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大切なもの

「ソフィアを見殺しにするつもり?」


 激昂するアルマを無視して、ライアンは立ち上がる。扉を開けて従僕の男を呼ぶと、部屋に入るようにと促した。入ってきたのは、20歳前後の従僕である。


「レイモンド宛の電報や手紙は来ていないか?」


 そう尋ねたライアンに、従僕は少し考える顔になる。


「レイモンド様宛ですか。いいえ、来ておりませんが」

「そうか。もし届いたら、急ぎ俺に教えて欲しい」

「急ぎ、ですか」


 そう聞き返した従僕に、「レイモンドが不在にしているから」とライアンは説明した。


「緊急の要件が来るはずなんだ。レイモンドを呼びに行かなきゃいけないから、届いたらまず俺に教えて欲しい」


 ライアンの答えに、従僕は納得したように頷いた。


「かしこまりました」


 従僕が部屋を出て行き、扉が閉じられた後、横を見ればアルマが憤怒の形相でライアンを睨みつけている。


「ナサニエルからの呼び出しまで隠蔽するつもり? 何故こんなことをするの。ソフィアが死んだらグウィン様が悲しむって分からないの!?」

「うるさい。黙れ」

「黙らない! グウィン様に隠し通せると思うの? 何も知らされない間にあの子が死んだら、グウィン様は一生苦しむわ。そんな事も分からないなんて、あんた馬鹿なんじゃないの!」


 何も分かっていない、と続けられた一言にライアンもカッとなって反論した。


「俺がレイモンドの事を分かっていないと言うのか? あの娘の事になるとレイモンドは冷静ではいられない。自分の事より、あの娘を優先させてしまう。そしてナサニエルはその弱点を見逃さないだろう。そんな危険な場所に行かせられると思うのか!」

「だから、隠すの? でもグウィン様はそんな事望まないはずよ。分かるでしょう」

「……ナサニエルは危険だ。これまでの復讐相手とは違う」


 ライアン表情に一瞬だけ怯えとも畏怖ともつかない色が浮かび、アルマは訝しんだ。


「何かあったの? あんたずっと自信満々だったじゃない」


 アルマの問いに、ライアンは黙り込む。思い出していたのは、3日前の出来事だった。

 

 判決の日、ライアンはナサニエルを追っていた。

 病院を探せというレイモンドの指示を実行していたのである。マイクが追っていた血痕は先に進めば進むほど探すのが難しくなったが、途中までの痕跡でおおよその方角を割り出す事ができた。

 ナサニエルが向かったのは北。ならば探すべきは、市内北部の病院だろう。北へ伸びる街道沿いに位置しているセントミラー病院に当たりをつけると、ライアンは早速病院に向かった。

 不審な医者を見つけるまでは、簡単だった。前日宿直にあたっていた医者はいないか受付で聞き、その医者に銃による傷を負った者が来なかったかと尋ねたのである。

 かくしてライアンが質問すると、当直医の男は顔色を変えた。青ざめ、動揺しているのが手に取るように分かる。「当たりだ」とライアンは直感したし、泳いだ目で何も知らないと主張する医者に、この男は嘘をついていると確信した。

 一旦この事を報告しようと、裁判所へ向かった時には、ナサニエルを追い詰めていると信じて疑ってはいなかった。

 しかし裁判所からセントミラー病院に取って返したライアンを待っていたのは、2人の制服警官だった。病院に戻ると、廊下で警官達が医者から話を聞いていたのである。その様子を見つけて、ライアンは内心首をひねった。


『ああ、君! 無事で良かった!』

 

 ライアンの姿を見つけるなり、ホッとした顔で近づいてくる医者の男に、混乱は増すばかり。


『あの男が君の後をつけて行ったから、心配してたんだ』

『あの男?』

『銃創を負った男だよ! 君、探していただろう』

『それは、どういう……』


 話が全く見えない。ライアンが眉を寄せると、一緒にいた制服警官が口を開いた。


『昨夜銃を持った男が、彼を脅して治療を迫ったそうなんです。その後も奥の部屋に居座って、自分を探しに来る者がいれば引き留めろと、脅迫したそうです』

『ーーなんですって?』


 驚いて聞き返したライアンに、医者の男が補足した。


『さっき君が男を探しにここに来た時、実は奥の部屋に男がまだいたんだ。私も脅されていてね。さっきは嘘をついて申し訳なかった。君が出て行った後、男が後を追って行ったから、無事かどうか心配していたんだ』


 何事もなかったようで安心した、とまだ若い医者は安堵した顔になる。

 一方のライアンは、それを聞いて冷や水を浴びせられたようになった。得体の知れない恐怖が背中をぞわりと這い上がる。


 ーーつけられていた?


 それはライアンが全く予期していなかった事だった。警官から男の素性を尋ねられて、ライアンは曖昧な答えに徹するしかなかった。

 

 ーーナサニエルに待ち伏せされたのか。


 その事実が、ライアンに与えた衝撃は大きかった。

 つい先程まで、ライアンは追う側でナサニエルは逃げる側だったはずなのに。それがたった一瞬で反転した事に、ライアンは動転していた。

 オズワルドもイライアスも、ライアンは追い詰めるだけで良かった。だが、ナサニエルは違う。その時初めて空恐ろしさを感じた。

 狩る者と狩られる者。絶対的だと思っていたその関係が容易くひっくり返ってしまったことに、ライアンは酷く動揺した。追われる側になることに対して、ライアンは耐性ができていなかったのである。

 その出来事がナサニエルに対するライアンの評価を決定的に変えてしまった。


 ーーあの男は危険だ。レイモンドだって、殺されるかもしれない。

 

 黙り込んだまま答えないライアンに、アルマは我慢できなくなったようだった。


「ねぇ、ライアン! 聞いてるの? 何があったのよ!」

「とにかく、ナサニエルは危険だ。あの娘がいたら、レイモンドは思うように動けなくなる。危険だと分かっている場所に、行かせられない」

 

 頑なに拒むライアンに、アルマは地団駄を踏んだ。

 ライアンとてソフィアに罪悪感が沸かないわけではない。アルマが告げたソフィアの誘拐。そのきっかけは自分にあるのではないかと思ったのだ。


 ーー俺のせいかもしれない。


 ナサニエルにつけられていたなら、裁判所でライアンがソフィアに話しかけたのを、見られていたのかもしれない。あれ程レイモンドが隠したがっていたソフィアとの繋がりを、自分がナサニエルに教えてしまったのではないか。

 無論、注意はしていた。

 話を聞かれるような距離には誰もいなかったはずだと、そう思う。少なくとも視界に入る範囲でナサニエルがいれば気づくはず。

 だがナサニエルの行動も能力もライアンの予想を越えている。ナサニエルに見られていないという、絶対の自信はなかった。

 ソフィアに対して罪悪感は感じたが、ライアンにとってはレイモンドの方が大切だった。

 ライアンにとって唯一の、家族のような存在。ーー父であり、兄であり、友でもある。ナサニエルが待ち構えていると分かっている場所に行かせるなど、認められるはずがなかった。


 その時階下が少し騒がしくなって、二人ははっとした。レイモンドが帰って来たのだ。「ライアン、お願いよ」と、すがるように言ったアルマの声をライアンは黙殺する。まもなく居間に入ってきたレイモンドは、ひどく切迫した表情をしていた。


「ーーライアン、アルマは来ていないか?」


 思い詰めた顔でそう尋ねるレイモンドに、後ろめたさで胸が苦しくなる。それでも、今レイモンドに真実を告げるわけにはいかなかった。


「いいや、来ていない」


 レイモンドの目を直視できず、ライアンは首を振ってそう答えた。


「……そうか。これからまた出てくる。もしアルマが来たら、すぐに知らせてくれ」

「どこへ行くんだ?」

「オールドマン家だ。何か手がかりが残っているかもしれない」


 そう言うなり、レイモンドはすぐに部屋を出ていく。レイモンドの足音が遠ざかるのを待って、ライアンは口を開いた。

 

「そんなに睨むな」


 怒りに打ち震えるアルマに、ライアンは渋い顔になる。ライアンを睨みつけるアルマは、激しくライアンを責め立てた。


「ライアン、あんたソフィアに嫉妬してるんでしょう? グウィン様の為とか言って、本当はソフィアの事が嫌いだからこんなことをしてるんじゃないの?」


 アルマの言葉にライアンは鬱陶しそうに顔をしかめた。


「女はすぐ感情論で考えたがる。だから嫌なんだ」

「違うとは言わせないわよ。グウィン様がソフィアを大切にしているのが、気に食わないんでしょう」


 だから邪魔なソフィアを排除しようとしているのだ、と言われて、ライアンは声を荒げた。


「違う! 俺はレイモンドを守りたいんだ」

「たとえ命は助かっても、グウィン様の心に一生消えない傷を残すわ! あんたそれでいいの?」

「黙れ! お前に何が分かる!」


 そう言って、アルマとしばし睨み合う。


 ーーこれは、嫉妬なんかじゃない。


 ライアンは心の中で否定する。これはレイモンドを守る為であって、決して感情的に動いているわけではないのだと。

 正直ソフィアに対しては、含むところがなかったとは言い難い。ティトラを旅立つ前、「マイクをオールドマン家の監視につけてくれ」とレイモンドに言われたその時から。

 

『彼らを私の復讐に巻き込みたくないんだ』


 マックスウェル家の屋敷でそう告げたレイモンドに、ライアンは眉を寄せた。


『マイクやハリスの存在は貴重なんだ。わざわざ復讐に関係のない所に向かわせるのか?』


 レイモンドの頼みに、ライアンは不満を隠さない。何故復讐に関係のない人間の為に、マイクを使う必要があるのか。納得のできない様子のライアンに、レイモンドは初めて、それまで語る事のなかった自身の胸の内を打ち明けた。


『私にとって家族のような人達なんだ。彼らは家族を失った私を救ってくれた。ーーだからどうしても守りたい』

『人を雇って見張らせるんじゃ駄目なのか?』

『ソフィアは死者が見えるんだ。今彼女の周囲がどういう状況か分からないが、以前は彼女の祖母の霊や他の霊が周りにいた。もし今も死者が彼女の周囲にいるのなら、普通の人間は簡単に気づかれる』

『……昔言っていた俺と同じ力を持つ人間か?』

『ああ』


 ライアンはその時ようやく、自分と同じ力を持つ者の名を知った。ソフィア・オールドマンという、かつてレイモンドの婚約者だった少女。

 ライアンに疑問が生まれたのは、その時だ。何故レイモンドはソフィアの力を頼らなかったのだろうという疑問が、不意に湧き上がったのである。


 ーーその娘の力を利用することが、できたはずなのに。


 かつてライアンの力を見抜き、その力の有用性を教えてくれたレイモンドなら、ソフィアの力の利用価値にも同じように気付いたに違いない。ライアンと同じ力を持っているなら、ソフィアを利用することだってできたはず。家族のように近しい存在だったなら、復讐の為に手を貸してくれと頼むことは難しくはなかったろう。にもかかわらず、レイモンドがそれをしなかったのは、何故なのか。

 そう思った時、ライアンの中で導き出された答えはたった一つだった。

 ソフィアは、特別なのだ。

 復讐に利用できない位に。ひっそりと影のように周囲を守り固めようとする程、レイモンドにとって彼女は特別な存在なのだ。

 自身の復讐とソフィアを天秤にかけた時、レイモンドにとって後者の方がより重要なのではないか。そうでなければ、ソフィアの力を利用しなかったのはおかしい。彼女を巻き込みたくないという理由で、レイモンドは復讐のための貴重な手段を手放したのだから。


 ーーなら、俺は?


 自分はレイモンドにとって何なのだろう。家族だと思っているのはライアンだけで、レイモンドにとってはそうではないのかもしれない。そんな不安が胸に押し寄せる。少なくともレイモンドには、家族のように思っている存在がライアンの他にもいるのだ。

 そう思い至った時胸に広がった苦さを、どう言えばいいのだろう。

 無論レイモンドの内心がどうであれ、彼がライアンを地獄のような生活から救ってくれた恩人であることに変わりはない。そんな事でレイモンドに対する感謝や尊敬の念が揺らぐことはなかったが、それでもソフィアに対して何も思わなかったわけではないのだ。飢えも貧困も知らぬ少女。昔婚約関係にあったというだけで、こんなにもレイモンドの心を占めるソフィアに、怒りとも苛立ちともつかない感情を覚えたのは確かだ。同じ力を持って生まれながら、何故こんなにも違うのか。


『その娘は特別なのか?』


 そう聞くと、レイモンドは静かに頷いた。


 ーー大切なんだ。


 ひそやかに呟かれたその一言に、どれほどの思いが込められていたのか、ライアンには分からない。

 家族愛は理解できても、恋情というものをライアンは解さない。

 ただレイモンドの心において、ソフィアの占める割合が驚くほど大きい事は理解できた。もしソフィアが危険に晒されれば、レイモンドは何をおいても助けに行くだろう。だからこそソフィアの存在は危険だと、その時ライアンは思ったのだった。


 ーーあの娘がいると、レイモンドは弱くなる。


 アルマを前に、ライアンは苦々しく吐き捨てるように言う。

 

「レイモンドはあの娘を人質に脅されたら、ナサニエルに従ってしまうかもしれない。自分の命かあの娘の命か、二択を迫られたら、自分の命を捨てるかもしれない」

「だからってソフィアを見殺しにしないで。今も助けを待ってるのよ」

「……俺にはこうするしかできない」


 懇願するようにアルマは言うが、ライアンは頑なだった。

 その時、キィと静かにドアが開く音がして、二人は会話を止めた。驚いて振り向けば、扉が開いた隙間から廊下に佇む一人の青年が見える。そこに立っている人物を見て、ライアンは呆然と呟いた。


「……レイモンド」


 ライアンの方をじっと見つめながら、レイモンドがそこに立っていた。

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