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銃使いの王子  作者: 影津
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第五章 王子の救出

「俺はあの生意気なガキに負けたのか?」

「あなただって二度も優勝したじゃない」 


カレンは励ますつもりで微笑んだのだろうが、立ち直る気力がなかった。俺が射撃の世界から身を引いたのは去年の大会のせいなのだ。二位で終わり、青春も崩れ去り、天にも見捨てられたように俺の生活は荒廃していった。注目は当然若手のフラッドに向けられた。今も探せば雑誌などで写真が見られるだろう。大会のときは色つきゴーグルをかけていたので王子には見えなかった。見事に騙されたわけだ。


「そんな腕の持ち主が何で俺に助けを求めるんだ?」

 上の空でつぶやいたとき、車が停車した。町から少し遠ざかった場所にそれほど高くはないが、ビルが場違いなほど立派に建っていた。エンジンを切って、車から降りながらカレンは説明した。


「王子の銃好きは国民には内緒なんです。王子のまねをされると、子供達に悪影響が出ます」

「それは言えてる」

「それに、王子はいくら銃の腕が世界一であっても、それを国民に向けて発砲し、危害を加えるわけにはいきません」


 「俺、撃たれたんだぜ?」


 カレンはお構いなしに続ける。

 「それでも殺人はできません。国家の問題に発展するからです。なので、誘拐されそうになっても、抵抗できなかったのでしょう」

 何か引っかかっる。王子は俺には平気で発砲したではないか。同じ拳銃愛好家から言わせてもらっても、相当な変人だ。


 「ったく気に食わねぇ」


 黙りこんだカレンは到着してもしばらく車を降りなかった。

 「王子はただあなたを襲ったのではありません」

 唐突に告げられて俺は戸惑ってしまった。


 「王子は孤独です」

 言われていることがよく飲み込めない。あんな楽天的な野郎が、そんな悩みを抱えているようには見えない。


 「王子というものは、どんな仕事をしているかご存知ですか? 幼い頃から親は外交で忙しく、通う学校もエリートの息子や令嬢などの通う学校で、教養をひたすら身につけさせられます。王子はあの性格ですから、友達もろくにできませんでした。それに、あなたもご存知かと思いますが、王子には困った性癖があるんです」


 なるほど、言われてみればあんなやつと好き好んで友達になろうという人もいないのだろう。性癖と言えば、あいつの存在そのものが一種の性癖のようでもある。心当たりがあるとすれば、最初拾った銀のネックレスだろうか。そういえば、ずっと懐に入れたままだった。

 「これ、返しとく」


 カレンは、顔を赤らめて受け取った。そうか、そういえばそのネックレスの開く部分にはフラッドの写真が入っていた。

 「ナルシストなのか?」


 声を潜めて問うと、ますますカレンは顔を赤らめた。どうやら図星らしい。


 「王子は、他人に好かれることがなかったんです。けれど、一流の学校に通う以上、王子である以上、友達ができないくらいで、逃げ出すこともできない性質でした。学校に通い始めた頃は、誰に相手にされなくても平気でした。そのうち、学校で我慢している分、王宮に帰られると一人でよく泣いていたんです。でも、誰にも相談のできない子でした」


 俺はフラッドの様子からそんなことがあったとは想像ができなかった。フラッドは高貴なイメージをあえて作っていたのだろうか。意外な感じがする。


 「しかし、段々王子の様子がおかしくなってきたんです。正確には、以前より明るくなったのですが。つまり、その、王子は誰よりも自分を好きになったんです。王子は成績優秀な生徒でした。それゆえ、王子だから当然と思われたり、妬まれたりして、ますます友達が減っていきました。最初は自分で自分を褒める程度のものだったと思います。それが、いつの間にかエスカレートして・・・・・・」


 何だか気の毒なような気もした。フラッドがナルシストなのは一応理由があったわけだ。

 「だから、その、王子はあなたを探していました」

 「何で俺なんだよ」


 俺は関係ないだろというのが本音だ。

 「あなたを尊敬していたからです」


 百パーセント嘘だと思った。王子は誰かを尊敬するようなタイプではない。

 「大会で三年連続優勝していた最年少のあなたを尊敬しない理由がどこにありますか?」

 「でもなぁ」


 「はじめて王子が他人を好きになったんです。銃という共通の趣味を通して」

 頬に穏やかな風が当たる。なんだろうこの気持ち。


 ビルに入るとカレンはカウンターに何も告げずに、エレベーターに乗り込んだ。受付の女性も、軽く会釈をしただけで何も問うことはなかった。どこに連れて行く気だろう。

 エレベーターは地下へと潜り、白い壁で仕切られた、研究室のような部屋に到着した。

 「ここは?」


 白衣を着た何人もの、科学者か、技術者らしき人たちとすれ違った。

 「国王は、軍の出動を要請しました。そこで、あなたにも協力してもらいます」


 「おいおい、話が違うぞ。俺はあんたに協力してもらいたかったんだぜ。何で俺が、軍に協力しなくちゃならねぇんだよ」


 「国王が王子を連れ戻した人物に賞金を与えるという話は知っています。しかし、我々としては王の身勝手な命令で、一個人であるあなたにお金を払うのは、妥当な考えとは思えません」

 国王が身勝手で我がままなのは、この国のみんながよく知っていることだ。


 「それじゃ、俺の取り分が減るってことかよ」


 舌打ちをしても、カレンはすました態度を変えなかった。

 「元々取り分などありません。国王は賞金を発表しておきながら、軍が必ず連れ戻すことに期待しているのです」


 「ますます気に入らなねぇな。はなから賞金を出す気はなかったってことか」

 カレンは優しく微笑んだ。どうもこの女性は苦手だ。

 「で、俺はあんたらの何を手伝わされるんだよ」


 カレンは、突き当たりの厳重にロックされた、鋼鉄製の扉の前で、顔の認証を行い、暗証番号を入力している。入力が済むと、電子音が鳴って、扉がゆっくりと内側に開いた。中から光が漏れてくると、目玉が飛び出るか、失神しそうになった。


 銃だ。それも、部屋の隅から隅まで、取り揃えられている。棚は何十列と揃っており、ガラスケースで博物館の展示品のように並べられたものもある。もちろん拳銃から、ライフル、ショットガンと、コルトならコルト、ワルサーはワルサーで、年代別に分類されている。宝の宝庫だ!


 「これを俺にくれるのか?」

 鼻の下が伸びそうになる。


 「全て王子のコレクションです」

 思わぬ不意討ちだ。ショーケースの上に脱力してしまう。フラッドが恨めしく思えた。財力さえあれば、俺だってこんなにたくさんの銃に囲まれて幸せな生活が送れるのに。


 「まあ、これは我々に王子が寄付して下さった、王子のコレクションと全く同じものですが」

 「あいつ、これ全部をもう一式持ってるのかよ!」


 金の無駄遣いだ。国王といいフラッドといい、税金の使い方が間違っている。

 「正確には、全国の数箇所にありますけどね」


 俺はカレンにからかわれているような気がしてならなかった。カレンは俺の視線を軽く受け止めて微笑んだ。


 「安心して下さい。王子救出のためなら、ここにあるものは全部使ってもいいと許可が出ています。好きなものを選んでください」


 手短な棚にあるSIG551を手に取った。ほどよい重みが手に伝わる。夢にまで見た、軍用ライフルだ。軍用の中でも、一般水準以上の信頼が置ける。俺はこれに一度お目にかかれるのなら、死んでもいいと思っていた。


そんな無邪気な俺の姿にカレンは微笑んでいたが、十分経っても、ここを出ようとしないので、ついに堪忍袋の尾が切れたらしい。わざとらしく咳き込んで、カレンが促した。


 「さあ、早く王子を助けに行きましょう。場所の予想はついているのでしょう?」


 なるほど、王子がどこにいるのか知らないわけだ。だから俺を頼らざるを得ないのか。でも、何で俺が王子の居場所を知ってることを、カレンは知っているのだろうか。何か企んでいるのだろうか?


 カレンと話していると気に食わないことばかりだ。王子とどこか似ているせいかもしれない。何か企んでいるのなら、尻尾を出すまで様子を見た方がいいかもしれない。


 「連れて行ってやるが、先に俺が王子様の誘拐犯じゃないことを警察に説明してくれねぇとな」

 「そうでしたね。では連絡しておきます」


 カレンは手早く電話をし、警察に俺の無実を証明してくれた。軍の人間というのは嘘ではなさそうだ。


 フラッドの居場所を説明し、車で向かうことになった。妙なことにカレンは軍らしき人物の一人も連れて行かなかった。カレンは足が不自由なので、実質上、俺が一人で突入するようなものだ。


 車は三十分以上もかけてポーツマスで、自動的に止まった。時速二百キロ近く出していたのだから上出来の速さだろうか。ここからは、徒歩で行くとカレンは言い出した。歩いても行ける距離だが、正直なところ、片足を引きずりながらでは大変だろう。


 「王子は俺一人で助けに行ってもいいんだぜ? 休んだらどうだ?」

 スーツ姿の彼女は、とても厳格な瞳で見つめ返してきた。軍人の幹部らしい鋭い眼差しだ。

 「いえ、私の役目は見届けることですから」



 「でも、その足じゃ、敵に見つかっても逃げられないだろ? 軍がいるんだったら他のやつらにあんたの仕事を代わってもらえばいいんじゃねぇのか?」

 カレンは唐突に微笑んだ。


 「軍ならもう現地に到着しています。王子のいるパブの一角は、もうすでに通行止めになっている頃でしょう。今のところ誘拐犯らしき人物は確認できていませんが、営業中にも関わらず、客の出入りが少ないので、怪しいとの情報です。王子が中にいると確認ができるまでは外で待機してもらっています」


 「いつの間に」


 何だか不公平な対応ではないか。俺の苦労をよそに、カレンら軍人は手際よく王子救出を進めている。出番などないではないか。これで、本当に賞金がもらえないのだとしたら、俺はとんだ仕事を引き受けたことになる。こうなったら、何が何でもフラッドから直接謝礼金なりをもらわなければ。


 エマニュエル街は、正午を回ったにも関わらず静まり返っていた。誰も通りを歩いていない。照りつける太陽が不気味に感じられるほどだ。


車が一台も走っておらず、停車しているのは誰も乗っていない車だけだ。どの店も閉まっていてわびしい空気が漂う。すされていた地区でもないだけに、何か不吉な予感がした。とても廃業しそうには見えない、おしゃれな看板の店もシャッターを降ろしている。


王子は三時までに助けに来て欲しいようなことを話していたが、十分余裕がある。歩いてでも、「騙し屋」というパブはすぐに見つけられるだろう。

 「この辺りはもう避難勧告を出しておきました。ドレイクという男は銃を所持しているみたいですからね」


 なるほど、それで誰もいないのか。少し手際がよすぎるというか、やりすぎのような気もしたが。

 車道を堂々と横断し、パブ、「騙し屋」のある裏路地に向かった。カレンは詳しい位置や、軍の配置している建物を小声で教えてくれた。そこまでしているなら、俺が行く必要はないだろうに。


 パブの二つ手前の路地で、一度俺とカレンは話し合いをもった。突入は俺が担当することになった。外でカレンが状況を確認するらしい。パブの左右の建物と、正面の建物の上に狙撃手が配置されていて、何かあったら援護してくれるらしい。なんとも都合のいいことだ。

 「実質、軍は何にもしないってことじゃねぇか」


 カレンは少し汗ばんだ額をハンカチで拭いながら、爽やかに微笑んだ。

 「そういうことになりますけど、私達は、あなたについても知っておきたいのです」

 俺はますますカレンが何か企んでいるような気がしてならなかった。

 「まだ俺が犯人だって疑ってるわけじゃないよな」


 「そういうことではありません。ここから先は秘密事項なので、お話できませんが、私たちはあなたの味方ですので、安心して下さい」

 「何か隠しごとがあるってことかよ」

 やっぱり信用ならない。ここに来て本性を現したか。


 「いえ。私達の任務のことです。何かあったら無線で連絡してください。表からの状況もこれでお伝えします」


 小型のマイクのようなものを受け取って、懐にでも入れておいた。

 通りには慎重に近づいていった。やはり人通りはなかったが、それでも気を抜くわけにはいかない。パブの周囲の建物の上には、ライフルスコープで何人かが、俺を見ていた。味方なのに、俺は気を許すことができなかった。


 「大丈夫?」

 カレンの声がマイクから聞こえてきた。俺は呻くように、ああと唸った。とうとう入り口に到着だ。さすがにライフルを持って突入すると敵意丸出しだ。中のお客さんがいないことを祈るのみだ。扉を開けた瞬間に乱射されてはこちらもたまらないからな。

 「ノックした方がいいのか?」


 カレンに一応確かめた。

 「あなたのやりたいようにやればいいわ」

 「けっ、言ってくれるな。俺のやり方は結構荒っぽいぞ」


 ドアを蹴り開け、ライフルを構えた。撃ちまくるつもりだったが、拍子抜けした。誰もいないではないか。ピンク色のきらびやかなネオンは点いているので、営業中なのは確かなはずなのだが、店のオーナーすらいない。店内は、俺の不安とは裏腹に、はつらつとしたジャズが流れている。


慎重に足を進めた。店の奥にも、トイレにもどこにも人の気配がない。裏口の扉を見つけた。フラッドは裏口から入った倉庫にいるらしいが、どこにも倉庫などないではないか。フラッドが勘違いしただけではないのか?


訝しく思いながら捜索を続けた。きっと俺達が町中を封鎖したから感づいて逃げ出したのか。あんなに町ががらりと変わったら俺だって気づく。もうここにはいないのかもしれない。


 まだ諦めきれなかった。カレンら軍人がやすやすと王子を誘拐した重要犯罪人を逃がすとも思えない。きっと近くに隠れているはずだ。念入りにテーブルの下まで調べた。板張りの床が、どこもきしんでいるが、一箇所だけ木目が区切られている部分を見つけた。これだ。


何て初歩的な隠し場所だろう。王子はこれを倉庫と呼んだのだろう。床は、手で簡単にずらすことができた。中から現われたのは隠し階段だ。石造りで、かなり年代ものだ。ということは、ドレイク達はここをずっと前からアジトにしていたのだろうか。


 「階段発見だ。どうする?」

 俺の問いにカレンは、驚いたそぶりの声は出さなかった。

 「私達も行った方がいいの? 大人数じゃ、目立つかもしれないけど」

 「窮屈だから俺一人で行った方が手っ取り早いかもな」


 しばらく通信は途絶えた。

 「なら決まりね。そっちの声は聞こえるから何かあったらすぐに突入するわ」

 「了解」


 いよいよ俺も認められてきたな。どの道一人でやる仕事だったのだ。階段に足を踏み入れると、胸が高鳴った。報酬が脳裏をちらつく。フラッドは一体どのくらい財産を持っているだろう? そんな考えを、フラッドの忌々しい笑みがかき消した。思い出すと胃酸が喉まで戻ってきそうな不快感をもよおす。


 階段下は、何も見えないほど真っ暗だった。無用心だが、自分のライターで、辺りを照らした。扉がある。この奥に誰かいるような気がする。慎重に、ドアノブを回した。わずかにきしむ音がして。扉が開く。


 突然、黄色い電球が部屋を照らし出した。テーブルと、椅子があり、その椅子に座っているのは、無精ひげの男。エバンだ。

 「ほんま、よう来たなぁ。待っとたで」


 酒の入った瓶を手に、一人で一杯やっている。その瓶吹き飛ばしてやろうか。ライフルを構える俺を見てもエバンの態度は変わらなかった。

 「あんたも血の気が多いやっちゃなぁ。まあ一杯やらへんか?」


 「誰がお前なんかと飲むか。フラッドはどこだ」

 率直に質問する。時間に余裕があるといっても、敵の陣地でくつろげるだけの図太さは持ち合わせていない。


 「この奥におる思うけど」

 エバンは真後ろの扉を親指で示したが、俺が前に乗り出すと、手を前にかざす。

 「ただじゃ通られへんのや、これが」


 「そこをどけ。ぶっ放すぜ」

 エバンは全く臆さずに、まあまあと俺をなだめた。


 「色々聞きたいこととかあるんとちゃうか?」

 「何でお前と仲良く話さなくちゃならねぇんだよ」

 エバンは頬を酒で赤らめながら不満そうにぼやいた。


 「そりゃないわ。普通聞きたくなるやろ? ならなあかんわ、王子はんの護衛しとるんやったら俺らの上司、まあドレイクはんやねんけど、何で王子はんを誘拐したのか聞きたくならへんか? 一国の王子はんを誘拐したんやからなぁ?」


 「うるせぇ。さっさとフラッドを出せばそれで解決だろうが」

 俺の堪忍袋ももうすぐ緒が切れそうだ。


 「ちょっとは話聞いてくれてもええやんか。それに物騒なもん早よお、閉まってえな。この部屋の壁、爆弾埋まっとるから下手に撃ったら俺らお陀仏やでほんま」

 さすがに焦らずにはいられなかった。もう少しで本当に乱射していたところだ。

 「そういうことは先に言え!」


 エバンは参ったなぁと照れくさそうに陽気な声を上げた。

 「これで少しはゆっくり話す気になったやろ?」


 エバンのペースに持っていかれたのが気に入らない。フラッドのところに辿り着くのは時間がかかりそうだ。ここに来て強行突破が不可能とは。壁に爆弾が埋められている量にもよるが、うかつに発砲すると、お互いに危ない。地上で待機しているカレンにも被害が及ぶ可能性もある。あるいは、奥にいるであろうフラッドにも。


 「じゃ、いっちょゲームでもしよか」

 ほろ酔い気分でエバンが懐を探っている。その震える指先につままれているものは、カードだった。賭博でもはじめる気か。冗談じゃない。ライフルをエバンの顔に突きつけた。


 「いい加減にしろ、ここをどけ」


 「やめといた方がええで。ここの音声、奥の部屋にも聞こえるようにしてあるから。俺に従ってもらわれんのやったら、王子はんがどうなっても知らんで」


 俺の持っている小型マイクと同じような無線機を、襟元からちらつかせたエバンは、俺のライフルをどけるように指で突き返した。フラッドの命が危険にさらされているのなら、要求を呑むしかない。


 「物分りがいい兄ちゃんって好きやわ。怖い顔せんと、まあそっちの席に座りぃな」

 エバンがカードをきって配り始めた。トランプではないか。こんなものに、つき合わせるつもりか。納得できないまま、背もたれに倒れこんで腰を下ろした。

 「俺な、ポーカー好きで好きでたまらんのやわ」


 エバンの趣味など知ったことではない。街角でトラックを暴走させるような男だ。血の気の多いのはお互い様なのだから、堂々と戦えばいいものの、こんな地道なカード遊びに興じているとは。

 「時間稼ぎでもやりてぇのか?」


 嫌味に聞こえるように毒づいてやった。凄んだ効果もあり、エバンは苦笑気味に笑った。

 「まあ、そんなとこやな。王子はんの身代金が届くのを待ってるんや。王様は頑固やから、一日やそこらじゃ、俺らの要求呑んでくれへんからな」


 俺の知らないところで、要求をしていたのか。それにしてもドレイクはけちだ。王子を誘拐しておきながら、その程度のことしか考えつかなかったのだろう。俺なら、きっと金をたんまり請求した上で、あの生意気なフラッドをこき使って、高く売り飛ばすだろう。などと、フラッドに対する嫌がらせを妄想していると顔がにやけそうになった。


 「で、俺が勝ったらここを通してくれるのか?」

 「まあ、別に通ってくれてもかまわへんで。俺らのボスは、あんたと同じぐらい強いからな。まあ、博打で俺の右に出るもんはおらん思うけどな」


 案外エバンとは気が合いそうな気もした。約束は守るたちらしい。自信過剰なところが、俺とそっくりだ。


 「さっさとはじめようぜ。俺もトランプは得意だ」

 「ほな、セブンカード・ドローでいいか?」

 「望むところだ」


 俺がにやつくと、エバンは頭をかいて照れながら、三枚のカードを捨てた。セブンカード・ドローとは、通常のポーカーより二枚札を多めに配る形式のことだ。


なので、最後にハンドと呼ばれる、決まった形式になるように五枚のカードだけを選びぬく。俺の手札にあるのは、ハートの十三、ハートの十、スペードの八、ダイヤのエース、クローバーの二、クローバーの五、クローバーの十だ。全部ばらばらで、難しいところだ。


どのハンドを狙うかによって、捨てる方法を考えなければならない。エースは、残しておきたい気もする。強いハンドが作れるからだ。仮にお互いワンペアだったとしても、エースのワンペアなら、こちらの勝ちだ。ロイヤルストレートにもエースは欠かせない。


しかし、ただのストレートだったなら、パイガオポーカー以外の場合、一、二、三、四、五と続いても二、三、四、五と揃えた方が強いという例外的な面もある。カードは七枚もあるし、十三と十もあるからロイヤルストレートを狙えないわけではないが。


 「金は賭けなくていいのか?」

 「え、賭けてくれんの? 嬉しいわ」


 余計なことは口にするべきではなかった。ルールの確認をしようと思っただけなのだが、粗末な財布からそれ相応しかない小銭が出て行った。一方、エバンは酒で使い果たしていそうなものだが、札が何枚もポケットから出てきた。


 「あれ? そんなけしか持ってないんかいな? 不景気やな。ルールは交換一回だけやからよう考えときや。先に三回勝った方が勝ちでどや?」

 「三回もするのか?」


 面倒になってきた。こんなところで油を打っていることにカレンはどう思っているのだろう。怒って、軍が突撃してくれたら、それはそれで助かるのだが。


 「お前も暇だな。金目のものが目的だったら、王子以外にも金持ちはいっぱいいるだろうに。わざわざリスクの高い王子を狙わなくてもな。お前らのボスは頭悪いぜ」


 煙草をふかしながら嘲笑ってやった。エバンはボスの悪口を言われても特に気にとめなかった。

 「ボスはな、王子はんに恨みがあんねん。あんたにもな」

 それは初耳だった。ドレイクの狙いはフラッドだけではなかったのか。今度はエバンが酒臭い息を吐き出して笑いはじめた。


 「あんたも王子はんも同じやねんで」


 心当たりがあった。世界射撃選手権のこととしか考えられなかった。しかし、それとドレイクがどういう繋がりがあるのか見当もつかない。


 「きょとんとした顔しとるな。ほんま、あんたも王子はんも、血も涙もあらへんわ」

 エバンが涙ぐむ素振りを見せるなんて夢にも思わなかった。ポーカーのこともすっかり頭から忘れて、危うく手札が見えそうになるところだ。


 「思い出されへんのかいな? 王子はんはかろうじて思い出しとったで。口だけは久し振りとか嘘にしろ言ってくれたんやで。去年の大会ドレイクはんも出とったのに。あんたらとおんなじ表彰台立っとったのに忘れた言うんか?」


 記憶がおぼろげに浮かび上がってきた。あの日、最年少記録をフラッドに塗り替えられたこと、一位の座に、二年連続で居座り続けると世間から期待されていたのに、二位に終わってしまったことで、世界が色を失くし、喝采も空しく聞こえていた。


応援席からの拍手は雑音に聞こえ、カメラのフラッシュの嵐を浴びるフラッドを、複雑な目で見ていた。だから、俺の隣で、俺と同じような心境の男など眼中に入らなかったのだ。隣には、大柄な男がいた。赤い髪が印象的だったのに、どうして今まで記憶になかったのだろう。ドレイクと俺は表彰台で並んで立っていたのだ。


 「ドレイクは三位じゃねぇか。実力で負けたんだよ」

 エバンは恨めしそうに俺を見つめた。


 「そんな言い方ないやろ? ドレイクはんはな、俺らを養うためと、俺らの武器のために、優勝の賞金狙ってたんや」


 「人情深い男ってわけかよ」


 エバンが同情を求めてくるとは。しかし、フラッドの誘拐に何の関係もない話だ。ただの逆恨みではないか。考え方が小さい男達だ。こんな戯言にはつき合っていられない。



ロイヤルストレートを狙って、大差をつけて勝ってやるつもりだったが、せっかくハートの十と、クローバーの十でワンペアができているのだ。これを残して、スリーカードにするのも悪くないと思った。手札には、その二枚を残して、カードを引いた。エバンもカードを引く。

 「ええ、こりゃないわ」


 エバンの酒瓶を持つ手が震えている。これは見たところ、一試合目は俺の勝ちだな。山札からカードを五枚引くと、思惑通り、スペードの十が来てくれたことにより、スリーカードが完成した。

 「悪いな。スリーカードだ」


 エバンががっくりとうなだれて、カードを投げ出した。そこには、フラッシュがそろっていた。冗談じゃない、今がっくりうなだれていたではないか。エバンが声を忍ばせて笑っている。俺の唖然とする顔についに堪えきれなくなったのか、噴出して笑い出した。


 「ほんま最高やわ。引っかかりよったわ。俺の演技上手いやろ?」


 エバンは演技力で勝つタイプか。てっきり、俺と同じ幸運野郎かと思っていた。俺がポーカーに強いのは回ってくるカードの運がとことんいいからだが、これじゃ、運だけで勝つのは厳しそうだ。

 「してやられたってわけかよ」


 二本目の煙草をふかした。ここからは、本気でやらせてもらう。エバンが札を切り始めた。その間、トランプに細工をしていないか、睨み続けた。エバンはほろ酔い気分で、鼻歌を始めた。鼻歌まで音痴だ。配り終えると、酒を飲み始める。まじめにやっているのか理解できない。


 今度の手札はあまりいいとは言えなかった。ハートの七、スペードの五、スペードの三、ダイヤの八、ダイヤの二、クローバーの十一、クローバーの九、といった具合で、数も形もばらばらだ。


どれもペアになっていないのが辛い。十一を手元に置いて全部捨てたとしても何もそろわなければこちらの負け。仮に何かいい札が来てもワンペア程度では勝算は薄い。それかストレートを狙ってみるのも悪くないが、やはりそこは運任せだ。


エバンは、今度は余裕の表情を見せて、カードを二枚だけ捨てた。これはまずい。七枚のうち五枚しか使わないのだが、二枚捨てたということは、もう五枚で何かハンドができているのかもしれない。ストレート、もしくはフルハウスか、フラッシュ、ロイヤルストレートなんてことも。


いや、さっきのような手に引っかかってたまるか。きっとエバンはいい手札が来たように見せかけているだけだ。本当はワンペアしかそろっていないのかもしれない。


俺を焦らせて強いハンドを狙いに行かせて失敗させる。そうやってカードがそろう確率を下げようとしているのだ。そうに違いない。二度も同じ手にかかってたまるかよ。


 「早よせな、王子はんとこに行かれへんで」

 エバンがほくそ笑んだ。やはり俺にプレッシャーをかけようとしている。

 「舐めやがって」


 苛立つふりをしながら、クローバーの十一以外全て投げ捨てた。七、八、九を残してストレートを狙いたかったが、高望みはしないことにした。どちらにしろ運任せに変わりはないが、もしエバンも俺もワンペアなら、十一で作ればそれなりといった結果だろう。 


 引いたカードは悪くなかった。十一は来なかったが、運よく八と九のツーペアがそろった。あとはエバンのカードが何かで決まる。


 「悪いけど、何も仕組んでないで。あんた俺に期待しとるやろ?」

 機嫌よくエバンはもう空にしてしまった瓶の口をすすっている。

 「さっさと見せろ」


 「驚きなや」

 エバンは悲しげな表情をして、ゆっくりカードを表に返す。呆れたような笑みが、上目使いに俺を見上げる。やられた。フォーカードだった。何て運のいい男だ。最初から強いカードがそろっていたなんて冗談じゃない。俺の運気が全部吸い取られている気がする。 


これで後がなくなった。次の勝負で負けたらどうする。やっとここまで乗り込んできたのに、のこのこ帰らなければならなくなる。

 「ちょっと確認したいんだが、俺が負けたらどうなる?」


 負けることなど考えたくない。さっきから嫌な汗が背中を伝っている。別に賭けた金が戻らないことは構わない。俺はそれよりも何かに怯えている。


この閉鎖的な空間で、フラッドの命のやり取りが、こんな小さなトランプで決定していく恐ろしさが、ずっと背中を舐めているのだ。これまで幾度となく賭けごとをしてきた。汚い仕事にも手を染めたし、誰かを裏切ったことだってある。そんなときだって、冷たい汗が流れることはなかった。


罵られようが、馬鹿にされようが、警察から逃げ隠れするような生活を昔の友人にさげすまれようが、構わなかった。


俺は何も感じていなかった。ただ悪事を働こうが楽しく暮らせればそれでよかった。だから不安も恐怖もない。俺の知っている世界は汚いけれども決して住みにくくはなかった。


なのに、いつもやっているような軽い遊びがなぜこんなに狂気で満ちるように感じるのだろう。俺はこのゲームが怖い。占いなど信じない方だが、占い師がこの卓上のトランプをタロットで占うように配置してくような奇妙さと、見えない霊的なものがこの空間にいるような気がする。


 トランプをきりながらエバンはグレイにも負けない不適な笑みをこぼした。

 「なんや急に弱気になったな。はじめに言ったやろ。俺、強いでって。そやな、逃げられても面倒やし、あんたの命、もらおか」


 なるほど、俺も生きては帰れないってわけだ。次の勝負はフラッドだけでなく俺の命にも関わる。だが、呆れた。俺の命も軽く見られたものだ。

 「ただでくれてやると思うのか?」


 煙草の煙をエバンに吹きつけてやった。酒の代わりに煙を吸い込み、むせるエバン。

「そんなん、こっちのルールに従わせるまでやわ。王子はんの命は俺らが握ってるんやで?」

 「王子より俺の命の方が先決だ」


 俺の言葉にたちまちエバンの顔が熟した果実のように赤くなる。

 「ちょ、薄情なやっちゃな! ここまで来てなんやねんそれ。護衛やってるんちゃうんか?」

 「誰がそんなこと言った?」


 誤解するのは勝手だが、何をそれほど怒る必要があるのだろう。エバンは、酒瓶で、机を苛だたちげに叩いている。


 「興ざめやわ、興ざめ。お互いに命のやり取りするときはな、本気でやり合うもんやねんで。俺、ドレイクはんや、グレイを説得して時間稼ぎ名乗り出たんやで。それも、あんたに興味あったからや。俺の運転するトラック飛び越えよったのは、あんたが前代未門やからや。


裏稼業しとるとときどき思うねん。ちんけな連中ばっかで、命いうもんが、どんなけ儚いかみんな知らんねん。銃で撃てば死ぬんやわ、人間って。でもな、俺はな、やっぱ自分の手で殺したい思うやつがおるわけやねん。銃で追いかけたりもするけど、あれは相手を恐怖に陥れてやな、追い詰めて最後にゆっくり殺したるねん」


 「そうかよ」


 まさか、エバンが説教をしてくるとは思わなかった。それに見かけによらず相当冷酷な男だ。俺には、そういった信念を生憎持ち合わせていないので、耳に入っても聞き流した。

 「とにかくやな、王子はんのために兄ちゃんが命賭けてもらわな、俺があんたを殺す価値がないんやんか」


 つべこべ言われてもらちが明かないので、俺がトランプをきることにした。主導権を握るなら今だ。エバンはトランプを俺が配ることに文句はないらしい。それより俺が命がけで王子を守ろうとしないことの方が相当頭に来ているようだ。


 「五枚にしないか?」

 七枚のカードで行うセブンカード・ドローよりはハンドのそろう確率が低くなるが、勝負は単純化する。


 「ええけど」

 すっかりふて腐れているエバンは俺の思い通りの返事をした。


ハートの十三、クローバーの十三のワンペアだけがそろっていた。俺はあえて何も札を捨てないことに決めた。大きいハンドがすでにそろっているように見せかけて相手にプレッシャーをかけるのだ。さっきはとんだ勘違いをしたが、相手の出方を見るやり方はもうやめだ。


ワンペアで勝てるとも思えないが、そんな余計な感情は振り払った。完全な賭けだ。俺が勝つか、エバンが勝つか。あえて何も狙わない方が、いいこともある。


 「えらい自信満々やな」

 エバンは三枚カードを交換したが、あっけなくカードを投げ捨てた。珍しくワンペアだ。

 「悪いな。俺もワンペアだ」


 十三の数字に感謝した。同じハンドなら数字が大きい方が勝つのだ。やっと一勝目だ。

 「嘘やろ。こんな弱小カードに、俺負けたんかいな。あんなに自信満々やったのに?」


 これでエバンの度肝を抜いてやれた。一勝であとがないにも関わらず、とても愉快な気分だ。やる気も出てきた俺は、もう一度カードを配った。このまま勢いに乗って勝手やる。


五枚で進めると、ものの数分で勝負がつく。続けて俺はエバンに勝利した。偶然と悪運のおかげだ。これでエバンと並んだ。次の勝負で決着がつく。俺は、息抜きにと、煙草をふかした。四本目の煙草はすがすがしい味がする。フラッドのためとはいえ、自分のためとはいえ、やはり賭けごとに勝ったときの優越感は新鮮な味を運んでくる。


 運任せにしては、上出来だろう。次の勝負で負ける気はしない。エバンが札をきっているが、まだ憂鬱そうな顔をしている。信念に反することを行っているような暗い影が顔を覆っているように見えた。


 「なんか、負けてもどうでもよくなってきてもうたな」

 突然の申し出に俺も少し戸惑った。冷酷な面は別にして、エバンは根っからの悪人ではないのかもしれないとさえ思った。だが、そんな甘い発言をしているのなら、俺はここを強行突破するだろう。


 「ならどいてもらおうか?」

 「それもできひんのや。今いい方法を考えてるとこやねん」

 じれったくなった俺がライフルを引き抜きかけたとき、カレンから連絡が入った。小声だが、はっきりと聞き取れる大きさの声だ。


 「らちがあきません。勝敗が決まらないのなら爆弾処理班を送り込むわ」

 いや待て、いい方法を思いついた。なぜ初めからこうしなかったのだろう。エバンは命がけで王子を護衛する俺を殺したいのだ。ならこちらから持ちかけても構わないだろう。

 「俺と勝負しねぇか?」


 「は? 何言ってんや? 俺らトランプしてるやん。それとも何か? 負けるから別のことでもしよう言い出すんかいな?」


 冷静さを欠いても俺の意図しようとしていることには鋭い反応だ。

 「俺を殺したいんだろ? 素手で来いよ」


 エバンがそう簡単に乗ってくるとは思えないが、その方が手っ取り早い。時計はもう二時を回っている。結構こいつに時間を取られていたようだ。俺の提案に思案顔のエバンは酒を見ながらぶつぶつつぶやいた。


 「しゃーないやっちゃな。あんたの作戦乗ったってもええけど。俺、手加減せーへんで」

 そうぼやくなり、今まで特に意識していなかった酒瓶が飛んできた。かろうじて、床に伏せると、図上から机が降ってきた。危ない危ない。転がってよけなければ、下敷きだ。息つく間もなく、今度はトランプが飛んできた。手裏剣さながらに、俺の頬に傷をつけた。


 「殺したくてうずうずしてたんじゃねぇのか?」

 ふと笑みをこぼすと、エバンも本性を現した。


 「そやな。俺の本気一度も見せんと終わるんわ、もったいないわ。見せたんで、俺の殺人兵器」

 ぶっそうな発言のわりにエバンがポケットから取り出したのはライターだった。ライターですることなど高が知れている。

 「煙草でも吸うのか?」


 さりげなく間合いを開ける。まさかこの部屋を爆破させようなどということはないと思うが。

 「そない逃げんでもいいで。どうせ当たるんやから」


 腰から新品の瓶を取り出したエバン。中身は相も変わらず酒だ。常に持ち歩いているのかよ。酒を口に含ませている。おいおい、まさか!


 ライターに向かって酒が噴出した。こいつはマジシャンか。爆弾が仕掛けられている部屋で火を噴くな! 間一髪のところで、さっきエバンに飛ばされた机の陰に飛び込んだ。が、頭上が熱い。机が燃えている。

 「そない必死に逃げても、無駄や言うてるやろ?」


 また酒を飲み始めた。こんな部屋で逃げ回るなんてことは不可能だ。俺に逃げ場はない。となれば、突っ込む他ない。エバンが火を吐くのと、俺の体当たりがほぼ同時だった。


飛び膝蹴りを食らわせてやったが、俺の肩が燃えた。顔面に当たるのだけは避けたが、服に炎が移ってしまった。エバンから離れてなるものか。ここで引いたら、後は焼かれるだけだ。エバンの首にぶら下がってたまま一時、停滞戦に入る。俺が首に纏わりついたのが効果あったか、エバンが苦しげにむせている。


エバンの口は酒臭くてたまらなかった。どれだけ濃い濃度の酒を飲み続けているのだ。酒瓶だけは、奪い取っておこう。俺が瓶を掴んだ手を、エバンが握りつぶすように掴んだ。酒への執念か、相当な力がこもっている。


 「酒やめたらどうだよ」

 俺も負けじと瓶を奪い取ろうとした。


 「無茶なこと言いよるな。酒なかったら、この世は終わりやん」

 俺の手首が、瓶から離れた。もう一度瓶を口に運ばれる前に、エバンを蹴り飛ばした。酒にばかり気を取られて、足元が隙だらけだ。


 「じゃ、そろそろぶっ放すか」

 俺は軍用ライフルSIG551をやっと使える喜びを噛み締めながら、安全装置を外す。そのとき、俺の足元もすくわれた。見事に床にひっくり返る形になって様がない。

 「あんたも、銃にばっか惚れとる場合ちゃうで」

 エバンが俺の上に飛び乗ってきた。


 「はぁ?」

 俺の頭上から、瓶の口が見えた。酒が降ってくる。滝のごとく服にも顔にも降りかかる。辛口の酒が、喉を焼くような熱さで滑り降りていく。相当な濃度の酒だ。むせながら一瞬、酔い潰されるとさえ思った。


 「照れやんでもいいやん。あんたいつも銃握ってるとき、顔がニヤニヤしてんで」

 ライターが顔に近づいて来た。エバンの手からそっと離れ落ちる。ぼんやり酒に酔っている場合ではない。燃やされてたまるか!


 とっさに、拳を突き出し、落ちて来たライターを跳ね返す。

 「あっち!」


 手の甲で払いのけるのと同時に、エバンも同じような声を上げる。服にライターの火が燃え移ったのだ。すぐさま、その動揺したすきに、上体を起こして、顔面に頭突きを食らわせた。鼻の頭を押さえて、エバンがひっくり返る。


 「あ、あんた、最悪や。鼻血出たら、どないしてくれんねんな」


 悶絶しながらも、エバンの手が床を這って来る。今のいざこざでライターがどこかに飛んで行ったのだ。しめたとばかりに、俺は愛用銃、コルト・パイソンをエバンの額に突きつける。この近距離なら流れ弾が壁に当たることもない。


 「俺の勝ちだな」


 エバンは、鼻をなお、強く押さえながら、息を切らしている。


 「偉い、手荒なまねしてくれたわ。グレイそっくりやで、ったく。でもグレイと違ってまだ良心があるやっちゃな」


 エバンがほくそ笑んだのには何かあると思った。手の甲から、滑り出て来たのはナイフだ! 

 「寝とけ!」


 エバンの執拗さに思わずグリップで、頭部を殴打してしまった。それが結構な打撃だったようで、エバンはうわ言を一言述べて、白目をむいた。銃をこんな形で反射的に使うとは思わなかった。結果オーライだ。


 「結局、一発も使わずじまいか」

 ライフルの出番がなかったことを残念に思いながら、部屋を後にした。


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