その16
◇◇◇◇◇◇ その16
「ここまでくれば大丈夫ですだ。」
松蔵はむしろを取ると晴信と静の手を引いて荷車から起こしてくれた。
「ここはどこだ。」
「へえ、つつじケ崎から二里ばかり諏訪よりの場所でごぜえます。」
松蔵が連れてきたのは小高い丘の中腹の林の中であった。
「松蔵、感謝するぞ。」
「滅相もありません、お館様。」
「私も久しぶりにどきどきしてしまいました。」
静もようやく人心地ついようだ。
「お館様、どうしてあげな場所にお嬢様といたのでごぜえますか。」
松蔵はさりげなく晴信に尋ねた。
「松蔵、いい加減に本来のしゃべりかたに戻ったらどうだ。お主、駿河の生まれであろう。」
「そんなこたあごぜえません。あっしは、韮崎の山の中の百姓ですだ。」
「まあ、良い。」
無事館から出て来れたので晴信も機嫌が良かった。
「私と静はこれより諏訪に戻らなくてはならない。馬を準備出来るか。」
「はい、お安い御用ですだ。」
松蔵は言うが早いか既に走り始めていた。
「晴信様、これからどうするおつもりですか。」
「静殿、諏訪の大月館に戻ってもう一度同じ事が出来ないか試してみたいのだ。力を貸してくれぬか。」
静は昨夜の晴信の情熱的な抱擁を思い出して顔がみるみる赤らんでくるのがわかった。
「よいな。」
「はい。」
晴信は細かく静に説明をしなかったが、もし諏訪から一瞬にしてつつじケ崎まで来れるとしたらそれは天下が自分のところにやってくることが約束されることだと思った。
「諏訪大社のお力か。」
静はおぼろげながら晴信の考えがわかったが、それ以上にしばらく一緒にいられる事の方がうれしく感じられるのだった。どのような手段を講じたのか松蔵が馬を二頭曳いて戻ってきた。




