TALES OF 【川面と船】
フォックとセキレイが合流してから、なぜかエディアールはホテルにチェックインしようとしなかった。アステルナータが何故かと聞いても、エディアールは「念のためだよ」と言って、アステルナータには全て教えてくれなかった。
ただあても無くブラブラと、街灯しかともっていない真っ暗な街道を歩いたり、急に細い路地に入ったと思ったら水路沿いを歩いたりと、アステルナータには全てが理解できなかった。それはレバンヌも同じなようで、珍しくアステルナータの隣を四本足でてくてくと歩き、尻尾は不機嫌そうにピクピクと動いている。
暫く暗闇を歩き、エディアールは突然立ち止まった。アステルナータもあわてて立ち止まる。
「あの、エド? どうしたの?」
アステルナータがおずおずと聞くと、耳をそば立てていたらしいエディアールは、にんまりと笑みを零した。
「ほら、聞こえないかい? 十二時の鐘が鳴ったよ」
たしかに、耳を澄ませると、遠くからかすかに真夜中を告げる鐘が鳴っていた。
「あ、聞こえたわ。でも、鐘がどうしたの?」
「僕にかかっている追跡の魔法が、真夜中の十二時を境に一回効果が薄れるようなんだ。けど、日が昇るまでにはまた復活するんだけどね。念のため、そのタイミングを待っていたんだよ」
「マイ・ロード。このままホテルに泊まるのは危険です。すぐにでも、船で移動しましょう。服などは、最寄の港町で購入したほうが……」
セキレイの言葉をさえぎって、エディアールはホテルがあった方角とは反対方向を示す。
「あっちの方に、例の老人がいるはずだ。覚えているよね? その人に、船の用意と保存食料を頼んである。先に行って、準備してきてくれ」
「了解しました。 偽名は、どれを?」
「男爵の方を。それで通してあるから」
エディアールの言葉に頷いて、セキレイは闇に消えていく。
「男爵? あなた、男爵なの?」
エディアールのことは貴族だとは思っていたけれど、爵位は知らないという事に、アステルナータは今更気がついた。アステルナータが質問すると、エディアールは困ったように頬をかく。
「いや、男爵じゃないよ」
「えっ、じゃあ……?」
「偽名の一つだよ。 こうやって色々狙われていると、本名では生きていけないからね。ちなみに、爵位はまだないよ」
まあそれもそうか、と納得しつつ、アステルナータは一つの疑問を抱く。
「貴族じゃない、ってことなの?」
「まあ、今はね。これから手に入れるんだよ。……それは、おいおい説明してあげるから、今は船の方に急ごう。歩きながら、色々話すこともあるしね」
アステルナータはしぶしぶ頷く。しかし、レバンヌは納得がいかないとでもいうように一つ鳴いた。
「勘弁してくれ、レバンヌ。今はまだ、説明できないんだよ」
フォックが先頭を歩き、アステルナータとエディアール、そしてレバンヌは、その後を歩きながらこれからどうするのかを簡単に話しながら歩を進める。
「今回僕が使う偽名は、ディーン・マクレイア男爵っていう。まあ、できるだけ名前を呼ばないようにしてくれれば問題ないんだけど」
「わかった。それで、最寄の港町まで、その船でどれくらいかかるの?」
「そうだね……。最低でも、明け方までには到着するよ。あと、質問は?」
「その港町から目的地まで……やっぱり、遠回りになるのかしら?」
「それは、実はもしかしたら遠回りにならないかもしれないんだ。まあ、現地に行ってみないとわからないんだけどね」
到着しました、とフォックが言う。エディアールは頷いて、プレハブ小屋の中にいる老人のもとへと歩み寄った。
「やあ、久しぶりだな男爵様」
その老人は、一見ただの浮浪者にしか見えない服装をしている。アステルナータは失礼にならない程度に老人を観察してみたが、これといって不思議な点はなかった。
「僕の従者が伺ったはずだけれども、準備は出来ているのかな?」
老人はにっこり笑って頷き、近くの桟橋を指差した。
「ああ、出来ているとも。必要な荷物も入れておいた。操舵手はいらないんだったよな?」
「ありがとう、また頼むよ。例の場所に報酬は置かせる。あとで取りに行ってくれ」
エディアールはそう言って、老人のもとを離れる。フォックは何かをエディアールから受け取り、どこかへと行ってしまった。
「さて、船に乗り込もう。セキレイ、アステルを任せた。僕はちょっと取りに行くものがある」
アステルナータはいつの間に居たセキレイに連れられ、桟橋を渡り船に乗り込む。小型クルーズ船のようなかんじだが、暗闇で全体が見えない。とりあえずと案内された船内は、豪華だった。
「こんな、豪華な船……。よく準備できるわよね……」
僅かなランプの明かりで船内を見渡しても、上流貴族が使うホテルの小室のようにしか見えない。
「荷物はここに置いておきますので。エディアール様が戻られて、出発するまで外には出ないようにしてください」
セキレイはアステルナータにそう告げて、自身は操舵室へと向かってしまった。
「見たところ、この部屋しかないのよね……。レバンヌ、ちょっといい?」
「えっ、なんだよ……。オレはもう眠いんだが」
アステルナータの目の前に現れたレバンヌは、たしかに眠たそうだった。とりあえずと思い、アステルナータは備え付けのソファーに腰掛ける。レバンヌはとっさに、アステルナータの足の上に飛び乗った。
「エドって、やっぱり怪しいわよね……。貴族だと思ってたのに、違うってどういうことなのかしら? あと、これから爵位を手に入れるとかなんとか……」
「まあ、たしかに怪しいけどな。 それより、いつの間にかエドって呼んでるぞ? いいのか?」
アステルナータは言われて初めて、自分が愛称で呼んでいることに気がついた。思わず口に手を当てるが、あきらめたように肩をすくめる。
「……もう気にしないわ。向こうもなにも言ってこないんだし、なにより、まだまだ一緒に居ることになりそうだし」
ふうん、とレバンヌは頷き、眠たそうにひとつあくびをする。
「……色々探っても、わからないなら……やっぱり、本人に聞くしか……」
アステルナータは喋りながら、段々眠りに落ちそうになる。うとうととしているうちに、今までのことを頭の中で思い返していた。
事の始まりは一通の手紙だったのね。あの手紙が届かなければ、私は家に居て、ベッドで寝ているのかしら。それか、エドについていかないでいたら……。
エドはマイクさんの手によって、捕らえられていたのかしら。
そんなの……ダメよね。
私にはどっちが正しくてどっちが悪いなんてわからないけど。けど、やっぱり放っておけないって思ってたのかも。
お人よしよね。きっと、とんでもなく。もしかしたら、悪いほうに加担してるかもしれないのに……。
「ん、ああ、寝ちゃってるのか。疲れてるだろうし、寝かせてあげよう」
エドの声が、聞こえたような気がする。気のせいかも? ……どうなんだろう。
「さあ、マイ・ロード。少しお休みになってください。もう随分寝ていませんよ」
今度は、セキレイの声……? 戻って……?
「けれど、女の子と一緒の部屋じゃあ、君が安心できないんじゃない?」
「なら、フォックが間に居ればいいでしょう。マイ・ロード、あちらのソファでお休みください」
エディアールは、アステルナータが寝ているソファーの隣にあるソファーに座る。そして背もたれに深く身を沈めた。
フォックはエディアールの隣に座り、どこを見るわけでもなく前を向いている。
「フォック、交代時間になったら起こしますので、寝ていていいですよ」
セキレイはそう言い、また操舵室へと戻っていく。
「いいのでしょうか……?」
「いいと思うよ。十分睡眠をとらないと、いざとなった時になにもできないからね」
おそるおそる頷いて、フォックは目を瞑る。エディアールは満足そうに頷いて、自分も目を閉じた。
気がつけば、アステルナータは深い眠りに落ちていった――。
夢で自分の過去を振り返ることは、そうそうあるものだろうか。
僕はよく見てしまう。
思い出すというか、その現場を見ているというか。
夢の中で、ふと考えてしまう。
あの少女を巻き込んでもよかったのだろうか。
今、僕は知らない外国の路上にいる。夜の街は恐ろしく寒い。ぼろぼろの毛布に包まりながら、その時には知り合ってないはずの、少女のことについて考える。
あの少女は、今のところついてきてくれるが、僕たちの素性を知ってしまったら逃げていってしまうのだろうか。
僕たちには見えない何かに乗って、帰ってしまうのだろうか。
僕は、少女をただいたずらに巻き込んでしまっただけかもしれない。
最低な人間だと思われるだろうか。
もう、そんなことを気にするのは可笑しいのかもしれない。
きっと、僕が過去にこんな経験をしたことがあるなんて漏らしたら、同情を買うくらいならできるのだろう。
けれど、なるべく彼女には深入りしてほしくない。
隣でうずくまって寝ている二人を見て、自然と頬が綻ぶ。
この頃は、生きるのに必死だった。二人を守るために色々なことをやった。
いや、今もそうかな。
僕にはもう、この二人しか居ないのだから……。全力で、守るんだ。
アステルナータは、ふと目覚めた。船はゆっくりと進んでいるらしく、ぐらぐらと揺れている。レバンヌはぐっすり眠っていた。
窓の外に目を向けると、そこはまだ暗い。朝もやのようななにかが時折窓ガラスを撫でてゆく。
ふと隣のソファを見ると、そこにはセキレイとエディアールが眠っていた。
じゃあ、今操舵しているのはフォックなのね。
アステルナータは、夢現に聞いていた会話は夢ではなかったのだと納得する。
少し風に当たりたくて、申し訳ないと思いながらレバンヌをソファにおろし、船室から甲板に出る。船にはところどころランプが灯っていた。
「これは、旧式の船だったのね」
アステルナータが独り言を言うと、操舵室にも声が届いたらしく、フォックが返事を返してきた。
「最新のものの操舵は、慣れませんから」
アステルナータは慣れた手つきで舵を取っているフォックの隣に並ぶ。
「電気で動いてるんじゃないのね」
「ええ。アステルさんは、詳しいのですか?」
まさか、とアステルナータは首を振る。
「ちょっとかじっただけよ。この前乗った船が電気で動いていて、それを船長が得意げに自慢していたから聞いちゃったの。ただそれだけよ」
そうですか、とフォックは頷いて、それ以上は何も喋ることはないとでもいうように舵を切る。
アステルナータは少し気まずくなって、遠くを見る。心なしかあたりが明るくなっているような気がする。
「あら、もう夜明けなのかしら?」
「たぶんそうですね。もうそろそろで、港町に到着しますよ」
フォックは自分の胸ポケットから懐中時計を取り出し、現在時刻を確認する。
「すみませんが、マイ・ロードを起こしてきてはもらえませんか?」
「え、ええ、いいけれど……」
私は仕方なく、エディアールを起こすために船内に行こうとする。すると、もう既に入り口にエディアールが立っていた。
「あ、エド……。おはよう」
「ああ、おはよう。ずいぶん、フォックと楽しげに喋っていたね」
「えっ? そんなことは……。だいたい、そんなこと関係ないじゃない」
エディアールは薄いシャツのままアステルナータの傍によると、強引に腕を引っ張った。
「ちょ、ちょっと、引っ張らないでよ!」
アステルナータが抵抗しても、エディアールに敵うはずもなく船尾の方に連れて行かれた。
「なんなのよ、もう」
「ちょっと心配だったんだ、実は」
急に喋りだしたエディアールは、寂しそうな表情をしていた。
「え?」
「目が覚めたら、君が居ないんじゃないかって」
「そんな、まさか……。私は水中人じゃないんだから」
「全部僕の杞憂だっていうのは解ってるんだけど……、でも、僕らは君に対してあまりにも隠し事が多いだろう? だから、君が疑っているのも仕方がないことだと思ってる」
柔らかな風を受けて、エディアールのシャツがなびいている。いくらもう春だからとはいえ、さすがに寒そうだななんて、場違いなことをアステルナータは思っていた。
「もしかしたら、君が僕らの思い浮かばいような方法で僕らの隠し事の真相を知ってしまって、僕が弁明をする前に、ペガサスに乗って帰ってしまうんじゃないかなんて、考えてしまうんだ」
くるりとアステルナータに背を向け、川面を眺めるエディアールの背中は、小さな子供が何かにおびえているような感じがした。アステルナータは少し同情の意を向けながら、おずおずとエディアールに尋ねる。
「ねえ、寒くないの?」
するとエディアールは驚いたようにアステルナータの方を振り向き、クスクスと笑った。
「ねえ、それって話題を逸らしたの? それとも、素で?」
「そ、そういうつもりじゃ……。なんていうかその、寒そうだなって。…………ねえ、あれ、水中人じゃない?」
アステルナータが気まずくなって川面に視線を動かすと、そこには半漁人の生物が上流目指して泳いでいた。
「マーピール? 僕には見えないけど」
アステルナータはエディアールの隣に立ち、川面にいる水中人に話しかけた。
「ねえ、あなた達。ちょっと聞きたいことがあるの。いいかしら?」
水中人は、見た目は人間と同じようだが全身にうろこが生えていて、青白い。顔もどことなく魚のようだ。
アステルナータの呼びかけに答えるように、一人の水中人が船の近くにやってきた。
『ギャ―――――――――!』
「うっ。あ、あなた達の中には、陸でも人の言葉を話せる者はいないの?」
『ギャ―――――――――!』
アステルナータはため息をついて、自分が羽織っていたカーディガンを脱ぐと、ぽかんとしているエディアールに手渡す。
「ちょっと持っていてくれないかしら?」
そして、靴を脱ぐと思いっきり川の中に飛び込んでいった。
「……あ、ちょっと!? 大丈夫かいアステル!?」
一瞬送れて反応したエディアールは、アステルナータ助けようと自身も飛び込もうとするが、水面に浮かんできたアステルナータがそれを止めた。
「大丈夫だから! ちょっと水中人と話してくるだけ!」
そう言ってまたもぐるアステルナータを見送り、エディアールはあっけにとられてしまった。
「まいったな……。おい、フォック! 一旦船を止めてくれ!」
フォックは言われるままに、船の動力を止める。するとこの騒ぎで起きてきたのか、レバンヌとセキレイがエディアールのそばに走り寄ってきた。
「おいおい、何が起きてるんだ?」
「何か困ったことでも? そういえば、アステルさんが見当たりませんが……」
「ああ、なんだか水中人っていうやつらと話すために、飛び込んでいったよ」
エディアールが指差す水面に、ぶくぶくと気泡が上がってきている。それを確認したレバンヌは、チッと舌打ちした。
「まーったくアステルは、すぐこれだからなぁ」
「おはよう、水中人。ところで、あなたに聞きたいことなんだけれど」
『……水の中に飛び込むなど、昔の魔法使いでもやらなかった。そなた、変わっておるな、そして若い……』
「え、ええ……。 そ、それより、この時期はまだ比較的水温の変化のない深い海いのそこに居るんじゃないの?」
『本来ならば。しかし、我らにとって脅威となるものが、いずれ現れる。その時に備えて一族総出で山の上の湖に避難することにしたのだよ。あそこならまだ人の手も及ぶまい』
「な、なるほど……。あの、その湖って魔界の扉の近くの?」
『知っておるのか? ……たしかにそうだが、魔法使いの娘よ、そなたも母のようになりたいのか?』
「か、かあさまを知っているの!? やっぱり、魔界の扉って……」
『……余計なことだったようだな。そなたも、脅威が現れる前に身を潜めた方がいい。そのうち魔に属するものは皆追われる運命になるだろうからな。……さらばだ』
「えっ、待って! かあさまの事を教えて! ねえ!」
アステルナータの叫びもむなしく、水中人はもう水のにごりの向こう側へと行ってしまった。あきらめて、アステルナータは水面に顔を出す。深呼吸すると肺が勢いよく膨らみ、思ったより長く水中にいたことがわかった。
「おーい、アステルー! こっちだ、来れるか?」
少し遠くに見える船の上から、手すりに立ってレバンヌが手を振っている。その隣にはエディアールとセキレイが不安げにこちらを伺っていた。
「今行くわ!」
アステルはもう一回深呼吸をすると、船に向かって泳ぎだした。
「まったく、君には驚かされるよ」
「ご、ごめんなさい……ハクションッ!」
「あーあ、ほら、ちゃんと髪の毛も拭けよ」
アステルナータはいわれた通りに髪の毛を拭く。先ほど着替えは済ませていて、服などはアステルナータが必死になって魔術を施し、結果生乾きのままトランクとは別の麻袋に押し込まれている。
「ほんとごめんなさい。少し、水中人に聞きたいことがあったもんで……」
「僕にはひきつった叫び声しか聞こえなかったけど、君にはちゃんと言葉に聞こえるのかい?」
「ええっと、水中人は水の中でなら会話できるのよ。空気中では言葉は言葉の形を成さないってだけで。水中人語をマスターすれば、陸でも会話が出来るようになるわ。ただ、こっちも叫び声のような言葉になるわけだけどね」
エディアールは、あきれたように肩をすくめる。
まあ、その反応も当たり前なのだろうとアステルナータは思った。
花も恥らう乙女なはずの娘が、男の人の目もはばからず自ら水の中に飛び込んだのだ。
あきれないほうが不思議である。
「マイ・ロード。もう桟橋に停泊できます。そろそろ下船できる準備を」
「ああ、わかったよ……。それで、君がそこまでして水中人に尋ねたかったことって、なに?」
やっぱり、聞かれるわよね。アステルナータは心の中でため息をついた。
こんなやつに、正直に喋っていいのだろうか迷う。レバンヌはもともと知っているので、あえて追求はしてこないけれど、エディアールは違うのだ。
「ごめんなさい。あの……喋れないわ」
「なぜ? 僕が信用できないから?」
「そういうんじゃなくって! あの、身内の問題なの」
数年前にいなくなってしまった母の足取りを探すため……なんて、こいつに話してもきっと仕方のないこと。それに、できれば他人には知られたくない話でもあるのだ。
「ふーん……。って、納得すると思った? 今は無理でも、いずれ話してよね」
自分のことは棚に上げて、よく言うわと思う。
「じゃあ、あなたの秘密と交換ね」
きっとそう来るだろうと思っていたのだろう。エディアールはニヤリ、と笑った。
「ちょっと、なにその不気味な笑いは!」
「いいや、何も。さて、色々準備しなくちゃね~」
「あ、もう! これだから信用できないのよ!」
エディアールは甲板へと出てしまい、レバンヌと残されたアステルナータは顔を見合わせた。
「ぜったい何か企んでますって顔だったな」
「ええ……。注意しなくちゃ」
それを扉越しに聞いていたエディアールは、悲しそうに微笑んだ。