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(改稿版) 君がいない明日 僕のいない春

作者: 狸寝入り

 僕はいつも一人でいた。寂しいとかそういうことも思わない、何故なら本があったからだ。


 本は色々な人物の人生の元へと連れていってくれた。


 だけど、母はそんな僕を心配そうに見てくる。


 だから何時しか、放課後に図書室に残って、司書の仕事をしながら本を読むことが日課になっていた。


 理由は友達がいると思わせるためと、静かに本を読むためだ。


 そんな僕が学園の二年になった春、その日常に変化が訪れた。春から夏に変わった今でもそれは続いている。


 放課後、ほとんど生徒のいない図書室のカウンター席で本を読んでいると、廊下からドタバタと足音が近づいてきた。


 本を読むのをやめ、僕は廊下から響いてきた音にあきれながらため息を漏らす。


「はぁ~。来たか」


 部屋に響く足音が図書室の前で止まり、僕は呟いた。


「こんちは、先輩」


 そう言って入ってきたのはこの学園の一年で、名前は忍野未央おしのみおボブショートの髪型で、身長は高校生男児平均身長の僕より十センチほど小さな女の子だ。


 何故か春から僕に付きまとっている。


「静かにしろ。ここは図書室だぞ」


「すみません。それより先輩、先輩。準備はできてますか?」


「なんの?」


 僕はジト目で、反省の色の見えないニコニコとした表情の後輩にそう返す。


「何って、明日から夏休みですよ。私と遊びますよね?」


「そんな予定はない」


「しどい! 私は、楽しみだったのに」


「しどいってなんだよ。そんな約束した覚えはないけど?」


 いくら記憶を探っても、思い出せない。


「え? あ~、言ってませんね。じゃあ今、約束したということで」


 頭はすっからかんなのか? 事でじゃないだろう。


「なぁ、俺は遊ばないぞ」


「どうしてです? どうせ本を読んでるだけでですよね?」


 不思議そうな表情と声で、失礼なことを平然と言ってくる。


「そうだな」


「あ~そ~ぶ~の」


 駄々っ子のように返却カウンターに上半身を乗せて、じたばたと暴れだした。


「分ったから、静かにしろ」


 他の生徒の目が痛くて、そう返す。


「やったー! 絶対ですよ、絶対」


 そう言って、ハニカム未央に何も言えなくなるのだった。


 ・・・・・・・・・・


「終わりましたね」


「ああ、そうだな」


「じゃぁ、お昼食べに行きましょう」


「そうだな。行くか」


もう、抵抗する気力がない。


 作業自体は一時間ほどで終わり、先生に引き継ぎを頼んで学園を出ていく。


 学園から徒歩で五分程の場所で、未央は立ち留まり「ここです」と言って店先の暖簾を潜って、店に入って行った。


 僕もその後に続いて入る。


「らしゃい。そこに座ってくれ」


 入ると、威勢のいい店員に入口すぐの掘りごたつの席に座るように言われた。


「焼肉屋って、ほかの仲いいやつを誘えよ?」


 靴を脱いで、畳に上がりながらそう言う。


「え~。女子だと入りずらいんですよ。あ、大皿二枚とライス二つ。飲み物は、ウーロン茶で」


 未央は座るなり、勝手に注文を決めてしまった。


「おい、そんなに食べるのか?」


「えっ男子ってキロはたべるんじゃないんですか?」


 何処のレスラー基準だ。


「はい、おまちどう」


 運ばれてきた皿にはお肉が山なりにのっていて、一キロくらいはのっていそうだと思った。


「いただきます~。さあ、焼きますよ」


「そうだな……いただきます」


 未央は嬉しそうに手を合わせて、僕は食べきれるか不安になりながら手を合わせる。


「先輩ってこの夏休みの間、ずっと本を読んで過ごすつもりでしたか? あ、肉どうぞ」


 焼けたお肉をトングで渡してくれた。


「ああ、ありがとう。そうだな、司書の仕事以外に予定はないからな」


 そもそもその仕事も自分から頼んでやらせてもらっている状態なんだけど……先生は嫌な顔一つせずに帰らせてくれたな。


「それはもったいないですよ」


 お肉を一枚食べて、そう言ってきた。


「別にいいだろ?」


「良くないです! 週末、来週末にまた遊びましょう」


「嫌だよ、めんどくさいし」


 お肉を食べながらそう言い返す。


 味噌風味のタレと肉の油が、箸をすすませた。


「あ、焼けましたよ。どうぞ。いや、先輩に拒否権はないですよ」


「ああ、ありがとう。どうして?」


「だって、こんなに可愛い後輩に誘われたんですからね」


 そう言ってウィンクを見せてくる。


「いや、あぐ!!!!!!」


 焼けた肉を口に詰められて、黙らされた。


「……絶対に遊びますから」


 小さな声で未央はそう言って、黙々と食事を始めてしまう。


 僕も口の中の肉を何とか飲み込んで、食事に集中する。


 ・・・・・・・・・・


 昼食すまして駅前の広場で未央の乗る電車の時間まで過ごす。


「いや~、よく食べきりましたね」


「頼みすぎだ」


 未央の言う通りよく完食で来たなと思う。


「あはは、電車来るのでこれで……」


 俺の悪態を、笑って流されてしまった。


 そして、背を向けて駅に歩いて行く。


「週末、何時だ?」


 その背中にそう声をかける。


「え?」


 不思議そうな声を出して、振り向いた未央に――


「来週末、遊ぶんだろ?」


 照れくさくなって、鼻頭を搔きながらそう聞く。


「~~先輩! もう、素直じゃないんですから。朝八時に、この広場に来てください」


「分った。約束だ」


 少し顔を赤くした未央はそう言って、ホームに入って行った。


 その日から、約束の日まで未央とは会うことはなく、どこか落ち着かない日常が続き迎えた約束の日。


「よし、行くか……」


「あら、こんな早くにどこに行くの? 学校はまだ休みでしょ?」


 家を出ようとして、母親に呼び止められた。


「友達と待ち合わせしてるんだ」


「そう……最近物騒だから、気を付けてね」


 何か言いたげだったが、それ以上は言わないで送り出してくれる。


「ありがとう、行ってきます」


 ・・・・・・・・・・


「おはようございます! 先輩」


 待ち合わせ場所に行くと、笑顔で未央が手を振って声をかけてきた。


「悪い、待たせたか?」


「いえいえ、時間ピッタシですよ。それよりも、言うことないですか?」


 未央がくるりとその場で、ターンをする。


「? そのリュックはなんだ?」


「はぁ、本当に朴念仁ですね~。先輩」


 そう言って、やれやれと言いたげなしぐさをして見せてきた。


「どういう意味だ?」


「服ですよ、服」


 よく服装を見ると、以前よりもお洒落な気がする。


 茶色のチェック柄のトップスに、白いワイシャツ。下は薄い緑色で確か、フレアスカートとかいうやつだ。


「制服じゃないんだな」


 凄く似合っていると思ったが、照れ隠しでついそう言ってしまう。


「もういいです」


 未央は口を膨らまして、ホームに一人で歩いて行く。


「どうしたんだよ?」


「早く来ないと、おいていきますよ」


 途中で一度立ち止まって、ツンとした声でそれだけ言って、また歩き出してしまう。


 未央に追いつき、ICカードでホームに入り、電車に乗り込む。


 なんとか機嫌を直してもらうまでに、気が付けば住んでいる町から3駅離れた町にある新幹線の券売所にいた。


「どこに行く気だ。言っとくが、お金はそんなにないぞ」


「ああ、安心して下さい。はい、これ」


 カバンから切符を取り出して、差し出してくる。


「本当にどこに行く気なんだ?」


 道中、すっかり聞き忘れていた。


「本当に先輩って、面白ですね。今まで聞かれないから、どうしたのかと思いましたよ。阪神ですよ、阪神」


「え、阪神って日帰りで行けるのか?」


「う~ん。行けなくないと思いますが、今回は一泊ですよ?」


「ちょ。俺、何の用意もないんだが……」


「服なら向こうで買えますし、電車来てるので行きますよ」


 背中を文字どうり押されて、改札を抜ける。


 未央の荷物が多いのはそのせいか……


「あ、あの車両ですよ」


「ああ、分った。家に電話するから先に行っててくれ」


「は~い」


 三度目のコールで、繋がった。


「あ、母さん。いや、泊りになったから。うん、ありがとう」


 どこか嬉しそうな声であっさりと、許してくれる。


 電話を終えて、未央のところに行く。


「先輩。お帰りなさい」


 渡してもらっていた切符の席に行くと、未央がニコニコと笑顔を向けてくれた。


「ああ、お待たせ」


「あ、動くみたいですね」


 アナウンスに反応して、そう言ってくる。


「そうだな」


「その~先輩、怒ってますか?」


「何が?」


 不思議に思いながら、そう聞く。


「急に泊りのお出かけになったことです……」


「え、ああ。驚いたが、怒ってはないぞ。むしろ納得したしな」


「納得ですか?」


「未央がそのリュックを持って、可愛いい服を着てるから何かあるとは思っていが、こういう事だったんだなって」


「~~~今更言うとか、ふいうちです」


「え? なんだ?」


 うつむいて何かを言った気がしたが、聞き返しても無視をされた。


 阪神に着く時間は三時間後なので、持ち歩いている本を読むことにした。未央は窓から、外を見ている。


「……」


「……」


 本のきりがいいところで、横に座る未央に視線を向けた。


「はにゃ!?」


「どうした?」


 何時からか、こっちを見ていたらしく目が合った。


「え、え~と。何を読んでるんですか?」


「? 銀河鉄道の夜だけど」


「へ~。あのあの、先輩……」


「気分悪いのか?」


 珍しく歯切れが悪い感じで心配になる。


「いえ、あの……スマホの番号教えてもらえますか……」


「いいぞ? はぐれた時にに便利だしな」


「ありがとうございいます」


 嬉しそうに声をはずまして、元気になる未央をみて何故か安心した。


『阪神、阪神』


 車内アナウンスがなり、ホームに到着する。


「今からどうするんだ?」


 新幹線から降りて、未央にそう聞く。


「まずは地下鉄に乗って、移動ですよ」


 未央に案内を頼み、十五分ほど電車で移動し、目的の場所についたのか未央が電車を降りたので僕も降りる。


「着きましたね! ソースの香りがします」


「いや、べつにしないが」


「え~。先輩は本をたくさん読むのに、情緒ってのがないんですか?」


「いや、それはこの街の人にに失礼だろ?」


 未央が言うことを肯定するなら、豚骨発祥の地は豚骨匂いということになってしまうので、僕は適当に流す。


「まあ、いいです。服屋に行ってからお昼にしましょう」


「荷物になるし、服屋は後でいいんじゃないか?」


「いやいや、先輩は着替えるべきです」


「なんで?」


 別に汚れてはいないけどな。


「だって、制服じゃないですか! 今まであえてツッコミを入れませんでしたが、私がコーデするので行きますよ」


 未央は俺の腕を引っ張って、目の前にあった建物に入っていく。


「こんなのがいいのか?」


「いや~。我ながら見事なセンスです~」


「お客様。もしかして、俳優ですか? 凄く似合ってます」


 やり手の店員さんなのか、おだてて勧めてくれる。


「このまま着ていきたいので、お会計お願いします」


 未央も気に入っているので、このまま会計することにした。


 鏡に浮かぶ自分は、普段気もしないような無地の栗色シャツの上からグレーのパーカを着ていて、下は制服のスラックスのままだが、お洒落というものをしている気がする。


「はい、ありがとうございます。良かったですね、こんな素敵な彼氏がいて」


「ふぇ! 違います。先輩です、先輩」


「そうです、ただの後輩です。いてぇ」


 何故か未央が店員さんに見えないように足を蹴ってきた。


「いや~、いいもの見せてもらったので、割引しますね。後、荷物は駅にあるロッカーに預けるといいですよ」


 店を出るときに、親切に店員さんが近くのコインロッカーの場所を教えてくれた。


 ロッカーの場所は地下鉄の切符売り場の近くなので、分からなくなる心配はなさそうだ。


 二人分の荷物を預けて、地上にもう一度上がる。


「どこで、食べるんだ?」


 買い物の後はお昼と言っていたので、そう聞いてみた。


「そうですね~」


 機嫌よさそうにあたりを見て未央が――


「ここにしましょう」


 指さしたのは、オヤジの人形が入口に置かれた派手な串カツ屋さんだ。


「いらしゃいませ、何名様ですか?」


「二人です」


「では、こちらにどうぞ」


 すぐにカウンター席に、案内してもらえた。


「昔、テレビで見て来たかったですよ」


「僕も、見たことあるよ」


「有名ですもんねこれ」


 そう言って、二度付け禁止のソースを指さす。


「そう、そう独特だよな。にしてもすぐに入れて、ラッキーだったな」


「はい、私の日ごろの行いが良いおかげですね」


 凄く上機嫌なので、そういう事にしておくか……


「とりあえず、ペアセットでいいか?」


 メニューにあったお勧めを提案する。


「はい、って、今流しましたよね?」


 俺はそれを無視して、注文を店員さんに伝えた。


「お待たせしました。左からの豚、牛、鳥、チーズ、エビ、たこ焼きになってます」


 若い女性の店員さんが料理を運んできて、そう説明してくれる。


「あの、もし二度付けしたらどうなるんですか?」


 未央が目を輝かせ好奇心旺盛に、そう質問をした。


「え? そうですね……二十年はタダ働きを覚悟してくださいね」


 少し考えた後、優しい声でそう言ってくれる。


「了解です。絶対にしません」


「フフ、そうしてください。では、ごゆっくりどうぞ」


 ノリのいい店員さんはそう言って、厨房に戻っていた。


「「いただきます」」


 手を合わせて、串カツを食べる。


 具材もそうだが、ソースが今まで食べ事のない深い味で、すごく美味しかった。

 お昼ご飯を食べ、ウインドウショッピングをしていると、十九時を過ぎてしまっていた。


「そろそろ、泊る場所決めないとな」


 僕一人なら最悪マンガ喫茶でもいいが、未央がいるのでそうもいかない。


「そのことなんですが、実は予約してあるんで荷物を回収して向いましょう」


「そうなのか、ありがとう」


 最初から泊まるつもりだったからか、ちゃんと用意してくれているようだ。


「いえ、いえ。お付き合いありがとうございます」


 荷物を回収した駅に直結する形で、予約していたホテルはあった。


「なあ、未央。お前って、金持ちなのか?」


 見るかに高そうなホテルのロビーに少し驚く。


「いえ、違いますよ。たまたま、キャンセルがでたみたいで安かったんですよ。受付してくるので、荷物お願いします」


「おう、頼む」


 荷物を受け取って、未央の背中を見送る。


 どうして僕を誘ったんだろう。ふとそんな疑問が、頭によぎった。


 ・・・・・・・・・・


「どうした?」


 考えを巡らせていると、浮かない顔で未央が戻ってきたので聞く。


「とりあえず、部屋に行きましょう」


「おう」


 本当にどうしたんだ?


「ここです」


 部屋に入る未央に続いて、僕も部屋に入る。


 中はかなりの広さで、ユニットバスの他にソファーにテレビ、クイーンサイズのベットまでもあった。


「すごいなこれ、未央の部屋か?」


「いえ……」


「いや、僕が泊まるのは悪いよ」


「……実はこの一部屋なんです」


 凄く申し訳なさそうだ。


「え?」


「ホテルのミスで予定の部屋がうまってしまって、代わりにこの部屋を同じ値段で貸してくれたんです」


「なるほど。なら僕は、マンガ喫茶にでも行くから気にしないでいいぞ?」


 こればかりは仕方がないので、未央の荷物を置いて部屋から出ようと扉に向かう。


「ダメです! 先輩さえよければ一泊だけですし、ここにいてください」


「未央が良いならそうするか……」


 強い語気で呼び止められ、僕はそう答える事しかできなかった。


「はい。とりあえず、お先にシャワーいただきますね?」


「ああ、疲れたしゆっくりしておくよ」


 ソファーに座って、そう返事をする。


「あ、覗かないでくださいね?」


「しないよ!」


 シャワーに行ってる間は本を読んで過ごし、聞こえてくるシャワーの音に意識がいかないようにする。


「お先です、先輩。隙間開けて、待ってたのに本当に覗きませんね」


「…………」


「どうしたんですか?」


 ぼうっと、シャワー上がりの未央に見とれてしまっていたようで、不思議そうに聞かれた。


 ホテルのシャンプーの匂いなのか、未央自身の匂いなのか分からないが、甘いミルクのような匂いに心臓の鼓動が速くなるのを感じる。


「いや、シャワー行ってくる」


 早口でそう言って、シャワーの方に向かう。


「え? そうですか……」


 どこか寂しそうな声だが、気にしている余裕はなかった。


 ・・・・・・・・・・


 シャワーから戻ると未央がの姿がなく、仕方がないのでソファーに腰を下ろす。


「ただいまなのです」


 ドアが勢いよく開き、凄く上機嫌な未央が入ってきた。


「どこに行ってたんだ? 危ないぞ」


 旅先で浮かれるのは分かるけど、夜に出歩くのは良くないと思う。


「すみません、買い出しです!」


 反省はやはりなさそうだ。


 嬉しそうにビニールの手提げを見せてくる。


「買い出し?」


 これ以上注意するのもしんどいし、話を進めることにした。


「はい」


 手に持っていた袋からお菓子や飲み物を取り出して、テーブルに置く。


「すごい買ったな」


「さあ、先輩も」


 レモンの絵の描かれた飲み物を、手渡してくれる。


「ありがとう」


「はい、カンパーイ」


 缶を軽くぶつけて、一口飲む。


「げふぉ、げふ。これお酒じゃないか?」


 苦みとのどが焼けるような違和感から、咽てしまった。


「はい、一度飲んでみたくって! 痛、何するんすか先輩?」


「没収だ」


 軽く頭をこずいて、缶を奪う。


「えぇ、まじめですね~。これなら、いいですよね?」


 僕が本当に怒っているのを察したのか、医者ペッパーマンと書かれたペットボトルの飲み物を取り出して、見せてきたのでアルコールの文字がないか確認して許可だす。


「はい、どうぞ」


 紙コップに注いで渡してくれる。


「ありがとう」


「杏仁豆腐みたいな味ですね?」


「そうだな」


 不思議な味の飲み物を飲みながら、スナック菓子をつまむ。


「トランプしませんか?」


 袋からトランプを取り出しながら、そう提案してきた。


「いいぞ」


 少しくらいならいいかと、そう返事を返す。


「六回勝負で負けたら一回ごとに何でも言うことを聞くことで、いいですか」


「……ああ分った」


「あ、エッチなのはダメですよ?」


 にやにやと言ってきた。


「しないよ」


 未央はにししと笑って、トランプを切っていく。


 一回目は未央の提案で、ババ抜きで勝負して未央が勝った。


「負けか」


 罰ゲームが不安で仕方ない。


「では、先輩。嘘なしで言ってください。今日は楽しかったですか?」


「ああ、……うん、面白かったよ」


 毒気を抜かれてしまいながら、答えた。


「それは良かったです」


 ホッとした、表情を浮かべる。


 二回戦は僕が、ババ抜きで勝った。


「なあ、未央。何で僕と旅行に行こうと思ったんだ?」


 未央が質問だったので、僕それにならううことにする。


「それは、行きたいからじゃダメですか?」


「そうか……」


「どうしたんですか?」


「いや、誘ってくれてありがとな」


 何か他の理由がありそうだったが、聞かないでおく。


「はい」


 三回戦は神経衰弱にゲームを変更して、まさかの未央の勝利。


「そうですね~。あ、学園に気になる子いますか?」


「いや、いないな。未央以外と話しすらしないし……」


「未だに、ボッチなんですね?」


「未だにって、僕は一人が好きなんだ」


「寂しくないですか?」


「いや、べつに」


「そうですか……」


 どこか寂しそうな表情だ。


 その後もゲームは続き、二回とも負けて最後の勝負。


「ラスト、だな」


「はい。最後も勝たしてもらいますよ」


 勝敗は山札から一枚とって、数字がでかいほうが勝ちというシンプルなものにした。


「よし、十一だ」


 これは勝っただろう。


「私は……十二です。やった勝ちました、勝ちました」


「……で、罰ゲームは?」


 投げやりになって聞く。


「そうですね~。今度、夏祭りについてきてください」


「そんなことで、いいの?」


 最後の勝負なので、凄いことを言われると思っていたため、驚いてしまう。


「はい」


「分かった。行こうか、夏祭り」


「ありがとうございます」


 僕なんかと出かけられて何がそんなに嬉しいか疑問だが、未央の幸せそうな顔は忘れられそうにない。


 ・・・・・・・・・・


 ゲームが終わり眠くなってきたので、眠ることにする。


 眠る場所は未央の提案で、じゃんけん決めた。


 僕が勝ったので有無を言わさずに僕がソファーで眠り、未央にはベットで眠ってもらう。


 その日は不思議な夢を見ていた。


 学園の入学式の日、未央抱えて保健室に行く夢を……


「……な、なんだこれ」


 寝ぼけながら、自分の体にまとわりついたものを触る。


 フニフニと柔らかい。


「あふぅ。くすぐったいですよ先輩……」


 その声にビックリして、意識が覚醒する。


「未央? 何で……いや、そうか僕は寝ぼけ……」


 僕はトイレで起きた時に寝ぼけて、ベットで寝てしまったようだ。


「まずいな……今、未央が起きたら言い訳できない」


 体を動かそうとしたが、抱き枕を抱くように抱き着かれて身動きが取れない。


「なんて、力だ」


 凄い力で僕の胸に自分の胸を押し当ててくる。


 未央がからまた甘いミルク匂いがしてきて、心音が上がっていくのが分かる。


 この匂いは完全に未央自身の物だと、昨日同じシャンプーを使って分かった。


「うん~」


 今だ!


 寝返りをした隙に、何とか離脱する。


 顔を洗って冷静さを取り戻し、戻ると未央が起きていた。


「あ、先輩おはようございます」


「お、おはよう。ごめん……」


「? どうしたんですか?」


 つい謝ってしまった僕を不思議そうに見てくる。


「いや、そうだ。今日はどこ行くんだ?」


「?? 水族館に行きましょう」


 適当にはぐらかしてしまったが、お互いのために黙っておくことにした。


 ・・・・・・・・・・


「先輩、ジンベエザメですよ」


「おお、デカいな」


「はい、でも可愛いです」


 地下鉄を乗り継いでたどり着いた水族館で、早速目玉のジンベエザメが泳ぐ水槽を見に来ていた。


「写真撮りましょう」


「え? 分かった」


 未央のスマホで、自撮りのように写真を撮る。


 かなりくっつくので、恥ずかしい。


 写真を撮り終えて、移動する。


「わ~先輩、先輩。トンネルですよ」


「凄い光景だな綺麗だ」


 エリア移動の時に、透明のトンネルを通ると周りが水槽になっていて、まるで水の中を歩いているような気持になった。


 館内を時計回りに一周見て回り、最後にお土産コーナーに入る。


「先輩、このストラップ可愛くないですか?」


 ジンベエザメがたこ焼きを持ったストラップを、手に持って見せてきた。


「欲しいのか?」


「え? う~ん。軍資金が厳しいので、我慢ですかね~」


 値札を見てそう言ったので――


「買ってあげるぞ」


 自然とそんなことを言うことができた。


「え、いいんですか?」


「ああ、旅行のお礼だ。何だかんだ、全部出してくれているだろ?」


 移動の時に、ホテルと新幹線のチケット代を払うと言ったのだが、すべて断られたのだ。


「気にしないでくださいよ~。でも、ありがとございます」


 会計を済ませて、水族館を出る。


 来た道を戻って、新幹線の乗り場を目指す。


 新幹線の乗り場につくまでの間、未央はスキップしそうなくらいに浮かれていた。


 到着した新新幹線に乗り込み、座席に向かう。


「先輩、先輩」


 新幹線の座席につくと、声をはずまして呼ばれる。


「どうした?」


「開けて、いいですか?」


 先ほどの水族館の手提げを見せてきた。


「ああ、もちろん良いけど」


 手提げから紙袋を取り出し、丁重に開ける。


 その中から、ストラップを取り出して自分のスマホに付ける。


「ありがとうございます。大切にしますね」


 幸せそうに笑う未央を見て、僕も嬉しくなった。


「――せ――ぱい」


「……未央?」


「あ、起きましたね? 駅に着きましたよ」


「ああ、悪い」


 どうやら、寝てしまったようだ。


 荷物を持って、新幹線を降りる。


 そこから地元に帰る電車に乗り換えた。


「先輩は、やぱり一人でいたいですか?」


 座席に座ると、未央が様子を窺うように聞いてくる。


「どいう意味だ?」


「こうやって付き合ってくれますが、本当は迷惑だったり?」


「迷惑じゃないよ。最近は、こういうのも良いと思えてる」


 素直な言葉が、口から出てしまう。


 照れくさくなったので、目をそらす。 


「本当ですか? 良かったです。先輩はもっと人と接すればいいと思いますよ」


「……気が向いたらな」


 どうしてそんなことを言うんだ?


「はい。あ、駅に着いちゃいましたね」


「そうだな」


 電車を降りて、広場にゆっくりと向かう


「そうだ、先輩。夏祭り、絶対に行きましょうね?」


 駅の掲示板に貼られたポスターを指さしながら、そう言ってきた。


「分ってる。約束だし」


 もう目の前に広場が見えている。


 ここからは方向が違う。


「じゃぁ、先輩。また夏祭りで」


 未央はそう言って、笑みを浮かべる


「ああ、また夏祭りで」


 そう返して、帰路につく。


 自分の日常にこうやって約束が増えていくことが不思議に思えた。


 ・・・・・・・・・・


「ただいま」


「おかえり、やっと友達出来たのね」


「え、どういう……」


 家に着くなり、母に話しかけられる。


「今までいなかったでしょ?」


「知ってたの?」


「当り前じゃない。心配かけないように気を使って、架空の友達の話をしてた事もね」


 その言葉に、恥ずかしさと申し訳なさが込み上げてきた。


「ごめん」


「? 何で、あやまるのよ。今度連れてきてね」


 女の子と一泊したなんて、恥ずかしくて言えそうにないな。


「……気が向いたらで」


 それだけ言って、自室に向かう。


 部屋に入り、鞄と荷物を置いてベットにダイブする。


 ポケットに入れていたスマホが、震えた。


 取り出して確認すると、未央からメッセがとどいている。


『先輩~。旅行楽しかったですね? これ、水族館の時の写真です』


 付属されていた画像を開くと、照れた自分の姿と腕に抱きつく未央の姿が表示された。


『ありがとう』


 僕は短くそう返信して、少し眠る事にした。


 ・・・・・・・・・・


 阪神に行ってから二週間ほどたったある日、僕はまた学園にきていた。


「よう、旦那。今日はカワイ子ちゃんと、一緒じゃないのか?」


 上履きに履き替えていると、スポーツ刈りの男子が話しかけてきた。


「えっ……」


「同じクラスなのにさすがだな。で、あの子は?」


 そう言われて、ようやく言いたいことを理解する。


「さあ? いつも一緒にいるわけじゃないし」


「え、彼女じゃないのか?」


「うん、違うけど」


「おい、何サボってる。早く戻れ」


「うす! 良かったら今度、紹介してくれよ?」


 先輩らしき人に呼ばれて、男子はそう言って去っていく。


 何故だか紹介したくないって、思ってしまった。


 ・・・・・・・・・・


 何時ものように、鍵を開けて図書室入る。


 司書の仕事仕事をするようになって、先生にスペアキーをもらっているのだ。


 本の整理を始めて一時間がたち、だいぶ古いデータもようやく片付いてきた。


「後は、落とし物の確認だな」


 夏休みなので、ほとんど生徒が寄り付かない図書室の落し物はたかが知れていた。


「うん? このブックカバーどこかで……」


 届け物の中にどこか見覚えのあるもの見つけて、手に取る。


「……」


 本の ページをめくり、後悔した気持ちと謝りたい気持ちがあふれてきた。


「おはよう、何時もありがとうね」


 背後から年配の女性の声がして、驚きながら振り向く。


「先生……すみません。もう帰るので、戸締りお願いします」


 思った通り、司書係の文乃ふみの先生だった。


 僕は早口でそう言って、走り出す。


「え? あ、走ったら危ないわよ。あの子があんなに急ぐなんて、何かあったのかしら?」


 文乃先生の声を背に、わき目もふらずに、靴を履き替え学校を飛びだした。


「未央――」


 肩で息をしながら、改札を抜ける。


 来ていた電車に飛び乗り、目的の駅まで焦る気持ちで過ごした。


 三駅目の駅で降りて、道沿いに坂を上っていく。


「ここに……未央が……」


 息を整えて前を見据た、中央病院と書かれた看板が見える。


 久しく病院何て、来ていないな。


「あのすみません――」


 受付で、未央のお見舞いに来たことを伝えると、親切に部屋までの道を教えてくれた。


 エレベーターで三階まで上がり、一番奥の角部屋の前に行く。


「ここか……」


 扉につけられている、名前のプレートを確認する。


 コンコン。


 ノックをするも返事がない。


 仕方がないので、とりあえず中に入ることにする。


「あ、ママ。待ってたよ~。えっ」


 ピシャ。


 見えた光景の異様さに、慌ててドアを閉めた。


「……」


 何故かヘッドホンをして、ベットの上に立って、体をそらした未央が見えたのだ。


「何で、先輩が……」


 ドアの奥からそう声が聞こえてきた。


「入っていいか?」


 改めて、ドア越しに聴く。


「……はい、どうぞ」


 許可を得て、ドアを開けて中に入る。


「なんか、ごめんな」


「いえ、お見苦しい所をお見せして……すみません」


 淡いピンク色のパジャマ姿でベットに座った未央がそう謝ってきた。


 恥ずかしいのか、枕を抱きしめて顔を押し当てている。


「これ、未央のだよな? ごめん、中読んでしまったんだ」


「ふぇ、あのどこにあったんですか?」


 鞄から取り出して見せた本を見て、不思議そうに聞いてきた。


「図書室の落とし物ボックスに……」


「何で、中を見たんですか?」


 怒っているというよりも、僕が見た事が不思議だという感じで聞いてくる。


「旅行に行ったときに未央が持っていた本のカバーだったから、何を読んでるのか気になって……ごめん」


「先輩のエッチ」


「エッチって、お前。いや、ごめん」


 ジト目で見られて、謝る。


「で、先輩はもう、私と一緒にいるのは嫌になりましたか?」


「え? どうして」


「いえ、……ありがとうございます」


 僕が何も気にしていないことが分かったのか、お礼を言ってきた。


「お礼を言われるようなことは、言ってない気がするんだけど」


「先輩って、先輩ですよね」


 訳が分からない。


「そう言えば、祭りは行けそうか?」


 話題を変えることにする。


「はい。その頃には、退院予定です」


「そうか。長居しても悪いし、そろそろ帰るよ」


「え? そうですね……また祭りの日に」


 病室を出てエレベーターを待っている間、頬を生暖かいものが垂れていく。


 こらえていたはずなのに、あふれて止まらくなってくる。


 未央の前で泣かずにすんでよかった。


 到着したエレベータにのり込んで、重い足取りのまま帰宅した。自分の部屋のベットに倒れこんで、未央が落とした本の内容を思い出す。


 病院で拡張型心筋症と告げられ、残された時間が少ないかもしれない事。


 そのうえでやってみたいことが書かれていた。


 そう、文庫サイズの日記だったのだ。


 細かくは読んでいないが、最初の一文の部分を読んで気が付いたら走り出していた。


「ご飯、できたわよ」


 ドア越しに母が、声をかけてくる。


「今日はいらない」


 起き上がる気力が残っていない。


「そう……何があったか知らないけど、元気を出しなさいよ」


 母の足音が遠ざかっていくのを、聞きながら目をつぶる。


 走って疲れたのか、すぐに意識が沈んでいく。


 次の日の朝、何もする気が起きなくて、自分の部屋のベットを背に座っていた。


 本を読む気にもなれず、ただ未央のことを考える。


 いつの間にか未央に振り回される生活が、当たり前になっていたんだな。


「はぁ、僕にできることはないのかな」


 そう自分に聞いても答えは出ずに、時間はただ過ぎていく。


 ブー、ブー。


 床に落ちていたスマホが、震えている。


「メッセ……未央からだ」


『 ひまだよ~。先輩、今、何してますか?』


「はぁ、調子が狂うな……」


 そのメッセを見て、先ほどまでの無気力感が無くなり、外に行く支度を手早く済ませて病院に向かう事にした。


 ・・・・・・・・・・


「は~い、どうぞ」


 ノックをすると、元気な声がかえってきた。


「おはよう」


 明るい声で声をかけドアを開けて、中に入る。


 未央が座っている、ベットの前に行く。


「先輩! どうしたんですか?」


「未央が暇って、メッセくれたから」


「先輩の方こそ、どんだけ暇なんですか?」


 良かった、何時もの生意気な未央だ。


 ニヤニヤと笑う姿を見て、安心する。


「なあ、未央。僕にできることないか」


「私の病気を知って、同情してるんですか?」


 今までと違い、真剣な声音で聞いてきた。


「違う、そんなんじゃない」


「じゃあ何ですか? そんなことを言うなんて、先輩らしくないです」


「僕だって、そう思う。だけど、ここ最近ずっと頭の中に未央がいた」


 俯いて、こぶしを握りながら、思ったままを伝える。


「本当に。未央、未央になりましたね」


 未央の顔を窺うと、苦笑いをして冗談を返してきた。


「そうかもしれない」


「フフ、冗談なのにマジで返さないでくださいよ」


「でも、事実だし。ワガママ言っていいか?」


「何ですか?」


 頬を少し赤らめて、掛布団で口元を隠しながら、僕を見てくる。


「僕は未央といたい。もっと未央と過ごしたい」


 たぶん僕の顔は未央よりも赤いだろう。


 人生初のプロポーズ。


「本当にワガママですね~。けど、ありがとうございます」


 笑みのはしに涙を浮かべて、そう返事をくれる。


「なんで、泣くんだよ」


「仕方ないじゃないですか、嬉しいんですから」


 未央が泣き止むまで、僕は近くにあった丸椅子に座って待ち続けた。


 ・・・・・・・・・・


「そう言えば、もう明日が祭りだな」


「そうですね。初デートです」


「……そうだな」


 少し照れてしまう。


「あれ~、照れてるんすか? 先輩」


「仕方ないだろ、こういのは初めてなんだから」


「そうですよね。私も初めてです」


「そうか」


「ですです」


 照れくさい空気が漂う。


「なあ、未央。ありがとな」


「何がですか?」


 不思議そうに聞いてくる。


「いや、忘れてくれ」


「え~。気になります」


 いまさら言うのが照れ臭くなって、はぐらかす。


「そろそろ帰ろうかな」


 膝に力を入れて、椅子から腰を上げる。


「え~、もう帰るんですか?」


「明日も会えるんだし、いいだろ」


「まあ、そうですけど」


 布団に視線を落として、どこか寂しげだ。


「じゃ、また明日」


 未央の頭を撫でて、そう言葉をかける。


「はにゃ? にゃにするんですか」


 顔を赤くして、半目で睨んできた。


 俺はそれに答えず後ろを向き、手を上げて病室を出ていく。


 ・・・・・・・・・・


 祭りばやしを聞きながら、未央の到着を待つ。


 自分から人にかかわろうとするなんて、昔なら考えられないことだった。


 ブー、ブー。


 スマホがポケットで震える。


「未央?」


 メッセで、『 すみません、先輩。病院に来てくれませんか?』とだけ書かれていた。


「どうしたんだ……まさか……」


 嫌な予感がして、返事をせずに病院に向かうことにする。


「未央――」


 流れていく人込みを逆走して、走っていく。


 駅は祭りの影響か凄く混んでいたので、たまたま乗客が下りたばかりのたタクシーが見えたので、それで病院に向かう。


 病院に着いたものの、院内は暗く、面会時間は終わっているようだった。


 僕は見つからないように気をつけながら、未央の病室に向かう。


 無事に病室にたどり着き、未央のいる部屋のドアを勢い良く開ける


「ふぇ……」


「え……」


 ドアの先にいた、白色のパンツ以外を身につけていない未央と目が合う。


「きゃぁぁぁ! 先輩の変態!!!!!」


「わ、ご、ごめん」


 ピシャ。


「何事ですか?」


 いつの間にか後ろにいた、若い女性の看護師に話しかけられる。


「え、ええと」


「病院では、静かにしてくださいね? 後、面会は終わってますよ」


「あ、すみませんでした。すぐに帰ります」


「はい、素直ないい子ですね。でも、少し待っててください。」


「え? 分かりました」


 もしかしたら、怒られるのかな。


 その看護師は小さく笑みを浮かべて、何故か未央の病室に入っていった。


「悪い子はここかな~」


「ひぇ、葉月はづきさん」


 中から声が漏れ聞こえる。


「も~。彼氏さんに裸で迫ろうなんて、ダメですよ」


「ちっ違いますよ。ただ着替えてただけですよ」


「彼氏の前でですか、未央ちゃん大胆です」


「じゃなくって、急に入ってきたんですよ」


「フフフ。あ、そうそう。今から一時間くらいは、使っていいですよ」


「さすが、葉月さん。ありがとうございます」


「いえいえ。彼氏さんももう、入っていいですよ?」




 声をかけられたので、中に入る。


「未央、すまんさっきは……」


 未央の服装を見て声を詰まらせる。


「じゃあ、私はこれで……」


 看護師さんが部屋から出ていく。


「先輩?」


「か……」


「蚊?」


「似合ってる、その浴衣」


 白地に金魚が泳ぐデザインで、よく見ると薄い水色で水の波紋も描かれている。


「本当ですか? マジですか」


 俺の側に寄ってきて、手を握りながら聞いてきた。


「ああ、うん。可愛いぞ」


 その反応にあっけにとられながらも、もう一度伝える。


「く~~。着て良かった~」


 ガッツポーズをする人を初めて見た。


「でも、元気そうでよかった」


「え? どういうことですか?」


「病院に呼ばれたからさ、悪化したかと思った」


「それは、心配かけてすみません。どうしても、花火が見たかったので」


 しゆんと花がしぼんだように未央はうつむく。


「いや、元気ならいいんだけど。え? どういう意味だ」


「時間が迫ってますし、行きますよ」


 僕の質問に答えずに、未央は僕の手を引いて歩きだした


 未央に手を引かれてたどり着いたのは、病院の屋上だった。


 端に腰丈ほどの柵ははあるものの、遮蔽物はなく見晴らしが良い。


「いいのか、こんなとこに入って」


「はい。葉月さん、先ほどの看護師さんに許可もらいましたので」


「そうなんだ」


 僕が入り込んだことは、べつに怒っていないのか……少し安心する。


「でも、どうして祭り会場じゃなく、ここなんだ?」


「……先輩。実は、心臓に悪いから歩き回るのはまだダメだって、言われたんです。今日はすみません」


 申し訳なさそうに、うつむいて教えてくれた。




「いや、べつにいいよ。未央が元気なら」


 僕は頭を撫でて、怒っていないことを伝える。


「せ~んぱい。大好き」


「ちょっ、落ち着けよ」


 抱き着きながら言われて、焦る。


「あ、あっち。光りましたよ」


 俺に抱きつきながらそう声を上げ、未央は空を見上げた。


「ん? ホントだ。綺麗だな」


 未央を離して、振り向く。


 遠くで、花火が花を咲かせる。


 病院が山間に建っていることもあり、建造物に邪魔されることもなく綺麗に見えた。


「はい」


「未央……」


「ひゃぃ!?」


 未央を、抱き寄せ、何も言わず顔を見つめる。


「先輩? 顔近いです……」


 未央は顔を赤らめて、目を閉じる。それを合図に、口を重ねる。初めて触れた唇はとても柔らかく、かすかに漏れ聞こえる未央の吐息にますます愛おしくなる。


「僕も好きだ」


 口を離し、目を見つめながら自然にそんな言葉が口から漏れる。


「ふふっ。こんなに愛されて、私は幸せ者です。私も好きですよ、先輩」


 花火を背に、笑顔を向けてくれる。


「ありがとう。未央のおかげで、僕は変われた」


 以前照れくさくなりはぐらかしたことを、目を見据えて伝えた。


「確かに変わりましたね? 以前はこんな強引に、キスをする人ではなかったです」


「ご……」


 未央が背伸びをして、口付で僕の言葉をさえぎる。


「仕返しです。謝らないでください。すごく嬉しかったんですから」


 自分でして照れたのか顔を真っ赤にし、そっぽを向きながら早口で言われる。


 そのまま花火に集中し黙り込んだ未央を見ながら、 この先も未央と一緒に色々な体験をしていきたいと思った。


 光り輝き散っていく花火に視線を戻して、遠い未来に思いをはせる。


「終わちゃいましたね」


「そうだな」


 しばらくして花火が見えなくなり、ポツリと声を漏らす未央に短く返事を返す。


「少し冷えましたね」


「大丈夫か? 部屋に戻ろう」


「はい、戻りましょう。」


 未央の少し冷たくなった手を握り、屋上をゆっくりと歩き出ていく。


「えへへへ」


 未央が幸せそうに、笑みを浮かべた。


 ・・・・・・・・・・


「ただいま」


「おかえり~」


 家に帰ると酒臭い母が抱きついてくる。


「飲んでたの?」


「はい、一人寂しく飲んでおりました」


 敬礼をしながら言ってくる。


「水のむ?」


「のむのむ」


 母に肩を貸してリビングに行き、椅子に座らせて水を渡す。


「珍しいね、お酒」


 普段はお酒を飲んでる姿を見たことなくて、つい聞いてしまう。


「だって、嬉しかったから」


「嬉しい?」


「いつも一人で本を読んでばっかのあんたが、彼女作ったんだから嬉しいわよ」


「なっ、何で……」


 慌てて言葉を飲み込む。


「はっはっは。母に隠し事は無駄なのだ~」


 指をさしながら言ってくる。


「はいはい。もう寝るから、ほどほどにして、眠りなよ」


「は~い」


 酔っぱらってるだけだろうし、たぶんバレたないはず。


 悪いことをしているわけではないけど、恥ずかしい。


 自分の部屋に入り、ベットにダイブする。


 今日のことを思い出して、恥ずかしくなってきた。


「は~。本でも読むか……」


 恥ずかしさを紛ららわせるために、本棚から文庫本を取り出して、本に集中していく。


「寝よ……」


 小説の中にキスシーンが出てきて、未央の唇の感触を思い出し慌てて本を閉じる。


 ブー、ブー。


 電気を消そうとしたところで、スマホが震えたのでベットに座りメッセを確認する。


『先輩のバカ~。恥ずかしくて寝れないじゃないですか~』


「未央もか……」


 少し考えて、お休みとだけ書いたメッセを返信して、電気を消す。


 ブー、ブー。


 またスマホが鳴り、手探りで探し当てる。


『でも、嬉しかったので……またしてください』


 そのメールには返信せず、スマホをベットから落とす。


 掛布団を頭からかぶり、目を閉じる。


 いくらか時間がたち、ようやく顔の火照りが覚め、眠ることができた。


 ・・・・・・・・・・


 夏祭りから数日が立ち、暑さが増す八月。僕の通う学園には、夏休みにも登校日が1度あり今年もその日がやってきた。


 うるさいくらいのセミの鳴き声と暑さから逃げるように足早に、学園に向かう。


 学園の正門まで来るとにぎやかに挨拶を交わす生徒達が目に入る。


 それを横目に下駄箱に行き、靴を履き替えていると、下聞き覚えのある声に呼びかけられた。


「あ、待ってくださいよ。旦那」


「……」


 振り向くとスポーツ刈りの男子がいた。


「この前言ってたカワイ子ちゃん、まだ紹介してくれませんか?」


「えっと、何のこと?」


「酷い!」


「酷いのはどっちかな~、荻」


「? ひぃ、先輩。旦那、助けて~」


 後ろから来たガタイのいい男に荻? は連れ去られていった。


 何だったんだろう。


 とりあえず、教室にいこう。


 特に話し相手もいないので、自分の席にカバンをおいて、体育館に行く。


 全校集会で、最近の部活などの成果発表などが終わり、学園長が締めの挨拶に壇上に立つ。


「え~。近頃、この街で物騒なことが多い事から、残りの夏休みは学園への立ち入りを禁止し、皆様も暗くなる前に帰るようにしてください。ではまた、夏休み明けに皆様の元気な姿を見せて下さい」


 学園長の話が終わり、解散になった。


 僕は最後にやり残した本のデータを、整理をするため図書室に向う。


「ようやく話せますね、旦那」


 先ほどの、荻? が廊下で声をかけてきた。


「えっと、何か用なのか?」


「やだな~、ほら、何時も一緒にいる女の子。紹介してって」


 ニコニコとそう言ってくる。


「あ~、ごめん。紹介できない」


「え~。まあ、何となく脈がないのは分かってたんすけどね」


 何が言いたいんだろう。


「じゃぁ、何が用なの?」


「はぁ。クラスメートと話したいって、そんなに変か?」


 先ほどまでのふざけた喋り方ではなく、普通の喋り方で言われる。


「まあ、変じゃないのかな?」


 同じクラスだったのか……なんか申し訳ないな。


「ずっと喋りたかったんだけど、いつも一人で本を読んでるからさ、きっかけが欲しかったんだ」


「そうなんだ。何かごめん」


「いや、良いんだって。時間できたら、また遊ぼうぜ」


「……分かった」


 僕は少し迷って、そう返事をする。


「おう、俺はこの後部活の話し合いだから行くな!」


 荻? はそう言って走っていった。


 ・・・・・・・・・・


「フー」


 作業を終えて、息を吐き伸びをする。


 何か読んで帰るか……


 まだ昼過ぎだったので、少しくらいならと本棚のほうに歩いて行く。 


「あ~。いけないんだ~」


 本棚の陰から、未央が顔を出した。


「未央?」


「は~い。今日から部活禁止ですよ?」


「これは、部活じゃないよ」


「う~ん。そう言われるとそうですね」


「未央は何でここに?」


「勿論、先輩に会いにですよ」


「はぁ、何時からいたんだ」


「え~っと、2時間前くらいですかね?」


 時計を見ながら、あっけらかんと言う。


「声掛けたらよかったのに……」


「いや~。いつにもまして、真剣な顔をしてましたので」


 そう言いながら、手に持っていた本を棚に戻した。


「銀河鉄道の夜……読んでたのか?」


 棚に直した本を見て、聞く。


「はい。以前、先輩が読んでいたな~て」


「面白かったか?」


「はい。全部読みましたが、なかなか良かったです」


「何様だよ」


 笑いながら、ツッコミを入れる。


「そう言えば、先輩と会うのは花火の日以来ですね」


「……そうだな」


 キスのことを思い出して、言葉が詰まる。


「初めて会った時には恋人になるなんて、想像してなかったです」


「誰だって、そんなふうに考えないじゃないかな? そう言えば、初めて会ったのも図書室だったな」


「う~ん、やっぱり。先輩、それは勘違いですよ」


 苦笑いをしながら、そう言ってきた。


「勘違い?」


「はい」


「じゃあ何時だっけ、会ったの?」


「ホントに……仕方ないですね、教えてあげます。そう。あれは、二年前の入学式……」


 寸劇を交えながら、教えてくれる。


「そうだったのか……」


 未央の話を聞いて、当時のことを思い出す。


「思い出しましたか?」


「確かに僕は入学式の日に、女子生徒を保健室に運んだよ。未央だったのか……」


 入学式の日の前日、僕は遅くまで本を読んでいて寝坊し、遅刻寸前だった。校門の近くまで来たが人ひとりおらず遅刻を確信して、走るのをやめて、門の前まで歩くことにした。


 ふと門の前に女子生徒が倒れていることに気が付き、駆け寄ったのだ。


 無視するのも寝覚めが悪いと思い、声をかけたのを覚えている。「大丈夫ですか?」それが僕が未央に初めてかけた言葉。


 目を覚まさないので保健室に連れていき、養護教諭に事情を説明して、体育館に向かったのだった。


「あの日、目を覚ましたら保健室で寝ていて驚きましたよ。で、お礼が言いたくて誰が運んでくれたのか先生に聞いても名前を聞きそびれたって、言われて仕方なく帰ったんです」


「そう言えば言ってなかったな」


「次の日また体調が悪くなって、一週間ほど検査入院してようやく学園に行けたんです――」


 そこまで話して、未央は胸に手を当て思い出しているようだ。


「聞いてた特徴の人を探そうとしたら、クラスにいたんです。顔立ちはいいのに目が暗く他人を寄せ付けないオーラを持つ先輩が――」


 思い出し笑いをするように、小さく笑う。




「でも私は話かけれないまま、放課後になってしまったんです。外は凄い雨で傘がない私は時間をつぶそうと図書室に行きました。そこに先輩もいたんですが、結局話せないまま一日が終わり、会えないまま、また入院になってそのまま留年したんですよ」


「だからか……」


「なにがです?」


 不思議そうに、聞いてくる。


「ここで会った時、なんて僕に言ったか覚えてるか?」


「え? 確か、名前を教えて逃げるように帰っちゃいました」


「覚えてないならいいよ」


「え~、きになります~。でも、あの日はホントにありがとうございました。ようやくお礼が言えました」


 満面の笑みを浮かべて、頭を下げてきた。


「いや、こっちこそありがとう」


「?」


 不思議そうに見てくる未央を見て、図書室での出会いを思い出す。


「こんちは、先輩。あの時はありがとうございました。私は忍野未央っていいます。今日から先輩の未来を明るく楽しいものにするので、覚悟してください」


 無邪気な笑顔でそう言って、図書室を走って出て行ってしまったのだ。


 次の日から毎日放課後に、僕に付きまとってきた。


 あの時のありがとうは、あの時の事だったのか……


「なあ、未央」


「? 私の顔をじろじろ見てどうしたんですか?」


 少し顔を赤らめて見つめ返してくる。


「未央……本当に死ぬのか……」


 聞くのが怖い。でも、聞かなくちゃいけないことをようやく口にできた。


「ノート見たんでしたね……はい、死にます。でも、それは移植ができない場合です。私は、普通に……普通の女の子として、日常生活を先輩と過ごして暮らしていきたいんです。ダメですか?」


 真剣な顔つきだ。


「いや、ごめん。分かった、もう聞かない」


「ふふ、そんな捨てられた子犬みたいな顔をして、そんなに私がいないと寂しいんですか?」


「ああ、こんな感覚は、初めてで良く分からない……でも未央がいなくなるのは寂し」


 おどけた口調で言う未央に僕は素直な気持ちを伝える。


「愛されてますな~」


「なんだよそれ」


 僕たちの笑い声が、図書室に響く。どうか、こんな当たり前でありふれている日常が続きますように。そう願うのだった。


 ・・・・・・・・・・


 登校日の次の日。電車に揺られ三駅移動し、駅に隣接した商業施設にやってきた。


 未央から呼び出されたのだ。


「あ、せんぱ~いこっちです」


 入り口でどこにいるか確認しようとスマホを取り出していると、中から未央が手を振りながら声をかけてきた。


「おまたせ」


「いえいえ、それより……どうですこれ?」


 服の裾を持って聞いてきた。


「似合ってるんじゃないか?」


 今日は薄いピンクのワンピースを着ていて、女の子らしさがまして見えた。


「はぁ、先輩それじゃあモテませんよ?」


「別に、モテる必要はないだろ?」


「そうでしたね、浮気したら怒りますよ」


「しないよ」


 僕は未央の頭を撫でる。なんだか癖になるな。


「それよりも、何で制服なんですか?」


「落ち着くから?」


「はぁ、そうなんですね……まあ、行きましょう」


 なんだろう、少しがっかりしているような。


 ウインドウショッピングを開始する。


「今更だけど、何で先輩なんだ?」


「え、先輩ですよね? 学園の」


「同い年なんだよな?」


 昨日留年したと言っていたので、聞いてみた。


「そうですけど。先輩は、先輩なんです」


 よくわからなかったが、迫力に押されてそれ以上何も言えなくなる。


「あ、ちょっとすみません」


 未央がレンタルビデオ店の前で立ち止まった。


「どうした?」


「いや、見たかった映画がもうレンタル開始みたいなんですよ」


 ポスターを指さして、教えてくれる。


「借りとくか?」


「うん~。あ、先輩。この後、時間ありまくりですよね?」


「決めつけてるな。まあ、暇だけど」


「ですよね! せっかくですし映画見ませんか?」


「それはいいけど、どこで?」


「それは……私の家で何てどうですか?」


 僕の反応を窺うように、見つめてきた。


「未央が良いなら、僕はいいけど?」


 どうしてそんなに頬を赤くしているんだ?


「分かりました。では、行きましょう」


 善は急げとばかりにDⅤDを借りて、モールから歩くこと十数分。閑静な住宅地に未央の家はあった。二階建ての一軒家で平屋に住む僕の家よりでかかった。


「入っていいのか?」


「もちろんです。ウエルカムですよ、先輩」


 そう言われて家に入り、二階に上がり部屋に案内してくれる。


「……」


 部屋の中はわりとシンプルで、ベットに小さめのテレビ。女の子らしい3段のドレッサーがあり、他には部屋の真ん中に置かれた小さなテーブルが目に入った。


「先輩~。あまりじろじろ見ないでくれますか?」


 未央に声をかけられて、我に返る。


「ごめん」


「お茶入れてくるので、適当に座って待っててください」


「ありがと」


 部屋を出ていく未央にお礼を言う。


「あ、下着は二段目ですよ」


「触らないよ」


 顔だけ覗かして、いらない情報をくれる。


 少しの間落ち着かない時間を過ごして、未央が戻ってきた。


「おまっとさんです。て、何で正座してるんですか?」


 テーブルの前で正座をする僕に質問してくる。


「いや……」


「もしかして、女の子の部屋が初めてで緊張してるんですか?」


「まあ、それなりに……」


「っっ先輩、可愛いです」


「はぁ、帰ろうかな」


 笑いだす未央を見て、そう声を漏らす。


「すみません、先輩。機嫌を直してください。映画、見ましょうよ~」


 立ち上がった僕の足をつかんでくる。


「仕方ないな」


「やった~。ではさっそく」


 未央はプレイヤーにDⅤDを入れ、部屋の明かりを暗くして、僕の横に座る。


「近くないか?」


 肩が触れ合うくらいに、そばに座ってきたので聞く。


「え~。いいじゃないですか~。あ、始まりますよ」


 未央の声でテレビに視線を向ける。


 映画の内容は、世界のヒーロー協力して悪と戦うアクション物のようだ。


「――ぱい。ふふ、可愛い寝顔」


 何故か上のほうから未央の声がする。


 吐息を耳元で感じた。


「う……?」


「……」


 頬に柔らかいものが当たった気がして、目を開けると未央の顔がはなれていくのが見えた。


「未央?……なにして……」


 意識が徐々に覚醒していく。どうやら途中で寝てしまったようだ。


「あ、起きちゃいましたね」


「悪い、寝てたな」


 起き上がろうとして、未央に止められる。


「もう少し……このままでいてください」


「重くないか?」


 膝枕をしてくれていたのでそう返す。


「いえいえ、全く問題ないですよ」


 幸せそうに笑顔を向けてくれる。


「外、なんか凄い音してないか?」


「え? あ、本当ですね。気が付きませんでした」


 確認するために立ち上がり、窓に近づく。


「まずいな……テレビつけてくれるか」


 窓の外は灰色の雲が広がり、雨が激しく降っていた。


「はいあいさ~」


 テレビのニュースをつけてもらう。


「やっぱり」


「台風が直撃してますね~」


 テレビでも突発的な台風の話題で盛り上がっていた。


「電車止まってるな」


 スマホで交通情報を確認する。


 とりあえず、母に帰れない事をメールで伝えた。


「どうしたんですか?」


「とりあえず、駅で電車が動くのを待つよ」


 部屋を出ようとして声をかけられたので、そう返事する。


「ダメです。今日は泊まって下さい」


「でも、僕も男なんだぞ」


 目を見つめて言う。


「先輩はヘタレなんで、そんな心配はないですよ」


 笑いながらひどいことを言われる。


「あのな~」


「やっぱり……したいんですか?」


 未央は座ったまま、目を潤ませて聞いてきた。


「ばか」


「痛っ」


 頭をこずく。


「わかったよ、いさせてもらう。映画、ほかにないか?」


「う~ひどいです。映画ですね? いっぱいありますよ」


 未央はすぐに笑顔に戻って、テレビの下からDVDを取り出す。


 そこからお勧めの作品を、何本も見ていく。


 夕食として、未央が作ってくれたミートソースパスタはすごく美味しかった。


 ・・・・・・・・・・


 何時しか寝てしまったらしく、窓から差し込む朝日のあまぶしさに目を覚ました。


「未央?」


 部屋に姿がなく部屋の外に出るといい匂いが下から漂ってくる。


「未央? いるのか?」


 物音がするリビングに声をかけながら入って行く。


「あ、先輩。おはようございます。朝ごはんできたので食べましょう」


 テーブルの上にはオムレツとトーストのほかにコーンスープまであった。


「未央が作ったのか?」


「はい、そうですよ。さあ、座ってください」


「ああ、いただきます……」


「どうですか?」


「美味しいよ。凄いな」


「やっりました。これで少しは女としてみてくれますよね?」


「どういう意味だ?」


「いや~。昨日ホントに何もないままでしたので、魅力ないのかな~って」


 ガタッ。


 その一言に立ち上がって、向かいに座る未央の横に行く。


「先輩? 行儀悪いですよ……」


 肩に手を置いて顔を近づける。


「ずっと、今だって我慢してるだけだよ」


 耳元でそうささやく。


「先輩~~!」


 顔を真っ赤にしてバタバタと暴れるので、抱きしめておとなしくさせる。


 やっぱり、未央といると自分らくない行動をしてしまうな。


「これ食べたら帰るから、泊めてくれてありがとう」


「ふぁぃ。何時でも来てください」


 食事を終えて、どこか上の空の未央にお礼を伝えて帰路に就く。


「へい、そこのボーイ」


 自宅のある駅に着いたところで、露天商に声をかけられた。


「僕ですか?」


「そうそう、商品見ていくyo」


 怪しかったので、これ以上かかわらないように立ち去ろうとして――


「好きな子へのプレゼントにど~よ、おまけする~よ?」


 その一言に足を止めてしまう。


「はあ、買ってしまった」


 ポケットに入った、ふくらみを感じながらつぶやく。


 メッセをして、明日にでも渡すか……


 そう思い立ち止まり、メッセを打つ。


 今日、勢いに任せて言いかけた言葉を打ちかけって、スマホをポケットにしまう。


 これを渡すのはまだ、早いよな。


「あれ、旦那。こんな朝早くにどうしたんだ」


 後ろから声をかけられて、振り向く。


「荻? 君だよね」


「そう、荻、荻信也おぎしんや


 自転車にまたがって、ニコニコとそう自己紹介をしてくれる。


「うん、憶えとく。僕は友達の家からの帰りだよ」


「流石だな、朝帰りなんて」


 自転車を道の端に止めて、肩を組んできた。


「そんなんじゃないよ」


「まあ、根掘り葉掘り聞かないけどさ。彼女、俺も欲しいぃ」


 その言葉に笑ってしまう。


「荻君って、変わってるね」


「どうしてだ? 彼女なんて、誰でも欲しいだろ?」


「そういうもんなのかな?」


「自分は彼女いるからって。そうだ、この後時間ある?」


「ごめん。母さん、心配してるかもだから帰るよ。台風で帰れなかったから」


 こんなことを言えばバカにされるかなと思いながらも、本心を伝える。


「それは、引き留めて悪かったな。これ、うまいからやるよ。じゃ、休み明けに」


 荻君は僕に棒付きのキャンディーを渡して、自転車にまたがった。


「ありがとう。また」


 別れを告げて、その背中を見送る。


 まさかこんなふうに、同級生とも会話する日が来るなんてな……


 ・・・・・・・・・・


「ただいま」


「あ、良かった。大丈夫だった?」


 玄関のドアを開けると、母さんが走ってきた。


「大丈夫だよ。友達の家に居たし」


「息子が、成長してる……」


 何故か口元に手を当てて、ニヤニヤとしてくる。


「じゃ、部屋で本を読むから」


 その顔がムカついたから、僕は足早に部屋に向かう。


「今日は、赤飯ね~」


 聞こえてくる母さんの声に、ため息が出るのだった。


 ・・・・・・・・・・


 夏休みが開け、未央はまた入院することになった。


 しばらくは集中治療室に入るらしく、連絡が取れない。


 そんな中でも、僕の日常は少し変わった。


 たまに荻君が遊びに誘ってくるようになったのだ。


 カラオケや、ボウリングにも誘われた。


 でも、何処か未央のいない日常に、喪失感が襲ってくる。


 僕がかわりに病気になれればいいのに。こんなこと未央に聞かれたら、怒られるだろか。


 でも、やっぱり寂しい――


 ・・・・・・・・・・


 放課後の誰もいない図書室で、本を読む。


 静かな廊下に足音が響き、図書室の前で止まった。


 未央か? いや、そんなはずないよな。


 僕は一度ドアの方をみて、すぐに本に視線を戻す。


「あの、すみません」


 ドアが開き、廊下からそう声をかけられた。


 母親くらいの年齢の女性が僕の方を見ていた。


 職員室でも、探してるのかな?


「どうされましたか」


 僕は立ち上がって、女性の前に行く。


「――さんって、こちらにいますか?」


「え? 僕ですけど」


 急に名前を呼ばれて、驚いてしまう。


「貴方が……私、未央の母親なんです」


 僕の顔をマジマジと見て、にこやかに微笑んでそう教えてくれる。


「え? あ、どうぞ中に入ってください。お茶を出しますね」


 立話もなんだろうと、図書室に入るように促す。


「あら、ありがと。では、入らしてもらうわね」


 図書室は飲食禁止だが、先生は隣りの倉庫室に湯呑を置いて飲んでいるんだし、多めに見てくれるだろう。


 僕は貸し出しカウンターの席に案内して、お茶をいれて戻る。


「どうぞ」


 お茶を差し出して、横の椅子を未央の母親の方に向けて座った。


 他に生徒もいないし、ゆっくり話せそうだ。


「未央がよく話す場所が、ここなのね……」


 図書室を見ながら、未央の母親は独り言のように言う。


「それで、僕にどのような用事が……」


 もしかしたらこれ以上、娘を連れまわすなとか怒られるのかな。


 少し覚悟を決めて、前を見据える。


「そうね、まずは。私は瑠美るみって、いうの。苗字だとややこしいから名前で呼んでね?」


 笑顔でそう言ってきた。


 未央とそっくりな笑い方だ。


「分かりました。留美さん。それで、どうしてここに?」


「渡したいものがあったんです。後、何時も娘の相手をありがとうございます」


 深々と頭を下げてくれる。


「あ、頭を上げてください。僕の方こそ、未央に……救われてるんです」


 僕は慌ててそう返す。


「聞いてた通り、優し人なのね。えっと、これ。読んでほしいそうなの」


 瑠美さんは持っていたトートバッグから、見覚えのある文庫本を取り出した。


「……未央の日記」


「そうよ。あなたの事でいっぱいだけど」


 おかしそうに笑って言われて、恥ずかしくなる。


「でも、読んでいいのでしょか」


「いいのよ。未央に頼まれたの。そろそろ、先輩が寂しさで殻に閉じこもるだろうから、渡してて」


 優しく笑う瑠美さんに、未央の事を大切にしてるんだなと感じた。


 彼氏にはできない母親の優しさ……そういったものを感じる。


「ありがとうございます……」


「じゃ、私は夕食の準備があるから。お茶、ごちそうさま」


 瑠美さんが立ちあがった。


「あ、門まで送ります」


 僕はそう申し出て、正門までの道すがら、未央の話で盛り上がる。


「今日はありがとね。また、パパにも会いに来て?」


「……はい」


 その言葉に何かが含まれてる気がしたが、僕は目をまっすぐ見てそう返事をした。


 ・・・・・・・・・・


 帰宅した僕は早速、日記を開く。


 思い出の中に、未央の苦しみや不安がつづれれていた。


 未央……つらいよな……


 最後のページを開くと、僕への手紙になっていた。


 文章の最期に――


『先輩。退院できたら、デートしてくださいね』


『早く、先輩に会いたい』


 と乱れた文字でそう書かれている。


 何時までも、何時までも待っているから、絶対にデートをしような。



 頬を伝う涙をこぼしながら、そう心で返事をするのだった。


 ・・・・・・・・・・


 とうとう、冬休みになってしまった。


 雪が降り積もる道を僕は歩く。


 でも、僕はそこまで不安じゃなかった。


 この後、未央とデートするのだ。


 無事に退院した未央から、先週メッセが来た。


 十二月二十日にカフェで、待ち合わせしませんか? と、もちろんOKとメッセを送って、今日にいたる。


 以前露店で買った物をポケットに感じながら、道を歩く。


 信号待ちだ。


 早く会いたい気持ちと、あったら泣かないかという不安が、頭をよぎる。


「でも、笑った未央が見たいな……」


 ぽつりと言葉が、漏れ出た。


 早く変われと、信号を睨むように見る。


 信号が点滅しているのを見ていると、クラクションの音が響き、視線を向けるとシルバーの軽自動車がスリップしたのか、僕に突っ込んできていた。


 ・・・・・・・・・・


 今日は、久しぶりに先輩に会える。


 どう先輩をからかってやろうか……


 慌てる先輩を想像して、おかしくなってきた。


「ねぇ、未央」


 部屋のドアがノックされて、ママが声をかけてくる。


「どうしたの?」


 私はそう言いながら、ドアを開けた。


「今から、病院に行くわよ」


「え~、先輩と少しくらいデートさせてよ」


 私はそう駄々を言ってしまいます。


「ダメよ。今日は断りなさい」


 ママにしては珍しく、少し語気を強く言われた。


「む~。仕方ないな~」


 スマホをポケットから取り出して、行けなくなったことを先輩にメッセする。


 デートのために色々引っ張りだした服の中から一番楽な服装を選び着替えて、部屋を飛び出す。


 ママに準備できたことを伝えて、車で病院に向かう。


 ・・・・・・・・・・


「やぁ、未央ちゃん。来てくれたね」


 病院につくと、白髪の桂木かつらぎ先生と葉月さんが出迎えてくれた。


「あの、今日はどうしたんですか?」


 今は体は元気だし、もしかして何かほかに問題ができたのかな?


「ああ、怖いことじゃないよ。診察室に行こうか」


 私の不安を察したのか、笑顔でそう言ってくれる。


「分かりました」


「あ、お母さんは少しこちらでお話を……」


 何故かお母さんがは別室のようだ。


「それで、どうしたんですか?」


「ドナーが、見つかったんだよ」


 予想外の言葉に、目を見開く。


「本当ですか? でも、何で私に?」


「今朝、脳死の急患が出て、調べたら適合できそうなんだよ。不謹慎な言いかたなのはわかってるけど、縁だと思って」


 患者に申し訳ないと思っているのか、声を落として教えてくれる。


「でも、同意とかって」


 そういうのがないのは違法な気がして聞く。


「ああ、大丈夫だよ。臓器提供カードサインも確認して、未成年だったから親御さんにも連絡済みだよ」


「そうなんですね。それで、何時手術なんですか?」


「今からしたいんだ。未央君が退院した日の事を覚えているかな?」


「はい、もちろんです。次に発作が来れば、もう助からないって、言ってました」


 いつ爆発するか分からない爆弾。


 そんな状態でも会いたくなる先輩は、幸せ者だな。


 ふとそんなことを考えて、クスッと笑ってしまう。


「だからこそ、急ぎたいんだ」


 先生の声に真面目な顔にすぐ戻る。


「分かりました。私はお願いしたいくらいです」


 先輩には少し会えなくなるけど、この手術が無事に終わればいくらでも会えるんだ。


 私に迷いはなかった。


 ・・・・・・・・・・


 手術が無事に終わり、リハビリを終える頃には春になってしまいました。


 先輩怒ってないかな? 会いたいな。


 普通病棟に移動し、荷物をまとめる。


 後二、三日で退院の許可が下りる予定だ。


 スマホを取り出して、未読メッセを確認する。


 ゼロ件……先輩、どうしたんだろう……


 もしかして、嫌われちゃったのかな?


 胸がチクリと痛んだ。


「あ、未央ちゃん。少しいいかな? 大丈夫?」


 葉月さんが部屋に入って来て、そう声をかけてきた。


「え? 大丈夫ですよ」


「何か辛そうだったからさ……」


「ごめんなさい、大丈夫です。それで、どうしたんですか?」


 ベットに腰掛けて、明るい声でそう聞く。


「……実はドナー提供者のお母さんが、未央ちゃんに会いたいって」


「え? そんなことできるんですか?」


 少し怖いけど、会えるなら会ってお礼を伝えたい。


「今回は少し事情があって、特別よ」


 何処か言いづらそうな、表情で言われる。


「そうなんですね。会いたいです。お礼を伝えたいので」


「そう……じゃあ、今週の日曜日にでも行くことを電話していいかしら?」


 日曜日……五日後か、予定もないし、いいや。


「はい、それでおねがいします」


「了解。じゃぁ、仕事に戻るね」


 葉月さんはそう言って、部屋を出ていった。


 ふぅ、先輩どうしたのかな。


 私はベットに倒れて、手に持ったスマホを見つめる。


 この挨拶が終わって、学園に行くようになったらまた遊んでくれるかな?


 疲れていたのか、そのまま寝てしまった。


 ・・・・・・・・・・


 迎えた日曜日。私は今日まで、一度も先輩に連絡をしていない。


 もし、嫌われてたら怖いから……いや、そんなことはないと思うけど……それ以上に直接話したかったから、私は我慢していた。


 家から電車に乗り三駅、学園の最寄りの駅だ。


 明日には登校できるから、その時は先輩に会いに行こう。


 噴水広場の桜を見つめながら自分の中でそう誓いを立てて、地図を頼りに住宅街を進む。


「ここかな?」


 一軒の平屋の前で立ち止まる。


 表札を確認して、インターホンを鳴らす。


「はーい」


 少しして、年配の女性が出てきた。


 たぶん、この人がお母さんなんだろう。


「あ、おはようございます。私、ドナーをしてもらった者です」


 元気よく挨拶をする。


「そう、貴女が……どうぞあがって」


 私は家に上がり、ママに持たせてもらっていた煎餅を手渡し、案内してもらったリビングに入った。


「あの、線香をあげてもいいですか?」


「ああ、ちょっと待ってね。まずは座って――」


 そう促されたので、リビングの椅子に座る。


「はい、お茶どうぞ。未央ちゃんだよね?」


 目の前にお茶の入ったマグカップを置いてくれた。


「はい、えっと……幸村こうむらさんこの度はありがとうございました。そう言って、良いのか分からないのですが……」


 私はテーブルの向かいに座った、幸村さんに頭を下げる。


「そんな、息子も喜んでるから気にしないでて」


 屈託のない笑い方で、そう言ってくれた。


「分かりました。その、息子さんてどんな人なんですか?」


「あ、話しづらかったら大丈夫です」っと慌てて、付け加える。興味はあるけど、無理には聞けないよね。


「大丈夫よ。息子の話も、したかったし。そうね、本が好きで、一人でいることが好きみたいだったわ」


 何だか先輩みたいだな……


「何だか、気の合いそうな人を知ってます」


「そうなの?」


 驚いたような顔で、聞いてくる。


「はい、学校の先輩なんですけど――」


 ついつい先輩の話で、盛り上がってしまった。


「ごめんなさい。長々と」


「いいのよ。息子の事、本当に好きだったのね」


「え?」


 今なんて……息子?


「こっちに来て」


 混乱していると、立ち上がった幸村さんにそう言われる。


「えっと?」


 もたつきながら、立ち上がる。


 案内されたのは、リビング奥の部屋だった。


 部屋の中は、ベットに勉強机。それと小さな本棚に仏壇が並べて置いてあった。


「本はもう少しあったんだけど、仏壇を置くために片したのよ」


「へぇ、そうなんですか」


「座りましょうか――」


 思考がまとまっていないことが分かったのか、私の肩を掴んで、座布団に座らせてくれた。


 線香をあげないと……


「落ち着いて、大丈夫よ。ごめんなさいね? 驚かせて」


 ふらつきながら、膝立ちで仏壇に近づく私に優しくそう声をかけてくれる。


「いえ、線香をあげさせてもらいます」


 何故か仏壇に仏頂面の先輩の写真が、飾ったあった。


「おかしな写真よね。入学式の日に、無理やり撮ったの」


「そうなんですね……」


「それでね、貴女を、未央ちゃんを知ったのはこの本のおかげなの」


 そう言って私の日記を見せてくれる。


「机の上にあったの。最後のページを見て?」


 言われた通り、ページを開く。


『先輩、会いたいです』


『僕も会いたい』


 私の言葉の下に、短くそう書かれていた。


「これ……」


「あの子がそこまで人を好きになるなんて、びっくりだったわ。それと、これ」


 そう言って、ひび割れたスマホを差し出して見せてくる。


「あなた宛ての、未送信のメッセが残っていたの」


 壊れていないようで、画面をつけて見せてくれた。


『未央、プレゼントがある。それと伝えたいことが……』


 メッセはそこで終わっている。


「プレゼント……先輩」


 嫌われたかもなんて、考えていた自分が恥ずかしい。


「多分これの事よ」


 仏壇の写真の裏から包みを取り出して、渡してくれる。


「開けてもいいですか?」


「もちろん。でも、無理には受け取らないでね」


「……指輪。可愛い。貰ってもいいですか」


 中から出てきたのは、小さなピンクのハートがあしらわれた指輪だった。


 それを薬指にはめて、光に当てる。


「勿論よ、ありがとう。あの子も喜んでくれるわ」


 幸村さんはそう言って、微笑んでくれた。


 その後、先輩が死んだ日の事を教えてもらった。


 手術が決まった日、約束よりも早くに向かってくれてたことを知って、ますます愛おしくなる。


 私の大好きな先輩。なのに私は……


「薄情者です……」


「え?」


「こんなにも愛してもらったのに、私、泣けないんです」


 どんだけ胸が痛くても、なぜか涙が出てこない。


「そんなことないわよ。あの子が、泣いてほしくないって思ってるから、その胸が、心臓が守ってくれてるんじゃないかな?」


 そう言って、私の頭を撫でてくれた。


 そっと胸に手を当てる。トクン、トクンっと先輩の心臓が励ましてくれるかのように、脈打っている。


「ありがとうございます」


 そう言って、精一杯の笑みを浮かべた。


「あの子のためにも、私達は笑っていましょうね」


 目の端に涙をためて、幸村さんも笑ってくれる。


 また来ることを約束して、その日は帰った。


 ・・・・・・・・・・


「ただいま……」


「大丈夫?」


 家に帰ると、ママが出迎えてくれた。


「大丈夫だよ。でも、ごめん。疲れたから、部屋で今日は休むね」


「分かったわ。お休み、未央」


 ママと別れて、自室に行く。


 本当に色々ありすぎた。


 ベットにダイブして目をつぶる。


 ・・・・・・・・・・


「あれ、ここは……電車の中?」


 いつの間にか寝てしまって、夢を見ているらしく電車の座席に座っていた。


「未央、こんなとこにまで本を読む邪魔をしに来たのか?」


 どこか懐かしいあきれた声に横を向く。


「え、先輩? 先輩、先輩~」


 いつの間にか横に座っていた先輩に抱きつく。


「ちょ、どうしたんだよ。犬みたいに」


 呆れた声で言われる。


「どうしたって……先輩のバカ、バカバカ」


「痛いよ未央」


 胸をポカポカとたたく。


「どうして、どうして死んじゃうんですか? バカ……」


「それは……ごめん。でも、お願いだから泣かないでくれ未央」


 先輩が悲しそうな顔で言ってくる。


「え、あ……本当だ。やっと泣けました」


 言われて気が付く。ずっと泣けなかった、瞳から涙が流れていた。


「僕は、未央には笑顔でいてほしいんだ」


「本当に、ワガママな先輩です」


 頑張って笑顔を作り、そう愚痴を言う。


「元気そうでよかったよ。体はもう大丈夫なのか?」


「はい、先輩からいただいた心臓のおかげで。ありがとうございます」


「本当に良かった。これで少しはお返しができたかな?」


「お返しだなんて、私がしなくちゃなのに……」


 私たちはお互いに黙り込み、少しの間どこか暖かな静寂が私たちを包み込んだ。


「未央。これが最後になると思うから、言いたかったことを言っていいかな?」


「嫌です、聞きたくないです。最後なんて言わないでください」


 この奇跡に終わりが近づいているのを感じて、ワガママを言ってしまいます。


「もう時間がないから言わせてもらうよ……僕は君と結婚したかった。でもそれはもうかなわない……だからもう僕のことは忘れて、未央には幸せに暮らしてほしい。ありがとう、人を好きになる気持ちを教えてくれて、僕を好きになってくれて」


 私は先輩の顔を掴んで、キスをする。そのキスはいつもより暖かくて、甘い味のするキスだった。


「ごめんなさい、先輩。それは聞けません。幸せにはなります。けど、忘れるなんて嫌です。この心臓の鼓動を聞くたびに思い出します。先輩と過ごした思い出を……私の宝物だから」


「未央……」


「そうだ先輩。私たちの名前を一文字ずつとれば、一つの言葉になるの知ってましたか?」


 心配そうに見てくる先輩に精一杯笑ってそう聞く。


「え、どういうことだ?」


 不思議そうな顔を見せる先輩が、凄く可愛らしい。


「旅行に行った日、名前を聞いて驚きました。先輩いや、一来かずきさん。未来って、文字ができるんです。私たちの名前」


「本当だ、知らなかった」


 先輩は驚いたような声を出して、小さく笑みを浮かべた。


「先輩の気持ちは嬉しいですが、忘れろなんて言わないでください。二人で、未来を生きましょう」


 私は自分の胸に手を置きます。


 トクン、トクンっと、先輩の鼓動が動いているのを感じました。


「……分かったよ。ありがとう未央」


 先輩はそう言って、軽く口づけをしてくれました。


 すごく幸せで、ふわふわとした気持ちになります。でも、もう、この時間が終わることを私は感じていました。


 ・・・・・・・・・・


「おはよう、ママ」


「おはよう、未央。なんだか元気ね」


「うん、いい夢が見れたからかな?」


 次の日の朝、スッキリした気分で目を覚まして元気にリビングに行くと、ママが笑ってそう言ってきます。


「学園って、今日から行けるんだっけ?」


「え、今は春休みだから来週からかな?」


 すっかり忘れていました。


「そっか~。早く行きたいな~」


「ふふ、元気そうでよかったわ。何かあったの?」


「うん。私ね、夢ができたの。だから、勉強頑張ろうって」


「夢って将来の?」


「うん。私、絵本作家になりたいなって」


「ふふ、また急ね? でもやりたいなら頑張りなさい。私は、応援するわよ」


「ありがとう、ママ」


 当たり前のようで尊い、先輩がくれた家族のだんらんの時間。そんな日常に新たな目標をもって、新たな一歩を踏み出す。先輩からもらった気持ちを大切にして――


 ・・・・・・・・・・


 先輩が亡くなり、十年の月日がたった。


 私はインターホンを鳴らす。


「あ、未央ちゃん。さぁ、あがって」


 少し間をおいて、楓さんが出迎えてくれた。


「お邪魔します」


 先輩の仏壇の前に行き、線香に火をつけて、手を合わせる。


「毎年ありがとうね」


「いえ、むしろ毎年迷惑じゃないですか?」


 私の隣に座った楓さんに、お礼を言われたのでそう聞く。


「そんなことないわ。私も嬉しいし、息子を喜んでるわ」


「だと、嬉しいです。あ、楓さん。これ、貰ってください」


 持ってきていた手提げから本を取り出して、手渡す。


「あら、ありがとう。読んでいいかしら?」


「はい。ぜひ」


 緊張しながら、お願いする。


「できたのね。ふふ、この主人公、息子に少し似てる……」


「参考にしましたから」


 手渡した本は、私が書いた絵本だ。


 テディベアが女の子に絵本を読んでもらっていくうちに、意志を持って恋をしていく話になっている。


「うん、面白かったわ。仏壇に飾っていいかしら?」


 少しして読み終わり、そう提案してきた。


「もちろん。先輩にも読んでもらいたいです」


 楓さんの笑顔に安心してそう返事を返す。


「ありがとう。夢を叶えるなんて、すごいわ」


「いやいや、それが一冊目ですし。これからですよ」


 照れながら、そう返事をする。


「でも、叶ったのに変わりはないわよ」


「ありがとうございます」


 あれから学園を卒業し絵本について勉強して、今朝ようやく私の書いた本の販売が決まった連絡を受け、命日だったこともあり急いで挨拶に来たのだった。


 手渡したのは手書きの現本なので、少し絵が荒く褒めてもらって恥ずかしい。


「先輩。どうですか? 私の書いた物語は……好きになってくれたら嬉しいです」


 仏壇に微笑み、そう語りかけるのだった。


                  (完)




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[良い点]  心臓移植をしない限り助からない未央が一生懸命主人公に構うのは勿論好きだからという理由もあるのでしょうが、自分が生きているうちにいつも一人でいた背中を押そうとしているように思えて、温かくも…
[一言] 爽やかで 切なくて 良いお話でした。
2022/11/13 13:43 退会済み
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