返信—君を殺した世界より
あの子が亡くなったと知ったのは、私の結婚式から2ヶ月ほど経った、暑い夏の日だった。
私はひどくショックを受けたのを覚えている。それと同時に、死ぬほど悩む前にどうして私に相談してくれなかったのか、あの子にとって私は、相談相手にもなれないような関係だったのかと、悲しくもなった。幼い頃からずっと一緒にいて、一緒に暮らした相手だというのに、私はあの子に信用さえされていなかったのか、と思うと、溢れ出す涙を堪えることができなかった。
そんな私の考えが見当違いだったと知ったのは、あの子が亡くなったと聞いた数日後、ポストに投函されたあの子からの手紙を読んだからだ。
その手紙に綴られていたのは、執着にも似た、私への恋慕と愛だった。
それを読んで、ようやく分かったのだ。あの子がどうして、私に何も言わずに死んでしまったのかが。
あの子はきっと、何かに悩んでいたわけではない。あの子はこの結末を、自ら選びとったのだ。
自分が死ぬ事で完成する、まさに捨て身の愛の告白。それを私に相談するわけにはいかなかった。だからあの子は、私に何も言わなかった。何も言わずに、この世界からいなくなった。
それがきっと、あの子の死の真相だった。
ひとりじゃ抱えきれないくらい、重くて身勝手な、愛の告白。それがきっと、あの子が死を選んだ理由なのだ。
それだけの愛をあの子に向けられていたことに、私は今の今まで気付けなかった。なんにも知らないまま、私はあの子の隣で笑っていた。
あの子の気持ちに最期まで気付けなかった。あんなに大切な友人を傷つけてしまった。その事実が罪悪感となって、ずしりと私にのしかかっているような、そんな心地がした。
だけど本当は、きっと、そんな罪悪感を抱くこと自体が、お門違いなんだろう。あの子の胸の内に気付いたとして、私はきっと、あの子の想いに応えることはできなかった。
私にとって、あの子は大切な友人だ。それ以上でも、それ以下でもない。
私があの子に恋をすることは、一生、ない。
誰かの想いに応えられないから、と。それに対して罪悪感を抱くのは、きっと間違っている。そんな気持ちを抱くのは、想いを伝えてくれたあの子にも失礼だと、私は思うのだ。
だからこそ、私に出来ることは、もう二度と会えない友人の死を悼んで、涙をこぼすことだけだ。人生の大半を連れ添って生きてきたような友人の死だ。当たり前だけれど、かなしくて、くるしくて、涙が止まらなかった。葬式にも行きたかったけれど、あの子の死を痛感してしまいそうで、とてもじゃないけど足を向けることができなかった。
それくらい、あの子の死は、私にとって耐え難いものだったのだ。
あの子と友達になれて、幸せだった。楽しかった。結婚したってずっと友達だと思っていたし、あの子が結婚すると言うなら全力でお祝いしたかった。この先お互いに子供が出来たなら、今度は家族ぐるみでお付き合いして、なんて考えていた。
私の人生には、当たり前のように「友人」のあの子がいたのだ。今までも、これからも。それは変わらないと思っていたのに。
そう思っていたのは私だけだった。そんな私の独りよがりが、結果的にあの子を、殺してしまったのだろう。
大切な友人を殺したのは、私だ。私自身だ。
あの子の気持ちに応えられないことよりも、その事実のほうが余程、私の心を苦しめてやまなかった。
きっと私は、この後悔を抱えたまま生きていくんだろう。私は漠然と、そう思った。