第三章 王子の注文
俺はそっと、声のする方へ慎重に歩んでいった。
コンテナの積まれた奥に黒い布のかかった箱のようなものがあった。突然声は静まり返った。辺りに誰もいないことを確認して、俺はその布を捲りあげた。
「ディナーは用意してくれてるんだろうね?」
中にいた王子に普通に話しかけられたので腰を抜かした。
「脅かすな! 急に声をかけるな」
王子は錠つきの檻に入れられていたが、いたって元気そうで、不敵な笑みまで浮かべている。
「君なら助けにきてくれると思ってたよ」
王子は予知能力でもあるのだろうか? 予言されていたようで俺は身震いした。王子は縄で縛られた手首を揺すって、ゆったりと座りなおした。
「本当に退屈だなぁ。早くここから出してよ」
図々しい王子の態度に頭に血が上り始めた。写真やニュースで見た優雅で慎ましい姿は、ただの傲慢だ。見かけで国民を騙すとは卑劣な。
「お前なんかのために来るんじゃなかったぜ」
肩の力が抜けてくる。本当に俺は何故ここに来てしまったのだろう。王子は微笑み返してきた。
「リードと友達になれる気がするよ」
名指しで呼ばれたので、心臓が跳ね上がった。
「名前で呼ぶんじゃねぇよ!」
王子は口の端を吊り上げて嘲笑った。
「じゃあ何て呼ぼうかな? 殺し屋のお兄さん?」
「言っとくが俺は殺しは好きじゃない。もめてる内に撃ったら、相手に当たっただけだ」
腹立たしくなってきて、悪態をついた。そもそも俺はギャングまがいの生活を続けたくて銃に手を出したのではない。
「というより何で俺の名前とか知ってるんだよ」
その問いに王子は微笑むばかりだ。
「答えろ。俺だって警察に追われてる身だ。お前に告げ口されたら困るからな」
王子は陽気な声を出した。
「そんなの調べたらすぐに分かるよ。フフッ。そうそう、僕のことはフラッドって呼ばせてあげるよ」
上から見下すような発言に、腸が煮えくりはじめた。一発殴ってやりたい。何様のつもりだ。
「それとも王子様って呼んでもらおうかな?」
「檻から出たらぶん殴ってやる!」
王子、自称フラッドは声を上げて笑った。
「恐ろしくて、ここから出れないや」
針金を持つ手が怒りで震えた。そのせいもあって、なかなか錠が開けられない。
「しぶといカギだぜ」
苦戦を強いられていると、背後に人の立つ気配を感じた。フラッドが小声で呟いた。
「残念。時間切れみたい」
ライトが灯った。グレイとエバン、それにドレイクとかいう王子をさらった張本人がコンテナの陰から姿を現した。しまった見つかった。エバンが膝を叩いて笑っている。
「黙れエバン」
グレイが忠告するがエバンは涙まで浮かべている。見ているとしゃくに障る。
「何がおかしい?」
エバンはやっと息を整えて、それでも笑みで頬を引きつらせている。
「あんた引っかかったんやで。これ罠やもん」
俺は何のことか飲み込めなかった。
「リーダー、こいつだろ? 王子の誘拐現場にいたのは」
グレイがドレイクに尋ねると、ドレイクは顔を嫌に輝かせた。
「あんた王子はんの知り合いか? まあ、知り合いとちゃうかっても、ボスはあんたに目つけててんけどな」
エバンはそう言い終えるとシャンパンを俺に向けて乾杯し、わずか数秒で飲み干した。
「つまり、車のトランクに乗せてやったってことだ。お前は王子を目撃した瞬間から殺しの対象だ」
グレイが初めて薄ら笑いを浮かべた。こいつが一番厄介かもしれない。グレイとエバンの二人は銃を取り出した。どうする? 後ろでフラッドがややこしいことを叫んだ。
「早くカレン・フォン・クリストファーをつれてきて!」
「逃げろとか、僕のことは気にしなくていいよ、ぐらい言えねぇのか!」
俺は素早く二丁の銃を放った。同時に横に大きく飛び、コンテナの後ろに隠れた。すると、武装した男と鉢合わせた。ドレイクが倉庫いっぱいに叫ぶ。
「その男を生きて帰すな」
武装した男が発砲。すかさず、しゃがみ込んだ俺はその男の足を払った。男の放った弾は倉庫の天井に穴を開けた。さらに、今、俺の隠れているコンテナに、次々と武装集団が発砲してきた。
一体どこから沸いて出てきたのか。気づけば二階の窓沿いにも武装した男たちが狙っている。これではうかつに飛び出せない。
「僕にこんなことをしてすむと思わない方がいいよ」
フラッドがドレイクに連れ出されるのが見えた。慌てていないところは、王子の威厳か。などと関心していると、すぐ頭上を弾がかすめた。敵は少なくとも十人以上。これでは分が悪い。
それに手にしているのは、どれもライフルで、威力は拳銃に比べ数倍以上だ。王子を助けるか、それとも一旦退くか。フラッドは俺に人探しを頼んだ。なら、
「逃げるとするか」
こんなときのためにと、持っていた手榴弾を取り出した。手榴弾といっても、日常からそんなに危ないものを持ってはいない。
これは煙幕を作り出す種類のものだ。これで、少しは楽に身を隠せる。手榴弾をコンテナ越しに投げた。敵の銃声が一瞬鳴り止んだ。爆弾の類だと思ったようだ。徐々に煙が広がってくる。
「なんで、あんなん持ってんねん。反則やわ」
エバンの足音が近づいてきた。煙はまだ完全に倉庫に広がっていない。今飛び出せば上から銃弾の雨が降ってくる。俺は、倉庫の入り口辺りにも手榴弾を投げた。それでも、エバンの足が速かった。コンテナから飛び出したエバンの顔に一発撃ち込んだ。
「おっと、堪忍してや」
エバンは身を翻してもの陰に隠れる早業をやってのけた。ちっ、一番苛々するタイプだ。今度は反対側からグレイの腕が伸びて来た。俺の銃声と同時だった。
グレイの銃弾を身体をのけ反らせて避けた。グレイも同じ。エバンが再び銃を放った。さっき隠れたんじゃなかったのかよ! 左腕でエバン、右腕でグレイを撃った。が、また外した。なかなか、かくれんぼが上手い。
どちらかを崩した方が早いと判断した俺は、出口に近いグレイの懐に飛び込んだ。これでエバンも、うかつに俺を撃てない。近距離に場を詰められたグレイは、銃を持たない方の手で、腰からサバイバルナイフを引き抜いた。それこそ反則だろ!
煙幕が満ちる。俺は、素早く銃をしまいグレイに殴りかかった。しかし、あえなく避けられ、ナイフが俺の腕を狙う。振り下ろされた腕を蹴り上げる。グレイの胴はがら開きになった。
俺は、一気に体当たりを食らわせた。グレイがのけ反る。が、銃を放り出したグレイの拳が俺の脇腹を捕らえた。鈍い痛みに息が詰まる。エバンがあばらが折れたと思うのも無理はない。グレイはただ力が有り余っているのではなく、適確な位置に拳を打ち込んで来るようだ。
繰り出されたナイフが太ももをかすめた。俊敏な動きと、手首のひねりが、俺の喉、手首、腹を狙って、舞を踊る。こうしている間に、煙幕が倉庫の外に逃げていく。
「こんなところで手こずってどうする? 早く始末しろ」
ドレイクに銃を突きつけられてフラッドが倉庫から出て行くのが見えた。突然、有無を言わさぬ、燃えるような痛みが腕を引き裂いた。グレイのナイフに俺の血が滴る。
「よそ見をするなと、忠告した方がよかったか?」
愛おしそうに、グレイはナイフを見つめた。気づけば俺は激しく息切れしていた。なのに、この男は汗一つかいていない。ここを意地でも通ってやりたくなった。
グレイの足を踏む。しかし、すぐグレイは反応した。俺の足が踏みつけられそうになる。ジャンプでかわし、蹴りで、グレイを突き飛ばしてやった。これで、前方に敵はいない。が、そう甘くもないか。駆け出した俺の足をグレイがつかんだ。
「王子はもう助からない。諦めるんだな」
もう少しで出口なのに、晴れた煙幕の先に武装集団の銃口が見えた。
「離せよ!」
薄ら笑いを浮かべるグレイの腕を踏みつけ、何とか俺は倉庫を脱出した。何度も振り返って、グレイがいないことを確かめた。夜の風が肌を冷たく刺していく。船着場を離れて、俺はやっと民家の見渡せる工場地へと足を踏み入れた。
全力で逃げてきたので、シャツも、ズボンも汗ばんでいた。汗の滴る髪をかき上げて、俺は悲鳴を上げそうになった。グレイに傷つけられた腕から血が滝のように溢れだしている。
さっきまでは、ほとんど痛みを感じなかったのに、堪えきれないほど痛み出した。わずかにピンク色の肉が、破れた皮膚の谷間から血に混じって見えている。上着を脱いで、腕を押えつけたが、かなり傷が深いらしく血は止まらない。きつく縛って、よたつく足で歩き出した。
どこに行こうとしているのか自分でも分からなかった。危ないのは俺ではなくてフラッドだ。だが俺に何ができるというのだろう。あの、グレイとかいう男は要注意だ。体格もしっかりしている上に武器の使い方や、戦闘能力はその辺の市民とは比べ物にならない。元軍人か?
嫌な事件に巻き込まれているという感が否めないが、フラッドを思い出すと、俺にはやらなければならないことがあるように思えてきた。
頭に来る悪ガキだが、誘拐されるところを黙って見ていたのは俺だ。王子と知っていたら、それなりに対応したかもしれない。罪悪感が、胸の内にこびりついている。こうなったら、早く王子の連れてきて欲しい人物を探して、一件落着といきたいところだ。
王子がどこに連れていかれたのかも分からないし、第一なぜ狙われているのかといった問題は、その女性に聞いてみよう。
手持無沙汰な感じで歩き出した俺の背後から、クラクションが盛んに響いた。小型トラックが二台、蛇行しながら走ってきた。窓からライフルを持った腕を突き上げているのはエバンだ!
「兄ちゃん待ってーな! 俺らともっと遊んでいきーや」
グレイの姿は見当たらない。続いて後ろのトラックは武装集団が乗り込んでいる。やばいぞ、車と足では圧倒的に不利だ。
駈け出した俺の足元の土がいくつも盛り返った。連射される銃撃。エバンが、蛇行運転、いや、飲酒運転で俺をひき殺そうと迫ってくる。エバンは民家に入っても狙撃の手を緩めない。
俺は、全力で角を曲がった。出会い頭に女性とぶつかりかけたが、謝っている暇はない。俺も女性も突っ込んできたトラックにひかれかけた。エバンがハンドルを切ったが曲がりきれず、れんが造りの住宅の壁に突っ込んだ。
後ろから来たトラックもエバンのおかげで足止めを食らった。今の内に、俺は狭い路地に入った。そこを突っ切って大通りに出た。レストラン街は、深夜にもかかわらず飲んでいる客や、カップルで賑わっていた。人通りもかなり多くて、ここなら簡単に見つかることもないだろう。
俺は一服しようと、煙草をふかした。さっきから走り続けで、太ももが痛い。腕の痛みは、もうあまり気にならなかった。
ぶらぶらと歩きだしたとき、遠くで悲鳴が聞こえた。誰かが走って逃げてくる。大通りに戦慄が走った。トラックが銃を乱射してこっちに来るではないか。まだしつこく追ってきていたとは。それも、無差別に発砲している。
「どかな、ひいたるでー」
エバンは店のテラスの椅子も、客もお構いなしに突っ込んでいる。逃げ惑う客たち。俺のところももうすぐ危ない。駈け出した俺の前に、ショーウィンドウを突き破って、トラックが現れた。
武装集団だ。随分派手な登場だ。俺は引き返して、エバンのトラックに向かった。人数的にはエバンのトラックを突破する方が無難だ。正面から向かってくる俺に感動したのか、エバンは空に向けて発砲した。
「ええ根性しとるやん。やったるで!」
一発、二発、と銃弾が俺の脇をすり抜ける。運転をしながらではそう簡単には当たらない。よけきる自信はある。近距離となって狙いをつけられる。銃声が聞こえる前に、俺は飛んだ。銃声とほぼ同時だった。ボンネットを駆け上がり、トラックを飛び越えた。
「嘘やん」
エバンがぽかんと口を開けていたので笑ってしまい、着地に失敗した。足をひねった。
「畜生、今日はついてねぇ」
トラックは目的を見失ったように迷走し、走り去った。武装集団も、一時退却といった形で、姿を消した。数分のできごとだった。後方で警察のサイレンが聞こえる。俺もひとまず姿を隠した。
路地裏で、一息つくと、どっと汗が吹き出てきた。もう汗など出ないと思うぐらい今日は汗をかいた。喉がひりひりと渇く。自販機で、ジュースを買った俺は自宅に帰った。