異変 1
「──ちゃん!お兄ちゃん!」
「・・・・ん」
ぼんやりとした意識が聞き慣れた高めの声に覚醒していく。
目を開くと黒目がちでぱっちりとした二重の美少女が俺を心配そうに見下ろしていた。
「か、んな?」
「よかったぁー。もっと早く起きてよね!・・・・・・ちょっと、死んだかと思ったじゃん」
小さく後から付け加えられた不安そうな科白に、ごめんと頭を撫でる。
この子は俺の双子の妹の柑奈だ。妹ながら本当に美人である。
俺はまだ若干ふらつく頭を軽く振り、上体を起こした。
いつのまにかベッドにいるところを見ると、もしかしたら父親が運んでくれたのかもしれない。
いや、そうであってくれないと困る。まさか妹が運んだなんて思いたくないし。
「今、何時?」
「今?えっと、ちょっと待ってー。うーんと、十時三十七分だよー」
「え、朝!?」
「ううん。夜だよ」
ほっと息をつく。
まさか朝まで寝てしまったのかと思った。
「あっ!!」
柑奈が何かを思い出したような声を上げる。
「そう!そうなんだよ!お兄ちゃん!!」
「・・・何が?」
目をキラキラさせながら顔をずいとこっちに寄せる妹に若干引きながらも話を聞く。
「あのね!───ダンジョンができたの!しかも世界中に!!」
「・・・は?え、何?アニメの見過ぎ?大丈夫?」
慌てて手のひらを柑奈のおでこに当てて熱を測る。
重度のオタクの妹は先週から「アニメ週間でござる!!」といって部屋に引きこもり、やっと今日出てきたばかりなのだ。
この一週間も食事はちゃんと取っていたようだが、睡眠時間があったのか怪しい。
人間、七十二時間以上寝ないとやばいらしいので心配だ。
今ちゃんと生きているので生命の危機には陥っていない様だが。
しかし、頭には少なからず影響があったらしい。
こんなにおかしな事を言いだすとは。
「ねぇ、なんか失礼な事考えてない?」
「いやいや、まさか」
「言うならはっきり言えやごらぁ」
「お兄ちゃんはそんなに口の汚い子に育てた覚えはありません」
柑奈は俺の言葉にムッとしたのか、ようやく至近距離にあった顔を離して勉強机の前の椅子に座った。
「嘘じゃないもん。本当だもん」
しゅんと俯き、口を尖らせる。
そんな子供っぽい仕草も美少女がやると絵になるな、と呑気に思う俺は自他共に認めるシスコンである。
そして兄に育てられた事は否定しないんだな。
「わかった、わかった。何があったんだ?ダンジョン?ができたんだっけ?」
そういった途端、バッと効果音が聞こえそうなほど勢いよく顔を上げた妹が再び目を輝かせた。
何という速い変わり身だろうか。
演技だったとはお兄ちゃん悲しいです。
「今世界中が大混乱なの!っていうのも───」
妹の口から飛び出た話は、まさにファンタジーとでも言うべきものだった。
□□□□□□□
日本時間、午後七時十九分。
突如、世界各地に未知の何かが出現した。
それは様々な形や様相をしているらしく、ピサの斜塔のような石造りの建物であったり洞窟のような穴だそうだ。
この出現物をめぐって、宇宙人の陰謀説や異世界との融合説など様々な論説が飛び交っているようだがどれも信憑性に欠け、しかもどの国の政府も未だ何の説明もできていない。
まぁ、こんなファンタジーのような出来事に信憑性も何もあったものではないが。
政府が解明のために派遣した自衛隊。
帰ってきた者たちはこう語った。
『あんな生き物は初めて見た。あの中はもうこの世界じゃない。弱肉強食、強者が正義の世界だ』
中に入った何人かは命を落とし、怪我人も多数出たため至急引き上げたらしい。
オタクやゲーマーはこの報道を見て狂喜乱舞した。
まさか自分たちの夢の世界がこんなに身近に現れるなんて誰が想像しただろうか。
SNS上でも歓喜の声が上がっていたようだ。
しかし、それらは悪い方向へと変化した。
午後八時。
政府はこの未知の何かを『迷宮』と仮称し、一般人の侵入を禁止した。
想定外のこととはいえ、訓練を受けた自衛隊でさえ死亡する危険な場所に一般人を入れるわけにはいかないという正しい判断だろう。
ただ、それを人々が真面目に聞くとは限らない。
好奇心を満たすため、注目されたいから。
理由は様々だろうが、注意を聞かずに無謀なことをする人は一定数いる。
余りにも出現物が多いせいで警察や自衛隊の包囲が間に合わないのもこれ幸いと、人々は迷宮の中に入っていった。
既にこの時点で何人もの人が死亡しているようだ。
動画サイトではライブで迷宮の中を探検する動画なども上がっており、政府は何度も遊びで入らないように注意喚起をしている。
『迷宮』と発表されたこの未知のものだが、SNSではもっぱらダンジョンと呼ばれているとは妹談だ。
嬉しそうに声を弾ませて言った妹に小さく溜息を吐いた。
「つまり、いつも柑奈が見ているようなアニメとか小説の中に出てくるようなダンジョンが現れて大変なことになっているってことだな?」
「うん!簡単に言うとそうだよ!」
信じがたい話だが、妹から見せられた動画や投稿を見ているとどうやら本当らしい。
政府の公式サイトでもそれに関していくつか発表がなされていた。
「父さんと母さんは?」
「下にいるよー。降りる?」
どうやら両親も一階にいるらしい。
すぐに話し合わないといけないことが沢山ある。
俺は妹を伴って階段を降りた。
「父さん、母さん」
ソファーに座ってテレビのニュースを見ている両親に後ろから声をかける。
「あぁ、彼方。よかった、目が覚めたのか」
「かなちゃん!本当に良かったわ!急いで帰ってきたら、倒れたまま意識が戻らないって柑奈がいうんだもの」
あとちょっと時間が経っても目覚めなかったら救急車を呼んでいたと涙ながらに言う母さんに苦笑する。
聞けば両親とも『迷宮』が出現したときは意識を失っていて、気づけば既に世界はこうなっていたらしい。
仕事もできる状態ではないので帰宅命令が出たとか。
帰るときも街はかなりの混乱に陥っていて、スーパーやコンビニのような食品を売っている場所はすごい人だったようだ。
そうやって変わってしまった世界について家族四人で話していたときだった。
俺は再び耳慣れない、いや、ある意味聞き慣れた言葉を耳にすることになる。
「───能力?何それ?」
「あれ、お兄ちゃんに話してなかったっけ?」
「うん、聞いてないな」
母さんの発した「それにしても『能力』って便利よねー」という一言。
最初は母さんがいつもの様に脈絡もなく不思議ワールドを展開し始めたのだと思った。
トマトの話をしているときにいきなり消しゴムの話を始める母さんだ。
あり得ない話じゃない。
消しゴムは羽をつけたら空を飛ぶのかどうか。
うん。うちの母親はちょっと不思議さんなのだ。
だが、話を聞いているといきなりアニメの話に飛んだわけではないらしい。
気になって聞いてみると目を輝かせた柑奈が、早口で説明してくれた。
要約するとこうだ。
────『能力』。
それも『迷宮』の出現と同時に全人類に現れた不思議な力である。一般的に超能力と呼ばれるような力もあれば、通常では考えられないような特異な力もあるらしい。
何故そんな力を持ったことがわかったのか。
それは妹が特に熱弁した話だ。
「やっぱり世の中のオタクってすごいよね。実際、政府の人たちよりこの状況に順応してそうだし」
「で、つまりは?」
「ダンジョンが出現した後でね、こう言った人がいたんだって。
───ステータスオープン」
柑奈が指を指しながら無駄にいい声で言い放つと、ちょうど指先のあたりに何やら近未来的なスクリーンが現れた。
ウィンドウと言った方がわかりやすいだろうか。
「なんだ、これ」
「お兄ちゃん!ステータスだよ!ス・テ・イ・タ・ス!」
最早ここまで来ると驚く気力すらわいてこない。
圧倒的ゲーム感。
「これは遊び半分で『迷宮』に入るやつが出るのもわかるな・・・」
「ほら、ほら、お兄ちゃんもやってみなよ!」
妹にせっつかれて渋々ステータスとやらを出す。
この手の子供っぽいことはもう卒業したんだけどな。
「・・・ステータス、オープン」
恥ずかしさのあまり声が小さくなったのは許してほしい。
■成原 彼方 Kanata Narihara
Male 14
Lv.ーーー
天職 時計職人
能力 保存
序列 ーーー<ー>
ーーー<ー>
「何これ」
「え、お兄ちゃん、天職あるの?!」
「や、だから、そもそもこれ何?」
俺のステータスを横からのぞき込みながら、柑奈は目を丸くする。
名前と性別、年齢はまだわかるし、能力は先ほど聞いた。
だが天職と序列は意味がわからない。
「天職って言うのはね、あ、私のステータス見た方がわかりやすいかな」
そういって柑奈は自分のステータスを俺に見せた。
■成原 柑奈 Kanata Narihara
Male 14
Lv.ーーー
職業 焼き鳥屋
能力 現像
序列 ーーー<ー>
ーーー<ー>
「あれ、柑奈のだと天職じゃなくて職業なのか?」
「逆に天職の人ってすごく少ないんだよ?SNSですごく話題になってるんだから!」
「そうなのか?」
「へー、彼方は天職なのか!」
横から父さんにも覗き込まれる。
そんなに珍しいものなのだろうか、天職とは。
「かなちゃん凄いわ!わたしなんて職業、夢想家だったのよ?どんな職業か全くわからないわ!」
「ぶふっ・・・!」
柑奈が隣で聞いて吹き出している。
妹よ、そのガハガハという笑い方は女の子としてどうなのだろう。
確かに夢想家とは母さんにぴったりな職業だと思うが。
「で、この職業とか天職とかっていうのは、どういうものなんだ?」
「それはまだよくわかってないらしいんだよね、いろいろ考察は出てるけど」
「まあ、逆にここまでわかっていることがすごいよな。じゃあ序列もまだわかっていないのか?」
「あ、序列はね──」
そのときだった。
テーブルの上に置きっぱなしになっていた俺の携帯端末が震えて、着信を知らせたのは。