか」


 主人の様子でマオは大体の状況を把握したようだった。

 彼女が魁閻に送る視線は冷たいものから一気に同情へと変わる。

 昨晩、寝台に押し倒された魁閻。それは体に刻まれた刺青の観察のためだったのだ。

 紫苑はそれはもう楽しそうに微笑みを浮かべ、寝ることも忘れ無我夢中でその刺青に触れ、顔を寄せ、筆を走らせ続けていた。


「……気は済んだか、死妃」

「なんだ。随分やつれておるな。気にせず眠っておれと申したであろう」


 それができたら苦労しない、と魁閻はぼんやりする頭を抑えながらため息をついた。

 曲がりなりにも跡目争い真っ最中の皇子がいつ寝首をかかれてもおかしくない状況で眠れるはずもなかった。


「マオ、紹介しよう。彼は魁閻。この国の第十三皇子であるぞ」

「いわれずとも存じております。何ゆえ皇太子殿下がこのような辺鄙な場所に」

「自身を殺してほしくて私を訪ねてきたのだ。不死の呪いをかけられたそれは面白い男だぞ」

「……まあ、それはそれは。お気の毒ですね」


 なんて感情が篭もっていない言葉だろう。

 主人も黒ければ、その侍女もまた黒かった。

 肩口で切りそろえられた黒髪。金色の瞳は左側が髪で隠れている。全身を隠す紫苑と揃いの漆黒の衣。冷淡な雰囲気はその名の通り猫のようだった。


「それで、呪いについてなにかわかったのか?」

「うむ。それに関して良い知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたい?」

「……では、悪い知らせから」


 あいわかった、と紫苑は刺青の絵図が記された用紙を魁閻に渡した。


「先ほど申したが、お前様の刺青は蛇と(イチイ)の模様だ。それはこの国では死を象徴するもの。正確にいえば、櫟は「死」を。蛇は「死と再生」を意味する。つまり、これは不死の呪いであると同時に、死を跳ね返すのだ」

「死を跳ね返す?」

「うむ。お前様の死を願い、お前様に死を与えようとした者に死を跳ね返す。まさに()()()の呪いだ」

「それはつまり――」

「ああ。だから、それはお前様にとっては悪い知らせになるだろう」


 魁閻の心がずしんと重くなった。


「これまで亡くなった者は皆、俺の死を望んでいたということか」


 目を伏せる魁閻に紫苑は僅かに間を開けて、そうだな、と真面目に返した。

 腹違いだが優しかった皇帝に相応しかったはずの兄が、魁閻を気にかけてくれた柔和な姉が、幼い頃から付き従っていた従者が――人を殺そうとしただなんて。


「権力に目がくらむと人は本性を現すものだ。この跡目争いの中で、それだけお前様が恐れられているということであろう」

「なにゆえ俺なのだ! 俺には跡目なんて興味はない! 皇帝の座につきたい者が勝手になればいいだろう!」

「その無欲さが、時に人を追い詰めるものなのだ。魁閻」


 立ち上がって息巻く彼をいさめるように紫苑は静かに諭した。

 先ほどまで死の呪いに興奮していた女とは同一人物には思えない。


「だが一方で、その死の呪いは困ったところもある。本来の天命を考慮せず、死を跳ね返してしまうのだからな」

「それは本来死すべきではない時に死んでしまうということか?」

「森羅万象、死の刻限は定められている。生を全うできないのは誤った死だ。誤った死を迎えた者の魂は逝くべきところに逝けずに彷徨い、また新たな誤った死の連鎖呼ぶ。それがお前様の呪いだ」

「俺のせいで、まだまだ人が死ぬということだな」


 そうだな、と紫苑はごまかすことなく正直に頷いた。


「さて、次は良い知らせだな」


 この状況で良い知らせを聞いて喜べるだろうかと思いながら、魁閻は紫苑の言葉を待つ。


「昨晩、お前様は死ねぬといったがそれは誤りだった」

「――じゃあ、俺は死ねるのか!」


 魁閻の目が期待に揺れた。自分が死ねばこの死の連鎖を止められる。


「その刺青、最初より広がっているだろう。それに広がる度に苦痛を伴うのでは?」

「ああ。最初は右腕だけだった。それがいつしか胸に伸び、背中に伸びてきたのだ。痛みも、それなりに感じる」

「うん。その刺青が全身を覆い尽くしたらお前様は死ねるぞ」

「そ、それだけでいいのか?」


 予想だにしない言葉に魁閻は目を瞬かせた。

 ではつまるところ、誰にも殺されぬように引きこもり、全身が刺青で覆われるのを待てばよいというだけだ。


「だが、その死はお前様が心の底から望んだものだとしても《《誤った死》》だ」

「な――」

「刺青が全身を覆い、お前様が死ねば――おそらく、この後宮中の人間が死に絶えるであろう」


 魁閻はあんぐりと口を開いた。


「それが……良い知らせ、なのか?」

「お前様が『死ねる』ということに関してだけは良い知らせであろう?」


 結局のところ、紫苑が話したことは全て『悪い知らせ』であった。

 自分のせいで周囲の人間が死に、最悪後宮に暮らす何千もの命を奪う――?

 そんなもの跡目争いどころの騒ぎではない。国家存亡の危機ではないか。


「どうにかして防ぐ方法はないのか!」

「その呪いによってもたらされる誤った死を阻止すればいい。そして正しい死を与えるのだ」


 さも簡単なことのように紫苑はにこりと笑った。


「――っぐ」


 その時、魁閻が呻き声をあげ崩れ落ちた。

 彼の体から青黒い靄がせり上がってくるではないか。


「これは……」

「ぐっ……っ、は……」


 痛みにもがくように魁閻は襟元を握る。

 紫苑が歩むより、衣服を寛がせてみると痛苦に呼応するように刺青が広がりはじめていた。


「呪いが広がっている……」

「それに関して、紫苑様に急ぎお伝えしたいことがあったのです」


 この状況でマオが口を挟んだ。


「――後宮内で五名の侍女が死に瀕しているようですよ」

「なっ……」

「ふっ、私が探さずとも死はこちらに近づいてきてくれるようだ」


 マオの報告に、紫苑は妖美に微笑んだのであった。

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