その32
◇◇◇◇◇◇ その32
「このような物で大丈夫でしょうか。」
「この長持ちを本陣に持ち込み、四本柱で支えておけば到着は多分大丈夫じゃ。問題は飛ぶ時だが、これは長持ち歌を歌わせて四人に担がせればいけるだろう。」
「静様と御一緒ですか。」
信玄は微笑んだだけで答えなかったが、長持ちを担ぐ時のあの「ぎちぎち」という音は男女が愛しあう時にあちこちで擦れて発する音とも言われているので満更難しいことでもないのかもしれない。
善光寺平を制圧した謙信は武田勢の挑発を始めた。
「信玄は本陣にはいないようです。」
忍びを使って信玄の周囲を注意深く探索したが、その網には信玄の所在は引っ掛かってこない。
「よし、霧を使って今度こそ信玄めを打ち倒そう。」
謙信のいう霧とは川中島特有の幕霧のことである。二つの川が合流するこの地区では温度差が発生し易く、まるで幕を降ろしたような濃い霧が発生するときがある。
「当然信玄も霧のことは考えているであろう。」
謙信は信玄というライバルとの戦を楽しんでいた。だが、信玄は違う。謙信をうまくあしらいながら上洛への時期を少しでも早めなくてはならない。
上杉、武田の両軍勢がにらみ合う中、武田勢の中が急ににぎやかになりだした。
「はーああー。」
威勢の良い澄んだ声が周囲に響き渡る。
「あれはなんだ。」
謙信は尋ねた。
「信濃に行ったことのある者によるとあれは諏訪の御柱という祭りを模しているようです。」
武田軍勢の後方では華やかな行列が見られた。どこから連れて来たのか着飾った女達が花笠をかぶり踊る姿や、長持ちを連ねた行列が練り歩いている。
「信玄め、やりおるわい。」
綿密に情報収集を終えた謙信は夜半に全軍に進発を命令した。
「信玄よ、その余裕が命取りになるのだ。」




