その7
◇◇◇◇◇◇ その7
早朝つつじケ崎の館を騎馬で出発した武田晴信は、馬を操る事に黙々と専念していた。たとえ自分を殺そうとした父とはいえ、謀略をもって駿河の今川に追放したことには変わりがない。
「自分の父母を心から信頼できない時代になぜ自分は生まれてしまったのか。」
晴信は自嘲してつぶやいてみたが、皮肉にも追放が成功した時点で不穏分子は一掃され、家中は晴信を中心に結束が固まった。晴信は二十一才であった。
しかし、感傷に浸っている暇はない。今川と同盟を結んでいるとはいえ、いつ戦が勃発するかわからないのがこの時代の常である。北に目をやれば戦上手の上杉勢が虎視耽々と信濃を狙っているし、北条も油断ならない相手である。
「まずは諏訪を手に入れなくてはなるまい。」
家中がようやく結束し、甲州が平定した今、国を豊かにすることを最優先にしたい晴信であるが、もたもたしていると他国から侵略されてしまうのがこの時代の常であった。そのためには領土を増やし、戦に動員できる人数を確保するしかないのである。
「諏訪は神の国だな。」
信州諏訪はここつつじが崎より西へ二十里、諏訪湖と呼ばれる巨大な湖を中心とした豊穣な地域である。晴信が魅力を感じたのはここには諏訪大社があるからであった。
人々の信仰がまだ厚きこの時代、神仏の力は偉大であった。武将は占いにより出陣の日や決戦の日を決めていた。他国での戦いにも占師ははるばる同行し、軍の行動に大きな影響を与えていたのである。
「武田の行動を正義とするためにも諏訪大社を勢力圏内に置く必要がある。」
神社からののお告げはその国の権力者に不都合な事は言わないのであった。
つつじケ崎の館へ戻ると晴信は
「軍議を行う。」
と各大将を広間に集めた。
「我が武田軍は」
晴信は皆をじろりと見回して続ける。
「まず諏訪を取る。」
晴信の一言でむかでと呼ばれる斥候部隊が諏訪へ向けてすぐさま先発した。武田軍が来るといううわさを流し、住民を動揺させるためである。




