残酷 4
夢なんかじゃない。
こちらへ向かって走ってくる音がする。
でもゴブリンたちはもう目の前だ。
なんでこんなところまで追いかけてくるんだよ。
なんで俺がここにいるってわかったんだよ。
ほんとお人好しだよ、お前。
頭に浮かんだのは幸せそうに笑う家族の姿。
そのとき俺は無意識にポケットのカッターをつかんでいた。
生きていたくない、でも死にたくない。
ただ、隼人が俺を助けに、止めにきたという事実だけが、不思議とストンと心の中に入ってきた。
何故か、俺が生きているだけでいいとそう言ってもらえた気がしたんだ。
「うああぁぁーーーーっっ!!!!」
既に俺に飛びかかっているゴブリンに向けて、カッターの刃を出しながら突き出す。
こんなものが武器になるのかは知らないが、何もせずに殺されるよりはいい。
死は俺が思っていた以上に恐ろしいものだった。
ゴブリンの影が俺を覆う。
伸ばした右腕を左手で支えながら、ぎゅっと目をつぶった。
「彼方!!目を開けろっ!しっかり見るんだ!!」
隼人の声にハッとする。
固く閉じた目を気力だけで開けると、ちょうどゴブリンの脂肪のついた首元が前にあった。
ゴブリンの斜め上を通り抜けていた右腕を首を抱き込むように曲げ、そのまま刃を肉に突き立てる。
無我夢中でほぼ無意識の行動。
それでも俺の一矢は届いたようだ
「グギャッ!!」
カエルが潰れたような悲鳴とともに、鮮血が噴水のように飛び散った。
仲間の血を見たからか、残った二匹のゴブリンは後ずさりする。
まだ襲ってくるのだろうか。
緊張が走る。
しかし、再びカッターを構えたことで俺の上に崩れ落ちたゴブリンの体がドサリと床に鈍い音をたてて転がったのを見て、鳴き声を上げながら来た道へと戻っていった。
「はぁっ、はぁっ・・・!!」
思い出したように呼吸が速くなり、カッターが手から滑り落ちる。
恐怖から解放されて、安堵で体に力が入らなくなったのだ。
「彼方!」
隼人の声がすぐ後ろで聞こえる。
「隼人・・・」
ゆっくりと振り返ると、肩で息をする幼なじみの姿があった。
こいつには俺が何でここに来たかなんてお見通しなんだろうか。
少しだけ焦って、俺はぎこちなく笑みを作った。
「隼人、俺───」
「ふざけるなっっ!」
次の瞬間、俺を襲ったのは滅多に聞かない隼人の怒鳴り声と、右頬への強い衝撃だった。
ゴッという音が頭に響く。
「いっ・・・!?」
何だよ。急に殴るなんて。
俺は殴られた頬を片手で押さえた。
じんじんと痛みが広がっていく。
「何すんだよ!!」
殴られた怒りと驚きで感情的に返す。
キッと睨み付けると、隼人は乱暴に俺の胸ぐらをつかんだ。
その拍子に隼人の手と服につくゴブリンの血。
「何のつもりだ!死ぬ気か!!」
「・・・っ!あぁ・・・そうだよ!!悪いか!!」
そう叫ぶと再び俺の頬を衝撃が襲う。
地面に這いつくばるようにして隼人を見上げると、そこには信じられないものがあった。
泣いている。
隼人が泣いている。
生まれたときからずっと一緒にいると言っても過言ではない幼馴染み。
十四年間一緒だが、物心ついてから隼人の涙を見たのは初めてだ。
「・・・隼、人?」
「そんなに簡単に命を捨てるな!!」
「っ・・・俺だって!簡単に死のうと思ったわけじゃねえよ!」
「それでも・・・どんなに苦しくても生きるしかないんだよ!!」
その言葉に頭を殴られたような衝撃を受ける。
まあ、さっき実際に殴られたわけだが。
それでも理性で理解していても、感情が理解できないこともある。
死を前にして生きたいと願ったはずなのに、こんなことが口から溢れて止まらない。
「わかってるよっ・・・そんなこと・・・」
「いや、お前はわかってない。たとえ家族が死のうと、一人になろうと、残されたものは生きていかないといけないんだ。お前が死んだら、誰がお前の家族を思い出してくれるんだ。誰がお前の家族が存在したという証を残せるんだ!・・・・・・お前しかいないだろう、彼方」
その言葉に自然と涙が頬を伝った。
何でこんなにお前の言葉が刺さるんだ。
「ぅ・・・隼人、俺・・・」
「・・・お前は一人で生きてるわけじゃない」
そう言って隼人は俺の頭をぐしゃぐしゃとなで回した。
絶対子供扱いしている。
隼人は昔からどこか大人っぽいところがあったような。
「ぅっく、ひっ、うあ・・・あ゛ぁ」
子供のように泣いた。
声を上げて泣いた。
そのまま隼人に連れられてダンジョンを出た俺。
入ってきた時にあった闇のせいで勝手に二度と出られないものと勘違いしていたが、思えば自衛隊も中の調査が終わった後に普通に出てきているので俺の心配は杞憂に終わる。
隼人の家に戻るとおじさんとおばさんにこっぴどく叱られた。
二人とも怒りながら泣いていた。
「っふ、くくっ」
なのに、怒られている最中に笑い出した俺。
笑い事じゃないと、ますますおじさんとおばさんの怒りを強めてしまったが。
正直俺が一番泣きたかったし、既に泣いた後の上殴られてひどい顔ではあったのだが、何故か二人を見ていると笑わずにはいられなかった。
その晩俺は泣きまくった。
とにかく泣きまくった。
これから泣かなくていいように。
俺は強くなりたい。
変わってしまったこの世界で。
俺に残された大事なものをこれ以上失わないために、強くなる。
世界の理不尽で大切な人が傷つかないように、必ず強くなる。
そう誓った。
次回からやっとダンジョンに入ります。