その21
◇◇◇◇◇◇ その21
「さて、どうしてくれようか。」
すばらしい能力ではあるが、使いこなせなければなにもならないし、とりかえしのつかないことにもなりかねない。
「勘助。」
「はっ、ここに。」
居室で考え込んでいた晴信が勘助を呼ぶと奥より影のように現れた。
「この甲斐の国がまずやらねばなるぬことは領地を拡げることではない。」
勘助は晴信のいうことが大体予想出来た。
「それは情報を集め、的確に判断する事じゃ。そしてまずこの国の民が豊かになる事が大切だ。人は城、人は生け垣だ。そこで勘助、お前には甲斐の忍びの束ねをやってもらいたい。甲斐にはまだまだ忍びが足りぬ。」
「ははっ。」
勘助は今川の間者でもある自分に甲斐忍びの束ねをやらそうとする晴信の腹の大きさ感激していた。
翌日より晴信は深志の攻略にとりかかった。晴信がつつじケ崎を進発したのは5日後であったが、勘助はすぐに深志へ走り、情報収集にとりかかった。つつじケ崎を進発した晴信は諏訪へ着くと兵を温泉へとゆっくりとつからせ、気が向くと小部隊を峠に物見代わりに出していた。
武田軍団が深志攻略に向かったという情報はすぐに深志へともたらされた。もちろん勘助が一早く流した情報である。小笠原長時は早速迎撃の準備を始めたが、諏訪から晴信達が動く気配が見られない。
「さては北条が心配で動けないのだな。ならばこちらから諏訪へ攻め込もうではないか。」
もともと強力な指導者を持たない小笠原はどちらかというと腰砕けぎみであるが、楽をして諏訪をもらえるならと欲が出てきた。
「お館様、小笠原が動きました。」
諏訪に本陣を構えていた晴信に勘助が告げた。
「よし、後は時間の勝負ぞ。」
晴信は直ちに軍団を動かし、塩嶺へと向かった。塩嶺峠は現在の岡谷市と塩尻市の境にある標高千二百mほどの峠である。国道二十号線で両市の間は三十分ほどで結ばれているが、当時この峠は難所であり、馬がようやく通れるかという程度の道であった。
この峠と平行し、他に勝弦峠もある。これは現在のやまびこ広場と呼ばれる公園の先にある峠であるが、小笠原にしろ晴信にしろどちらに主力を送り、いかに峠を制覇するかでこの戦は決してしまう。峠を押さえた方は逃げる敵を上から狙い撃ちにすれば良いのである。




