TALES OF 【汽車と追っ手】
アステルナータは馬車の中で、先程空けてきた家のことに思いを馳せていた。
(ピクシー達はしっかり留守番ができるかしら。やっぱり無難なところでゴブリンにしておけばよかったのかも。でもそれ以上に、明日マイクさんが家をめちゃめちゃにしないかが心配だわ)
アステルナータは出かけ際、庭小人に薬草の手入れを、ピクシー達に家の留守番を頼んでいた。その光景を傍から見ていたエディアールは、終始「僕にはやっぱり見えないなぁ」を繰り返していたが、アステルナータは気にも留めず、様々な代償と引き換えに交渉を成立させていった。
「アステル、そろそろフォックの呼んだ馬車が来るよ」
アステルナータの父親の服を、父親以上に着こなしているエディアールは、アステルの用意した旅行鞄の上に丸まっていたレバンヌの背中を撫でていた。レバンヌは不服そうな鳴き声を立てている。
「仕方が無い、猫のフリだ」
レバンヌは鳴き声の合間合間にそう呟く。そんなレバンヌに、アステルナータはせめて用事がある時以外は、自分の傍に離れない限り姿を消してもいいよと言い、それを聞いたレバンヌは、エディアールの掌をひょいと避け、暗闇にスッと消えていってしまった。
「レバンヌは大丈夫なのか、アステル?」
「ええ、あの子はちゃんと私を見守ってくれているの。だから決してはぐれる事はないのよ。今だって見えないだけで、私の肩の上に乗っかってたりするんだから」
勿論、アステルナータにはレバンヌの姿は見えている。レバンヌはアステルナータの肩の上にしがみつき、エディアールを暗闇でも光る水色の瞳で睨みつけていた。どうやらレバンヌとエディアールは、馬が合わないらしい。
「そうなんだ。じゃあ、もしかしたら空を翔るペガサスも、君の瞳には見えたりするの?」
「まあ、たまにね。ここらへんじゃあ、もっぱら飛んでいるのはヒッポグリフとか。あと、海岸線に行けばマーピールだって居るんだから。……あ、ごめんなさい。こんな話するつもりはなかったんだけどね」
エディアールがずっとアステルナータの顔をまじまじと見つめるので、アステルナータは変人だと思われたのだと思い、すかさず謝る。けれど、エディアールはそれでも見つめていた。
「あの……? 私の顔になにか付いてるの?」
「ああ、ごめん。ただ、君のきれいなエメラルドの瞳は、その色に合うような世界を見ているんだなーと思ってただけだよ」
さらりと、エディアールはそう言って、アステルナータの結われていない髪の毛を一房、指にからめた。
「この髪も、ただ見てるだけだと赤茶色なのに、きっと日に透かすとルビーのような赤になるんだろうね」
アステルナータは、呆然とした。それもそのはず。今まで一度も、アステルナータの不気味な緑色の眼と、血が滲んだような赤茶色の髪の毛を褒める人間は居なかったのだ。だから、エディアールへの反応も、ワンテンポ遅れてしまう。
「あ……ありがとう。でも、よくこの色を褒める気になったわね。眼は魔女の瞳だと、髪の毛は返り血を滲ませて紅に近くなった赤茶色って言われるのに。……こんな色を褒めるなんて、あなた変わってるわ」
「そうかい? そしたらきみも変わっていると思うな。僕に髪と瞳の色を褒められて、きみみたいに頬を赤らめない女性はそう居ないよ。――でも、そこが可愛いんだけど」
さりげなくエディアールの言葉を無視して、アステルナータは家の門の前まで馬車を迎えに行く。
「アステルはつれないなぁ。レバンヌもつれないし。僕の味方は二人の召し使いってわけか」
べつにそうでもないのだろうが、エディアールはわざとらしく溜息をつく。アステルナータはセキレイに荷物を預けるとエディアールを引っ張って馬車の方へと歩かせた。
「なんだいアステル。ああ、僕が可哀想になってかまってくれているんだね。ありがとう。君は本当に心優しい女性なん――」
「いいからっ! ほら、乗る!」
エディアールの言葉を遮って、アステルナータはぐいぐいとエディアールを馬車へと押し込んだ。そして、自分も登ろうとするが、入り口にエディアールが立っていて登れない。
「ちょっと、退いてくれる?」
「退くのは嫌だな。紳士たるもの、女性をエスコートしなければならないんでね」
そう言ってエディアールはアステルナータの手をとる。ここは我慢してやろうと、アステルナータは素直に登ったが、今度はアステルナータの目の前に、エディアールが座ってこう言った。
「こうすれば、君の顔がずっと見れるかな?」
アステルはもう我慢の限界に達して、わなわなと握りこぶしを震わせる。すると、助け舟を出すかのようにセキレイがペシリ、とエディアールの頭を叩いた。
「いて。ひどいな、セキレイ。仮にも主人は僕だぞ?」
「じゃあ、この瞬間だけただの友達です。レディーを苛めるのはいかがかと思いますよ、エド」
こいつは、私がいちいち反応するのを楽しんでたのか。アステルナータは立ち上がってエディアールの胸倉をつかもうと思ったが、それをセキレイに止められる。
「目の前には私が。隣にはフォックが座りましょう。そうすれば、エドは斜め左に座る事になりますね。いいかしら、アステル?」
アステルナータはそのとき初めて、セキレイが女性だということに気がついた。
「あ……! 有難うございます、セキレイさん。あなたが女性でほっとしました」
実は、アステルナータは馬車に乗る際、三人とも男性だからどうしようかと思っていたのだ。ただでさえ町の人間から変人だと思われていたアステルナータは男子三人と密閉空間に居る事なんて初めてで、どう対処すればいいのかわからなかったのだ。
「そうですか? ああ、私のことは呼び捨てでいいですよ。それに、今回の事はマイ・ロードが悪いのです。これでも一応優しい方ですから、仲良くはしてあげてくださいね?」
なんだその一応は、とぶつくさ言いながらも、エディアールはセキレイの場所をあけた。アステルの隣にはフォックが座り、馬車は動く。
アステルナータは窓の外をつまらなさそうに眺めているエディアールを見て、喋らなければいい人に見えるのにな、と思った。すると、エディアールはアステルナータの視線に気がついたのか、急にアステルナータの方を向くとにこりと笑う。
「アステル、なんだい? もしかして僕の目の前がよかったって後悔しているのか?」
「んなわけないでしょ。 ミスター・エディアール。そういえばなんで私の家に来たのか、理由を聞いていないと思って」
エディアールは残念そうに肩を落とすが、視線はアステルナータを向いたままだ。
「僕のことはエドでいいよ。それより、君の家にいった理由か。それはマイクが君の家を出たのを見かけたからさ。あいつが魔法の残り香を辿って僕達の後を追っているのは分ってた。でも、それだけだったら君に助けてもらう必要はない。僕達はやつがホテルに向かうのを尾行していた時、やつの手下が僕にかけた追跡の魔法はまだ生きていると言っていたのを耳にしたんだ。もちろん、そんなの僕が自分で解けるはずも無い。ただ、その追跡の魔法も漠然とした事しか分らないらしかった。だから僕は君の家に行ったのさ。追跡の魔法を解ける魔法使いは、殆どが郊外に住んでるしよぼよぼの老人だしね」
最後の方は余計だったが、アステルナータは納得するしかなかった。
「以上だよ。他に聞きたいことは?」
「ええと、そうね…なんで、追われているの? あ、別に詮索する気は無いんだけど、なんで殺人鬼にされちゃったのかなって」
「秘密だよ」
すぐにそう答えられ、アステルナータはそりゃそうよね、と呟く。
その後もエディアールに様々な質問を浴びせたアステルナータだったが、その答えが半分“秘密”なことに納得した。彼らは狙われているのだ。理由はどうあれ、危険なものなのだろう。
「ほれ、着いたぞお前さんがた。フリガー駅だ」
馬車の運転手がそう叫ぶ。と同時に馬車は馬の嘶きと共に止まった。フォックはすかさず扉を開け、まず荷物を降ろして自身も降りる。そしてその後にエディアールとセキレイが続く。アステルナータも降りようとしたそのとき、不意に今まで大人しかったレバンヌがアステルナータの耳元で囁いた。
「油断するなよ。 やつは予想以上に危険人物かもしれない」
アステルナータ驚いて先程までレバンヌが掴まっていた自分の肩を見るが、そこにはもうレバンヌは居ない。かわりに、既に降ろされていたアステルナータの荷物の上にふんぞり返りながら腰かけていた。しかもどうやら姿が見えるようにしているらしい。荷物を持とうとしてくれていたフォックが、手を伸ばしかけて引っ込めた。
「すみませんアステルナータさん。 この猫を退かしてくれませんか? 荷物が運べません」
普段は無口なフォックが、困ったように荷物を見ている。アステルナータはエディアールの手が伸びてくる前に素早く馬車を降り、猫よばわりされて怒り心頭なレバンヌをひょいと持ち上げた。
「そこの少年! オレ様を猫呼ばわりとはなんたるぶじょ……あ、なにすんだアステル!」
「ごめんなさいね、レバンヌが意地悪して。もし次もこんなことがあったら、遠慮なく退かしてくれればいいわ」
「分りました。ありがとうございます」
フォックは礼儀正しく一礼をアステルナータにすると、荷物を持って駅へと入っていった。いつの間にかセキレイはチケットを取ってきていたらしく、一人ひとりに夜行列車のチケットを配ってくれた。そのチケットには、特等席の印字。
「え、特等席!? これってそんな急に取れるモンなの?」
アステルナータが素直に驚いていると、エディアールがそっと肩に手を置いて言う。
「僕は君のために頑張ったんだよ。二人きりの夜に薄い壁は野暮だろう?」
「ミスター・エディアール。お言葉ですが私達そんな関係じゃありません。それに、ほら、部屋違うし」
アステルナータはすばやく切り返す。エディアールは驚いて、自分のチケットとこれでもかと見せ付けられたアステルナータのチケットを見比べ、ついでにセキレイとフォックのチケットも見た。そして、どうらや自分はフォックと相部屋になっている、ということに気がつく。
「セキレイ! 少しは考慮してくれてもなぁ!」
セキレイは憤慨している主人を冷静な視線で一瞥する。
「考慮しました。した結果がこれですよ、マイ・ロード。あなたはいささか自重してください」
フォックはあきれたのかそうでないのか、さっさと荷物をホームへと運んでいる。アステルナータはエディアールの視線から逃れるようにフォックの後をついていった。
「ねえ、フォック」
「なんでしょう、アステルナータさん」
列車の到着を待つためにベンチへと腰かけたフォックの隣に、アステルナータは腰を下ろす。
「結局、特等席って簡単にとれるものなの?」
ああそのことか、と呟いて、フォックは一度自分の主人が遠くに居るかどうか確かめてからアステルナータの質問に答える。
「ええ、とれます。最近は車や船が流行ってますから、列車の、しかも夜行列車の特等席なんてガラガラなんですよ。最近値段も落ちてきましたし」
「そうなんだ。……あ、もう一つ聞きたいんだけど、いいかしら?」
フォックは頷いて了承する。
「フォックは、ミスター・エディアールのことどう思ってるの?」
アステルナータは純粋に聞いただけだったのだが、フォックはなにか裏があると考えたらしく、途端にアステルナータを鋭く睨む。
「なぜ、そう聞く?」
口調も素に戻っている。アステルナータは相手の剣幕に気がつき、驚いて立ち上がってしまった。
「あ、いや、その……ほら、ミスター・エディアールってなかなか解らないところがあるでしょ? だから、少し参考にしたかっただけなの」
フォックは眼を見開く。今は見えなくなってはいるがいまだアステルナータの腕に抱えられたレバンヌと、アステルナータを交互に見る。そして、首を捻った。
「探っている……わけではない、のですか?」
「え、ええ! もちろん。私は他人の秘密はあまり探らない主義なのよ」
フォックの鋭い視線から開放されて、アステルナータは安堵のため息を漏らす。
「そうですか。先程は失礼しました。マイ・ロードは……エドは、命の恩人なんです。誰からも必要とされていなかった俺を必要だと言ってくれた。根は優しくて、芯が強い人なんですよ。それを隠すために女性に寄っていったり、お気楽に振舞ったり……まあ、俺もはっきりと知ってるわけじゃないんですが、参考までに」
アステルナータは急に恥ずかしくなってしまった。エディアールのことを本当に尊敬し、大切だと思いながら喋ってくれたフォックに対しても、そんなフォックから慕われるほどのエディアールに対しても、なんだか自分が表面だけしか見ていなかったのが不躾に思われたのだ。
「あ、ありがとう、フォック。――隣、座ってもいいかしら?」
自分でも今更、と思いながら、アステルナータはフォックに訊ねる。フォックは頷くと、はにかんだ笑みを見せてくれた。
「どうぞ、アステルナータさん」
アステルナータはそっとベンチに座る。
「私はまだまだダメね。あなたたちのことを、表面上だけで判断しようとしていた」
フォックは眉根一つ動かさず、アステルナータの言葉に耳を傾ける。
「ミスター・エディアールのことを、なんて軽薄な人なんだろうって思ってた。知り合ってまだ一日も経ってないけど、もうそう決め付けてた。魔法使いはどんな人間でも偏見を持たないで見なきゃいけないのに……物事を心から見通すために。少し、見る目を変えなきゃね」
アステルナータは、自分の腕の中に居るレバンヌが居心地悪そうに動いたのが解った。フォックは後ろを振り返ると抑揚をつけないで言い放つ。
「これからは行動に気をつけなければなりませんね、マイ・ロード」
フォックの言葉に驚いて、慌ててアステルナータも振り返る。そこには楽しそうな顔をしているエディアールとセキレイが支柱の傍に立っていた。
「ああ、そうだな。アステル、君が僕のことをそう思い直してくれて嬉しいよ。どうだい、今夜はお互いの事をより深く知る為に、同じ部屋にしないかい?」
エディアールはフォックのチケットを取り上げ、アステルナータに差し出す。
「さあ、一緒に夜を明かそう?」
最後のとどめの一言で、アステルナータは先程までのエディアールへの考え方を一気に総否定した。
「なっ・・・! あなたって人は! 前言撤回、やっぱりあなたは軽薄な男よ!」
アステルナータは肩を怒らせてレバンヌを荒々しく抱えながら、ベンチを離れて柱の傍に行く。
その時、アステルナータの視界の端に、薄笑いを顔に貼付けた男がチラリと過ぎった。
(な、なにあの男……)
アステルナータは辺りをキョロキョロと見渡して先程の男を捜したが、アステルナータの視界に男が入ることはなかった。
(気にしすぎかしら。それとも疲れてるのかも。今日はさんざんな一日だから……)
思えば、今日はアステルナータにとって激動の一日だった。変人だと言われ続け、店もまともに切り盛りするほどの客が全く入らない生活とは裏腹に、初めて会う男性が二回も店に訪れ、しかも依頼主と汽車で逃亡しようとしているのだから。
「ほんと、疲れたわ……」
レバンヌは、そのアステルナータの呟きに答えて、こくこくと頷いた。
「今日は厄日だと思う? それとも、人生の転機? とにかく眠りたい気分ね。まだ汽車は来ないのかしら?」
「きっと今日は厄日だぞ、アステル。フツーの日常からこんなにもかけ離れたんだからな。さて、汽車は三十分後くらいに来るんじゃないか?」
レバンヌの予想通り、汽車は三十分後、駅に到着した。フォックとセキレイが荷物を、泊るコンパートメントへと運び込み、アステルナータはエディアールのエスコートをしぶしぶ受け入れ、自分が泊るコンパートメントの前へと到着した。
そのコンパートメントは、さすが特別席なだけあって、一つの車両を半分埋め尽くした豪華で、広々としたものだった。シャンデリアはついていないものの、気品漂う絨毯と壁紙、そして固定されている家具たち。その一つ一つに美しい装飾が施されていて、さらに部屋の豪華さを引き立てていた。
「うわぁ……! すごくステキな部屋ね。お金持ちのお嬢様になった気分だわ! ミスター・エディアール、あなたいつもこんな豪華絢爛な部屋に泊っているのね。羨ましいわ……」
アステルナータがそう言うと、エディアールは少し困ったように笑う。
「そんなことはないよ。それと、アステル。今後は素性は少しでもばれないように、“ミスター”を付けるのをやめてくれないかな? 表向きは逃避行している恋人なんだし?」
「は? いや、“ミスター”をとるのはいいけど……私達、逃避行している恋人なの?」
エディアールは得意顔で頷いた。
「ちょっと、冗談でしょ!? 百歩譲って妹よ!」
結局、腹違いの兄妹ということで決着し、アステルナータはエディアールの事を“エド”と呼ぶ事を余儀なくされた。
「まあ、恋人よりはマシって事で」
駆け引きの一部始終を見守っていたレバンヌは、そうアステルナータに話しかける。
「そ、そうよね……恋人になんかなったら、多分一緒の部屋に〜なんて言ったに違いないわ」
アステルナータはもうこのコンパートメントに居ないエディアールを睨んだ。
「ほんと油断もすきもないんだから。あ、レバンヌ、少しいいかしら」
アステルナータは先程見た怪しげな男のことをレバンヌに話し、できれば汽車に乗り込んでないか確かめて欲しい、と頼んだ。レバンヌはその頼みをいやいや受け入れ、さっさと何処かへと消えてしまった。その瞬間、部屋にセキレイが入ってくる。
「もうすぐで出発のようです。加速の時に揺れるので、どうぞソファに座ってください」
セキレイがそう勧めるので、アステルナータはソファに深く腰かけた。セキレイはアステルナータの隣へ座る。丁度そのとき、先程出て行ったばかりのレバンヌが帰ってきた。レバンヌはアステルナータの膝の上に飛び乗ると、一言、言い放った。
「男が一人、ギリギリで乗ってきた。……マイクだ」
追っ手が来た。アステルナータとセキレイは顔を見合わせ、二人とも真っ青な事に気がついた。
「は、早くエドに報告しなきゃ!」
「ええ。けれど、まだ出発していないわ。迂闊に立ち上がれないもの……」
そのとき、二人の視線は同時にレバンヌのほうへ向いた。もちろんセキレイは見えていないので、居るはずの方向を向いただけだが……それだけで、レバンヌの重たい腰を動かすには十分だった。
「ちぇ、わかったよ。そのかわり、あとで美味しい缶詰をくれよな」