オンガクノチカラ
起きたら、彼がいた。
これがありのままの表現である。
相変わらず散らかってるけど、ギターやアンプは大切に置いてある俺の狭い1kの部屋…の中央あたりに少しだけあぐらをかいて浮いている彼。久しぶりに見たが相変わらず中性的な可愛らしい顔と首まで伸びたサラサラの髪の毛でこっちを見つめる。
夜勤バイトを終え泥のように眠った俺だが、疲れが取れていなくて幻覚を見ているらしい。
「忘れたはずなんだけどなぁ」
とポツリ呟くなり返す刀で
「いや忘れないでよ、4年も一緒にやったんだから」
とこれまた相変わらず少し高く透き通った声で呟く彼。
うーん。幻聴まで聞こえるとはこれはまた。たまに呼ばれるスタジオミュージシャンの仕事以外はバイト三昧だもんなぁ。少し自分に優しくしてやってもいいのかなぁ。
自問自答を続けていると
「ねぇ、ねぇ」
そう言いながら真横にフワーッと移動してくる彼。移動方向と反対になびく髪の毛が妙にリアルである。それにしても、何が悲しくてベッドの上で野郎二人になる幻覚なんか見なきゃいけないんだ。しかも旧友と。まあ厳密に言えば彼は浮いてるから同じスペースを共有しているわけではないのだが。
ふーっとため息をつき
「朝メシ食うか…」
と呟きくしゃくしゃのベッドから立ち上がる。
「昼の2時だけどね」
とフジ◯ンレベルの速度でツッコむ彼。
幻聴に返事をしてしまうと、何か取り返しのつかない事になりそうで無視を決め込む。冷蔵庫を開けると転がるマーガリンと調味料多数。以上。そうだ。バイト先のコンビニから貰ってきた廃棄食品は寝る前に食べたっけ。
「コンビニで買ってきたら?」
その声を聞かずともそのつもりであった。ほら、やはり幻聴じゃないか。結局彼は俺の心の声を読み上げて会話してる風に見せてるだけ。俺の疲れ切った脳みそがちょっとバグっただけ。そして彼はこう続ける。
「あれ?っていうか今日2時半からバイトじゃないの?」
そうそう今日は急遽ヘルプで2時半からバイト……え?視界の端にゴキブリを見た時の速度で壁にかかるオレンジの時計を見る。
「がああああああああああああああああ」
2時21分。バイト先までママチャリで10分。いそいで床に散乱してるtシャツとデニムを着て家を出る。
結果、バイトは間に合った。30秒前に着いたため、寝癖に汗だくで最初のお客さんに接客をすることになった。そのためタバコを番号でしか言わないようなお客さんに「兄ちゃん、大丈夫か?」とか言われてしまった。
その後はのらりくらり働き、18時にバイトを上がり今度こそはのんびりチャリンコで帰る。今日は夜勤の清掃バイトもないから廃棄おにぎりと菓子パンを食べてギターを弾いてさっさと寝よう。幻覚も見えるし。バイト中に見えなかったのは不幸中の幸いだった。
時は9月の終わり、今年は残暑がキツかったけど朝と夕方はようやく秋らしい気候になってきた。国道から一本入ったところにある築30年越の2階建てアパート、つまり俺の家が見えてきた。小さな自転車置き場にママチャリを止めて鍵を閉める。
毎年、秋が深まる合図の金木犀はまだ香らない。暑いのが苦手な俺はこの季節が来ると心躍るが、『あの日』以来毎年寂しさを感じる。そう、大学4年間バンド活動を共にし、メジャーデビューを決めた矢先にに突然いなくなってしまった漆田陽介。彼がいなくなった季節でもある。
もう2年になる。なぜいなくなってしまったのかとか、命についてとかそんな事はもう考え尽くしたしその結果、記憶に蓋をすることにした。でも今日見えてしまった。蓋を開けられてしまった。
もういない。もういない。頭の中でぐるぐる回る言葉。心ここに在らずで階段を登り鍵を開ける。あ、いた。
「おかえり〜」
俺の思考とは裏腹に呑気なその姿と声を無視してキッチンの向かいにあるユニットバスへ向かい、シャワーを浴びる。髪をシャワーで濡らす時、人は内省的になる気がする。冷静に幻覚を見る理由を考える。つまり、自分の無意識が映像に、音声になっている。という事は心の底で俺は蓋をした記憶と向き合わなければいけないと思っているのだろうか?確かに、葬儀の後墓参りにも行ってない。墓石に刻まれてあるであろう彼の名前を想像するだけでも息が苦しくなる。いつまで経っても会いに来ない俺を彼は萎え切らなく、または寂しく思うだろうか。
風呂を出て、無造作に髪の毛を乾かして部屋へ入る。散らかった中にある隙間に座り、貰ってきた廃棄おにぎりとパンを無我夢中で食べ、水で流し込む。飲まず食わずで労働をした後の食事はサイコーだ。そういえば彼は消えていた。
血糖値が上がるのがわかったが、眠気を押して部屋の隅にあるアコースティックギターを手に取り軽くチューニングを確認してポロポロ弾く。バンドは解散して、スタジオミュージシャンになったが曲作りは続けていた。もっとも、バンド自体に多くの曲を作っていたのは彼だったが。
バンドが解散した後に作った曲は何故か一つもモノにならなかったし、自分で録音して聴いてみてもピンとこなかった。でも今日はなんとなく、彼のために曲を作ってみようと思った。コードを弾きながら鼻歌でメロディを作り始める。しばらく経つと、曲の輪郭が浮き上がってくる。シンプルだけど悪くない。でもやはり何か一つ足りない。やはり俺には彼のような曲は…と思った矢先
「そこのコードディミニッシュの方がいいんじゃない?あと最初の部分セカンダリードミナント使って」
いつの間にか彼がいた。やはり見えるし聞こえる。
「メロディもこんな感じ」
徐に彼は歌い始めた。そして見えるし聴こえる。
鼓動が速くなるのを感じる。
違う。このコードやメロディの発想は俺から出るものじゃない。無意識の中でさえも出るようなものじゃない。
俺は気が付いてしまった。幻覚幻聴に喋りかけたら終わりだとか思っていた数時間前の決意は忘れていた。
「漆田…くん?」