残酷 3
白帆駅。
駅と駅のちょうど中間に位置する俺や隼人の家から、東へ徒歩十分の場所にある駅だ。
コンビニとパン屋、そして本屋の入ったまあまあな大きさの駅である。
風を切りながら走っていると、周りの景色に変化が出始めた。
瓦礫が多くなってきているのだ。
家が壊れたと言うよりも地面の隆起が激しく、コンクリートがひび割れ、塀が崩れている。
この辺では地震でもあったのだろうかと僅かに頭をよぎったが、こんなに家の近くなのに気づかないなんてあり得ない、と自分の中で完結してしまった。
走り続けているのに不思議と息が上がらない。
ぼんやりとそう考えたときだ。
前方に白帆駅が見える、が何やら様子がおかしい。
駅の奥が闇で覆われている。
そして入り口には、何語かもわからないような文字が大量に刻まれていた。
闇と言っても、夜の暗さではない。
何の光も届かないような、重い闇がただただそこに広がっている。
刻まれた文字も時々思い出したように金色だったり青白い光を発しているのだ。
「何だよ、これ・・・」
ぽつりと呟く。
信じがたい光景が目の前にあった。
思い出されるのは、柑奈が見せてきた動画だ。
『迷宮』にはいっていく動画にも確か似たようなものが移っていた気がする。
「これが、ダンジョン・・・?」
ゆっくりと駅のエントランスだったところに近づくと、刻まれた文字たちがはっきりと明滅し始める。
距離が縮まるにつれてそれは早くなり、目の前に立ったときには完全に輝いた
まま消えなくなった。
「凄いな・・・。柑奈が見たら、喜んだだろうな・・・」
そう自分で言って、自分でショックを受けた。
柑奈を殺す要因となったものを見て、柑奈が喜ぶと考えるなんて。
そもそも『迷宮』なんて現れなければ、俺の家族は死なずに済んだのに。
そう思えば思うほど、この目の前の『迷宮』に対して、憎悪がふつふつとわいてくる。
だが、死に場所としては最もいいかもしれない。
家族と同じように理不尽なもので死ぬ。
周りも遊び半分で『迷宮』に入ったら命を落としたという風に捉えてくれるだろう。
俺はパーカーの右のポケットに入っているカッターを触った。
『迷宮』に入っても死ねるかわからない。
もしもの時は、この刃を使って死のう。
そう決めて俺は闇の中に一歩踏み出した。
闇はぬぷりと俺のつま先を飲み込む。
気持ち悪い感覚だ。
まるで泥の中にあしを突っ込んでいるような。
反射的に足を引こうとしたが闇が足に絡みつき、なかなか抜け出せない。
仕方なく両手を闇の中に沈めると、自然と体全体が闇の中に入っていった。
闇はぬぷりと俺のつま先を飲み込む。
気持ち悪い感覚だ。
まるで泥の中にあしを突っ込んでいるような。
反射的に足を引こうとしたが闇が足に絡みつき、なかなか抜け出せない。
仕方なく両手を闇の中に沈めると、自然と体全体が闇の中に入っていった。
目を開けると目の前には一本道だけがあった。
壁は白帆駅と同じような白だがその上には木の根の様なものやツタが張っている。
床も同じく駅の白タイルの上に苔やツタが生えており、角の方には雑草のような細かい草が生えているのだ。
どこか荒廃した世界を思わせる様な雰囲気を持っている。
だが、ここで立ち止まっていても仕方がない。
先へ進まなければ。
柑奈の言葉が正しければ、この『迷宮』には未知の生物がいる。
自分で死ぬよりも、そいつに殺してもらう方が確実だ。
細い空間に響くのは俺の足音だけ。
しばらく黙々と歩き続けていると、壁に突き当たった。
左右には分かれ道があり、どちらも違いはないように思える。
「どうせ死ぬならどちらを選んでも同じか・・・」
俺はなんとなく左を選んだ。
何故かいつも左を選びたくなってしまうのだが、今となってはどうでもいいことだ。
再び歩き続けていると、段々道幅が広くなってきた。
三メートルはあるだろう。
生えている植物も見たことがないものになってきている。
毒々しい赤い葉をした花。鉱石の様な物がなっている草。
それに気がついたのは、俺がふと植物に手を伸ばそうとした時だった。
「───」
微かに何か音が聞こえる。
話し声なのか、低く鈍い音がいくつか響いてくるのだ。
誰かこの『迷宮』に入った人がいたのだろうか。
どうやら音は奥の曲がり角から聞こえているらしい。
音が徐々に大きくなってくる。
俺は体をこわばらせて、それを待ち構えた。
奥から現れたのは、見たこともない生物だった。
いや、見たことはないがRPGではお馴染みで、よく耳にするあれだ。
そう───ゴブリンだ。
実際にはゴブリンではないかもしれないが、俺の持つ知識の中ではゴブリンと形容するのが最も正しいと思えた。
だが、ゲームで見るようなゴブリンではない。
確かに緑色の肌に人型ではあるが、その気色の悪さは目にした者にしかわからないだろう。
ボコボコとした醜悪な顔。
でっぷりとした腹。
目は山羊のように気味の悪さを感じさせ、不揃いな歯は黄色い。
こちらに気づくとその口からはだらだらと唾液を溢れさせた。
体はぼろきれに包まれているが、果たしてそれが役目を全うしていると言い切れるのかは微妙なところだ。
その恐ろしい生き物が三体。
こちらに向かって走り出す。
「・・・ぅあ・・・ぁ」
俺は恐怖に固まり動けなくなった。
狭まる距離に脈が速くなる。
なんで俺、こんなに怖がってるんだ。
死のうと思ってここに来たんじゃないのか。
あれに食い殺されに来たんじゃないのか。
足がガクガクと震え始める。
後ずされば、うまく動かない足がもつれて尻餅をついた。
ギャアギャアと叫び声を上げながら、ゴブリンたちが迫ってくる。
怖い。
あんなに切望した死が怖い。
ついにゴブリンたちとの距離が五メートルほどになったときだ。
俺の中を様々な記憶が駆け巡った。
柑奈に見せられた「ダンジョン入ってみた」の動画。
結局、配信者は『迷宮』の中の正体不明の生き物によって殺された。
その時の映像が目の前の光景と重なる。
そして溢れ出るのは、家族の笑顔。
柔らかく微笑む母。俺たちを目を細めて見守る父。
すねたように口を尖らせる柑奈。
でもきっと怒っていても、最後にはお前は笑顔になるんだ。
そう考えたら、記憶の中の柑奈が花がほころんだように笑った。
ぶっきらぼうでもいつも俺を心配してくれた隼人。
楽しかった思い出。悲しかった思い出。
幸せだった思い出。
本当の`死´を目の前にして、俺の意思は大きく揺らいだ。
ここで死んでしまっていいのか。
死んだら家族が悲しむ?
いや、そんなの幻想だ。
死んでしまった人は何も言わない、思わない。
ただの俺の自己満足だ。
怖い。逃げ出したい。
死にたくない。
「彼方っ!!」
背後から、俺を呼ぶ声が聞こえる。
この声は───隼人だ。