第一章 王子の発砲
群青色の空に鳴り響いたのは、幾重にも重なり畳み掛ける銃声だった。危なく俺の左頬をかすった。驚いたというより、身構えた。いつも俺をつけ狙っている町のギャングかと思ったのだ。
だから俺の後ろに立っていたのが、まだ十代の少年だと知って立ち尽くしてしまった。両手に持っている銃はどちらもワルサーだ。銃身(弾丸が通過する円筒形の部位)が、細長い拳銃といえばワルサーだ。撃ったときの空薬莢も体の左側に飛び出していたから間違いない。あんな危ない銃を持っている少年は何者だ?
間違って空薬莢が顔に当たったら熱いだろうに。服装は割りとラフで、シャツにジーパンをブレイシーズ(サスペンダー)で止めている。銃を持っていること以外は至って普通の身なりだ。
「すばしっこいね君。」
金髪の少年が銃弾を装填しながら天使のように微笑んだ。右手にワルサーP38、腰のホルスターにしまったのはワルサーPPKと、どれだけ銃が好きなのだろう。
「何者だ。ガキが危ないもん持ってんじゃねぇぞ。親から盗んで来たのか?」
壁に身を隠しながら、冗談まじりに問いかける。
「ちょっと頼みたいことがあってね。リードって、殺し屋なんでしょ?」
俺は少し腹立たしげに怒鳴った。大体、何で俺の名前を知っている。
「誰がいつそう名乗った? ただ銃を集めるのが趣味なだけだ。覚えとけ、くそガキ」
少年は俺ではなく空へと銃を向けた。
「じゃあ、僕と一緒だね」
俺はぼんやりと少年の銃口の先を見つめる。俺の頭上には、老朽化したベランダ。まずい、撃ち落す気かよ!
少年の放った二発の弾は、ベランダの特にさびの目立つ部分に命中し、俺の頭上にベランダを落とした。慌てて、飛び出した俺を、少年は執拗に撃ってきた。
「殺す気か!」
「違うよ。リードの足速いなって思ってね」
頼みごとをする相手に銃を乱射するなんて聞いたことがない。ときどき後ろを確認しながら、路地を抜けた。やっと少年の姿が見えなくなる。俺の逃げ足についてこられる者などいないのだ。
のんびりと歩き出した俺の背後で、立て続けに銃声が路地に響き渡った。少年が再び走って来るのが見えた。それに、少年の後ろに見知らぬ男を確認した。今度は少年が見知らぬ男に追われている。大柄な体格で、真っ赤に染めた髪でピアスをしていて見るからに悪そうな顔だ。
このまま真っ直ぐ路地を突っ切ると、住宅街だというのに発砲してくる。危うく俺の肩に銃弾が当たるところだ。俺巻き込まれている? 巻き添えだけはごめんだ。
「あ、ちょっと待ってよ」
俺が今の内にと、全力で逃げ出したのを見て、少年が俺を追って来た。
「そういうお前も余裕あるのか? 誰かに追われてるみてぇだが?」
「あいつは、ドレイク。あいつのせいで、ちょっと困ったことになってるから協力してくれないかな?」
俺はふと立ち止り、舌をあからさまに見せびらかした。
「嫌だ」
その瞬間、耳をつんざく銃声がした。耳をかすめた。ドレイクとかいう男は少年と俺の区別をつけずに撃ってきた。全く冗談じゃない。俺は、そいつに、コルト・パイソン・リボルバーで撃ち返した。
コルト・パイソンはただでも高級な銃で、俺の愛用しているのは初期の頃のものだから更に高値がつき、銃身が青みを帯びた黒色をしているのが特徴だ。
「お前恨まれやすいタイプだろ?」
俺の質問に少年は苦笑いをした。
「あいつは、誰かれ構わず撃つよ。少しは助けてくれる気になった?」
「面倒ごとは嫌いなんだ」
少年が本気か冗談か分からない笑みを浮かべて俺を撃とうとしたとき、吹っ飛んだのは、少年だった。後ろのドレイクとかいう男は、威力の高いショットガンを持ち出している。
「ようフラッド。久しぶりだな」
少年は上手く受身をとっていたため、怪我はないようだが、今のでドレイクという男に追いつかれた。
「あんたも久しぶりだね」
今まで優しそうな顔をしていた少年が、意地悪く口の端をゆがめた。
「ちょっと来てもらうぜ」
ドレイクは、少年の頭を銃で殴った。小さくうめいた少年は、その場に倒れた。後味が悪い思いをしたが、俺は黙って見ていた。
「けっ、自業自得だ」
さっさととんずらしようとして、足を止めた。振り返ると、少年が車でつれていかれるところだった。誰もいなくなった路地裏は、ひんやりと涼しかった。
車の去った道路に光るものが目に入った。少年の落し物のようだ。銀のネックレスだ。
「なかなかいいもの持ってるじゃねぇか」
これは、売れば儲かる。なんて、考えているとイニシャルが入っているのを見て落胆した。これでは盗品だと分かってしまうかもしれない。何も見なかったことにしようと、ネックレスを手放して、慌ててそれを拾った。
今のイニシャルは。F・D・C。何かの身間違いかと思った。ネックレスを確認のためまじまじと見つめていると、両開きに開くことに気づいた。そこに現われたのは、この国の王子の写真だった。その美貌から王子ファンも多い。
でも、男同士で好きになるか? 俺はうさんくさくてならなかったが、その写真の王子を見つめている内に、額から汗が流れてきた。長い髪を束ねて、ローブを着ていなければ、さっき出会った少年と瓜二つではないか。
「フロイアント・デル・ケール? あのガキが王子様だぁ?」
俺はむせながら、上着の一番上のボタンを外して息を整える。
「ありえねぇ。ありえねぇぞ! 誰が、自分の写真なんか持ち歩くか、ナルシストめ!」
とりあえず、俺はネックレスを懐にしまった。こんな薄ら寒い場所から早く消えてしまおう。