第六章 王子の策略
扉を開けると同時に、こめかみ付近に弾丸が飛んで来た。銃を構えていたのはグレイだ。
「今のをよくかわしたな」
「挨拶なしかよ」
間一髪、腰をかがめなければ危なかった。さっきの部屋とはうって変わって、この部屋はかなり明るかった。電球ではなく、蛍光灯で青白く照らされている。グレイの他にドレイクもいた。
そして、ドレイクの傍らでフラッドが椅子に縛りつけられている。あの状態で俺の携帯電話をかけて来たのだとしたら大したもんだ。
「待ちくたびれたよ、リード」
フラッドは相変わらずだ。怯えた表情一つ見せない。誘拐されている自覚がないのではないかと疑いたくなるほどだ。実際自覚してなさそうだ。
「心配させやがって、どんな顔して俺に泣きついてくるかと楽しみにしてたのによ」
拍子抜けした俺は、ライフルを肩に担いだ。
「王子を返してくれるか?」
ドレイクは王子の椅子にもたれかかり、フラッドのこめかみに銃を突きつけている。ロシアのPSS拳銃だ。特殊な弾薬を使うことにより、音を出さずに発砲できる珍しい銃だ。フラッドに向けるなんてもったいない。是非、譲ってもらいたいものだ。
「生意気なガキで困ってたところだ。と、言いたいところだが、国王に今、身代金の要求をしているんでな。お前はここで死んでもらう」
「ありきたりな台詞だな。お前は金が欲しいだけだろ? そのために王子を誘拐するなんて馬鹿だぜ。捕まるリスクだって高い」
俺が鼻を鳴らして笑ってやるとドレイクは歯をむき出してにんまりと笑った。
「リスクはあるが、国王は過保護だ。王子のために、ありったけの金を出してくるだろう。その金があれば、今まで捕まった俺の仲間も釈放できるし、海外へ逃亡する資金にだってなる」
なんとも夢のない話だ。そう簡単に国外に脱出できるとは思えない。現に、俺が簡単にここに乗り込んでいるのだから。
「で、ここで時間を潰してるのか?」
「まあな。エバンがやられたらしい。ちょっくら、俺が相手でもするか」
グレイがフラッドの側に控える。ドレイク自ら俺とやり合ってくれるとは好都合だ。てっきりフラッドを人質に、つまらない取引を起こすのかと思っていた。
「いいのか? 外は軍隊がうじゃうじゃいるぜ。お前が銃声を鳴らさなくても、俺が鳴らせば突入してくる」
「それはどうかな」
自信たっぷりの俺の言葉を遮ったのはグレイだった。どういう意味かと問おうとしたとき、雑音が聞こえた。懐のカレンと繋がっているマイクからだ。
「おい、カレンどうした?」
小声で話したが、雑音は酷くなるばかりだ。大声で呼びかけると、ついに、電話線が切れたように、うんともすんとも聞こえなくなった。グレイがざまあ見ろと言わんばかりに目を細めて俺を見据えている。ドレイクが一歩身を乗り出して、俺に拳銃を向けた。
「これで、お前をぶちのめそうが、誰にも知られることはないわけだ」
発砲。そうくることは分かっていたので、転ぶ勢いで、しゃがんだ。こっちだって、今日は王子の秘密の倉庫から拝借してきたSIG551軍用ライフルがある。中距離で使うにはもってこいの、ライフルだ。ドレイクの足元をすくうように、連射した。反動が思ったより小さく、撃ちやすい。
ライフルに見とれていたので、ドレイクがどうなったか目で追っていくと、情けないほど、早足で王子の後ろへ逃げていく。やはり王子を盾にしようという魂胆だ。
「こっちへ向けるな! 王子にも当たるぜ」
すると、フラッドは当然のごとく、俺に微笑みの合図を送った。
「撃つかどうかはリードの判断に任せるよ。でもね、足の小指をかすっただけでも罰金だからね」
お前はどっちの味方なんだと、腹の中で煮えくり返る思いを堪えながら、俺はライフルを放り投げた。あっけにとられたドレイクは、思わずライフルの行き先を視線で追う。
そこへ、全体重と、スピードをもって、タックルをかけた。大柄なドレイクとはいえ、不意討ちには弱かった。ドレイクが、俺を必死で放り出そうとするが、負けずに上から乗っかって、拳を浴びせた。憎憎しげに俺を睨んで、ドレイクは怒鳴る。
「おい、グレイ! こいつをどけろ」
背後からグレイが迫って来た。まずい、ドレイクは適当に切り上げて、歩み寄る刺客を防がなければ。最後に一撃ばかりドレイクの顔面を、凹んだかと思われる勢いで殴った。あっけなく伸びたドレイクは置いといて、振り向きざまに、グレイに拳を向けようとした。
が、俺の左胸に置かれた拳銃が見えた。ブローニングHP L9A1だ。軍隊が使っている銃ではないか。フラッドの好きなワルサーより、性能はいいし、何より最大十三発も弾が込められるという大容量だ。こんな近距離で、それをかわせる自信はない。
目をそらすにもそらせないまま、冷たい銃口を眺めていた。グレイの指が引き金に伸びる。俺もここまでか。周囲の音が聞こえなくなり、自分の心音だけが、耳を打つ。
最期にフラッドの顔を見ておかないといけないような気がして、目をやる。あいつは表情一つ変えずに、俺の瞳を覗き込んで来た。もっと、心配してくれよと願ったが、あれがフラッドだという気もした。全く、呆れて笑みさえこぼれてくる。早く始末してくれ。
そのときが来るのを待った。あんまりグレイが遅いので半ば閉じかけていた目を見開いた。目を見張った。グレイの腕は俺から、鼻血を流して気絶しているドレイクの額に移り、高らかに発砲音が響いたのだ。
俺は明らかに間抜けな顔をして腰を抜かしている。極度に張り詰めた緊張の糸が、解けたというか、なよなよと足元から見えない力が抜けていき、足腰が全く立たなくなった。
フラッドはというと、縄で両手が塞がっていなければ腹を抱えて笑っているだろうと思うぐらい、誘拐された当事者が、ここぞとばかり大声で笑い転げている。
グレイは、俺には興味がないというように、フラッドに歩み寄っていく。
「やめろ、そいつに手を出すな!」
上ずった俺の声とは裏腹に、グレイはてきぱきと王子に巻かれた縄を解いていく。一体どうなってるんだ? フラッドは自由を得た途端、両手を組んで、腰を抜かしている俺を見下ろした。まるで、俺は王子に使える召使のような格好だ。
「最後に笑うのは僕だって言ったよね?」
「ど、どういう意味だ。グレイは敵じゃねぇのか」
隣に整列したグレイを振り返ったフラッドは、妖艶な笑みを浮かべた。
「グレイは僕を護衛する軍隊の一人だよ。エバンとドレイクは違うけどね。あいつらは僕を利用して身代金を要求したかったみたいだけど、逆に僕に利用されてることに気づかなかったんだよ」
つまり、誘拐されていたように見せかけていたということか? それにしても、手が込んでいる。
「何が目的なんだよ。俺がお前を助ける必要もなかったんじゃねぇか。とんだ遊びに巻き込んでくれやがったな」
怒り肩で、ついにフラッドの胸倉を掴んでやった。身長は圧倒的に俺の方が高いのだ。フラッドなど見下ろせば、その辺りの学校に通う児童と何ら変わりがない。フラッドは臆することなく、挑戦的に背伸びをして俺の耳元で囁いた。
「試したんだよ」
俺はあまりのことに、のけ反って、一歩後ずさった。心臓が早鐘を打っている。
「何を」
胃がきりきり痛むのを顔に出さないよう意識したが、わずかばかり声が震えた。
「もう分かってると思うんだけどな。リードが、僕を命がけで助けてくれる友達かどうかを試したんだよ」
俺はドレイク達より、恐ろしい相手に目をつけられたものだ。悪寒がするが、身震いするのも忘れるほど、ぽかんと口を開けていた。友達? お前は意味を分かって使っているのか?
「じゃあ、明日から僕の宮殿で働いてね。もちろん、護衛係としてもそうだけど、リードの手料理なんかも食べてみたいな」
全く意味が分かっていない。それでは使用人ではないか。それも護衛係だ? 頭の毛を一本残らずかきむしりたい衝動に駆られながら、笑顔を満面に浮かべるフラッドの胸に指を突き立てた。
「お前は、俺を、宮殿で召使にするために、わざわざ襲ったのか?」
フラッドが痛がるぐらいに指をぐいぐい押したつもりだが、フラッドの笑顔はいっこうになくならない。
「そうだよ。親しい人には先ず挨拶をしないとね」
「で、俺がお前の部下に相応しいか、誘拐されたふりをして、のん気に高みの見物をしてたわけだ」
「違うよ。僕はリードが失敗することがないよう、しっかり応援してたし、リードが僕の下で働かないといけなくなるように仕向けただけだよ」
何の悪びれた様子も見せないので、もう少しでフラッドを殴りそうになった。
「駄目ですよ。王子に手を出したら」
大げさな足音がして、ドアを突き破って雪崩れ込んで来たのは、カレン率いる軍隊だった。
「カレン、お前もグルか! 連絡が来なくなったから、てっきりドレイクの連中の仲間にやられたのかと思ったぜ」
カレンは、足を引きずっておらず、それこそ女優さながらに足を交差させて優雅に歩いてきたのだ。歩けないのも演技だったわけだ。さしずめ、俺に行動させるため不自由なふりをしていたのだろう。
「本当に申しわけないです。ですが、こうなった以上、フラッドの友達になってあげてはどうでしょう? 国王はフラッドが誘拐されたと信じきっていますので、このまま王宮に赴けば賞金も手に入ります」
賞金は悪くない。というより、貰って当然だ。俺は王子様のために命がけで働いたのだから。ところが、どうだ、その王子は誰よりも一番満足げだ。
全身の疲労から、俺はその場で座り込んでしまいたくなった。全く、この数日、俺は何をしてきたのか分からない。
「ね、リード元気出してよ。早くお父さんにも報告したいんだ。新しいボディーガードができたって」
フラッドが微笑む度、その顔をつねってやりたくなる。
「だから友達ができねぇんだろ?」
フラッドの顔から笑顔が消えるのをはじめて見た。幽霊にでも出合ったように、唇まで色が抜けていく。俺は言葉を誤ってしまったようだ。冗談のつもりで言ってやったのに、それほど気に留めていたとは思わなかった。フラッドが孤独だというのはどうやら本当らしい。相当ショックを受けたようだ。
「じゃあ、帰る支度をしましょう」
カレンが軍に撤退を命じてくれなければ、俺達はずっと互いに何も語らなかったはずだ。
「カレンから聞いちゃったんだね? だったら僕の策略も感づいたんじゃない?」
腕を組んで偉そうに。でも、すぐに立ち直れる野郎で内心ほっとした。
「うるせぇ」
俺が口の端を歪めると、フラッドも口の端を吊り上げる。
軍隊が引き返して行く間、どっと疲れが込み上げてきた。うんと、伸びをすると背骨の辺りが気持ちいい。もう夕方頃だろうな。
「王子、これからどうなさるおつもりで?」
グレイがこれまでにない、尊うような口調でフラッドに語りかけている。
フラッドの企みとは別に、何かが心の中で引っかかった。フラッドの計画は確かにすごい。
俺と友達になるためだけに、軍を動かし、ギャングを逆手に取った。ここまでは順調そうに見えるが、何かがおかしい。俺の今まで感じてきたものが全て偽りとは考えられない。
「そうだな。まずお父さんに、連絡して。それからきっと晩餐会だと思うよ。記者会見そっちのけでね。勿論リードも参加だよ」
フラッドを睨みつける代わりに、グレイを睨んだ。俺を襲ったときの戦い方といい、さっき突きつけられたときの銃口の重みといい、これまで幾度となく感じてきたあいつの殺気だけは間違いなく本物だ。ナイフで腕を切られたときなどは、とても、襲うふりなどではすまない、急所ばかりを狙ってきた。
「フラッド。そいつから離れろ」
フラッドがはじめて見せる不審な顔。その小さな顔の側に、素早く伸びてきたのはグレイの腕だった。フラッドの頬に蛍光灯を反射したナイフが止まる。
「全員動くな」
軍の半数以上が撤退した中でのできごとだ。フラッドも計算外のことに、さすがに硬直している。しかし、臆した様子はなく、確かに王子として風格のある精悍な顔つきをしている。
「ただの軍隊じゃないみたいだな」
俺の問いかけにグレイは薄い唇を舐めて笑みをこぼした。
「軍には間違いない。だが、俺は王子の親戚だ」
余計に話がややこしくなってきた。
「そうなのか?」
フラッドは呆れた顔をしただけだ。
「俺の嫁は、王子の従妹だ」
そうは聞いたものの、大して驚かなかった。なおさら変な話なだけだ。
「俺の嫁はもう半年ももたない。生まれつき腎臓が悪かったが、移植してもらえるドナーが見つかりそうにない。幸い、身内から移植してもらえれば助かる病気だと聞いて、俺は国王に頼んだ。できることなら俺が移植してやりたかったが。それで、国王はなんと言ったか分かるか? 自分の腎臓はやらん、だとな」
グレイは不適に微笑んだ。王子の首を持ち上げて、後ずさっていく。
「それで、フラッドから腎臓をもらうつもりだとか言いたいのか?」
俺が一歩踏み出すとグレイは大声を張り上げる。
「近寄るな! ほら、王子があの世行きになる」
フラッドの首に押し当てられたナイフの先から、細い血潮が溢れ出す。これ以上は近づけない。すぐに撃てるよう、いつでも銃に手が届くようにはしているが。
グレイは、壁にもたれかかると、背で壁を強く押した。なんと隠し扉が開いた。今頃残りの軍がかけつけたが、王子が人質では下手に動けない。グレイはガレージに出た。
隠し扉に秘密のガレージか。四角いワゴン車が一台止まっている。逃走用だろう。俺達はにじり寄ることしかできない。グレイと車の距離はもう一メートルほどだ。
「残念だなグレイ」
フラッドが呟いた。刹那、肘でグレイの脇腹を突き上げ、よろめいた隙にグレイの腕をかいくぐる。
「リード今だ!」
言われなくとも抜き撃ちは得意だ。銃弾は足に命中し、車に倒れかかるグレイ。ざまあみろ。
「貴・・・・・・様」
グレイはまだ動いた。車の窓ガラスを叩き割って乗り込んだ。しまった、逃げられる。軍隊がフラッドを保護し、銃撃を始めようというとき、拍子抜けするほどすっとんきょうな声が運転席から上がった。
「うわっ、何、人の車乗って来てんや」
さっき隣の部屋で気絶させておいたはずのエバンだった。何であいつがここに。
「どっから沸いて来たんだよ」
俺がさりげなく呟くと、陽気な声で答える。
「上に隠してあった空気口や」
そんなものまであるとは、ここはからくり屋敷か!
「どけ!」
グレイがハンドルを奪おうとする。しかし、軽くあしらってエバンが拳銃を突きつけた。
「あんた裏切りよったな。さっきから聞いとったで!」
さすがのグレイも押し黙る。俺が銃をグレイのこめかみに当てると、とうとう軍人たちが車を包囲した。
「えっ、ちょっ! 俺も捕まんのん?」
舌打ちするグレイ。さあ、どうする?
苦々しく微笑んだグレイは懐にそろりと手を差し込む。まさか爆弾? そのまさか、グレイが手から取り出そうとしたのはスイッチだ。思考が止まる。グレイの指が速いか、銃弾が速いか。
銃弾が速かった。危機一髪だ。俺とエバンに両側から脳をぶち抜かれたのだ。これで終わりだろう。しかし、冷や汗が脇から染み出た。王子を殺そうという男だ、それなりにダイナマイトでも持っていて当然か。
「あんさん、押してもうたんかいな!」
エバンが酷い取り乱しようで、車から脱出した。軍隊も撤退を呼びかける。グレイのが助手席で倒れた拍子にスイッチが入っていた。これはやばいだろ!
逃げ遅れた俺は数メートルも爆風に煽られて転げ落ちた。まさか、映画スタントの真似ごとでもここまで熱いことはないだろう。と思ったら背中に火がついている。全くとんだ災難もいいところだ。
「ちょー待ってーな。俺も被害者やねんて。グレイはんがまさか王子はん殺そう思てるなんて思わんやん。誘拐したんは事実やけど、誘拐を考えたんはグレイはんとうちの上司やわ」
軍隊に寄って集って叩かれて炎消されたときには、上着が使いものにならない状態になっていた。穴も空いている。ふと横を見るとエバンがまだ抵抗している。
「ったく、往生際が悪いぜ。さっきはよくも」
指の骨を鳴らすとエバンは堪忍してーやと泣き寝入りをはじめる。さて、どうしてやろうかな。
「リード、弱い者いじめが趣味だったなんて、最悪だね。よくないよ」
フラッドが珍しく柄にもないことを言い出した。一般市民に銃口を向けるお前には言われたくない。
「ただのギャングだっただけだもんね?」
フラッドが指図して、軍人の手が緩むとエバンは顔を輝かしてフラッドの手を取った。お前は誰を崇拝しているんだ。
「王子はん。あんたやっぱいい人やわ」
「けっ。こいつのどこがいい人だ」
俺はまだフラッドの企みを根に持っている。
「今回の件をなかったことにしてあげてもいいけど、エバンも僕の護衛になってよ」
俺の耳に不愉快な会話が聞こえてきた。そこの二人、何を嬉しそうに手を取り合っている。
「気に入らねぇ。こいつと一緒に護衛だぁ?」
意地悪くはにかむフラッドを見ていると、ますます腹の虫が収まらない。
「これで一件落着だね」
「勝手にまとめあげてんじゃねーよ!」