10-1 黒焦げから始まる夫婦生活(3.1k)
40代の開発職サラリーマンだった俺が、剣と魔法の世界といえるこの異世界に転生してから一年と六十二日目のあの日。俺は【地獄の魔王決戦】で調子に乗りすぎてジェット嬢に黒焦げにされた。
激しい空腹感を感じて目が覚めたら、見覚えがあるような無いような天井が視界に入る。なにか台の上に寝かされているようだ。
服はガウン型の患者着か。つぎはぎだらけなところを見ると、規格外ビッグマッチョの俺用に即席で作ったようにも見える。
「目覚めましたか【魔王】様」
部屋に居たグリーンが声をかけてきた。
起き上がりながら応える。
「グリーンか。俺はどれぐらい寝ていたんだ? あと、ここは何処だ」
「今日は黒焦げにされた日から二日後です。ここは【魔王城】の医務室ですよ」
「そうか。内装がちょっと変わっていたからわからんかった」
ということは、今日は転生から数えて一年と六十四日目ということか。
「身体は大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。腹は減っているが調子はいい。グリーンが【回復魔法】で治療してくれたのか?」
「いえ、治療は【魔王妃】様が行いました」
ジェット嬢が【回復魔法】を使ったのか。
今のジェット嬢が【回復魔法】を使うには俺を繋いで波動生成するしかないが、その方法で俺の治療もできるということか。
「黒焦げにされたと思ったが綺麗に治ってるな。普通なら治療に一カ月以上かかるし、傷跡も残りそうなものだが。【回復魔法】はすごいな」
「実際に焼かれた直後は酷い黒焦げでした。でも黒焦げ自体は夜明けには綺麗に治っていましたよ。ここまで強力な【回復魔法】が使えるのは【魔王妃】様だけです」
ということは、俺が二日間寝ていた主な原因は黒焦げではなく【波動酔い】か。
いつぞやと同じで激しく空腹だ。コーヒー飲みたい。何か食べたい。
「【魔王妃】様が退屈しているので着替えて早く行ってあげてください。入口広場に居ると思いますよ」
いや、その前に確認しておくことがある。
「すまんが、鏡は無いか。ジェット嬢のところに行く前に顔を確認しておきたい」
グリーンがキャスター付きの姿見を運んできてくれた。
それで顔を確認したが、異常なし。ジェット嬢にボコボコにされたままの顔だ。
「あの時は申し訳ありませんでした」
【魔王討伐一周年記念祝賀会】で俺の顔面を修復したのはグリーンだったな。
あの後散々な目に遭ったが、まぁ、王の命令なら仕方ないか。
「気にするな。王の命令じゃぁ仕方ない。でも、治療後に激しい耳鳴りがしたぞ。何とかなるんだったら、今後のためにも改善してくれ」
「ありがとうございます」
あの時の件があるからグリーンが俺の治療をすることは無いだろうが、他のメンバーが怪我をした時のためにパワーアップしてくれるとありがたい。
それが出来る物かどうかは魔法が使えない俺には分からないが。
台から降りて軽くストレッチ。お気に入りのビッグマッチョボディは今日も快調。だけど空腹。
先に食事を摂りたかったが、ジェット嬢に頼んだら何か作ってくれそうな気もしたので先に着替えてジェット嬢のところに行くことにした。
派手にぶちかまして黒焦げにされて、それでどうやって会いに行けばいいのかという葛藤は無い。
俺は人生経験豊富な40代のオッサン。こういう時は普通に会いに行けばいいということを知っている。
俺もしかしてイケてる奴かもしれん。
そこで、軽食や弁当でジェット嬢の手料理は何度か食べていたことを思い出した。
そういう大事なことを忘れていたのも黒焦げにされた原因かな。
俺やっぱりダメな奴だな。
…………
いつもの作業着に着替えて医務室を出て、グリーンの助言に従い二日前に俺が焼かれた入口広場に出る。時間帯は昼間のようだ。
一見そこにも姿が見えないので、滑走路の方を見ようと入口広場の東側に向かう。
「あっ! 目が覚めたのね。散歩行きたいの。散歩行きましょ! 散歩!」
【魔王城】の陰から【散歩をおねだりする犬】状態のジェット嬢が車いすで俺の方に向かってきた。車いすの割には素早く近寄ってきて、俺の背後に回りこむジェット嬢。
そして
「なんでアンタあのハーネス着けてないのよ!」
ドカーン
怒ったジェット嬢に下から推進噴流で打ち上げられてしまった。
もはや着陸が特技となってしまった俺は【能動的質量移動による姿勢制御】で素早く脚が下向きの着陸姿勢へ。
着地準備のために下を見たら、地面が無い。
「どぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
バサバサバサ バキバキバキバキ ズザァァァァ
【魔王城】は東向きの急斜面沿いに建っており、入口広場の東側は急斜面。
つまり、崖。
入口広場の東端付近で打ち上げられた俺は崖の向こうまで飛ばされて、崖下の林に転落。木をクッションとして痛い着地。
常人だったら数本骨が折れてるような状況だが、さすがビッグマッチョだ。なんともないぜ。
それよりも、そんな荒業を出したジェット嬢の腰のほうが心配だ。
ビッグマッチョダッシュで落ちた林を抜けて、【魔王城】入口広場に向かう階段を昇り、俺を吹っ飛ばしたジェット嬢の元に戻る。
するとそこには、可哀そうな姿になったジェット嬢が居た。
車輪が歪んで座面が壊れた車いすに腰がめりこみ、バケツに尻がはまった幼児のような状態。
「失敗だったわ。【迫撃砲】みたいに上向きに撃てば反動で後ろに跳ばなくて済むと思ったけど、まさか車いすが潰れるなんて……」
【二連装ジェット迫撃砲】は失敗したようだ。
「そんな荒っぽいことして、腰は大丈夫なのか? また腰痛になるぞ」
「このぐらいなら大丈夫よ。でもこのままじゃ散歩に行けないから、とりあえず部屋まで運んでもらえるかしら」
大破した車いすからジェット嬢を救出し、縦抱き姿勢で持ち上げて【魔王城】居住区画にある俺達の居室に向かう。
抱き上げた時に、大腿部が【太く】なって、全体的に【重く】なっていることに気づいたが、そこは口には出さない。
それを口に出したら容赦なく殴られることは分かる。
俺だってそのぐらいは進歩してる。
縦抱き姿勢のジェット嬢が俺にしがみつく力が少し強くなった気がした。
俺達の居室に行くと、そこには大きく拡張された【滅殺☆ジェット箱】があった。イエロー作とのこと。その上にあった俺用のハーネスを着用して、いつもの背中合わせスタイルとなる。
食堂にてアンとメイに軽食を用意してもらい、それをバスケットに入れて西側の台地に散歩に行く。
「台地の草刈りがずいぶん進んだな」
「グリーンが頑張ってくれたのよ。雑草は刈るたびに生えてくるけど、それを片づけるのも楽しいみたい」
「なんか分かる気がする。草いじりとか土いじりとか、たまになら楽しいな」
何となく【魔王城】裏側の井戸のところに来た。夫婦の井戸端会議だ。
「そういえば、イエローとブラックの姿が見えないが、出張中か?」
「首都に出張に行ってもらったわ。あと七日ぐらいで帰って来る予定よ」
「出張と言えば、ブルーはいつ頃戻るんだろう」
「それが、連絡が無いのよ。あの飛行機は早く使いたいのに」
「アレはもう、いいんじゃないか」
「いや、アレは必要よ」
俺は前世世界では既婚で子持ちの40代オッサンだった。だが【結婚式】はしていない。妻が再婚だったので双方合意の上で省略したのだ。
だから当事者目線での【結婚式】というものは実はよく分からなかった。
だけど今なら分かる。【結婚式】は共に生きる二人の小さなイベントに過ぎない。何らかの収穫はあるのだろうが、夫婦の関係は何も変わらない。
同じように、俺達の日常も変わらない。
黒焦げにされた上に、崖から落とされたとしても。
でも俺はあの【結婚式】で確かな収穫を得た。
ジェット嬢が一緒なら、俺は黒焦げにされても死なないことが分かった。




