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二択

「……いつからそこにいた」


 ライアンの言葉に、レイモンドは目線を落とした。


「お前が嘘をついていると思ったから、出て行ったように見せかけたんだ」


 出会った頃から、ライアンは嘘が下手なのだ。レイモンドにとってライアンの嘘を見抜くことは、そう難しいことではない。とりわけ神経が鋭敏になっている時などは。

 バツの悪い顔になったライアンを見ながら、レイモンドの口調は自然と強くなる。


「ライアン」


 呼べば、ライアンが怯えた顔になった。まるで親に叱られた子供のようだ。それを見ながらレイモンドの胸に広がるのは、怒りとも悲しみともつかない感情だった。

 ライアンに対する怒りばかりではない。自分自身に対しても、レイモンドは腹を立てていた。ライアンに言いたいことは山ほどあったが、今は何よりもまず、ソフィアの救出を優先せねばならない。


「ソフィアはどこだ」


 悪鬼のような形相で、レイモンドは居間に足を踏み入れた。ライアンはぐっと睨むようにレイモンドを見返したが、殺気走った表情に、蛇に睨まれた蛙のように固まった。レイモンドから発せられた声には、底冷えするような響きがある。


「言え」

「……嫌だ」


 尚も首を縦に振らないライアンに、レイモンドは眉間に皺を寄せると、次の瞬間その胸ぐらを掴んで絞め上げた。胸元を押さえつけられ、ライアンが苦しげに顔を歪める。殴られる事を覚悟したのだろうか。ライアンは顔をそむけるように、レイモンドから視線を外した。


「言うんだ、ライアン。私の為だと言うのなら、やり方を間違えるな」

「……俺はレイモンドを死なせたくない」

「私を生かすためだと、そう言うのか?」

「……そうだ」

「命さえあれば、心は関係ないのか。息をしていれば生きていることになると、お前は思うのか」


 レイモンドは殴らなかった。暴力に訴えても口を割らないと、分かっていたからだ。黒曜石の瞳が全てを見透かすように「それは違う」と切々と訴える。


「人は息をする為に生きているわけじゃない。生きるためには、希望が必要だ」


 もしソフィアが死ぬような事があれば、レイモンドの世界は色を失う。たとえ命が助かったとしてーーけれど、心は死ぬだろう。


「私がナサニエルに殺されると思うか? ーー私が負けると?」

「分からない。……でも、ナサニエルは危険すぎる」 

「私は死なない」


 信じろと、安心させるように言う。


「お前をまた、一人きりにさせたりはしない」


 たった一人の家族だと思うからこそ、ライアンはレイモンドを失うことを強烈に恐れている。レイモンドの言葉に、ライアンの瞳が揺れた。それを見ながら「信じろ」と重ねて言えば、ライアンは迷うような表情になる。ライアンは何かを言おうと口を開きかけたが、それが声になることはないまま、再び口をつぐんでしまった。

 意固地になったライアンを説得するには、まだ決定打が足りないのだ。その時開いたままの扉から、従僕がレイモンドを呼ぶ声がした。


「ーーレイモンド様、お手紙が来ておりますが」


 家の前に置かれていたものだと続けられた言葉に、ライアンがはっとした顔になる。レイモンドはライアンから手を離すと、扉の方を振り返った。レイモンドの凄まじい剣幕に、従僕が恐る恐るといった様子で部屋の中を覗いている。


「入れ」


 青くなったライアンの表情を視界の隅に捉えながら、レイモンドは従僕から手紙を受け取った。

 犯人からの手紙であることはすぐに察しがついた。

 封筒には宛名以外には何も書かれていない。封筒を受け取ってすぐに、その厚みから手紙以外にも何か入っている事に気がつく。罠ではないか慎重に確かめながら封を開けると、銀色のネックレスが中から出てきた。

 鎖が通された指輪はどこか見覚えがあるーーそこまで考えて、レイモンドの全身を衝撃が貫いた。

 

 ーーこれは、あの時の。


 幼かったあの日、ソフィアに渡した指輪。5年ぶりに目にした品に、レイモンドは瞠目した。彼女に渡した当時も、シュタールへ舞い戻ってからも、この指輪をソフィアが身につけているのをレイモンドが目にしたことはない。それが何故、犯人の手に渡ったのだろう。

 そのことが意味する所を考えて、レイモンドはたまらない気持ちになった。


 ーーソフィアはずっとこの指輪を持っていたのだろうか。


 5年もの間、こっそりと秘めるようにして。

 そう思った時、狂おしい程の愛おしさがこみ上げた。今一刻も早く、彼女の元へ飛んで行きたい。どれ程の恐怖の中、救助を待っているのだろう。

 レイモンドは同封されていた手紙を広げ、ざっと読み下すと、固唾を呑んでこちらを見つめるライアンに告げた。


「今から指定の場所に来いとある」

「……罠に決まってる」

「だろうな」


 分かっていても、レイモンドは行くしかないのだ。ライアンが答えないのならば、ナサニエルの誘いに乗るほかない。ソフィアを見殺しにするなど、考えられないことだった。


「駄目だ。殺されに行く気か?」

「彼女が助かる望みが1%でもあるなら、行くさ。絶対に助け出す」


 どうする、とレイモンドは鋭く問うた。


「ソフィアの居場所を教えるか、ナサニエルの指示通りに動くかの二択だよ。ライアン、お前が決めろ」

 

 強情なライアンに対して、レイモンドはやり方を変えることにした。これはいわば脅し文句である。ライアンにとってレイモンドの命が何より優先されるのならば、自らの生命を盾にするしかない。ーー言わなければより危険な道を選ぶと、暗にそう伝えてライアンに決断を迫ることにしたのである。


「ナサニエルの隠れ家に直接乗り込むのと、罠と分かっていて指示に従うのと、どちらが生存率が高いと思う」


 挑むようにレイモンドはライアンを見つめる。射抜くような視線に、ライアンはたじろいだ。

 レイモンドの決意の程が伝わったのか、ライアンは観念したように目を閉じた。やがて「……分かったよ」と絞り出すような声が漏れる。


「北のモルガンヒル区にある一軒家だ。アルマが案内してくれる」


 それを聞くやいなや、即座にレイモンドは思考を巡らせる。ソフィアを助け出す為の算段を早急に立てなければならない。

 まずは敵の目を欺くこと。レイモンド達の真の動向を隠し、犯人の指示に従ったフリをしなければならない。

 その役目はメイソンの護衛に頼もう、とレイモンドは考える。レイモンドと背格好の似た男が一人いるのだ。彼にレイモンドのフリをさせ、敵の目を欺く。帽子とトップコートを身につければ、外は闇夜だ。顔の判別はつかないだろう。

 警察への連絡は慎重に行わねばならない。もし警察の気配をわずかでも感じたら、ナサニエルはソフィアを殺して逃亡を図るだろうから。隠密に事を運び、迅速にソフィアを助け出さなければ。

 レイモンドは居間を出ると、メイソンの部屋へと駆け込んだ。鬼気迫る様子で現れたレイモンドに、メイソンは読んでいた書類から顔を上げると、心配そうな顔になる。


「どうした?」

「ーーお願いがあります」


 前置きなく紡がれた言葉であったが、ソフィアがいなくなったことはメイソンの耳にも既に入っている。メイソンはすぐに全てを諒解した顔つきになった。

 レイモンドは今考えたばかりの計画をメイソンに伝える。

 護衛を1人レイモンドの代役に立て、犯人の指示に従ったように見せかけること。その間にレイモンド達がソフィア救出に向かうこと。もし今から2時間経っても、レイモンドから何の連絡もなければ、犯人の隠れ家を警察に伝えて欲しいこと。


「分かった。そうしよう」

「ありがとうございます」


 すぐに踵を返すレイモンドの背中に、メイソンから声がかかる。


「必ず3人とも、生きて帰るんだ」


 ちらっとレイモンドは振り返り、メイソンに小さく頷いた。



 ーーそれから、約1時間。

 ナサニエルの隠れ家の裏手に、2つの影が現れた。

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